奈良の唐招提寺の鑑真和上座像をやっと見ることが出来た。
この彫像は、教科書にもよく載っているもので国宝であるが、毎年3日間だけしか公開しない。なのでいつもチャンスを逸していた。ところが今年は唐招提寺金堂解体修理中ということもあって特別サービスなのか一週間も公開してくれる。なので、ようやく都合をつけることが出来て勇躍奈良に向かった。
鑑真さんは本堂と少し離れた御影堂に居られる。さすがに人が多い。人気者だ。御堂に入ると、鑑真さんは厨子の中に座っている。ちょっと暗いな。しかしステージ上のスターではないのだからしょうがないか。じっくりと面前に座って堪能させてもらった。
唐招提寺は前述したように、2010年まで金堂を修理していてその雄姿を見ることが出来ない。地震対策なのだろうな。しかし唐招提寺と言えば、南大門を入ったときに目前に現われる、如何にもあおによし奈良の都の「天平の甍」然とした金堂の姿が真骨頂であり、その姿が拝めないのでは値打ちが半減してしまう。ここは以前に見た金堂を脳裏に浮かび上がらせて想像力で補うこととする。
しかし、得なこともある。金堂に座していた仏像さんたちも解体修理にかかっていて、その修理中の姿を特別に見ることが出来るのだ。これはなかなか出来ないことである。
修理特別公開の建物に行くと、千手観音立像のその「千手」が全て外されている。これは凄い。また盧舎那仏座像のすわる蓮華座の花びらが一枚づつ取り外されている。しかも、金堂で見るより明るくて近い。手が届きそうだ。いやぁ初めて来た人がこれだったらガッカリだが、僕にとってはかえって興味深かった。おまけに、いつも閉じている新宝蔵も開けている。サービスがいい。ここには日本一古いとも言われる大日如来がおられる。これは得をした。
このように、僕は実は仏像マニアである。特別公開、というセリフに弱く、ついつい足が奈良に向く。
いつからこのような仏像好きになったのかは記憶にないのだが、実家の書棚には保育者発行の「仏像(入江泰吉著)」があった。これはいわば仏像の写真集であり、小さい頃からこれに僕は興味を示していつも眺めていたらしい。なので、不空羂索観音だの虚空蔵菩薩だの大威徳明王だのと普通に口にする一風変わった小学生だった。今考えると気持ち悪いな。
といって、信仰心が篤い、というわけではなく、また美術的才能があるわけでもなく、マニア的視点のみで見ていたと言ってもいいのではないか。分類的なことや手の形(印相)などには詳しかった。むろん今でもその傾向は続いている。なので、「信心深いですね」などと言われると逃げ出したくなる。
京都に住んでいたのであちこちの寺には行っていたが、中学生の時、法隆寺夢殿の「救世観音」御開帳があり、とうとう奈良に遠征した。この救世観音は「隠された十字架(梅原猛)」を読んだことのある人には垂涎の仏像である。どうしても見たくなって一人で出かけた。
ようやく厨子の扉が開き、救世観音が姿を見せた。…しかし暗い。よく見えないぞ。この仏像は光背が頭部に直接付けられていることが眼目なのだが、光背すらよく見えない。秘仏というのはこのくらいしか見せてくれないのか。僕はストレスを溜めて帰路についた。
翌年、僕はまた法隆寺に出かけた。今度は秘密兵器のサーチライトを携えている。
昨年と同様に厨子が開けられて救世観音の顔が闇の向こうに見える。僕はライトを照らした。そのちょっと不気味にも見える尊顔が浮かび上がり、まわりから声が上がった。僕は内心得意だったが、同時に怒っている老人の声も聞こえた。不敬だ、ということだろう。怒られる前に逃げました。
かのように不信心で不敬な僕なのだが、仏像好きということは今だに変わらない。
ずっと京都に住んでいたのだが、京都の寺は一部を除き(東寺とか三十三間堂とか)、寺のウリは庭園であって仏像ではない。やはり本場は奈良、ということになる。中でも法隆寺などの大寺は素晴らしい。
しかし困ったこともある。例えば東大寺と興福寺は隣接しているのだ。
東大寺の秘仏「執金剛神立像」の特別公開と聞きつけて東大寺へ走る。しかし、それだけ見て帰るというわけにもいかないのだ。執金剛神の厨子は東大寺三月堂の裏にある。この三月堂(法華堂)には日光、月光菩薩を始めとする仏像スター軍団勢ぞろいなのだ。当然入る。そこまで行くと、戒壇堂にも足が向く。ここには日本一格好いい四天王が居るのだ。おっと、良弁僧正坐像も特別公開しているぞ。行かなくちゃ。うーむ、ここまで来たら大仏さんにも顔を出しておかないと…。
夢中のようであるが、それぞれに拝観料がいるのである。そしてようやく帰路につこうとするが、最寄の近鉄奈良駅に向かうには興福寺の中を通らないと行けないのである。
東金堂の文殊菩薩と維摩居士が僕に手を振るような気がする。うーん、やっぱり寄っていかないとダメか。そこは振り切っても「国宝館」がある。ここにはあの「阿修羅像」が居るのだ。素通りできない。早く駅に向かおう。おっと北円堂だ。世親・無著像が居るんだよなぁ…。
それぞれで拝観料がかかる。なんだかあっという間に財布が軽くなる。どこかでこの感じを経験したことがあるな、と思ったら、呑み歩いてあっちの店、こっちの店にも寄らないと義理がたたん、おにーさん寄っていかない? おっとこの店はボッタクリ…というのと似ている。
仏像好きというものも因果なものだ。
