先日、岡山の姉から電話。
「お父さんの机の引き出し整理しとったらすごいもんが出てきたんよ!」
それは父の青年期の日記だと言う。
昭和4年、徳島の阿波池田で生まれた父は戦時中、愛媛県の軍需工場でプロペラを
作っていたという話は聞いた覚えがあるが、日記はその頃に始まり、戦後、仕事のために
親戚を頼り大阪に出てきてからの大工見習いの日々を綴ったものらしい。
高尚な文章でぎっしりと書かれているのは、時系列に並べた一日のこと。
なかでも休日の映画館での洋画鑑賞についてはよほどお気に入りだったのか詳細な内容の記述
とその辛口な感想が小さい文字で書かれていたとのこと。
父が洋画を見ている姿なんて一度も見たことがないというのに。
職人気質で自分から進んで前に出ることは苦手だったが、穏やかで周りにはいつも人がいた。
私は怒られた記憶がない。
そんな父が認知症になりホームに入所してもう4年目。
自分で建てた庭の道具小屋には、愛用の釣り道具と大切にしてきた大工道具がそのままにしてあった。
しかし主のいなくなった道具たちは寂しそうで、喜んで使ってくれる知り合いの方に譲ることにした。
小さい頃、父が器用に大工道具を操るのを間近で見て「手品のよう。」と思ったこと。
そんな父を心のなかで「うちのお父さんはすごい!」と自慢していた私。
決して色褪せることない父との時間がある。
「父の手の形になっていた鉋」 桂 晶月
第26回国民文化祭 井手町「川柳の祭典」プレ大会
課題「道具」入選