あきさんの旅写真

海外旅行をした記憶のために撮った写真を、出来事と一緒に残しました。

ネパールの旅のはじまり、まずはタイ

2011年10月31日 | ネパール【2005年の旅】
フランスの旅写真が終わって次はどうしようと考えたが、初めての海外旅行のネパールに決めた。
理由は最初だから。
しかしこれは6年前の思い出話になる。まだカメラは canonの IXY400。三脚も無い。

12月17日(土)(2005年)
いつもの通勤時間のいつもの電車に乗る。中央線の神領駅まではカミさんに送ってもらう。何か言っただろうけど忘れた。定期券はなくすといけないから家においてきた。前の日に金山からの名鉄電車の指定券を買ってあるから、もう一本後の電車でも良いけれどもホームに入ってくる電車に急いで乗った。

空港カウンターでは預ける物もなく手荷物のみで出国手続き。ここからは初めての領域になる。手荷物検査もなく出国手続きを終え免税区域に入る。化粧品店が多くなんときらびやかなことか、この空間にアンバランスな両替場があった。ネパールルピーは無かったが、タイバーツが有り3000バーツの両替をお願いした。

日本を発って6時間、白い空気の中へ降りていった。南国の空を想像していたけど何か重い空気で排気ガスや蒸気がとどまっているように見える。

降機後ほとんどノーチェックで外へ、空港ロビーに出る前に両替所と、タクシーの受付がある。空港ロビーへの出口は人が鈴なりで、思わずタクシーカウンターへ行く。
「How much go to Asia airport hotel?」
「500 バーツ(1500円).」
「Expensive! そこはホテルに近いぞ!まけてくれ」
「500 バーツ.」
まだ30歳前の女性ににべもなく言い放たれた。女性の強さが垣間見られた。500バーツ支払うとチケットをくれる。そして別の出口から直接タクシー乗り場へ行く。通常の出口で固まっている群衆とはさらばだ。

生ぬるい空気の、ビルの屋根下の駐車場。古い日産セフィーロ、ドライバーにチケットを渡すが、このホテルを良く知らないみたいで他の人に確認しながら出発する。
空港利用税が必要だが500バーツに込みの様でドライバーからは請求がない。いったん南に走り高架状態でUターンし北に走る。車窓はバンコック下町の風景で機械油とホコリという感じ。屋台が多く人がたむろしている。

しばらく走ると右側にアジア エアー ポートホテルが見える。通り過ぎて次のインターチェンジでUターンかと思いきやドンドンドンドン行ってしまうではないか、どこかにUターンする所があったと思うがドライバーは間違えて降りずに走って行ってしまった。

しかし、次に降りる所がない。そのうち高架が終了するが右折する交差点がない。15分くらい走ってようやく高架でUターンする所があり今来た道を帰っていく。道路脇は相変わらず機械油とホコリの感じがつづく。やがてバザーか市場か人の多い(どこも多いが)ところを左折してホテルに到着した。この間約30分、市中ドライブと考えれば500バーツは安かったと思う。ドライバーも苦笑いしていた。

フロントへ。



事前に日本のオクトパストラベルに予約してありメールで送付されたシートの印字した物をフロントに提出した。はじめはメールを印字したような物で良いのかちょっと疑っていたが受け付けてくれた。
フロントの彼女はルームキーを渡しながら何か言っている。
しかし理解できない。
これが外国なのだ。甘く見ていた。
「Is it ・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
「What time ・・・・・・・・・・・・・・・up?」
日本語で「わからんなー」「What」
「At seven or eight」
「ハァー?」
「seven or eight」「A morning call」
「It is 7:00.・・・・プリーズ」
ほっとした。
国内のホテルでは、チェックイン時に翌朝の起床時間を確認されたことがない。
自分で起きるものと考えている。予想されないシチュエーションだとさっぱり理解できないことがわかった。


ウィーンの朝

2011年10月30日 | ウィーン
広いホテルの部屋で目が覚めた。
1階の部屋で中庭に面した広い部屋をいただいていた。

ところが、朝多くの人が中庭や食堂で朝食を摂っている、その喧騒が目覚ましだった。

豪華なバイキングだった。
ウィーンは食べることに困らない。

また時間を作って来たい。
そのときはブルックナーを聞たい。

朝の日差しがまぶしい。







道に迷って教えてくれた母娘。(昨日のコメントで追加した)

