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私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

ひぇ~っ!!!

2017年11月09日 | 「うつ病患者と暮らすということ」
今、去年のブログが来て、
去年の今日、6月からダイエットして、13キロ痩せたと書いてあった~・・・!?

ひぇ~!!!

今、7キロ戻ってところ・・・!!
昨日から危機感持って、またダイエットしはじめたので、
本格的にまたやらねばならぬわ。


ふぇ~・・・頑張ります。



☆それでは今日もよい1日を。



本当の気持ちは、なかなか見えない

2017年11月09日 | 日々つつがなし
こんにちは。
パモン堂です。


本当の気持ちは、なかなか見えてこないですね。
それは、人は心に傷を負うと、それを受け止めきれずに
蓋をしてしまうからなんでしょうね。

それでなくとも、人は自分の気持ちはなかなか分からないものです。


下の記事だって、父の発言や行動は私には謎だったのですが、
それは父にも自分の気持ちがよく分からなったのではなかったのでしょうか。

「分からない」というよりも、
「表現できない」とか「表現しようがない」
「表現方法が分からない」ということだったのかもしれません。

そうすると、本当に人の口に上る言葉というものは、
嘘が多いですよね。


「だまし」が多いと思います。

でも、聞いている方も、
心の奥底では分かっているんですよね。

なんか変だ・・・と。


おかしいな、いい事言っているんだけれど、
なんか変?だなと、

センサーが鋭敏に反応するのではないでしょうか。

そういう意味では、人は他人を騙せないと思いますね。


でも、娘よりも世間体の方が大事ならば
それもまた仕方ないですよね。

世間に負けたともいえるけれど、本音を言うと、
父にはそういうものに打ち勝ってほしかったな。


今迄ことなかれ主義で生きてきたので、
せめて最後くらい世間に打ち勝って、
自分の意志を貫き通して欲しかったなあ、
とは思います。


これは娘からの最後のお願いだったかもしれませんが、
そんな強い父親像を私は望んでいたのかもしれません。


強くあって欲しかったなあ・・・。

でももう無理なんだなあ・・・。




四月に母の四十九日が終わってから、
ずっと考えていたこと。

それは、

〝父のようには生きない〟というもの。

どうしてそう思うのかよく分からなかったのですが、
(言葉に出来なかったのですが)

こういうことだったんですね。

父のように、世間体を気にして、
自分の意志を曲げるような生き方はしない、

ということだったんだと思います。

お父さん、
私はあなたのような生き方はしませんよ。


あなたのことを一番大切に考えてくれる人を、
切り捨ててまで生き延びようとすることは
選びませんよ。

これは私のあなたへの最後のメッセージです。


私はもうあなたのことは、
気にしません。

私は私で生きていきます。


これは私からの決別宣言。


どうぞお幸せに。

弟夫婦と仲良くね。


私は向後の憂いなく、
しっかりと前を向いて生きていきます。


わたしもそろそろ親離れしなくっちゃなあ。
そうして羽ばたいていかなくっちゃなあと
思っています。


もう彼らは過去の人です。




☆それでは今日もよい一日を。



*そうそう、私は別に父から愛されていなかったという訳ではなくて、
父にとっては、娘への愛よりも世間体の方が大事だったという・・・
チャンチャンな結末に、唖然としているという感じです。

来年の今日、またこれを読むので、
ていうか、強制的に読まされるので、
ちゃんとここに記しておきますね。

ではではさらばじゃ。
元気だして。


傷を癒す

2017年11月09日 | 日々つつがなし
こんにちは。
小さなホン屋パモン堂です。⇒https://www.pamondou.com/


昨日、ご利用者様のご家族とランチをしていた時のこと。

その朝、父から電話があったことを話していました。

父とは、母が亡くなってから、あまりうまくいっていませんでした。

理由は自分の将来に関して、私ではなく弟を選んだこと。

私は地元にいるというだけで、弟夫婦に自分の介護を任せたことが
許せませんでした。

私と弟夫婦の間には、母の介護をめぐってのトラブルがあり、
それがまだ解消されていてないということも大きかったのです。
(だから安心して任せられない)


すると、ご家族の方がこう言いました。

「ああ、田舎はそうなんだよね。息子夫婦が側にいるのに、
わざわざ都会から娘を呼んだとなると、周りの人に何を
言われるか分からないから、それで無理やり弟さんに介護を
頼んだんじゃないかしら?」と。

