あきさんの旅写真

海外旅行をした記憶のために撮った写真を、出来事と一緒に残しました。

帰国

2014年09月19日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
南に向けた滑走路を上がった飛行機は、そのまま南東に向けて飛ぶものと思っていた。
だから、眼下の街を見ていたが、街の景色が回っていることに気づき、目をあげると飛行機はヒマラヤ山脈を、右側に座った人にも見られるように旋回していた。グッドサービス。
でも、そのほとんどを眼下に向けていたため、少ししかその恩恵に預からなかった。

3・4時間のフライトと時差の関係で、タイに着くころは夕焼けから日暮れにと時間が進んでいた。
このタイの空港で約6時間の待機時間がある。
かと言って外に出られるわけもなく、時間を費やさなければならない。

乗り継ぎの搭乗口を確認しておいて、ラウンジでのスリープタイム。
仕切りで仕切られた簡易ベッドがある。

搭乗30分前に起き、搭乗口に急ぐ。
10分ほど歩いてゲートに着くが、人がいない。
警備員を捕まえて、ここだと聞いたがこの便はどこです?
「ここじゃない。戻って聞いてくれ」
「そりゃ困る。時間もそんなにない」
無線で聞いてくれた。
「D4、戻ってくれ」
「ありがとう、とにかく戻るわ」
今来た10分ほどの通路を戻る。
朝まで空港内で寝る人を見ながら急いだ。
ラウンジまで戻り、
「どこ?」
「ここを出て、右の3つ目のゲートよ」
なんだよ!と云いたい。
寝ている間に変更になったのかも?
急がねば!

汗をかきながら搭乗した。

夜明け前の時間、アイソン彗星が見れるかと思い、高度1万メートルの機内から東の空を細い目を皿のようにして見るが見えなかった。
そして、夜の明けたセントレアに到着した。

香港・新圳・タイ・ネパールと2週間の旅でした。
次に行ったのは、ケルン(ドイツ)・ベルギー・パリ・イタリアのリグーリア地方とベネチィアの3週間の旅です。
少し休憩して少しづつ書ければいいかなと思っています。


前回のblogのブッダエアー。19人乗りで墜落した飛行機はこっちの写真の飛行機でした。









トリブバン空港にて

2014年09月19日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
写真は、「ブッダエアー」。
以前、カトマンズからポカラに乗った飛行機で19人乗り。
窓側を頼んだら、「OK!」であったが、なんと全員窓側だった。
そして3年ほど前に、墜落したのもこの飛行機。
以上余談。


国内線は、まず荷物の受け渡し場が出迎えてくれる。
日本だと、ターンテーブルで荷物を受け取り、半券を持って出口で確認して表に出るが。
ここでは、飛行機を降りコロコンの所に行って勝手に荷物を持っていく。そこがもう空港外なのだ。

ここから、空港建物の中に入る。
昔と変わっていない。
ブッダエアーの事務所。
あっ!、変わったものがある。
ハカリだ。
でかいアナログのハカリがデジタルに変わっていた。

この待合室の左奥から荷物などの搬出口から表に出られる。
表というのは、滑走路のある側のこと。
そこに行こうと思っている。
通路を抜けようとすると、ありました!!アナログハカリ。
ということはデジタルになってまだあまり日がたっていないと云うことか。

バスとか台車が停まっているところから飛行機の発着を眺めていた。
迷惑がかからないようにすることと、あまり目立たないように、日差しを避けるがごとく人目も気にしながら、国内線のプロペラ機の発着と国際線の大型ジェットのタキシングを間近で堪能した。
怒られる前に戻ろう。

国際線の建物までは、タクシーで来た道を戻らなければならない。
少し埃っぽい道を10分ほど歩く。
2階建ての建物に行くが、長い列ができている。
時間に余裕を持ってきたが、やばそう。
列がどうなっているのか、何便でどこ行きに並んでいるのかよく分からず、並ぼうかどうか迷っていると、兵隊さんが「向こうだ」と指し示してくれた。
外国人ゲートが別にあった。
僕のカードは、スターアライアンスの加盟航空会社便はエコノミーでも、ラウンジが使えるので昼食の足しに入る。
えらく変わったものだ。
以前は、四角い部屋に丸いテーブルといくつかのテーブル席があって、大きな鼠がいたが。