そう言えば、帰りはオーストリア航空で帰ってきたが、
機内でウィナ-コーヒ- が出た。
これが旨かった。
すべてウィンナーコーヒーのメニューが出てきて、これに説明書きがあって10種類の中から選ぶ。
3番目を選んだ。ホットです。




朝起きてまた頼んだ。
九十九里の海岸線が眼下に見える。(2010年7月28日)

今回の12泊の旅写真は終わった。
次は、初めて海外旅行をした時の話を続けようと思う。
6年前の話に・・・・。



ウィーン王宮

2011年10月29日 | ウィーン
ブランデンブルグ門でなく、王宮の門でと云う。


奥行き7~8mくらいだろうか、暗い。

ここを抜けると、アーチ上にたたずむ王宮がある。
照明が電球で妙に黄色い。



11時を過ぎているけれど人の動きが有った。

ホテルへ帰る道で、0時になった。
今まで点いていたライトアップの明かりが全て消えた。
パリでは、ライトアップの消えたのを体験していないが。
でも、市電は動いているようだったし、人はまだ飲んでいるようだ。
マツダが停まっていた。







ウィーン議事堂

2011年10月29日 | ウィーン



市庁舎前では楽しく食事ができた。
インドカレーとジャガイモの煮っ転がし

そこを出て、少し行くと国会議事堂がある。国旗がはためく。






広い公園のような木立の道を行くと
大きな銅像があった。
マリア・テレジアの像。

人通りも車も少ない大きな通りで、先ほどトラムで通った所を戻っている。

ブランデンブルグ門のような門があったがそこまで行ってみよう。




ウィーン市庁舎

2011年10月23日 | ウィーン
オペラ座から市庁舎へ向かう。
ここではトラムを利用した。
2.4ユーロ、ちょっと高い。2両編成で運転手しかいない。
切符はどこで買うのだろうか?
運転手に聞いたら、すぐ後ろに自販機があった。例のごとくわかりにくい。
30歳前後のきれいな女性の方が親切に教えてくれた。
しかし、後ろの車両で乗り降りしている人はどうしているのだろうか。

市庁舎とブルク劇場が向かい合っていて、ブルク劇場で行われているオペラを市庁舎のスクリーンで映し出している。
その間の広場では屋台がたくさん出ていて、オープンなテーブルセットでみんながワイワイやっている。
食べ物は、日本食もインドもこの地方のものなどとても口に合ったものが好きなだけいただける。味も日本人に合うと思う。






そして、オペラが終わると市庁舎がライトアップされた。10時過ぎだった。




オペラ座

2011年10月16日 | ウィーン
canonにTSE‐24㎜というレンズがある。
チルトできるレンズで、道路から建物を撮った場合、上がすぼまってしまうがこのレンズはすぼまらずに撮れる。

canonに勤める友人に「あのレンズどう?」と、聞いたところ「とりあえず買わずに行ってあとで直せばいい」
と言うことでそうした。





パナソニックのカレンダーの写真にこの写真があった。
当然、撮る場所は対面のビルからだろうし、大判ビューカメラだと思う。
でも、これが撮りたくてウィーンで一泊した。
パナソニックのカレンダーには屋根の看板がなかったのに。





大聖堂の裏

2011年10月15日 | インポート






2010年7月27日だけど、ちっとも暑くない。
空港から、ウィーンに来るとき途中下車して、あとの電車で千葉県の小母さんと話しながら来た。
少し前まではウィーンはすごく暑い日が続いていたそうだ。
その暑さは今はモスクワのほうに行った。と言っていた。
そのおばさん、初めての旅で一人旅だそうだ。
いろいろな知識を持って用意周到な感じがしました。
やるね!千葉のおっかさん。
気を付けて無事旅したと思います。

