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猫とおひさま

黒猫たまと、茶とら猫モカとの、何気ない日常を綴ります

相原山首遺跡・中津市

2017年11月11日 | 遺跡をめぐる
古代よりこの周辺をおさめてきた豪族達の累代墓。
中津市内最大級の円墳(5世紀)、古墳時代終末期(7世紀)の方墳、火葬墓(8世紀、9世紀)へと首長の墓が変遷していく様子をたどることができる貴重な遺跡である。付近には豪族が建立した古代寺院「相原廃寺」(あいはらはいじ)が建っていた。

中津地方における仏教需要の様相を解明するうえで重要な遺跡であることが評価され、平成22年3月に大分県指定史跡に指定された。

遺跡は「風の丘葬斎場」の敷地内に、古墳公園として整備されており、自由に見学することができる。また、出土遺物の一部は中津市歴史民俗資料館に展示されている。


              


              


              
 

              


              

              

水霊石

2017年10月03日 | 遺跡をめぐる
豊後大野市にある、水霊石。
菅生石仏を見に行った帰りに偶然見つけ、写真に収めた。

         
       

       


この石を支えている土が洗い流されるほどの大雨が降ったら、洪水のおそれがあるから避難しなさい、という先人の教えなのだろう。



      

笠結島

2017年10月02日 | 遺跡をめぐる
明治時代に、港を造るために埋め立てられた。
港ができるまでは、生石の浜から目の前に笠結島の景観が広がる風光明媚なところだったが、築港工事により陸続きになってしまった。


今は、大きな岩山がひっそりと佇んでいるばかり。


               


国東市・鬼塚古墳

2013年03月25日 | 遺跡をめぐる

国東市のとあるお寺で、年に一回、幽霊画が公開されるというので、オットとふたり出かけた。

幽霊画というから、とてもおどろおどろしいものを想像していたけど、実際はとてもきれいで物悲しい風情の絵だった。
残念ながら写真撮影は禁止・・・
なので、じっくり見てしっかり目に焼き付けた。
来年も見に行きたいな。


さて。
せっかく国東まで来たのだし、周辺の古墳を見て行こうということになった。
地図で調べて、早速向かう
山の中の細いでこぼこ道を進むと、山の中にもかかわらず、きれいに整備されている古墳にたどり着いた。


                        


                  内部の様子
                        

久しぶりに古墳を見たら、また遺跡めぐりをしたくなっちゃった。
天気が良ければ、5月の連休にあちこち見に行きたいな~


秋・仏の里へ

2010年10月25日 | 遺跡をめぐる

「発掘された日本列島2010」を見に宇佐市へ行った帰りに、ちょっと寄り道して、真木大堂へ
ここへ来るのは20年ぶりくらいかなぁ。
御堂は建て替えられ、すっかりきれいになっている。
仏像をガラス越しでしか拝観できないのが残念だけど、文化財としての価値も高いので、後世まで残すためには我慢しないとね。
                   
この仁王さん、昔は公衆電話だったはずだけど・・・。
ケータイの普及で、利用者がいなくなったのかな?
右の写真は、境内にある五輪塔。
遊歩道になっていて、まだ奥へ続いている。残念ながら時間がなくてここで引き返すことに。
もっと時間があったら、熊野磨崖仏や、仁王像も見たかったな。
近いうちにまた見に行こうかな~。


発掘された日本列島

2010年10月23日 | 遺跡をめぐる

遺跡めぐりが大好きなオットとワタシ。
宇佐市の県立歴史資料館で開催されている、発掘された日本列島2010に行って来たよ~。
史料を見ながら、オットと、あ~でもないこ~でもないと話をしたり、自宅近くで発掘された遺物を見つけては驚いたり。
来年はどんな遺物が発掘されるんだろう。どんな感動に出会えるんだろう。
早くもそんなことを考えながら、博物館を後にした。



16人いる!

2009年12月13日 | 遺跡をめぐる
このタイトルが何のパロディが分かる人いるかなぁ?
それはさておき・・・。
この十六羅漢さん、表情豊かで見ていて飽きない。
仏さんのように穏やかな顔、人間味あふれた顔などいろいろ。
ひとりひとり、ちゃんと名前があるけど、漢字も読みも難しくて、とてもおぼえられな~い
中国や日本では、仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢と呼び尊崇した。
で、肝心の仏さんは、釈迦三尊で脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩・・・だと思う。(多分・・・)
う~ん、学生の頃の勉強不足が今、たたってる~

いにしえのみち

2009年12月02日 | 遺跡をめぐる

天気も良いので散歩がてら、野の仏めぐりを・・・。
安政2年(1855)、府内へ通う道の要所に三十数体の道祖神が置かれた。
その中に馬頭観音があった。
馬頭観音は、江戸時代から旅の道中の安全を守る仏として路傍や田舎のはずれなどに置かれ信仰されるようになったという。

             
「右ヘツギ 左みやかわち」と刻まれた仏さま。
旅人の安全を見守り続け、そして今は何を見守っているのだろう。


犬飼石仏

2009年11月10日 | 遺跡をめぐる
              
大分県豊後大野市にあり、平安後期から鎌倉時代の磨崖仏である。
1924年に国の史跡に指定された。

高さ約3.8メートルの不動明王像を中尊とし、脇侍仏は向かって右側の合掌姿が矜羯羅(こんがら)童子で、左側の金剛棒を持って立っているのが制叱迦(せいたか)童子である。
不動明王は結跏趺坐し両足の裏を見せている。
像はわずかではあるが朱色の彩色の痕跡をとどめている。

          


鶴崎城跡・熊本藩鶴崎御茶屋跡

2009年11月04日 | 遺跡をめぐる

室町時代後期に、大友氏に仕えた吉岡長増(宗歓)によって築城されたと伝えられている。
天正14年(1586)の島津氏の豊後侵攻の際に、長増の子・鑑興の妻であった妙林尼が智謀を用いて籠城を続けたことで有名。(寺司浜の戦い)

江戸時代に入ると、鶴崎は熊本藩の所領となり、この城は廃城とされた。跡には熊本藩鶴崎御茶屋が置かれ、豊後国内の熊本藩所領の統治にあたった。

近年、大分市立鶴崎小学校、大分県立鶴崎高校の校地から遺構が発見されており、大野川と乙津川に挟まれた水上交通に利便な地にあったことが確認されている。