*苺ちゃんねる*

★自由のんびりブログです
新しい家族の文鳥の杏ちゃん。と、その飼い主の日記。

仲間。

2013年01月27日 | Weblog
悲しい事件が起きた。ある高校では体罰をもとに、1人の生徒が死を選び、遠い異国の地で多くの命が奪われた。接点はない。ないだろうが、私には仲間の死という点で、何ともいえない感情が溢れてきたのだ。

どちらの事故も、事件も、私には直接的な生活の影響はない。ただ流されるメディアを通して、受け取るだけだ。

日揮という企業も、海外での仕事も初めて知った。正直、知らないことの方がずっと多い。危険と隣り合わせの遠い異国の地で、たくさんの日本人が開発をするために従事していたこと。私たちの暮らしが豊かになること。遠い遠い繋がりはあったんだと思う。

安否情報が錯綜してる時、それが確定に変わった時、帰国の途についた時。私よりも遥かに上の世代の人達が、涙を流し、無念の思いを訴え、母として、兄弟として、人目をはばかることなく感情をあらわにした。そして、それは肉親だけにとどまらず、同僚や、取引先、同じ会社で働いている人の家族、悲しみを表し、また堪え、表現の違いはあれど哀悼の意を、メディアを通して、遠い遠い繋がりの薄い私も感じることとなった。


私は期待が嫌いだ。
期待をされ、褒められる。褒められた途端に、仲間とは同じライン上にはいないのだ。重大な事故につながることではない、普段のちょっとのミスが、許される人と、なぜだと原因追及の嵐になる人。ミスはいつ誰がなってもおかしくない。私も、これを読んでいる方も、今日、明日、何かうっかりミスをするかもしれない。そんな時、同じミスでもすぐに許される、気楽さが羨ましいのだ。間が悪い。私はそうやって自分を誤魔化し、自分を殺し、いつも緊張感でいっぱいなのだ。

メディアを通じて知り得た彼は、キャプテンの重責に耐えられないと家族に申し出ていた。あの年頃で家族に悩みを打ち明けるというのは、よほどのことなのだろうと思う。なんだか気恥ずかしいような、弱い自分に負けるような。ましてや学校だけが世界の全てのように思えるあの特有の世代。親に告白するというのは本当に勇気のいることだ。彼はサインを出し、助けを求めていた。そして家族も支えていた。

体罰論が問題なのか。入試が問題なのか。

入試が中止となり、在校生は会見で「彼の死を無駄にしないように、伝統を守りたい」「私達も傷ついている」と言っていた。先生を擁護する声もあるという。

だから、彼は死に追いつめられたのではないか。
彼が一人苦しんでいたこと。論点はそこではないのか。
体罰に我慢できなかった彼が負けなのか。

仲間の死。

アルジェリアでの事件も、犯行グループには家族もあり、思想もある。肯定してるのではない。相手も人間だということだ。
テロに激しく憤りを覚える人々と、熱心な指導者の行き過ぎた指導を許す人。

彼は1人だ。
ご家族は無念でならないだろうと思う。死をもって訴えても、多くの若者の夢や希望に、彼の苦しんできた事実は埋もれ、聞き入れてはもらえないのだ。もちろん個人情報の観点から表に出てこないのだと信じたい。彼の思い出話や、人柄を偲ぶ友人がいることを願いたい。
本当は何があったのか、原因もわからず、そこへ入ろうというのは、話は飛躍してしまうけど、トンネル崩落で点検や現場検証もないままに、通行を再開するようなことではないのか。危険と思わないのか。


仲間の死。

この大きな差はいったいなんなんだろうと。

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