そして、歩いて飛行機に乗り込む。
出稼ぎの屈強な人たちとともに。









飛行場へ

2014年09月17日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
さて、今日は帰る日。
タイ航空、TG320便はカトマンズの国際空港「トリブバン空港」を13時30分発だ。
アンナプルナで朝食にしようとゆっくりホテルを出た。

ホテルからタメルのメインストリートに出る路地に輪タクの基地がある。
そこにいた若い輪タクの方に
「アンナプルナホテルまでいくら?」
「3ムニャムニャ」
「30ルピーなら安い」
と思い、
「では!お願い」
乗って、路地を出ると車夫が
「ダルパール広場は行ったかい?」
「いや」
「5$でいかないか?」
「5$」
「イエス」
「そりゃ高いぞ」(タクシーでバクタブルまで行ける)
まてよ、アンナプルナまで3$か?と気になった。

「アンナプルナまでいくらだった?」
「3$」
「そりゃ高い、やめだ!!!」
「ストップ!!」
1ドル払って降りた。
車夫さん、怒ってた。

降りたところから近い、喫茶「千種」へ入り、チャイとトーストを頼む。
そこからホテルまでは歩いて10分かからない。

アンナプルナに着いて、ジョンに会う。
「ジョン、飛行場まで行ってくれないか?」
「アキオ、残念だが、今日はビジーなんだ」
「ビジー?珍しいな」
「うん、ちょっと待て」と言って駐車場の方へ行く。
30歳くらいの男と戻ってきた。
「彼が行く」
「ありがとう」 
400ルピー。来るとき乗った飛行場斡旋のタクシーより100ルピー高い。が黙って乗る。
その差は明らかだった。
来るときのタクシーは最短距離を来る。
狭いガタガタの道である。
アンナプルナの彼は、遠回りになるが広いアスファルトの道を選んで走るし、安全運転だ。
これが、ホテルドライバーなんだろう。
トリブバン飛行場は、国際線と国内線に分かれている。
あえて国内線乗り場に行ってもらった。
「ほんとにここで良いのか?」
「うん、ここでいい。ジョンによろしく行ってくれ」
まだ2時間以上ある。



右・ジョン と旅行会社の昔主任、今所長。




アンナプルナで夕ご飯

2014年09月12日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
バクタブルではコンフォートな食堂がなかった。
だから、安いホテルのレストランで食事したが、それは我慢でもあった。

ここには、王宮前に2つの5星ホテルがある。
その一つが、アンナプルナ。
老舗で古いホテル。
ここには、インディアンレストランと中国料理のレストランと洋食の3つのレストランが有る。

格式の高いレストランが、インディアンレストラン。
上流社会人の会食の場であり、家族の記念日に利用されているようです。

でも、今夜は中国料理。
8年ぶりのこのお店。
ビジネスマンが1組食事をしていた。

ここでは、前菜というかおつまみというか最初にお皿いっぱいのきゅうりの酢漬けが出てきた。
今回は無かった。
酢豚にした。
酸辣湯も頼む。
感激がなかった。
なぜかな?
きっと、前のマネジャーがいなくて、ここでの盛り上がりに欠けたせいか?
2,200円ほどを支払う。
ホテル代よりはるかに多い。

明日は帰るという前夜の晩ご飯はカレー
キーマカレーです。
やっぱり旨い。
今日は演奏があった。
この演奏をバックに、カラオケとは言わないだろうが、カラオケもできる。
そして、みんな歌がうまい。
やっぱしここがいい。





インディアンレストラン


くつろぎか、至福の一時か。

2014年09月07日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
来た道の埃の中を目的もなく歩いていく。
埃が多いので、路地に入って歩く。
せめて自転車であれば、ホテルまでそのまま帰れるが、歩きでは1時間はかかってしまう。
なんてことを考えながら、広場で料金を払わずに開き直って来てしまったことを「少し大人じゃないなあー」と反省し、一人旅の感傷に酔いながらトボトボと歩いた。

