2007年12月23日
翌朝8時に覚める。
昨日、道を尋ねた店へ行ってみよう。右側が喫茶店?だ。
ちょうど、日本の喫茶店のモーニングサービスに来た人達のような数人のお客さんが朝食を摂っている。
僕もその仲間に入って、クロワッサンを頼んだ。昨夜親切にしてくれた、ちょっと肉付きの良い女性はいなかった。
今日は、ロカ岬に行って、そこからシントラに行き、さらにオビドスまで行って宿泊する計画だ。
写真は、昨夜道を尋ねたレストランの前からアベニーダホテルを見る。左側の建物がそうだ。
沢木耕太郎さんが「1号線を北上せよ」の紀行文の中に出てくるホテルで格式が高い。というか高かった。始めここに泊まろうと思ったがネットで確認したが断念した。
ロカ岬には、電車でカスカイスまで行きそこからバスで行くことになる。
まずは地下鉄でロシオからカイスドソレイユへ、カイスドソレイユで電車に乗り換える。この路線は電車がまだ新しい。テージョ川の河口に沿って行く。
線路と川の間は公園になっている。パイナップルのような棕櫚の木が計算されたように並んでいる。4月28日橋が逆光の中ににび色に光っている。これは、ガラスの汚れも含んだ色だろう。
やがて右手に有名な「ジェロニモス修道院」、左手にベレンのモニュメントが見える。
車窓から続く景色に延々と平行してある景色が、いろいろな壁面の落書きである。落書きが認可されているのか延々と続く。
駅には改札がない。ひょっとすると只でも乗れるのではないだろうかと、考える人がいるかもしれない。そんな危惧を車掌さんたちの行動からキセルの摘発対策を見た。
電車には、4人の車掌が乗っている。彼らは駅に着くと全員で乗降客を確認する。どの車両にどんな人が乗ったか、それに基づいて車掌が動く。
「うーんこれもすごい」
各電車にこのシステムで行った場合、何人の車掌がいるだろうか?駅に人を配置するのとどっちがコストが安いのだろうか。1日数本しか走らない線区ならメリットがありそうだ。でも、日本の田舎はワンマン電車と無人駅の制度がある。それが一番安いかも。
先日(2011年12月26日)の函館本線のように無人駅+ワンマンカー+1両編成。
ちょっと余談
あの時書き忘れたけれど、函館の写真を見て、撮っていて感じたことは「るるぶ」の写真のように、「きれいな風景それを持って帰る」あるいは「こんなとこあるよという紹介写真」という写真の領域から抜けられない。今回の旅なんかは「るるぶ」そのものだと思う。まーそれで良いんだろうな。僕の写真の原点だと思う。
翌朝8時に覚める。
昨日、道を尋ねた店へ行ってみよう。右側が喫茶店?だ。
ちょうど、日本の喫茶店のモーニングサービスに来た人達のような数人のお客さんが朝食を摂っている。
僕もその仲間に入って、クロワッサンを頼んだ。昨夜親切にしてくれた、ちょっと肉付きの良い女性はいなかった。
今日は、ロカ岬に行って、そこからシントラに行き、さらにオビドスまで行って宿泊する計画だ。
写真は、昨夜道を尋ねたレストランの前からアベニーダホテルを見る。左側の建物がそうだ。
沢木耕太郎さんが「1号線を北上せよ」の紀行文の中に出てくるホテルで格式が高い。というか高かった。始めここに泊まろうと思ったがネットで確認したが断念した。
ロカ岬には、電車でカスカイスまで行きそこからバスで行くことになる。
まずは地下鉄でロシオからカイスドソレイユへ、カイスドソレイユで電車に乗り換える。この路線は電車がまだ新しい。テージョ川の河口に沿って行く。
線路と川の間は公園になっている。パイナップルのような棕櫚の木が計算されたように並んでいる。4月28日橋が逆光の中ににび色に光っている。これは、ガラスの汚れも含んだ色だろう。
やがて右手に有名な「ジェロニモス修道院」、左手にベレンのモニュメントが見える。
車窓から続く景色に延々と平行してある景色が、いろいろな壁面の落書きである。落書きが認可されているのか延々と続く。
駅には改札がない。ひょっとすると只でも乗れるのではないだろうかと、考える人がいるかもしれない。そんな危惧を車掌さんたちの行動からキセルの摘発対策を見た。
電車には、4人の車掌が乗っている。彼らは駅に着くと全員で乗降客を確認する。どの車両にどんな人が乗ったか、それに基づいて車掌が動く。
「うーんこれもすごい」
各電車にこのシステムで行った場合、何人の車掌がいるだろうか?駅に人を配置するのとどっちがコストが安いのだろうか。1日数本しか走らない線区ならメリットがありそうだ。でも、日本の田舎はワンマン電車と無人駅の制度がある。それが一番安いかも。
先日(2011年12月26日)の函館本線のように無人駅+ワンマンカー+1両編成。
ちょっと余談
あの時書き忘れたけれど、函館の写真を見て、撮っていて感じたことは「るるぶ」の写真のように、「きれいな風景それを持って帰る」あるいは「こんなとこあるよという紹介写真」という写真の領域から抜けられない。今回の旅なんかは「るるぶ」そのものだと思う。まーそれで良いんだろうな。僕の写真の原点だと思う。