水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

三河湾は佐久島、スナメリに会う!

2007年11月02日 | カヤック

平日のお昼、フト思い立って車を借りて三河湾へ。一色町の恵比寿海岸でカヤックを組んで出艇した。無性に島を目指したい気持ちに駆られ、梶島にバウを向ける。いやしかし梶島は近すぎた。陸からほんの1km程度だから見る見るうちに島に近づいてしまう。ちがーう!もっと遠くがいい!ぼくはカヤックを90度右へ回転させ、三河湾最大の島、佐久島を目指した。直線距離で7km、帰りも7km、島の向こう側をぐるっとまわっておよそ6km、しめて20km。日没まで2時間半。完全なる凪ぎ。体調良好。

行ける!と思った。ヘッドランプもある。帰りの後半はナイトパドリングになるだろう。出艇場所である恵比寿海岸周辺はちょっとした観光地なので大きな旅館やホテルが多い。日没後は明かりも灯り、全体的に森っぽい風景の中できっと目立つはずだ。ぼくはおよそ1kmおきくらいに振り返って出艇場所の風景を頭に入れた。こうしておかないと、帰りの景色がまったく認識できずに出艇場所から1kmも離れた地点で一生懸命帰る場所を探している、なんてことがありえるのである。漕ぎ出したら後ろを見よ、である。ただし海況が変わったら引き返すつもりでいた。波のある海でのナイトパドリングは避けるべきだ。

陸と島の中間地点くらいで小休憩。ぼくはいい気分だった。漁船もいない。見渡す限りの凪ぎの海。水面が、まるで水銀のような重厚な光沢を放って微かに揺れている。音というものが重さを持っていて、鈍重な海に飲まれてしまってぼくまで辿りつかない・・・そんな想像をさせるくらい静かな海だった。再び漕ぎ始める。パドルが水を切る音だけが聞こえる。一定のリズムで。

佐久島についた。森しか見えず、ほんとうに人が住んでいるのだろうかと思う。島の西側にまわると小さな浜があった。白浜という場所のはずだ。遠浅で海底がよく見えた。夏にここでシュノーケルでもしたら楽しいかもしれない。さらにまわるとブーマー地帯が出てきたので、大きく迂回した。岩にヒットしたくないザマス。ちょくちょく民家が見えてきて、南側の大浦港にでる。このあたりには食事のできるところや民宿なんかもあるはずである。全体的になんとなくひっそりとしている様子だ。上陸しようかどうかすごく悩んだけど、時間が気になったので漕ぎ続けた。今日はただの偵察だ。南東にもブーマー地帯があったので大きく迂回。この辺りは太平洋のうねりが到達しているようでちょっと緊張感がある。夕焼けが始まった。

だんだんハイアングルの漕ぎで肩が疲れてきたので、ロウアングル漕ぎも混ぜて漕ぐ。ぼくのパドルはワイドブレードでハイアングル向きなのであるが、まー上手にやればロウアングルでも漕げる。それでもだんだん疲れてきて、休憩が多くなった。疲れるペースが早くなってきた。実は出艇前にロールケーキとアップルパイを食べたのだが、これがよくなかった。砂糖の取りすぎで軽い脱水症状になっていたらしい。砂糖の取りすぎはよくなーい! けどまぁ大丈夫な範囲だったので休憩をこまめにいれて漕いだ。

日が沈んで、ハァ~つかりた、とかなんとか言いながら(実際にいってる)、ちょっと長い休息を取っていたその時だった。音が聞こえたのでそちらを向くと、凪ぎの海に流線型の物体が上下していた。「!?」 なにかいる。ぼくは帽子を脱ぎ耳を澄ました。するとまたその物体が浮上してきた。スナメリ(イルカ)だ(たぶん)! ぶるっと体に感動が走る。「プシュー、ヘェェェ」という呼吸音が聞こえる。この「プシュー、ヘェェェ」をゆっくりと2、3度くりかえして、スナメリはぼくの背後へ消えていった。

それがぼくとスナメリとの出会いだった。まさか愛知の海でスナメリにあえるなんて、一体誰が想像できただろう(結構周知の事実らしいです)!途中で疲れて休憩をいれたりだとか、島に上陸しなかったりだとか、いやいや昼に食べたあのアップルパイまでもが、ぼくをスナメリに会わせるための導きであったのではないかとまで考え、ぼくはひとり感謝と興奮に浸った。後に調べたところ三河湾ではスナメリが生息していて、見かけるのはそれほど珍しいことではないということを知った。いやーそれにしてもびっくりしたなぁ!

出艇場所には迷うことなく戻ることが出来た。漕ぎ時間はちょうど3時間くらい。ウン、大体予想したとおりのツーリングが出来るようになってきたゾ。嬉しいな!今度は佐久島散策だ!


