”エナガ”
朝ちょっと涼しかったが、
ほとんど閉まっている部屋の中まで金木犀が匂ってきた。
このお天気では、遠くはやめようといつもの公園へ。
桜の葉が大分まばらになってきて、鳥見がしやすそうですが、
そう甘くもない。カモ類も増えてはいません。
戻ろうかとしたていた時シジュウカラとエナガの混群が現れた。
取りあえずエナガだけ撮って移動しました。
”エナガ”
朝ちょっと涼しかったが、
ほとんど閉まっている部屋の中まで金木犀が匂ってきた。
このお天気では、遠くはやめようといつもの公園へ。
桜の葉が大分まばらになってきて、鳥見がしやすそうですが、
そう甘くもない。カモ類も増えてはいません。
戻ろうかとしたていた時シジュウカラとエナガの混群が現れた。
取りあえずエナガだけ撮って移動しました。
”オグロシギ”
いつもの公園を出て、川越のいつもの沼へ。
以前からオグロシギが居るのは知っていたのですが、
私はチャンスに恵まれませんでした。
沼のほとりに数名の顔見知りカメラマン発見。
ついさっきまで目の前の干潟にオグロシギがいてさっき飛んだばかりという。
飛んだ方向へ行けば見られるのではないかと言うので、
みなさんとのおしゃべりは止めて鳥探しに。
いました。
「雪の日」
飯能市写真連盟展が今日で終了しました。
今年の作品は上の様なものでした。
このブログに載せたものです。
写真展に出したことで、人と会えたりして、
やっぱりこうして出すことが大切と思いました。
また来年に向けてがんばろう。
”秩父市 羊山公園”
(偶然と言う名のドラマ)
今日はカミサンはコーラスの練習日。
それに午後は歯医者を予約しているという。
フリーパスの私は、一昨日に続いてここ秩父の羊山公園に鳥探しに来たのです。
連休が終わって公園はガラッと静かである。
しかし待ち鳥は現れてくれない。
私はベンチに座って、耳だけそばだてて盆地の景色を眺めていた。
しばらくして細身の老人が上がってきた。
私と目が合い軽く挨拶して、
座っている私の左前に立って盆地の景色を眺め始めた。
しばらく経って老人は私に「お近くの方ですか?」と聞く。
「いいえ隣の飯能市からです」。
「お宅様は?」。「秩父です」。
「悩み事があるとここへよく来るんです」、とその老人。
初対面の会話としては変わった出だしだった。
最近いくつもの病気を患ったという。
細面の顔に縦じわが目立ち、
活動的には見えなかったが、
品格を感じる穏やかな話し方だ。
地元で小規模な介護施設を経営していて、
大手との狭間になって経営は楽ではないという。
一人娘は都内に嫁いで、後を継ぐ人もいない。
などと話し始めた。
普段ならそばにカミさんが居るが今日は私一人。
似たような老人同士、「悩み事」などという言葉を最初に聞いた以上。
話題に気を付けて、私も出身や身の上話的な話をしていた。
20分近くそうしていただろうか、
私は鳥を待つ身なので特に時間の制約もない。
話すこともそうなくなって来た頃。
私の右横にいつの間にか移動してきた老人が、
「だんなさん、私と同じ下宿にいたことがありません?」。
「えっ!」、と私。 「失礼ですがお名前は?」と老人。
初対面にすらすら名前を言うこともない。
「どちらの下宿ですか?」、と私は尋ねた。
「葛飾、新小岩」。
今度は私が飛び上るほど驚いた。
老人は見上げるほど私のすぐわきに立っていた。
「〇〇〇〇さんじゃないですか」。
私のフルネームを言う。
6人しかいなかった下宿だ、残るはこの人だ。
「△△君?」。「そうです」。
私はしばらく絶句した。
その下宿屋は、学生中心の下宿屋で、
彼は来た当時は浪人していて予備校生だった。
だから10代だ。
他の住人は、岡山県、群馬県、長野県などからの大学生。
皆親元を離れた二十歳前後。東京オリンピックでにぎわう時代だった。
夜な夜な互いの部屋に入りびたり、パチンコの景品の菓子や粉末ジュースを酌み交わし、
ささやかなおきて破りを自慢し合っていた。
お金以外はすべてを持っていた年代だった。
最年少の彼は我々より年の差以上に若かった。
おしゃれの話、はやりの事。女性の好み。
我々とは全然違う。
私たちから言わせれば浮いていた。
飯田久彦の「ルイジアナママ」が好きで、
髪型も真似ていた。
「なんで私と分かったの?」
名乗られなければ私は彼とは全然分からない。
彼は横に来て私の横顔を見ていたのだ。
「奥まった目の特徴と、鼻」、という。
団子鼻は代々受け継がれた家系だ。
それに田舎が長野県諏訪と言ったこと。
話し方に面影があるという。
二人とも思わぬ出会いに感激しまくっていた。
家が近いから寄ってお茶をというが、
私は今日はこの感激にとどめたいと思って、
お互いに名刺交換して分かれた。
20代前半の一年足らずの出会いで、
多分永久に会わないことの方が普通なのに、
青春の幼稚園時代だった下宿屋生活をした二人が、
50年経って二人の老人でここに立って居る。
お互いの心の中に相手の存在が灯っていたとは。
もうこの日は写真を撮ろうという気がなくなって帰宅の途に、
タイムスリップした熱い心を冷ましたくなかった。
車の中で飯田久彦の「ルイジアナママ」をずっと歌っていた。
”彼岸花”
昨日、今年は季節において行かれた気分と書きましたが、
今日は彼岸の中日です。
私の周りの彼岸花はもうほとんどが終わりです。
そんなわけで、彼岸入り前に撮った近くの河原の彼岸花です。
まさか、これが最初で最後になろうとは。