毎日、何らかの絵は描いていますが、それを毎日アップロードできるわけではありません。
そこでこれからは、絵をアップできない時は、文章を書いて、できるだけ毎日ブログを更新しようと思います。
絵や美術について普段からあれこれ考えていることを書き留めておくという意味もあります。
まず今回は、常に頭から離れないあるテーマについて書きます。
それは「実在感のある絵とは?」ということです。
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実在感のある絵とは、どんな絵だろうとよく考えます。
自分自身、薄っぺらく小手先の技で体裁を整えた絵ではなく、モチーフに実在感のあるどっしりした絵を描きたいからです。
実際に見た目のままの絵というのとはちょっと違うと思います。
見たままというより、感じたままという方が近いでしょう。
誤解を恐れずにいうと、モネよりもセザンヌです。
とはいえ、セザンヌのような鈍い色彩の絵を描きたいというわけではありません(色彩の面では、むしろモネのように素晴らしく明るく鮮やかな光を描けたらと思います)。
ただ、セザンヌの絵の奇妙さには惹かれるものを感じます。
外面にとらわれず、モチーフの本質をわしづかみにしているように思えるのです。
これって絵の奥深さと難しさの一面を表していますよね。
細かく写実的に描くことがリアリティのある絵を生み出すわけではないということです。
17~18世紀頃のフランドルの画家達による、細かすぎる、息苦しくて気持ちが悪いほどの静物画があります。
現代でいうと、アメリカのスーパーリアリズム。
でも、それが良い絵なのでしょうか?
個人の好みでもありますが、私にとって、細部の写真的な描写にこだわった絵には、技量の高さに対して感心する部分はありますが、決して感動することはありません。
それはリアリスティックな絵に見えて、実はモチーフに全くリアリティがないからです。言い方をかえれば、モチーフに実在感がないのです。
人は写真のようには世界を見ません。いや感じません。
これは視覚だけの問題ではありません。
だからデッサンが稚拙に思えるセザンヌの絵の方が、完璧なフォルムで描くフランドルの画家たちの絵よりも、格段に実際の人間の感覚に近いということが起こるのです。
デッサン力が必要ないという意味ではありません。
それを越えたところに新たな世界が広がっているということです。
(なんとなくわかっているのですが、自分が描く段になると、腕が全然及びません)
これから自分がどんな絵を描きたいのか。
そのためにどんな修練を積めば良いのか。
自問自答は続きます。
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