船体布のメインテナンスについて

2007年10月31日 | カヤック

船体布のメンテは、雑菌による表面の腐敗を防ぐために行います。何か特殊な手入れが必要ということはありません。船体布が縮まないように組んだ状態で乾かすというのが基本です。海水の場合は少々生乾きでも大丈夫です。次第に乾いて塩分濃度が高くなり最終的に塩になるわけですが、それは雑菌にとって生存するのにはあまりに過酷な環境です。しかし逆に淡水の場合は、丁寧に乾かさないと腐敗の原因になります。

シーソックやスカートやPFDも、海水での使用後、淡水で洗わなければならない理由は見当たらないとぼくは思います。有機物が多い海や人体の脂や汗を吸っていない限りは自然乾燥で大丈夫でしょう。今のところぼくはどれも洗っていません。体に直接触れるウェットスーツとかは使用後水をくぐらせたほうがよいでしょう。

海水はオーケーだ、みたいに言いましたが、落とし穴があるかもしれません。事件は夏に起こります。海水での使用後生乾きの舟をザックにしまうと、船体布の水分が蒸気になりザックにこもります。雑菌君がうっしっしとなってしまう環境が出来上がり、結果しばらくしてザックを空けるとホワンとしたニオイが漂ってくる、という可能性はあります。その昔、柔道部員だった愛すべきぼくの友人の柔道着にキノコが生えた事件があって、みんなで大騒ぎしましたが、乾燥が大切、というのがそれ以来ぼくのキーワードです。保管中はザックの上半分はあけておきましょう。

船体布の材料である樹脂は化学的な腐食に対してとても強いので、塩があろうが酸があろうがアルカリがあろうが平気です(たたたぶん)。海水での使用後に淡水で洗う「潮抜き」は、まず必要ないでしょう。ただし先ほども触れましたが、雑菌の多い海で漕いだ後とかは、話は別です。あくまで敵は塩ではありません。雑菌と水分です。

船体布に入った砂も、ぼくはあまり気にしません。組み立ての時に目立ったものはタオルで集めて手でつまんで出すくらいです。船体布に入った砂はサンドペーパーのようになって船体布とフレームを傷つけると、フェザークラフトのサイトにあります。船体布に砂が食い込んでフレームを傷つけるのはなんとなく想像できますが、船体布へのダメージは少ないような気がします。今後フレーム(または船体布)への傷があまりに目立つようであれば船体布の中の砂を綺麗に掃除することを考えようと思いますが、しばらくはノーメンテナンスで傍観することにします。

いやー結局ぼくってほとんどフネのメンテしてないですね。


アルミフレームのメインテナンスについて

2007年10月30日 | カヤック

アルミニウムは水溶液の中で腐食してしまう金属なので、フォールディングカヤックのアルミフレームは最初に水に触れたときから劣化の一途を辿ることになります。船体布も磨耗や紫外線による表面の変質によって本来の質が失われていきます。まぁ、やはりフォールディングカヤックには寿命がありそうです。そこで、メインテナンスです。メンテナンスによって寿命を延ばしたいのですが、船体布の劣化はどうしても避けがたいものがあるので、せめて船体布の寿命が来るまではフレームを持たせたいと考えるのが一般的でしょう。そしてついに船体布の寿命が来て海での使用に耐えられなくなったら、フレームも廃棄するのが妥当かと思います。劣化したフレームに新しいハイエンドな船体布をつけるよりニューモデルに買い換えるのが合理的だと思います。

と、究極的なことを考えてしまいましたが、ちょっとフレームのメインテナンスということについて考えてみたいと思います。どんなメインテナンスが最も有効的でしょうか? フェザークラフトユーザーの方の多くは海で漕いだあと、自宅などに持ち帰ったのちにお風呂場などでフレームを水洗いして乾燥させているようです。フェザークラフトのサイトには、

「分解して乾いていても、海水で濡れた場合はそのまま長時間バッグに収納したままにせず、なるべく早く真水で濯いでおく」

「洗った後そのまま放置しておくと、表面が所々白っぽくなることがある。自然に乾燥させるだけより、水分を拭き取ったほうが良い」

との説明があります。二つ目の説明はちょっと置いといて、本当に「分解して乾いていても、海水で濡れた場合はそのまま長時間バッグに収納したままにせず、なるべく早く真水で濯いでおく」はメンテナンスとして正しいのでしょうか? オーソリティに物申すようで気が引けるのですが、ぼくは実はこれは正しくないと考えています。その理由を説明してみたいと思います。

金属の腐食は酸素が電離した金属イオンに触れることによって起こります。水のないところでは金属はなかなか電離しないので腐食(酸化)の速度は微々たるものです。しかし食塩水のような強烈な電解質を持った水溶液に触れると金属のイオン化が促進させられるため、酸化されやすくなります。水溶液が触媒のような働きをすると考えてよいと思います。いわゆる使い捨てカイロは鉄粉と少量の水で出来ていることからも、酸化における水の重要性が理解できます(カイロの発熱は鉄の酸化による)。要するに水があるとダメ(食塩水があるともっとダメ)なのです。

以上のことを念頭に置いて考えるに、最もフレームに負担のかかる状態というのは、カヤックを組みっぱなしにして使用頻度が高く、常にフレームが海水で湿っている状態であるといえます。組んだままでいると、水の表面張力によってフレームとスキンの間に水が保持されやすく、その辺りの腐食が激しいと推測できます。フレームの延命を第一に考えるなら、使用後のカヤックは分解し、フレームを速やかに乾燥させるのがベストでしょう。フレームは一度乾いてしまえば、表面に塩がついていたとしても再び真水で洗い流す必要はないとぼくは思います。乾いた塩に乾いた鉄片を差し込んでおいても腐食は微々たるものでしょう。水に溶けていない固体の塩は結晶化されているので(イオン化されていないので)、触れている金属のイオン化を促す力は小さいと思われるからです。問題の本質は塩の有無ではなく水の有無なのです。したがって、海水での使用後、自然乾燥させたフレームは、次回使用するときまでそのままにしておくのがよいように思われます。一見真水ですすいだほうがよいように思えますが、これは再び酸化の条件をこしらえるようなものではないかとぼくには思えます。ただしこれは乾いてしまえば、という条件の下の考察です。天気の条件などからフレームがずっとべとべとと湿った状態にあるようならば、真水ですすいで乾かすのが無難でしょう。

