1時間ほどの約束でタクシーに待ってもらっている。
戻ってみると車から出てすぐ近くで待っていてくれた。置いていった「地球の歩き方」は、座席の座布団の下に隠してある。こういうことに気の付く人なのだ。
地元の人がこういうことに気を使って生活していることは、安心しきってこの街を歩いている僕らが気をつけないといけないと少し反省。
運転手さんに相談した。
「パシュパティナートに行きたい」
「行きます」おとなしい人だ。
パクタブルから1時間ほどかかった。ここでも待っていてもらうことにした。
歩くと埃の舞う小砂利の参拝の道を行くとどこからともなく案内人が現れる。やはり日本語の勉強している。
ここもゲートがある。250NRPを払って入る。
猿も神の使いだろうか寺院のいたるところで見かける。石の階段を下りると川に出る。
この川は、バグマティ川と云いインドのバラナシを流れる聖なる川ガンジスの支流になる。カトマンズで亡くなった人は、ここで荼毘にふされ灰になって川に流される。それを望んでいる。
川の手前に火葬場がある。橋を渡って対岸にはそれを見られるように石段になっていた。荼毘に付す場所は橋の上流に2ヶ所、下流に3ヶ所ある。自称案内人は一番上流が、
バラモンBrahman(司祭)次が、
クシャトリヤ Kshatriya 王侯、武士
ヴァイシャ Vaisha 庶民(農・牧・商)
シュードラ Shudra 隷属民
という順に使用されてきたが、今では橋より下はあまり差別なく空いている所を使用すると云っていた。
僕の行っていたときは、橋のひとつ上流側が使用されていた。喪主は白装束を着て奥の方にひとりで胡坐をかいて座っている。焼く人は長い棒で焼いているそばにいる。
黄色い布に包まれた遺体が川のそばに横たわっている。
その後方には白い建物があるが、それは病院であっても病院ではない。もう助からないと診断された人が「そこで待つ」病院なのだ。
現実だが、そういう最後もいい。俗世間に未練のない最後が迎えられるのかもしれない。
でもさすがにここでは写真を撮る気にならなかった。
戻ってみると車から出てすぐ近くで待っていてくれた。置いていった「地球の歩き方」は、座席の座布団の下に隠してある。こういうことに気の付く人なのだ。
地元の人がこういうことに気を使って生活していることは、安心しきってこの街を歩いている僕らが気をつけないといけないと少し反省。
運転手さんに相談した。
「パシュパティナートに行きたい」
「行きます」おとなしい人だ。
パクタブルから1時間ほどかかった。ここでも待っていてもらうことにした。
歩くと埃の舞う小砂利の参拝の道を行くとどこからともなく案内人が現れる。やはり日本語の勉強している。
ここもゲートがある。250NRPを払って入る。
猿も神の使いだろうか寺院のいたるところで見かける。石の階段を下りると川に出る。
この川は、バグマティ川と云いインドのバラナシを流れる聖なる川ガンジスの支流になる。カトマンズで亡くなった人は、ここで荼毘にふされ灰になって川に流される。それを望んでいる。
川の手前に火葬場がある。橋を渡って対岸にはそれを見られるように石段になっていた。荼毘に付す場所は橋の上流に2ヶ所、下流に3ヶ所ある。自称案内人は一番上流が、
バラモンBrahman(司祭)次が、
クシャトリヤ Kshatriya 王侯、武士
ヴァイシャ Vaisha 庶民(農・牧・商)
シュードラ Shudra 隷属民
という順に使用されてきたが、今では橋より下はあまり差別なく空いている所を使用すると云っていた。
僕の行っていたときは、橋のひとつ上流側が使用されていた。喪主は白装束を着て奥の方にひとりで胡坐をかいて座っている。焼く人は長い棒で焼いているそばにいる。
黄色い布に包まれた遺体が川のそばに横たわっている。
その後方には白い建物があるが、それは病院であっても病院ではない。もう助からないと診断された人が「そこで待つ」病院なのだ。
現実だが、そういう最後もいい。俗世間に未練のない最後が迎えられるのかもしれない。
でもさすがにここでは写真を撮る気にならなかった。