
写真:あの日の新聞と一年後
左はあの日の翌日、3月12日の新聞です。
全国の方々は東北で起こった大震災のニュースをリアルタイムで見ておられた事でしょう。
しかし
我々 地元の人間には何が起こっていたのか全く判りませんでした。
地震直後からの停電。
ワンセグから断片的に入ってくる情報だけ…。
それも電池が切れるまでの事。
その後は…。
ただただ不安な一晩を過ごしたのでした。
そして翌日。
この新聞が配達されたのでした。
薄っぺらな新聞でした。
でも 情報満載の宝箱でした。

写真:24年3月12日の新聞
今日の新聞は厚いです。
あの日の翌日の新聞の薄っぺらさ…。
でも
あの新聞の重要さを噛みしめていたものです。
一年後の今日の新聞。
各地で挙行される記念式典の話題や復興にかける人々の話題が載っています。
「絆」
今 きずな と言う言葉が飛び交っています。
「絆」とはなんでしょうか…。
「絆」と言えば被災地を思っているという免罪符なのでしょうか。
たとえば
被災地の瓦礫問題。
受け入れを拒む連中の言葉は「放射能」
あまりにも無知な者のヒステリー!
或いは 為にする奴らのデマゴーグ!
そうとしか思えません。
だから、「絆」と言う言葉を聞く度に空虚な暗闇を感じていたものです。
「絆」とは、心が繋がってこその意味。
口にするだけの「言い訳」では無いのだと感じたものです。
「絆」と口に出せる気持ちと「放射能」と叫ぶヒステリー。
同時に存在している事が不思議でたまりません。
これらは情報の不確かさからくるのでしょうか。
いずれにせよ
理念を現実化出来る政府が無ければ「復興」は絵に描いた餅です。
我々 被災地の人間は何とか頑張って、原料たる「もち米」を作っています!
政府には早く、その「もち米」で立派な「お餅」を作ってほしいのです。
既に一年が無為に過ぎてしまいましたが、これからでも間に合うのです。
我々は頑張っています。
なんとか倒れずに頑張りが効いている間に、ビジョンを確立してほしいのです。
さもなくば…
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