また、水分は自然乾燥よりもふき取るほうがよい、とフェザークラフトは勧めていますが、まぁ、これは自然乾燥で充分でしょう。自然に乾くまでにかかる時間なんて、カヤックを漕いでいる時間と比べたら微々たる長さです。第一アルミパイプの内側はどうやったってタオルでふけません。ただ、塩があまりにフレームに固着するような状態であれば、これは別の弊害が生じる可能性があるので、真水で流すのがよいでしょう。ちなみに「表面が所々白っぽくなる」とありますが、これは9割9分方塩であると思われます。酸化アルミの粉になっちゃったと悲観することはありません。

今のところ、ぼくは自宅でフレームを洗ったことはありません。自分の信じる使用方法でやってみようと思っています。ただ、ぼくは金属の腐食に関してなんら専門家ではなく、また実験や実体験に基づいた上での考察は持ち合わせていません。従って上に書いたことはいち一般人の推測の域を超えません。心配な人はフェザークラフトが推奨する使い方をすべきでしょう。万が一ぼくのフレームが破損した場合は、ぼくの考察の反例となりますので、それはそれで有益な情報でしょう。

とブツブツといろいろ並べましたが、要は自然乾燥以外にフレームのメインテナンスなんていらないじゃん、というのがぼくの考えるところです。もっというと、そこまで神経質にならなくても、年がら年中組みっぱなしにしない限りはアルミフレームは船体布の寿命が尽きるまで充分に使えると思います。

言い忘れましたが、アルミの錆止め潤滑剤は、たぶん時々つけるのがいいと思います。これをつける際には、ちゃんとアルミ表面の塩を真水で洗い流し、乾燥させましょう。ぼくはBoeshieldを使っていますが(みんなそうか)、なんかCRC556みたいで(ちなみにCRC556はサビるといわれている)サラサラしていてすぐに海水で流れてしまいそうですが、まーこれを信じて使うのがよいでしょう。しかし数ヶ月に一度程度のスパンでBoeshieldをぬったところで本当にアルミフレームの寿命が延びているかどうかは、実のところぼくはよくわかりません。たとえ少量でも海にヘンなものを流すのは心が痛むというところからも、「ホントにBoeshieldはキクのか」が知りたいところです。そして使用するのであればアルミパイプの内側にもちゃんと塗布したいので、口の長いスプレー缶などに入ったBoeshieldがあったらいいなぁ、と考えています。


旅の装備 その3

2007年10月28日 | カヤック




上の写真は全ての装備を入れたザックの姿です。比較対象にアコースティックギターのハードケースが並べられています。結構コンパクトですよね? ザックのフロントポケットは空です。ぼくのパドルは二分割式で、ザックに入れるとブレードの部分が飛び出してしまうので、そこはジッパーを開けています。ブレードの部分は危ないのでスタッフサックを被せてあります。ちょうどいいサイズのスタッフサックが、たまたまありました。

写真で分かるとおり、ザックは安定して自立します。自立するのは何かとグッドです。これには少し工夫があるので、ご紹介します。



100円ショップで買ってきた、旅行かばんをしめるためのベルト(「旅行ベルト」と呼ぶことにします)を上のように通します。カートにまいてあるだけです。



横の部分です。この旅行ベルトのすぐ上に、ザックのサイドについているカートを通すための輪(「サイドの支持点」と呼ぶことにします)が当たります。ようするにこの旅行ベルトを噛ませてやると、これがカートのでっぱりの部分に止まり、カートの位置がちょうどいい塩梅になってザックが自立するのです。

この旅行ベルトの役割はもう一つあります。この位置で旅行ベルトをしめると、ザックのお尻がずり下がってカートの車輪にこすれるのを防ぐことができます。

さて、このサイドの支持点ですが、ぼくは左右二箇所のサイドの支持点だけでザックの全ての重みを支えるのが不安でした。今は買ったばかりで丈夫だからいいですが、いつかザックがそこから破れてしまいそうです。ですからもう一点の支持点を作りました。それが下の図です。



ザックの背中のジッパーを開けます。パックカートについてきたナイロンベルトを、肩ベルトの調節部とカートの取っ手の部分に上のように通しました(これを「トップの支持点」と呼ぶことにします)。ザックを自立させて、このナイロンベルトの長さをしぼります。最終的にカートを引っ張って転がしているときに、サイドの支持点とトップの支持点にバランスよく重量が分散されるように調整します。



長さをあわせたら上のようにカバーをぎりぎりまで閉じるとすっきりします。

さて、次に装備の収納です。カヤック本体は、組み立て説明書にある通りにザックの中に収納します。シートやPFDを上に乗せ、フロントジッパーを半分閉めます。ここでぼくは一度ザックを自立させ、その状態で残りの装備の収納に取り掛かります。このようにすると、装備が重力で落ち着いて、荷物が詰め易い気がします。まぁ、大した工夫ではありませんが。



パドルとテントポールを差し込み、大きなドライバッグから順に入れて行きます。細かいものは後から隙間にねじ込むとよいです。上が完成図です。ジッパーはそれほど抵抗なくしまってくれます。フロントポケットも空なので、まだ多少の荷物は入るでしょう。全ての装備はこの一つのザックに収まります。