周りの目―。

今迄私の中にはない視点でした。


私は二十代の前半に田舎を出てきていましたし、
すぐに家族を持ったので帰ることもそうそうありませんでした。

第一、私自身がそういったものを排除して生きてきたのです。

だから、そんな〝目〟を意識することもなかったのです。

そして都会で生きるとは、そんなものを意識しないでも済む生活なのです。

あ~あ、といくつか思い当たるふしがありました。


弟が「都会と田舎は違う」と言っていたこととか、

母の初盆の今年の夏、いきなり間近になってから、
「帰ってこい」とごり押ししてきたこととか。


初盆には帰らないとは前々から言っていたのに、
なぜ直前になってからそんなことを言い出すのか、
訳が分からなかったのですが、

そういうことだったのです。

つまり、「なぜ母親の初盆なのに、娘たちか帰って来ないのか」と
人の口に上るのが嫌だということだったのです。


私は妙に納得しましたよ。

ストンと胸に落ちる感じ。

そして今まで自分を責めていたことに気が付きました。

今回の父と弟の結託に私は少なからず傷ついていたのですが、
それは私のことが嫌いだからだろうと思っていたのです。

でも私のせいではなく、周囲の目をあまりにも気にする
彼らの体質のせいだったのだ、
ということがようやく分かったのでした。

なーんだという気がしました。

私のせいではなかっのたに、
無駄に傷ついていたのだなと。
自分を責めていたなと。


でも、それを知ったからと言って、
彼らを許す気にはなれません。


結局のところ、彼らは世間体を気にするあまり、
他のメンバーの気持ちも考えずに
勝手に同居を決めてしまったのですもの。

それによって娘二人はあの家から排除されたのですもの。

自分たちの保身のために、
私達を捨てたのです。

それはやはり許せない行為です。

彼らにとって、地域社会が大事で、
一番の身内など、どうでもよかったのです。

娘たちの気持ちなどどうでもよかったのです。
(自分が生き延びるためなら、娘も切ると)


そのことがよく分かりました。

正直なところ、今まで父の介護のことをどうしようか
と心の底で考えていたことも、馬鹿馬鹿しくなり、
すべて弟夫婦に任せようと思ってしまいました。

それが彼らの望むことならば、
私達の協力などいらないことです。

むしろ迷惑でしょう。


だったら、私たちももう彼らに協力することもないなと
思ってしまいました。

まあ、これまでもそう思っていたのですが、
ただ、今まではさすがに自分の親のことだから
ほっかむりは出来ないと思っていたのですが、

あちらが私たちを排除したことには代わりはないので、
もう関わり合いになるとはやめようと思いました。

父が今後どうなろうと、私のしったこっちゃない!


どうぞご自由に生きてください、ってなもんです。


今朝、自分の心の中を覗いてみたら、
大きな傷がぱっくり割れて中が飛び出して見えました。

これだけの傷を負っていたのだなあ…と思い、
悲しくなりました。

だから怒りが消えない筈だ。


私はこれから、身内に受けた心の傷を、
少しずつ癒していこうと思います。



☆それでは今日もよい一日を。












インナーチャイルド

2017年11月04日 | 日々つつがなし
今朝、私のインナーチャイルドが夢の中で出てきた。

幼い私は、母の作ってくれた白い皮のスカートを着て、とっても可愛いかった。

生まれたばかりの弟を抱いて、楽しそうにゴロンと床に転がっていた。

私はすぐにそれが誰だか分かり、


パモンちゃん、パモンちゃんでしょ?


と聞いた。


パモンちゃんは小さくて愛らしい顔を向けて、誰?と言う表情をした。

私は彼女の頭を撫でながら、


パモンちゃん、可愛いね、大好きだよ、
愛しているよ、と言った。


幼い私は笑顔を見せた。



今、これを書いているときにも、大粒の涙が溢れてきてたまらない。


ようやく私は自分のインナーチャイルドに出会えたんだ。


私は幸せそうで、愛されていた。

愛されていた子供時代だった。


それが良く、わかった。


長かった旅だった。

ご苦労さん。

けれど、やっと癒し終わったんだ。

ありがとう。

お疲れ様でした。





☆それでは今日もよい一日を。