おはなし屋パモンの日記

おはなしを書くのが大好きなパモンの日記です。

男たちは女を認めるか?

2018年11月23日 | 日々つつがなし

最近、BLばっかり読んでいるので、

自分のネタ帳を見たら、BLネタばっかだった…!

 

まあ、それはいいんだけれど、こんなメモを書き残していた。

「inah 前視床下部間質核の3が同性愛男子は小さい。女性並み」

 

同性愛のことを調べていた時に、見つけた何かの文章から

書きぬいていたのだろう。

 

これを読むと、同性愛の男性は、生まれつきそういう性向だと

いうことだ。

 

それに対して他人がとやかく言う必要もないだろう。

先週「ボヘミアン・ラプソディー」を見てきたのだけれど、

フレディ・マーキュリーも最初は女性のパートナーがいたのに、

途中から同性愛になってしまった。

 

彼の場合も、この視床下部が小さかったのか、

それとも後天的なものなのか…?

 

どちらにせよ、人間の不思議さを感じざる負えない。

(フレディもおそらく先天的かな?)

 

来年の作品のスケジュールを立てるために、いろいろネタ帳を今、

読んでいたのだけど、こんなことを書いてある文章があった。

 

「私は、父の瞳の中に映る自分を見ている」と。

 

これは、去年、以前お世話になった方が占い師になって、

観てもらいに行った時に言われた言葉だ。

 

人は、本当に自分の事が分からない。

自分の事はよく分かっているつもりでも、

本当に人は自分の気持ちをはぐらかす。

騙す、感じている本心を見せないように上手く

隠しているのだ。

 

それは、それを見てしまうと、心が傷つくからだ。

自分の本心を知ると、悲しい現実が迫ってくるからだ。

だから人は上手にその気持ちを隠してしまう。

そして忘れてしまうのだ。

 

けれど、それはいつかは来る。

甦ってくる。地獄の底から。

 

その時、私は一体何のことを言われているのか分からなかったのだ。

 

母が亡くなって、父の介護を弟夫婦に任せなければならなくなったとき、

私はもう父から見放されたと思ったのだ。

口では財産のことを言うけれど、

財産なんて、正直なところ、争いの一部でしかない。

(おそらく世間の遺産争いは皆同じだと思う)

彼らが争っているのは、

誰が両親から一番愛されたか、だ。

その争いを目に見える形で示しているのが、

あの相続争いというものだと思う。

 

だから、私は今はそういう争いに巻き込まれている人たちを

一概に「醜い」と決めつけることはできないのだ。

彼らは必死になって、親から一番愛されたのは誰?

と訴えているのだ。

そんな「小さな子供」を抱えた彼らのことを、笑うなど私にはできない。

 

それほど、子どもからすれば親の愛情確認は大切なことなのだ。

私は今日、こんな言葉に出会うとは思ってもみなかった。

1年前の出来事だ。

私はその占い師の方から、「私は父の愛情を求めている」だから

「孤独だし、自分に自信がないのだ」と言われたのだ。

 

実は、「ボヘミアン・ラプソディー」の中のフレディにもそれを感じたのだ。

 

あれほどたくさんの仲間や友人や奥さんにまで恵まれているのに、

あの〝飢え(かつえ)〟は一体何なのだろう…?と思ったのだ。

 

そして、あの〝飢え〟は私の中にも確実にあるものなのだ。

 

私は、父に愛されていると思っていた。

1年前に、占い師の方に言われるまでは。

 

でも、そうじゃあなかった。

父には私ではなく、弟が必要だったのだ。

 

改めて言われてみると、私は父から認められたことがない。

私はもう半世紀も生きているし、結婚もしているし、

子どももいるし、社会的には何の問題もないと思うのだが、

父がいつも私に言う言葉は、「働け、働け」だった。

 

専業主婦は、価値がないのだ。

もちろん、私は自分が専業主婦だと思ったことはないのだが、

パートの兼業主婦は、彼らにとって認められるような職業ではないのだ。

 