合計の重量は・・・正直分かりません。なぜかウチには秤とか体重計といったものがないのです。ですが持ってみた感じは20kg台真ん中くらいでしょうか。一泊二日分の水と食料を入れても30kgはいかないと思います。ウィスパーは軽いですね。

あと、ザックの運び方を。フェザークラフトのユーザーは、結構ザックを背負う方が多いようです。ぼくはそれほど体力に自信がないので背負いません。いろいろ試行錯誤しましたが、カートが使えない階段などでは体の前面に抱えて持つのが、ぼくには最も負担が少ないように思えました。背負ったり、ショルダーベルトで抱えるよりも、だっこの要領で持ち上げるのほうが素早いし、腰への負担も少ないように思います。持った感じはこんな風です。



カートのないほうを体に向けます。手はカートのサイド、または旅行ベルトを持つとちょうどよいです。なるべく体に密着させるようにグッと腕を引くようにすると、不思議とそれほど重量を感じません。駅の階段くらいの距離なら結構平気です。エレベーターがあってもぼくは使いません。グッと引くのがコツといえばコツです。持ち上げる時と降ろす時は、前傾姿勢になると腰を悪くしてしまいます。股を開いて足の間にザックがくるようにして、上半身はなるべく垂直を保つようにスクワット動作をするとよいようです。階段を昇り降りする時は前が見えるようにザックを少しだけ体の正面からずらします。

そういえばこのフェザークラフト製のザックは3ウェイザックと呼ばれていることを今思い出しました。背負う、担ぐ、取っ手を持つ、の三つですね。ぼくはそのうちの一つも使ってないみたいです。ノーウェイザックでよかったのかも。「ノーウェイ」って、「ダメ!」とか、「そんなことあり得ない!」みたいな意味で使われることがあるので、なんともおかしなネーミングですが。まぁそれは冗談で、このザックはなかな秀逸です。

ぼくがここに紹介したのはいづれも小さな工夫ですが、小さな工夫でも積み重なると物事を素晴らしくスムーズに進めてくれます。またなにか気がついたことでもあれば紹介させていただきます。


旅の装備 その2

2007年10月27日 | カヤック

この程度の装備だと、カヤックへの積み込みは余裕です。コッヘル、食器、ストーブが増えても平気でしょう。それ以上の荷物を積むのも可能です。ちょっと工夫が必要になってくるかもしれませんが。カーゴスペースは数日のキャンプにはちょうど良いと思います。やっぱりウィスパーっていいサイズだよなあ。もう何度かこの艇に乗りましたが現在のところ何も不満はありません。素晴らしい艇です。

積み込みのコツ、というようなものを強いて考えてみます。左右、または前後に著しく重量配分を不均一にさせないこと。バウやスターンの先端に入れやすい形状の荷物をあらかじめ作っておくこと。上陸してすぐに着替えが出来るようにスターンハッチのすぐ下に衣類のドライバッグを入れておくこと(シーソックをはずしてデッキバーを抜くとよい)くらいでしょうか。ぼくの場合、パックカートは分解して取っ手の部分以外のバーはザックにくるんでバウにしまいます。小さなバウハッチのすぐ下にザックがきてしまいますが、ペットボトルくらいならザックとデッキの間に滑り込ませることができます。取っ手の部分はスターンに入れています。先端で船体布を傷つけないように気をつけます。ぼくの装備はすべてコクピットの前後にあるリブを通すことができるので、リブの取り付けをしてしまった後からでも荷物の出し入れは出来ます。

全ての装備をカヤックに入れた状態でも、空荷のカヤックを運ぶのと同じように担ぐことが出来ました。ウィスパーは軽くてグッドです。この程度の荷物だと、コクピットに手を入れてカヤックを持ち上げても、カヤックにヘンな力が掛かっているということもなさそうです。ただ、やはり体勢が苦しいのであまり長い距離を運びたくないというのが正直なところです。荷物が多いときは、水際でパッキングするか、半分程度の荷物を入れた状態で水際までカヤックを運んで残りの荷物をパッキングすると負荷が少なくて済みそうです。


旅の装備 その1

2007年10月26日 | カヤック

旅のお土産は、なさけないことに筋肉痛でした。肩から首の根元の僧帽筋と背骨の周りの筋肉がイタイ。おまけに旅の前日にした腕立て伏せのせいか胸筋もイタイ。けどこれは少し手ごわい海を漕ぎきったことの証なのだから、ぼくの勲章です。さて、旅の余韻が冷め切ってしまわないうちに、今回使った装備とぼくなりの工夫について少し書いてみたいと思います。

キャンプに使う道具は今回はできるだけ少なくするようにしました。前稿にも書きましたがコッヘル、ストーブの類は持たずに行きました。初回なので、荷物の大きさと重さにウンザリしたくなかったのです。慣れてきたらコッヘル類も持っていけるようになるでしょう。しかしながら、食事が出来るような町が近くにあるならそこで済ませてしまうというのもいいスタイルだと思います。ちなみに今回はちゃんと下調べをしておいたので、おいしいラーメン屋さんに行くことが出来ました。