市場があった。
もう半分以上は閉まっている。
その一角で、オジサンたちがトランプをしている。
賭けてるんだろうな。

女の人に働かさせてオジサンたちは賭けに興じている。
手前のオジサンが、8・9・10の麻雀でいう順ツを切っていった。
見ていたがルールがわからん。

ここから、タクシーで帰ったと思うが、どこへ帰ったのかよく思い出せない。
アンナプルナホテルだったかもしれない。
晩御飯の時間だし、お腹もすいていた。そこは覚えてる。






ゴールデンテンプル

2014年09月06日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
パタンにはこのダルパール広場のほかに、もう一つ有名な寺院がある。
ゴールデンテンプルと呼ばれている。
金閣寺をイメージすると相当ずれる。
どっちか言うと真鍮(しんちゅう)に似た、鈍い輝きで使っている5円玉の輝きと思えばあたっている。

広場からまっすぐ北に進んで左に折れれば着くと記憶があるが、どこを左に曲がるかわからない。
女性同士の親子連れの人に聞いてみた。
「どっち?」
「あそこを左よ。」
でも、1本行き過ぎてしまったようだ。曲がってから次の路地をまた左に曲がってあった。
やはり、参詣料が必要だった。
これも観光地化が進んだ結果なのだろう。
小さな庵がひとつあるだけのお寺。
入るのを止めた。

とすると、背中の方から音楽が聞こえてくる。
「また、結婚式か?」
結婚式の行進だった。
名古屋の嫁入りよりも盛大だ。
娘が3人いたら身上がつぶれる。

広場に戻ると、係員に呼び止められた。
「広場の入場料がいるよ」
「もう出ていくよ」
払わずにタクシーで来た道を戻っていく。
埃がいっぱいの道を。


ゴールデンテンプルの入口近辺での親子。
笑顔も未来を見る目もすごくいいね。
いい写真より、いいコミニュケーションがいい。





パタン

2014年09月05日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
パタン
ここ昔は王宮であった。
パタン・ダルパール広場には400年前の遺構が多くある。
この塔はガーネイシャが神(象)だとか、一つ一つに神が違うようです。

タクシーで15分ほどで着く。
降りてまっすぐ向かったのが、角にある八百屋さんの屋根。
店のわきから階段で登れる。
ここが、ポスターなどに使われる絶景ポイントになる。

上がって、少ししたら行列が来た。
お祭りだろう。こんな大きな個人の行列はないと思うが。

その写真から見える左側の奥の建物
そこに上がって、ボーとしている。
観光客やカメラマンが多いのが目に入る。
みんな、首からカードを下げていた。
同じ団体かと思う。
中国人のツアー客か。

違った。
この広場に入る際に料金を支払った人がもらえるカードだ。
以前にはなかったが、識別用なのだろう。

フォトマスターの論文の一部に、「優れたスナップ写真とは、あるがままであること」と書いた。
ここでの多くのカメラマンは、道行く地元のお赤ちゃんを抱いた女性を止めてポーズをとらせる。
この建物の上からはいろいろなことが見える。








仏塔の化粧

2014年09月04日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
青い空に白い仏塔。

空気の汚れたこの都市に、新品のように白い仏塔がある。
その理由を見た。

脇に1.5mで深さ50cmほどの漕があって、そこでペンキ?を溶いている。

それを仏塔の下から上に撒く。
仏塔の表面は厚いペンキの層なのだ。
そのペンキが垂れて全体が白くなる。

白くなった表面に黄色い模様を描くが、この壁に手で塗るのは危険である。
どうしていたかというと、上に上り弧を描くように撒くのである。
芸術的な所業です。

風の盆からさっき帰ってきた。今日はもう寝る。






仏塔

2014年09月03日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
あと少しで頂上だ。
ここに来て急登だ。

この階段のあと5段というところに料金所がある。
ここまで登ったらほとんどの人は払って入ると思う。
これが、上りはじめであったら、払わずに帰るかも。
以前ここに来たときは、自然史科学博物館に来たついでに立ち寄ったが、入口が頂上付近の裏から来たため、ただであった。