おまけに私は本を書くために、仕事を転々としてきたので、

それも私がいい加減な人間にみえたことだろう。

 

私が賞を取り、やっと出版にこぎつけた時には、

もちろん喜んでくれたけれど、

ちょっとつまづくと、もう「仕事をせえ、働け」と言うのだ。

 

あれほど地元の新聞にコラムを書いたりしていた時には、

持ち上げていたのに(自分が考えているネタを書いてくれと)、

仕事がないと、もうこのざまだ。

 

私の焦りは、どうやらここからきているようだ。

私は曲がりなりにも主婦という隠れ蓑がある。

たとえ仕事が上手くいっていなくても、

とりあえずは夫がいて、生活の心配がすぐにあるわけではない。

 

なのに、父の価値観では、女の私もものすごく稼いでいなければ

ならないのだ。

ああ…だから私は苦しかったのかもしれない。

まあ、でも、それは当然だろう。私の母は公務員で、

定年まで働いた人だったから、

女は当然働くのが当たり前という考えで育ったのだ。

 

けれど私は私なりの考えで、働いてきたのだけれど、

それは彼らの価値観では、〝ゴミくず〟みたいなものだったのだ。

 

私は正直、両親のような生き方はしないと、最初っから決めていた。

母は仕事が忙しくて、夕食もつくらず、自分の世界に没頭していた。

私たち兄弟3人はいつもお腹を空かせていたのだ。

 

父は毎晩飲み歩いて、帰ってくるのは午前様。

優しい人だったけれど、

実質生活に手を貸してくれたかというと、

それはなかったかもしれない。

だから母はいつも子供たちにイライラして、

怒鳴ってばかりで、私は母が嫌いだった。

そういう女性になりたくない思っていたのだ。

 

だから、子どもが生まれた時、最初に思ったのは、

この子を絶対に飢えさせないということだった。

それは実質的に空腹にさせないこと。

この子にひもじい思いだけはさせたくないと思ったのだ。

 

だから、正社員で働くことは良しとしなかったのだ。

お金よりも愛情だと思っていた。

 

でも、結局私が母に反発を感じていた全てのことは、

本当は父に原因があったのだなあと今なら分かる。

父のなあなあ主義、嵐が過ぎるのをひたすら待つような、

そんな社会との接点の仕方が、私を形成したのだ。

父の生き方が今の自分にそっくりなのが、

この年になったからこそよく分かるのだ。

 

別に意図した訳ではないのに、

子どもって怖いね。

そういう風にして、親の生き方を全て吸収しちゃうんだよね。

 

そう言えば私は子どもの頃、父のお気に入りで、

父を喜ばせたいとずっと思っていた。

父が出張の時、一家を守るのは自分だと思っていた。

だから私はいつも雄々しく、元気でたくましくなければいけないと

思っていた。

だって、私がこの一家の長だから…。

 

私はつい最近までそう考えていたのだ。

 

でも、長じてからは、女の生き方が楽でいいなと思い始めた。

楽でいいなとは、誤解を生みそうだけれど、

ようは、自分に合った生き方だという事だ。

女の生活は自分に合うのだ。

無理に力強く生きなくとも、女性として、

自分の本分さえ守っていれば、自然体でいられるのだ。

とくに子供が生まれてからは、女性とか、女性の生き方とか、

そういうものに目がいくようになった。

 

だから、母の事もいつしか許していた。

家庭もあるのに、子どもを3人も育てて偉いなあと思っていたのだ。

同じ女性として。

だから最期は、私が看取ることになって、本当にありがたい事だと思う。

私はあの一年で母のことを再認識したし、母をとても見直したのだ。

あんなに力強く生きた人はいなかった。

それを身近で見せてくれて、〝ありがとう〟と、今は母には感謝しかない。

 

そう、私はどこまでいっても女なのだ。

女の世界が居心地いいし、気持ちいい。

男にはなれない。

 