装備の選択で最も頭を悩ませたのがシェルターでした。テントにすべきか、タープにすべきか。タープの下でも寝れる自信はあったのですが、最終的にテントを選びました。タープのほうが軽いには軽いのですが、やはり懸案事項が多いような気がします。タープだと、今回のような強風下では設営は困難でしょう。砂浜の上に寝る場合だと荷物全てに砂がつきます。蚊のいる季節だとちょっと辛いものがあるかもしれません。寒さも問題です。風で折れた木の枝が落ちてくる時もあります。様々な条件を考慮すると、やはりテントの合理性の高さに軍配が挙がるように思います。それに、実際ぼくのソロテントは結構軽いのです。自立式だし、中で寝ていれば風で飛ばされることもないのでぼくはステイクを持っていきません。重量は1.4kg程度です。ただ、海岸は強風が吹く可能性が高く、今回学んだのですがフライがかなりバタつくので、フライのないゴアテックスとかで出来た一体型がよいかもしれません。まぁ、ぼくは今のやつで通そうと思いますが。



上が野営に使った装備です。左上からテント、マット、寝袋(ダウン280g)、衣類(フリースとゴアテックスのレインウェア上とタオル)、小物、あとは空のドライバッグとテントポールと水と酒です。寝袋は出艇時には衣類のドライバッグに押し込みました。着てきた服は空のドライバッグに入れます。小物のドラバッグにはヘッドランプ、ファーストエイド、飴、カロリーメイト、洗濯バサミ、ゴムひも、ビニール袋、ライター、デジカメ、本、ボールペン、ケータイ、お金(裸)、方位磁針が入っています。

いわゆるシュラフカバーはぼくは持っていません。というか、シュラフカバーという存在を長らく知りませんでした。アメリカではシュラフカバーが売ってなかったのです。シュラフカバーというものが存在し、日本では結構みなさんが一般的に使用しているのを知ってちょっと驚きました。やはり寝具に関しては日本が一歩リードしているようです。ぼくもそのうちに買い足すかもしれません。

マットはビニール袋に二重に包みました。カヤックのスターンの先端のスペースにしまうので、スターンのそり上がりの形状からしてもまず濡れることはないでしょう。マットをビニールにくるんだのは、ドライバッグをあまりたくさん使用したくないためです。結構かさばるので。それに万が一マットが濡れても、なんとでもなります。逆に最も濡れてほしくないのは衣類と寝袋と貴重品です。ドライバッグに入れるのが吉だと思います。

こうしてみてみると野営に必要な装備って、たったこれだけなんですね。コッヘルとストーブと食料が加わるにしても、少ないものです。まぁ、望めば他にも、タープ、椅子、テーブル、ランタン、ラジオ、GPS(持ってません)、焚き火のための道具、クーラーバッグなどを足すこともできますね。ただ最初から何もかも持っていこうとするのは、オートキャンプでない限りなかなか辛いものがあると思います。


はじめてのキャンプツーリング その2

2007年10月23日 | カヤック

翌朝。風は夜通し吹き続けたようだ。風は大気圧を均一化すべく、地表のどこかで日夜吹き続けている。あれだけ風が吹き続けてもまだ大気圧は一定になっていないのだから地球は広い場所だと思う。即席の耳栓は功を奏したようで、よく眠れた。キャンプに最適な素晴らしい浜であった。テントを撤収してカロリーメイトを食べた。お湯を作れないのでコーヒーはなしだ。かわりに水を飲む。それにしても、今日もいい天気だ!



パッキングを終了し、8:40に常滑海岸を出艇し、南へ向かう。中部国際空港へ通じる橋を超えると次第に半島に緑が増えてきた。名鉄の常滑線が終わって、知多線が西の海岸線を通る間まで、しばらく線路のないエリアが続く。澄んだ空気の中で鮮明に揺れる陸の木々が美しい。ぼくは海のそばで育ったわけではないので、海だけの景色というのは正直、少し怖い。海は、緑がその絵の中に入って美しくなるとぼくは思う。

南を目指す。左手には知多半島、右手には遠く鈴鹿山脈が見える。今日はいけるところまでいくつもりだ。坂井以南から内海(うつみ)までは列車が通っているので帰りはなんとかなるだろう。知多の西側は浜が多いのでワンウェイツーリング向きだとぼくは思う。

風が強いので今日はスケグを(初めて)装着した。このスケグはすごくいい。ほんの小さなスケグだけど、効果はてきめんだ。いや小さくしてるのは異物を引っ掛けにくくするためだろう。直進性が確保できるための最小限のデザイン。スケグを固定させるためのストラップの角度(描写しにくいのですが)なんかにも思考の形跡がある。全然ぶれない。舟を組むたびにいつもフェザークラフトには関心させられているのだけれど、やはりこれを作った人は一流のパドラーであり、またエンジニアであるのだなと思う。最初に大瀬さんと一緒に琵琶湖を漕がせてもらったときに舟のつくりに関していろいろ教えてもらったのだが、その時にあぁこの開発者はエンジニアの心を持っているなという印象を抱いたのを思い出した。使い物になるフォールディングカヤックを開発するには、リジット艇を作るよりもきっと多くの工夫がいるだろう。使う素材だけを見てみてもフォールディングカヤックの方がはるかに多くの種類のものを必要とするし(それらはすべて腐食に耐え丈夫でなくてはならない)、本来布であるものに舟として使用できるだけの強度を持たせなくてはならないし、組み立てやすさなども考えなくてはならないから、ストラクチャから細部に至るまであらゆる工夫が必要であることは想像に難くない。布の立体裁断を考えるだけでぼくなんかギブアップしそうだ。