いい天気だ。

どこからか女性の団体さんが来ていた。

脇にあるスペースで並んで食事を摂っている。
男性が一人もいないでやって来ている。
なぜか不思議な感じがした。
封建的な国のイメージ、女性は働いてばかしいる国であるイメージがあった。
そこに男性抜きの時間をみた。

他にも、黄色い僧侶の服を着た人が、外国人(欧米人)の団体を案内して、マニ車を規定回数廻させていたり。

いろいろな形での信者が見られた。








スワヤンブナートという仏塔

2014年09月02日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
朝8時にホテルを出た。
まだ、この街は半分寝ている。

ネパールで一番古いといわれるスワヤンブナートに行こうと思う。
ガタゴト道を15分くらい行くと露店の八百屋さんが見えてくる。

ここでも生鮮野菜は露店で売っている。

ここからが、寺院への入口で400段近い階段を登らなければならない。
登り始めた階段の横には、マニ車の


モンキーテンプルと云われるこの仏塔、猿が多い。


登り始めたときは、段数を知らずに登り始めて、、途中で段数が気になりだした。
「えらい!いったい何段あるんだ?」











カトマンズで行進曲

2014年09月01日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
Facebookのコメント欄で、毎日続けるといった途端に、1日休んでしまった。
昨日の日曜日はひさしぶりに忙しい1日だった。 あー多忙だった!充実。


そしてチャイ。


喫茶「千種」を出てた。
さーっ! ホテルに向かおう。

王宮前の広い道から下がってくると、カーブしたところに大きな歩道橋がある。
その先の商店街の所に楽団がいた。
赤い制服を着て10数人の、金管楽器とドラム。
その後ろに続くデコレーションした車と、付き添う式服の人並。

結婚式だ。

バクタブルでごちそうになった結婚式は質素であった。
ここでは、楽団付き。
母親の顔が見えたが怒った顔をしている。(緊張した顔かも)

同じ国でも、ずいぶんと違う。
あの、心からの笑顔でいられるあの町がやっぱり良い。


ホテルには、南側から来た。
混沌とするカトマンズらしく来る方向が変わっただけで、路地を間違えて少し遠回りをしてしまった。
リクエストどおりに部屋は1階に替わっていた。

階段を登らなくていい分、ロビーの喧騒を少し我慢しなければならないが、その時間は短かった。

荷物を整理しながら、マスクを取った。
2枚重ねでしていたが、1枚目はひどく汚れている。
2枚目も薄汚れている。
乾季のこの時期、埃が多い。
ダブルマスクは必須。






カトマンズに戻った。

2014年08月30日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
バスを降りたところは、予想していたバスターミナルではなく、王宮前広場の南。ずーっと南。
何となく、自分の位置関係を把握して歩く。

バスを降りたところから、その道に沿って歩くことは、西に向かうことになる。
このまま歩けば、有料の公園エリア(旧王宮広場)に入る。そこは避けたい。
有料エリア手前の大きい道を右に曲がり、パン屋さんに入った。
小さなテーブルのあるパン屋さん。
万国共通のコカコーラとパン。

バクタブルからカトマンズに来るということは、京都から東京に来るイメージになるのだが、その差はもっと大きい。
東京と高山くらいかな、もっと小さいか?。犬山くらいか???
でも、日本の小京都とは違って、旧市街と新市街の広さがバクタブルでは、1対1くらいで、日本の小京都と呼ばれる街は旧市街の部分がとても狭い。
バクタブルでは産業がなくて新市街地が広がらないのかもしれない。

反面ここカトマンズは、ショッピングセンターができたり、デパートもある。
観光という産業が大きな比率を持っていると思うが、国内外の出入りする人は、ここカトマンズに必ず寄らなければならない。


途中、タメルのメインストリートにある、「千種」という喫茶店によってチャイを飲む。
この「千種」はオーナーが名古屋市千種区のかたです。
店員は、ネパールの方です。
以前は、兄妹で店番していたが、今は普通のネパール人に代わっていた。


パン屋さんの前。ソフトクリーム、バクダブルでは縁がなかった。


急に大都会に来た。そんな感じ!

