こちらは、少し離れて、芸実劇場の建物近くの小テントステージ。
衣装のせいか大人っぽい雰囲気。
演奏しながら、ステップしたり、ジャンプしたり。
すっかりのった子供が立ちあがって踊りだし、
自分たちもそれに合わせてジャンプしようと大はしゃぎ。
今日はなぜかストイックに、50mm単焦点と、ワイドズームを持って出てきた。
だから舞台が全然引き寄せられない。 大トリミングで望遠の代わりだ。
こちらは、少し離れて、芸実劇場の建物近くの小テントステージ。
衣装のせいか大人っぽい雰囲気。
演奏しながら、ステップしたり、ジャンプしたり。
すっかりのった子供が立ちあがって踊りだし、
自分たちもそれに合わせてジャンプしようと大はしゃぎ。
今日はなぜかストイックに、50mm単焦点と、ワイドズームを持って出てきた。
だから舞台が全然引き寄せられない。 大トリミングで望遠の代わりだ。
生演奏ずっと聴いていると、ライブって良いな。
今この時がものすごく満ち足りた時間と空間であると気が付いた。
本音が吐き出てくるような音やボーカル。
聴く人もそれを心地よく受け止めている。
↓ ふと皆の視線が私にそそがれたような気がして横を見ると、
演奏に合わせて踊っているおじさんがいた。
盆踊りの延長みたいだが、体は演奏のビートにしっかり反応している。
こんな自己表現をここででできる人も羨ましい。↓
それにしても、こんな文化を楽しむ人たちがこんなに居るんだ。
プレーヤーもたくさん居るな。
そういえば、学校の吹奏楽部では毎年卒業生が大量に生まれているのだから、
潜在的にはいっぱいいても不思議じゃない。
我が家にもせがれのサックスが物置にあったな。
後からこの話をせがれに話すと、
ひとつひとつをライブに行って聴こうとしたら結構お金かかるよと言われた。
夜の8時までイベントは続く。
これから夕方から夜にかけて写真的にはますます面白くなると思ったが、
体が持ちません。
目新しいものに出会えて満足な一日でした。
やっぱり楽器やりたかったな。
七十の手習い・・・
”諏訪大社 下社春宮” (5月17日)
御柱祭のすべてが終わった日の翌日である。
祭のあとを見て歩く。最後の春宮に来ました。
雨も上がった。
↓ 鳥居をくぐってから振り返った風景。
諏訪湖がちらっと見えている。
↓ 御柱を境内に引き入れる時、鳥居からではなく、
上の道から、この坂を曳いて境内に引き入れる。
見ての通りの急坂で、これも最後の木落としである。
重い御柱がこすれ落ちた跡が斜面に光っている。
近くに「万治の石仏」があり、二、三分で行けるという。
私たちは石仏を見た記憶はあるが、社との位置関係は全く分からなかった。
↑ 社の森の脇を流れる川。こんな豊かな自然に囲まれていたのだと初めて知りました。
↓ 「万治の石仏」。正面で一礼して、願い事を唱えながら時計回りに三周するという。
正しいお参りの仕方が看板に書いてある。
善男善女の、「今何回目?」なんて会話が聞こえる。
幸せの姿。
カミさんは手を合わせるが、写真を撮るだけの罰当たりの私。
次の御柱の話をすると、どうしても「生きていたら・元気でいたら」、という枕詞がついてしまう。
今度はもう一度祭の中に入って撮ってみたい。
前回の、初めて山出しを曳いた2010年の御柱を思い出した。
http://blog.goo.ne.jp/photo884/d/20100413
今日、写真クラブの友人の通夜があった。
私より五つも若い。
クラブの創立当時からの会員だ。
所沢市の斎場の受付には会員が五人も座っていた。
受付の横に、四つ切写真を入れた分厚い
クリアファイルのアルバムが三冊もあった。
一冊はモノクロ時代のものである。
公民館でサークルの指導もした彼の写真は、
あらためて見ると、妥協のないピント、
あいまいさのないトーン、緊張感ある構図。
彼の顔は写っていないのに、写した人の気迫が伝わってくる。
そしてこれだけのものを残していることに羨ましさを感じた。
退職後5年ほど病気に苦しみ。
最後の一年間は例会にも出てこられなくなっていた。
今年9月には会の展覧会も予定されている。
「遺作としてこれも飾りたいね」。
皆同じ思いだった。
病気でまだ若くして亡くなることはつらいことだろう。
でも幸せって、惜しむ人が居てくれることだなと思った。
斎場を出ると、まだ西の空が赤かった。
”雨の諏訪湖”
5月17日、 旅の二日目。
諏訪の御柱祭は、前日の16日にすべてが終わった。
祭り本番では近寄れないような場所を今日はゆっくり見て回る。
しかし朝からの強い雨。
上社の本宮を見て、下社へ向かう途中の諏訪湖。
ここはモノクロの方が見た感じに近い。
”下社秋宮”
下社には秋宮と春宮がある。
上の写真を撮った場所から振り返ると下の景色。
下の標識の先の信号の交差点で、
国道20号は直角に曲がっている。
左が東京方面。まっすぐ奥が塩尻峠に。
この近くに、母の四人姉妹の
たった一人存命の叔母さんの家がある。
↓ 鳥居のすぐ横の駐車場に、後部ドアを跳ね上げたワンボックスが止まっていた。
積み荷はテレビ関係の撮影機材がぎっしり。
まだテレビ関係の取材が居るのだ、と思っていたら。
それは外国の映像関係者だった。
ドイツ人らしい。
ここは温泉地。手洗いの場所に温泉が出ています。
社殿の下に、御柱を曳いた綱が置いてある。
地区の役員をしている従兄弟が、
明日綱を片付けに行かなくてはと言っていたので
もしかしてこの綱の事かな?。
↑ 下社 秋宮 一之御柱。
↓ 二之御柱。左奥は御柱を立てる時に使った
ワイヤーのジャッキを支えた木か。
御柱本体より太い木だった ↓
明日は春宮です。
”諏訪大社上社 本宮一之御柱”(5月17日)
旅の二日目17日、朝は強い雨だった。
数えの七年に一度の諏訪御柱祭は、
昨日で二か月に及ぶ祭りのすべてが終了した。
今回は御柱に来なかったが、
こんな天気の日だから、
御柱を建て終えた後を見て回ろうとカミさんの発案。
あとの祭りではない。祭りのあとを見に行くのだ。
上社までは間欠ワイパーでは間に合わない強い雨降りだった。
「御柱、こんなにきれいだった?」とカミさん。
前回、山出しの時傷だらけの御柱しか見てない私もそう思った。
あとで聞くと、里引きの前に皮を剥き、
荒縄でこすって艶出しというおめかしをするのだそうです。
うっそうと茂る社の森の中で、
雨に濡れた御柱が明るさを放っていた。
↓ 正面鳥居をくぐって、社殿の右隅が一之御柱、
左隅が二之御柱。以下時計回りに、三、四と続く。
↓ は二之御柱。
↓ 二之御柱の前の鳥居から参道を望む。
松の木の生えた家は、私のおばあさんの生家だ。
旅館であったという。明治後期の記念写真に、
若いおばあさんと、この松が今と同じ大きさで写っている。
松に比べて私の命の時間の早さよ。
↓ もう一度一之御柱に戻って。
祭が終わっても観光客は次々とやってきます。
次回は下社へ。