山の上に幾つか寺院が見える。知多四国の寺だろう。すると左手に(陸は常に左手なのだが)奥田海水浴場が見えてきた。以前車でまわったことがあるので、知っているには知っていたのだけど、こうしてあらためて人力でたどり着くと、「あぁ、こんな所まで来た」というのが実感としてビビビッとくるのである。スケールの小さい話で申し訳ないのだけど、これは本当に嬉しかった。知っている地名の点と点が、線で結ばれた感じだ。

南知多ビーチランドの、どことなく寂しげな小さな観覧車が現れて、ゆっくりとぼくの視界から消えていった。若松、野間の海水浴場を通り過ぎる。一回り大きな冨貝崎港(ふぐさきこう)をまわり、野間灯台が視界に現れるまでぼくはずっとコーフンしていた。すごい、すごすぎるぞ、シーカヤック!

そこからさらに一時間半ほど漕いで山海海水浴場という所でツーリングを終えた。今日は4時間ほど漕いだだろうか。疲れたー。後で地図で確認したところ、昨日8km弱、今日は大体22kmほど漕いだようだ。こんな距離漕いだの初めてだ。ぼくってスゴイ。イヤ、でも実はそれほどでもなくて、パドリングを覚えたての人でも10kmくらいなら結構漕いじゃうし、ぼくより年上の人なんかでもすんごい距離漕ぐ人がいるから、ぼくなんてぜんぜんである。けど、まぁ距離なんてどーでもよくて、ぼくにとってはこの8+22kmは本当に楽しかった。秋晴れの空の下を漕ぐだけでもシアワセなのに、さらに大好きなキャンプもしちゃったのだ。ずっとやってみたかったカヤックでのキャンプツーリングが出来た。ぼくはほんとにシアワセ者である。感謝!

陸にあがってヨロヨロと舟を分解し、釣りの人と少し会話をし、荷物をまとめた。カートを転がして内海駅まで歩いて、名古屋行きの特急を待った。内海で温泉に入るというプランも頭をかすめたのだけれど、ぼくは倹約の道をあゆんだ。一時間に一本の名鉄電車に乗り、指定席にこしかけた。自動販売機で買い求めたカフェオレを飲み、柿の種をポリポリかじる。カーテンを開くと傾きかけた陽がぼくの顔を横からてらした。山間部を通り抜ける列車の窓から時折姿を見せる伊勢湾が、金糸のごとくきらきらひかりぼくを見送ってくれた。


はじめてのキャンプツーリング その1

2007年10月22日 | カヤック

土、日と知多半島伊勢湾側をカヤックでキャンプツーリングしてきた。夜な夜な地図を見ながらこの日が来るのを待っていた。久しぶりのソロキャンプで、アメリカで使っていたテントなどの道具を再び使えるのも、嬉しい。スパーンと抜けるように青い秋晴れの空の下、キャンプ道具を全て積み込んだウィスパーのザックを持って家を出た。移動手段は電車だ。この小さい荷物の中に、ぼくが信頼するもの達が詰まっている。この感覚がいいのだ。待ちに待ったソロのカヤックキャンプツーリングのスタートだ!

列車は新舞子に着いた。「新舞子」は全国によくある地名だけれど、もちろんぼくが行ったのは愛知のそれである。今回のツーリングではここから伊勢湾を南下しようと思う。



マリンパークの芝生の上で(非常にナイスです)で売店で買ったビールを飲みながら舟を組む。こどもが二人やってきてぼくの舟で遊びだした。なにしてるの?との質問に、今からこのフネを漕ぐんだよと教えてあげる。「フネ!? (しばらく無言) あ、分かった! コレ(パドルを持って大いに遊ぶ)で漕ぐんだね!」との質問に、そうだよ、よく分かったねと答えてあげた。ビールを蹴飛ばされないか内心ヒヤヒヤしながらもニッコリと笑顔を保ったのは、オトナの体面というやつである。「パドルっていうんだよ」と教えてあげた。

風が強い。ウィンドサーファーと会釈する。風が強く、方向が一定でないのか複雑な波が出来ていてちょっと漕ぎにくい。つらつらと漕ぎ進めて、本日の目的地、常滑海岸に上陸した。時間にして一時間ちょっとのパドリングである。この海岸ではカイトサーフィンをやってる人がたくさんいた。いつみてもこの、カイトサーフィンっていうのはカッコイイなぁ。水上をものすごいスピードで突っ走るのだ。時折ふわぁっとジャンプなど決めたりするのがエキサイティングでもあり優雅でもある。実は一度やってみたいのである。

4時をまわってカイトサーファーたちが引き上げだした頃に、カメラを持った人が海岸に集まってきた。三脚をたてて夕日を撮っている。芝生に座って夕日と人の流れをボーっと見ていた。充分暗くなり、人が見当たらなくなってからテントを設営した。キャンプ禁止ではないけれど、まぁ、なんとゆうか、ちょっとした配慮である。このあたりで旅のヨロコビをしみじみと感じる。





軽量化のためにクッカーと燃料は持ってきていない。ぼくは着替えて常滑(とこなめ)の街をジョギングした。Keenの靴は水陸両用でいいなぁ。旅先の街を散策するのって楽しい。

