昨日、息子の退院をどうすればいいのかとドクターと電話で話をすることが出来た。
ドクター的には、息子さんとも話し合って、いつでも退院してもらっても構いませんよ、と言われた。
それで、今日息子と相談して、来週にすることにした。
けれど、ドクターと話しをしていて、色々分かって来たことがあった。
上手く言えないけれど、私がずーっと、苦しんできた、夫との関係が、実は、彼の発達障害から来ていたものだと言う事が分かったのだ。
それを知った時の衝撃。
気分が暗くなり、気持ちが悪くなってしまった。
つまり、私を離婚にまで追い詰めた、元夫の言動の数々が病気からくるもだということなのだ。
それを知った時に、驚くとともに、長年の謎が一気に解けた気がしたのだ。
私は結婚当初から、どうもこの人には、情緒的な線が一本抜けている気がすると、思っていた。
それは共感性のなさや、当たり前と思われている常識などが欠落していたからだ
(けれど、私はそれを姑の教育のせいだと思っていた。姑は変わった人だったので)。
そのために、私は何度も彼と衝突する羽目に陥ったし、気持ちを通わせる事が難しかった。
それは私を孤独にし、家庭生活を困難にさせた。
最後に彼に言われたのは、お金の事ばかりで、それは私をノイローゼにさせた。
連日、お金の話ばかりで、私に働くことを強要したばかりか、私は彼から、金食い虫だの、寄生虫だのと罵られた。
どんなに、私たちの生活が大丈夫だと言っても信じて貰えずに、通帳を見せろとか、俺は家計の事を何も知らない、お前が独占しているから、と言い募った。
そうして、卒婚、卒婚とばかり言うようになってしまった。
とにかく、働かない私を悪と決めつけ、連日攻撃してきた。
おそらく、私の事が信用できずに、何か不当にお金が使われていると思い込んでいたのだろう。
私はその頃、実家の介護問題で頻繁に田舎へ帰っていたし、疑われても仕方がなかったのかもしれない。
それは、息子に対してもおんなじで、私たちは、彼から執拗に責められていたのだ。
だが、今、その元夫とおんなじ症状が息子に出ているのだ。
ドクターいわく。
それが彼のこだわりだと。
元夫のミニチュア版が息子なのだと言われた。
私はこの事実を正直、受け止めきれなかった。
やっと夫から逃れられたのに、また、今度はおんなじ病いを抱えた息子が追っかけてきたのだ。
私はショックを隠しきれなかった。
どうしていいのか分からなかった。
そして、入院費の事、どう言っても理解して貰えないんですよ、とドクターにいうと、
人の話は聞いていないですからね、と言われた。
いとも簡単に。
ようするに、発達障害の人は、返事をすぐにするので、理解しているのかとこちらは勝手に思うが、本当はそうではなく、彼らは脊髄反射的に返事をしているだけで、本当の意味で、理解している訳ではないと。
「話の半分も聞いていないでしょう」と言われ、もうめまいがするくらいショックだった。
人間関係を根底から覆される気がした。
確かに、元夫との会話では、
聞いていないよ、
知らないよ、
初めて聞いた、
などが多く、挙句の上、
お前が間違っている、
俺は知らない、聞いていない、
俺を騙そうとしているな、
嘘を言うな、
と責められる事が多かったのだ。
こういう事の連続だったので、
この人はこういう人なんだ、
だから、言ってもしょうがない、と半ば諦めてもいたのだが、
その原因が、すべて発達障害にあったとは・・・。
そして、いま、それが、今度は息子に受け継がれていると言うことで・・・
もう、どうしようもなく、落ち込んでしまった。
とても冷静ではいられなかった。
結局、私が長年、夫婦関係で悩んでいた事が、病気のせいであり、
もしそういう事が早めに分かっていたら、対処のしようもあったと言うことだ。
けれど、そんな事、私には分からなかった。
だから、こういう人とはもうやっていけない、と思い、離婚したのだが・・・。
今度はそれが息子に現れ、私をまた苦しめているという事なのだ。
そう思うと、どうしようもなく、辛くなってしまった。
どこまでも追いかけてくる、この病気。
本当に苦しい・・・と思った。
ドクターとの電話を切って、とても冷静ではいられず、散歩に出たのだが、
歩き回って、色々考えているうちに、
頭が整理されてきた。
とりあえず、3ヶ月の休養が必要だと診断書を書いてもらったので、それを息子の職場に提出しようと。
そうして、それが切れる期限に、退職させようと。
ちょうどその頃が、2月末なので、
息子のマンションも引き払おうと。
それから、関東へ戻って、大人の発達障害の医者を探して繋がろうと。
私も家族会に入ろうと思った。
となると、問題は、関東での受け入れ先だ。
家をどうするかとなった。
妹からは、家賃の半分くらいは援助してもいいという申し出があったが、
さすがに、それは無理だろうと思った。
有難いけれどね。
自分たちでなんとしなければ・・・。
・・・となると、やはり、元の家にしばらく住めないかと思った。
もうそれしかない。
元夫には、出ていってもらって、せめて、二年間くらいは貸して貰えないかと思った。
でなければ、無職の息子を抱えて、無職の私が暮らしていけるはずがない。
彼が落ち着くまで、なんとか家を貸して貰えないだろうかともう一度、交渉してみようと思っている。
大体、こんな感じで青写真が出来上がった。
あとは、来週、息子を退院させて、
4月に関東へ帰る準備をするだけだ。
どうか、元夫が承諾してくれますようにと、願うばかりだ。
オラクルを引くと、
関東へ帰るのは、NO だったが、
元の家へ戻るのは、YES と出た。
つまりは、あちらへ帰っても、家を借りると私が貧乏になり、生活が立ち行かなくなるから、それはやめなさいよ、と言われていると言う事だ。
あとは、家問題。
そうして、息子との付き合いをどうやっていくか。
自分もこれから試練に立ち向かわらなければならない。
☆それでは今日も良い1日を。
感謝します。
すべてはうまくいっている。