ウィーンに着いて

2011年10月11日 | ウィーン
空港から市内に来るさい、人の流れについて歩いているとホームに入っていた。
改札はなかったが、ホームに切符の自販機はあった。
パリより難しい切符の買い方。というか、行き先の地名が全く読めない。
一番安いところを買って乗った。
なんとなく、これではウィーンまでは行けないと思い、
途中で降りて切符を買いなおした。
途中で降りた駅は人一人いない、売店もない小さな駅。
駅前は突然の住宅。


ここで来た方に聞きウィーンまでの切符を購入した。

カールスプラッツで地下鉄に乗り換える。
ここも切符を購入するところが見当たらない。
改札口もない。
階段を下りると、そこはホーム。
駅員もいない。
ボルクスシアターで降りて歩く。
静かな通りだった。



ここを少し行った左の路地を入ったところのはずだ。






ウィーンへ

2011年10月10日 | ウィーン
8日間パリというか、フランスにいた。
そして、ウィーンを経由して成田に向かう。
24時間以内の乗り継ぎ便を利用して(パリ発の便で調整)ウィーンで1泊する。

来た時切符の購入で苦労した飛行場は、また苦労した。
オーストリアエアラインの乗り場こっち。まではよかったが、


搭乗口がさっぱりわからなかった。時間に余裕があったからよかったが。


日本でいう手荷物検査場が乗り場ごとにあって、そこで搭乗券のチェックをする。
普通、カウンターでチェックして手荷物検査場に行く。それでこんがらがっていたと思う。
今思えば、そういうことだけど、当日は俺どこへ行けばいいのか????だった。


それは、ややこしくひとつの建物に数社の航空会社毎にまとまっていて、カウンターがない。
そして、そこへは入り口切符を見せてはいるが、一方通行。だが奥へ行くと出入りは自由。
また、オーストリア空港には搭乗口がいくつかある。
インフォメーションは小さく見つけにくく、1時半まで不在。


外で待った。 が、途中でまた探す。なんとなくわかって並ぶ。




パリへ

2011年10月09日 | PARIS【2010年夏】
今日からMIXIに連動しました。そのために少し。
この旅は2010年7月の旅行で、すでにパリの部分は終了しています。
パリに行く前に、寄ったイスタンブールの部分が昨日で終了しました。
今回は、イスタンブールからパリに向かう場面になってしまいました。
このあとは、シャルルドゴール空港でのエピソードでフランス部分を終了して、
ウィーンの一晩を思い出したいと思います。


そして旅の3日目、イスタンブールからパリ向かった。

田畑というか畑ばかっしの景色がつづく、田んぼは無いな!
畑の水はどこから引いているのかな?



そんな時に機窓からタイヤのテストコース化と思われる景色があった。

機体が左旋回してパリの上空からドゴールの空港に降り立った。
遠く、エフェル塔が見えた。




パリに向かう日

2011年10月08日 | イスタンブール
今日はパリに向かう日
2泊したイスタンブールだが
旧市街はなんとなく疲れた。

トラムに揺られて、終点で地下鉄に乗り換える。
旅をしている感じが濃厚になってくる。





到着したとき切符を買えなくて迷った地下鉄の切符販売機。
今日も多くの人が悩んでいた。

ところで、郵便ポストをまったく見かけなかった。
旅をしていて、ポストを見かけると写真に撮る癖があるのですが
イスタンブールには無かった。
ホテルで尋ねると「ここに置いていけ」と、当然言う。
「いや、見たいんだ」と言って教えてもらった。
「左に曲がって、左に曲がって、右に曲がるとある。」
でも無かった。


スターアライアンスのラウンジは豪華だった。
今回は、成田・パリ・ウィーンと利用したがここが一番豪華だった。
というか、今までで一番だろうか。
でも、機内食は良くなかったなー。

グランバザール

2011年10月07日 | イスタンブール
ここに来たくて、イスタンブールに来た。
というか、テレビでこのバザーを初めて見てイスタンブールという街を知った思い出がある。







でも、面白くなかった。

今日、イスタンブールを旅立つため、朝一番でグランバザールに出かけた。
店員さんがまだ水撒きをしている。

やはり、買う気の無い市場はひとつリアルが欠けるのかな。