トイレメーカーとしてあまりに有名なINAXがでーんとある。便器は、あたりまえだけど陶器である。常滑は焼き物で有名なのだ。INAXは昔、伊奈製陶と呼ばれていて、さらに昔はTOTO(古くは東洋陶器。語呂が好きなのかも。TOTの部分って泣き顔に見えますね)と同じグループから出来たということを、父親から聞いた(ふしぎな会話ですね)。常滑焼って、なんというか実用的な物を作るみたいで、こういった便器、タイル、土管などを製造しているということである。この実用的な、というのがぼくの趣向にあっていて実にいーのである。ぼくが住んでいたバークレーにもタイル工場があったのだけれど、実はぼくはタイルが好きだ。

茶屋亭という一軒のラーメン屋さんに入る。ココのラーメンはメチャクチャうまい!今までぼくが食べたラーメンの中で一番おいしい。はぁーシアワセ。ローソンでエビスビールを買ってキャンプサイトに戻る。

テントの中で本を読んだ。ソロキャンプではこの時間がたまらなくいいのだ。面白い本を読み、時々しおりをはさんでビールをすする。考え事をしてまた本に目を落とす。ビールがなくなるとペットボトルに入れてきた芋焼酎にシフト。テントの中は至極快適だ。ただ風が強い。携帯でチェックしたら強風波浪注意報が出ていた。警報じゃなくてよかったと、ここはプラスに考える。テントフライが風を孕んで(はらんで)バタバタとうるさい。ティッシュを小さくちぎって耳につめ、ニット帽を深くかぶり、耳にパドリンググローブを挟むと少し音が和らいだ。夜は静かに、じゃなかった、けっこう騒々しくふけていった。

つづく。


地元の海を漕ぐ

2007年10月11日 | カヤック

ぼくは名古屋市に住んでいて、海といえば伊勢湾が近い。地元というには少々憚(はばか)られる距離だけれど、まぁ便宜的に地元の海としておこう。そして伊勢湾がシーカヤッカーにお勧めできるスポットかと問われると、それもまたイエスというのが憚られるのだが、まぁ試しに漕いでみるのもいいかもしれない。というわけで、試しに伊勢湾で漕いでみることにした。どこか遠くの綺麗な海で気の赴くままにソロツーリングしたい、と常々考えているぼくだけど、なんていうかまずはリスクの少ないところで腕を磨きたいよーな気がする。単独行(単独航?)の経験値を高めるべく、ぼくは車で伊勢湾に浮かぶ人口島、新舞子マリンパークへ向かった。

ぼくの中にある伊勢湾の奥のイメージは、お世辞にも良いとはいえない。ぼくは名古屋港につながってる運河でボートを漕いでいたことがあるのだけど、なんというか、すさまじい環境であった。工場や倉庫の窓は割れ、トタンは風雨でひしゃげて風が吹くたびに嫌な音を出し、むき出しの鉄筋は錆だらけで地面まで同じ色に染めていた(誇張)。あぶない刑事と銀星会が今にも銃撃戦を始めてしまいそうな雰囲気である。水質は・・・推して知るべしなのであるが、ぼくがこの先がんや糖尿病やHIVやニートになるようなことがあればあの水質が原因に違いないと思う(冗談です)

で、目的地のビーチについたらあまりに綺麗なのでびっくりしてしまった。人口のビーチなのだから綺麗に作ってあるのはあたりまえかもしれないけど、きれいだ。ウミガメの大きな像がある。数年前にウミガメがそこで産卵したそうである。ヒェー。若いカップルが寄り添ってキャーとかゆってたりする。ボートのハルについた何らかの油を一生懸命洗い流していたぼくの青春と比べると、にわかに信じがたい光景である。まぁそれはよしとして、ぼくはビーチへと続く広々とした芝生の上(非常にナイスです)でカヤックを組みたてて出艇した。

水の上はいいなぁ。先日ウレタンをシートの形に切って入れたので、お尻の位置がちょっと上がって漕ぎやすくなった。ウィスパーのシートはカフナと比べると薄く、ぼくにはちょっとお尻の位置が低すぎたのだ。湾とはいってもカヤッカーにとっては結構広い。西側には三重のほうの山々もうっすら見える。ぼくは中部国際空港のある南の方角にバウを向けてなるべく一定の速度を保つように漕いで行った。しばらく漕ぐと空港の近くに、これまた人口の浜があったのでそこで上陸、お昼ごはんのラーメンを作って食べた。食事を終えてゴロンと寝転がりたい衝動に駆られる。今度はグランドシートを持ってこよう。



カロリーメイトを食べながら、人口のビーチもいいもんだな、と思った。きっとこのあたりは万博のときに整備されたのだろう。開発が必要とされている所であっても人が遊べる場所というのは絶対に必要である。どうせ大掛かりに開発をするのならこの人口ビーチのように初めから計画して人が集まりやすいよううまく設計するのがいい。もともと風光明媚な場所に不必要に手を入れて人口ビーチを作るのはどうかと思うけれど、このような開発空間においては人口ビーチを作ることは、海岸を全てコンクリートでふさいでしまって『遊泳禁止』とやるよりずっと友好的である。

そこから出発点へ戻った。微妙に違うルートを通る。出発点には二機の風車があっていい目印になる。うねりはあまり入らないし、いやーほんと初心者にはいい場所だなあ。往復の距離はおよそ16km。今のぼくには充分な距離だ。結構疲れた。もっと体力をつけよう。練習にはいい場所だ。試しに漕いでみてホント良かった!


地元でカヤックを漕げるのか?