カトマンズへのバス

2014年08月29日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
カトマンズに戻るには3つ方法がある。
1、ローカルバス
2、ツーリストバス
3、タクシー
この中でタクシーは省く。
バスで帰るが、最初に来たバスで戻ろうと思う。
ナガルコットへのタクシー料金が山の中を2時間ほど走って2,000ルピー(2,000円)であった。
8年前にカトマンズに来た時は、片道200ルピー。

ツーリストバスは多分、200ルピーほどであろう。
ローカルは100ルピー以下であろうと想像できるが、いくらだろうか?
節約という意味ではなく、ツーリストと地元民での優遇制の如何に少し興味があった。

一昨日降りたところの広場に行く。
トラックや、自家用車の往来も多い。

ポリスがいる。
「カトマンズのバスに乗りたい」
「ここでいい」
「どのバス?」
「そのうち来る」

30分ほど待っただろうか。
バスが来た。
ローカルバスだ、しめしめ!!
乗り込んだ。
意外ときれいで、空いていた。
というのは、立っている人が居ないという意味。
僕は、運転手の後ろのボディの段差に腰を下ろした。

バスは、バクタブルを時計回りの反対に回って、乗客を拾っていく。
バクタブルを出るころには、足を置くところもなくなってくる。
車掌は半分体を外に出しながら、乗客を拾う。
ボディの段差は譲り合いながら体を寄せ合い座っている。

多くのバス停に泊まりながら1時間ほど走って、カトマンズ市街の商店街の一角で下される。
料金は、29ルピー(29円)だった。
安い!!!!!


ここに座った。



初めはこんな風。


あの空いたスペースにも足が来る。僕のお行儀のよい膝小僧。


バクタブルの街

2014年08月28日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
バクタブルでずいぶんひっぱたが、
カトマンズに戻らないといけない。
1泊1300円で、2泊の予約をして、1,000を前払いしている。
1泊2,000円と言われた部屋を、1,300円に値切って取った部屋。
約束を守らないといけない。
ほんとうは、もう1泊ここののんびりと歩いていたいが。

本当に良い街だ。京都が1,000年の古都ならば、ここは400年の古都なのだ。
いろいろな情景が思い出される。


風船売り。イロイロなおもちゃを頭の籠に載せた行商。


軍隊。この国に必要なのかなと思うが、そういえば昔、山の中には反政府ゲリラがいた。


やはり素敵な路地。


子供のほほえみ。
祭礼の日、手で食事をしていた女の子。
子供を撮ることはいくらでも撮れるが、倫理的な気持ちからあまり撮らなかった。


この街はこのままでいてほしい。
外国人が少ないこの街。

カトマンズは人の笑顔がどんどん変わっていくが・・・。
繁華街のタメル地区には中国人街ができていた。

そういえば、最新マーケット。こんなに素敵な店もできた。ただしレジはない。





お坊さん学校

2014年08月27日 | タイ・ネパールの旅【2013年秋】
専門学校があった。

僧侶の学校。
曼荼羅を書く教室。

バクタブルの街の南側に川が流れている。
川へ降りようと階段を下りていくと、小ぎれいなベランダのある家がある。
塀越しに覗く(普通に見えるが)と黄色の僧侶服を着た老師がいる。
椅子に腰かけ考えことをしている。

そーっとそこを通り抜け、階段を下りると庭になっている。
庭に入った左側が、老師の居たところの1階になる。
そこの部屋と縁先に小学生くらいの坊さんがくつろいでいた。

その縁先を抜け広場から、門を通って河原に出た。
通り抜けながら感じた、その雰囲気はとてもいい。
ありがちな、抑えられた雰囲気もなく。
先輩後輩の雰囲気もなくみえる。
マルコメ味噌の頭が明るくくつろいでいる。

河原は汚れていた。
羊や水牛の糞だろうか。
でも、遠景はのんびりとした田園風景だ。

少し経ち僧侶の学校に戻る。
授業の時間だった。
右奥に先生がいる。
僕がのぞくと、一部にこっちを見る子もいる。
気になるのだろう。
「邪魔しちゃいかん」
そーっとそこを通り抜けて街に戻った。