でも、私は子どもの頃から、男の子になりたかったのだ。

男として活躍したかった。

それはひとえに父の影響なのだ。

父のようになりたい。

力強く生きたい。あんなふうに、明るく笑いながら、

人と仲良くしていきたいと考えていたのだ。

 

でも、私は女。女の世界で生きていくのだ。

私の〝飢え〟は、父の顔色を窺っていることだと、

先の占い師には言われた。

 

先週、父から電話があった。

自分が出たDVDを見たかと言っていた。

「うん。見たよ。お父さん、いっぱい出てたね」と言ったら、父は、

「うん。お父さんはもう大丈夫だから、心配せんでいいよ」と言われた。

 

なんかそれが今生の別れのような気がした。

この言葉をどこかに書き留めなければなあ…と思ったけれど、

長くなりそうだし、自分の気持ちをどう表現していっていいのかも

分からなかったから、今日になってしまった。

 

あれは父からの、私への決別宣言なのだろう。

自分がいたら、いつまでも私が未練を残す、とそう考えたのかもしれない。

父なりの愛情だったのだろうと思うのだ。

 

あーあ…頭では分かっているんだよなあ~、

どうにもならないってことは。

自分の道を行かねばならない、ということも分かっている。

でも、なかなか踏ん切りがつかなくて…。

 

でも、もうそろそろ私も前を見て歩いて行きたいのです。

 

私は父の顔色を窺って生きていきたくないのです。

誰の顔色も窺わずに、自由にのびのびと生きていきたいのです。

 

そして〝飢え〟を癒したい。

私だって愛されいるのに、それを認めて享受したい。

 

だからこそ、〝フレディ〟も、本当はどうだったのかな?と

思うんです。

本当に先天的な同性愛だったのか、

それとも、後天的に、私のように、愛に〝飢え〟て、

さまざまな人を求めたのか…?

どちらか分からないのです。

(だから私は同性愛を、どちらかいつも決めあぐねているのです)

 

まあ、どちらもかもしれないし…。

私の先輩にも同性愛の方がいましたけれど、

彼らに共通するのは、なんか〝エキセントリック〟な人だなあ…ということ。

ものすごく寂しがり屋で、一人でいられないんですよね。

そして感情の起伏が激しい…。

 

だから、脳の問題なのか、それとも〝愛〟の問題なのか…?

本当に決めかねています。

 

でも、まあ、人のことはどうでもいいんですよ、どうでも…。

大事なのは自分のことで。

 

まさか、今日、1年前の文章を目にすることになるとは

思ってもみなかったので…

 

少し、ぼんやりしています。

 

けれどこれからは、

私も〝愛〟をいっぱい受け取って、

生きていきたいです。

そうします。

そうなります。

 

☆それでは今日もよい1日を。

 

*まあ、健全に生きたいってことですね。

それだけが望みです。

聞いてくれてありがとう。

 

*ちなみにタイトルの「男たちは女を認められるか」というのは、

父と夫のことです。

私をどうしても認めようせずに、「働け、働け」のプレッシャーをかけて

くるので…。

男性社会が女性たちの多様な生き方を認められるようになれば、

お互いもっと生きやすくなるのになあ~と思います。

そうありたいね。

 

 

 

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主人公のマミちゃん、何やらシーッってな感じで意味深に微笑んでおります。

なんと、今回は自主規制でアダルトのカテゴリーに入れたら、

「18禁メッセージ」が出るようになりました!!

 

(キンドルすごい!!私が下手な絵で警告しなくても

いいんだわ~…。ラクラク(^^;))

 

という訳で、このブログをお読みの方で、

我こそはもう大人よ~ん、と思われる方は、

どうぞ楽しんでくださいね。

 

ちょっとエッチなマミちゃんのお話しです。

 

パモン堂はこちらから⇒ https://www.pamondou.com/

 

☆それでは今日もよい1日を。

 

 

 

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