2007年09月23日 | カヤック

先週の水曜日に地元に近い愛知池でカヤックを漕いだ。愛知池は人工の池で、ちょっとした高台に作られている。高低差を利用して愛知用水に水を送る貯水池だ。池の周囲はおよそ7km。1000mの直線が取れ、レガッタなどが行われる。ハイスクールボートマンにとっては神聖な場所。ぼくは高校時代ボートを漕いでいて、愛知池のレースに何度か参加した。高校時代、ぼくは自分の頭と心と体を全てボートに注いだ。愛知池という存在はいうなればぼくにとって壁のようなものだった。壁をぶち抜いた瞬間も確かにあったし、壁に跳ね返されてボロボロになったこともあった。競技だ優勝だと周りの人はいろいろ言うけれど、敵は常に自己の中にあり、ボートマンはただひたすら目の前にある壁に対峙するのみである。

ハイスクールボートマンの練習の邪魔にならないように、午前中に車で愛知池に向かった。駐車場に止めてウィスパーの入ったザックをカートで引っ張る。出艇場所までちょっと距離があるけれど、こういうときフォールディングカヤックは素晴らしい。コンクリートの上でカヤックを組む。穴をあけた箇所につけたグルーはすっかり乾いている。大丈夫そうだ。誰もいない、緑に囲まれた綺麗な人工池にぼくはカヤックを浮かべた。



岸沿いをゆっくり漕ぎ進む。場所によっては視界が緑にすっかり囲まれて、とてもいい気分だ。水の上に出てみるとこうしたいい場所がいっぱいある。ぼくはわざと岸の形に合わせて細かくターンをしながら漕ぎ進んだ。リーンしてのスイープ、加速してバウラダー、スターンラダー、サイドスリップなどを繰り返し練習する。スピードをあまり殺さずにうまく曲がれると嬉しい。スタート地点の脇の、レースの順番が来るまで待機する場所まで漕ぎ進める。ぼくはノスタルジックな理由で今こうして水の上にいるのだろうか、と少し思う。

ぼくはブイで仕切られた第二レーンのスタート位置で艇を止め、時計の短針が0になると同時に漕ぎ出した。漕ぎ出しは軽いが、スピードが出てくると造波抵抗がぐっとかかってくる。キールのバウ部分がもう少し鋭角になっていてくれたら艇速が出るだろうか。500mを過ぎてからが長かったが、がんばって1000mを漕ぎ終えた。タイムを見るとすっごい遅かったので、笑ってしまった。はは、これじゃとてもカヤックのレースなんて出れないや。疲れたー。経験からゆってタイムが遅いときほど、体は疲れる。

1000mを漕ぎ終わってフラフラとしていたら、陸の上をこちらに向かって走ってくる車がいるのに気がついた。サイレンの音は立ててないものの、車の上の赤いライトがぐるぐるとまわっている。そのままフラフラと漕いでいると、いかにも係りの人が車を止めて走って降りてきた。

ここはカヌー禁止です、とおにいちゃんは大声でゆった。水の上にはぼくしかいないから、たぶんぼくにしゃべっているのだろう。そうですか、とぼくは答えた。今すぐ陸に上がってください、とおにいちゃんはぼくにゆった。ぼくは普段は草食動物のように温厚なのだけれど、その時ばかりは大人気なくちょっとムカッときた。ダメですか?とぼくは食い下がった。すると、団体さんの漕艇部なら許可が下りるんだけど、個人に許可っていうのは難しいのだとか何とか彼は説明しだした。

ぼくはその要領を得ない説明を意識の一方で聞きながら、心の中でミニ野田に変身して、やってくる三流役人どもをスポーンスポーンと池に放り投げる図を想像した。しかし現実にはぼくにはその勇気と腕力が備わっておらず、仕方なしにフロートに着けて艇から降りた。おにいちゃんはぼくが「完全に水から離れるまで」じっと見ていた。なんというか、人の神経を逆撫でするのがうまい人種というのがこの世にはいるものだ。チェッと思ったのだけれど、ここは気分を切り替えて、昼食でも食べようと思った。舟を乾かしながらコッヘルに湯を沸かす。ぼくが持ってきたラーメンはスガキヤ(地元を愛しすぎるがあまり)だった。しまった、チキンラーメンにするべきだった。

「水とともに文化を育てる愛知池」という看板を見ながらラーメンをすすった。そもそもあの人は一体どこからやってきたのだろう? カメラとかで監視しているのだろうか? そしてぼくはちょっとしまったな、と思った。ぼくは漕艇部に迷惑がかからないように池を利用したし、セルフレスキューの技術と用具は持ってるわけで人後に落ちることはしていないと思う。いちカヌーイストとして係のおにいちゃんに堂々とこの程度の活動を認めてもらえるようリクエストすればよかったのだ。かくかくしかじかで頑張って水とともに文化を育みますからお願いしますと言えばよかったのだ。カヌー連盟の会長の福田康夫氏なんて首相になろうとしてるのだ。それに比べれば何も大それたことでもあるまい(無茶苦茶な理屈です)。たとえリクエストが通らなかったにせよ、交渉する権利くらいはあったはずで、ぼくはそれを行使しなかったことを悔やんだ。もう愛知池で漕げないのかと思うと尚くやしい。やっぱり野田さんはミニにしてしまってはいけないのだ(アリ?)

しかられてしまったけれど、なつかしい場所でカヤックを漕げたことは素直に嬉しい。折角前向きに進む舟に乗り換えたのだ。人生も前向きに漕ぎ進んでいこうと思った。