しかしながらこの歳になって、仏像の尊顔を拝しているとなんだか落ち着くような気もする。そんなこと若い頃にはあまり考えなかったことだ。自分が信心深くなったとはとても思えないが、癒しにはなっているのだろうか。
そんなことを思いながら、次の機会をまたうかがっているのである。
この彫像は、教科書にもよく載っているもので国宝であるが、毎年3日間だけしか公開しない。なのでいつもチャンスを逸していた。ところが今年は唐招提寺金堂解体修理中ということもあって特別サービスなのか一週間も公開してくれる。なので、ようやく都合をつけることが出来て勇躍奈良に向かった。
鑑真さんは本堂と少し離れた御影堂に居られる。さすがに人が多い。人気者だ。御堂に入ると、鑑真さんは厨子の中に座っている。ちょっと暗いな。しかしステージ上のスターではないのだからしょうがないか。じっくりと面前に座って堪能させてもらった。
唐招提寺は前述したように、2010年まで金堂を修理していてその雄姿を見ることが出来ない。地震対策なのだろうな。しかし唐招提寺と言えば、南大門を入ったときに目前に現われる、如何にもあおによし奈良の都の「天平の甍」然とした金堂の姿が真骨頂であり、その姿が拝めないのでは値打ちが半減してしまう。ここは以前に見た金堂を脳裏に浮かび上がらせて想像力で補うこととする。
しかし、得なこともある。金堂に座していた仏像さんたちも解体修理にかかっていて、その修理中の姿を特別に見ることが出来るのだ。これはなかなか出来ないことである。
修理特別公開の建物に行くと、千手観音立像のその「千手」が全て外されている。これは凄い。また盧舎那仏座像のすわる蓮華座の花びらが一枚づつ取り外されている。しかも、金堂で見るより明るくて近い。手が届きそうだ。いやぁ初めて来た人がこれだったらガッカリだが、僕にとってはかえって興味深かった。おまけに、いつも閉じている新宝蔵も開けている。サービスがいい。ここには日本一古いとも言われる大日如来がおられる。これは得をした。
このように、僕は実は仏像マニアである。特別公開、というセリフに弱く、ついつい足が奈良に向く。
いつからこのような仏像好きになったのかは記憶にないのだが、実家の書棚には保育者発行の「仏像(入江泰吉著)」があった。これはいわば仏像の写真集であり、小さい頃からこれに僕は興味を示していつも眺めていたらしい。なので、不空羂索観音だの虚空蔵菩薩だの大威徳明王だのと普通に口にする一風変わった小学生だった。今考えると気持ち悪いな。
といって、信仰心が篤い、というわけではなく、また美術的才能があるわけでもなく、マニア的視点のみで見ていたと言ってもいいのではないか。分類的なことや手の形(印相)などには詳しかった。むろん今でもその傾向は続いている。なので、「信心深いですね」などと言われると逃げ出したくなる。
京都に住んでいたのであちこちの寺には行っていたが、中学生の時、法隆寺夢殿の「救世観音」御開帳があり、とうとう奈良に遠征した。この救世観音は「隠された十字架(梅原猛)」を読んだことのある人には垂涎の仏像である。どうしても見たくなって一人で出かけた。
ようやく厨子の扉が開き、救世観音が姿を見せた。…しかし暗い。よく見えないぞ。この仏像は光背が頭部に直接付けられていることが眼目なのだが、光背すらよく見えない。秘仏というのはこのくらいしか見せてくれないのか。僕はストレスを溜めて帰路についた。
翌年、僕はまた法隆寺に出かけた。今度は秘密兵器のサーチライトを携えている。
昨年と同様に厨子が開けられて救世観音の顔が闇の向こうに見える。僕はライトを照らした。そのちょっと不気味にも見える尊顔が浮かび上がり、まわりから声が上がった。僕は内心得意だったが、同時に怒っている老人の声も聞こえた。不敬だ、ということだろう。怒られる前に逃げました。
かのように不信心で不敬な僕なのだが、仏像好きということは今だに変わらない。
ずっと京都に住んでいたのだが、京都の寺は一部を除き(東寺とか三十三間堂とか)、寺のウリは庭園であって仏像ではない。やはり本場は奈良、ということになる。中でも法隆寺などの大寺は素晴らしい。
しかし困ったこともある。例えば東大寺と興福寺は隣接しているのだ。
東大寺の秘仏「執金剛神立像」の特別公開と聞きつけて東大寺へ走る。しかし、それだけ見て帰るというわけにもいかないのだ。執金剛神の厨子は東大寺三月堂の裏にある。この三月堂(法華堂)には日光、月光菩薩を始めとする仏像スター軍団勢ぞろいなのだ。当然入る。そこまで行くと、戒壇堂にも足が向く。ここには日本一格好いい四天王が居るのだ。おっと、良弁僧正坐像も特別公開しているぞ。行かなくちゃ。うーむ、ここまで来たら大仏さんにも顔を出しておかないと…。
夢中のようであるが、それぞれに拝観料がいるのである。そしてようやく帰路につこうとするが、最寄の近鉄奈良駅に向かうには興福寺の中を通らないと行けないのである。
東金堂の文殊菩薩と維摩居士が僕に手を振るような気がする。うーん、やっぱり寄っていかないとダメか。そこは振り切っても「国宝館」がある。ここにはあの「阿修羅像」が居るのだ。素通りできない。早く駅に向かおう。おっと北円堂だ。世親・無著像が居るんだよなぁ…。
それぞれで拝観料がかかる。なんだかあっという間に財布が軽くなる。どこかでこの感じを経験したことがあるな、と思ったら、呑み歩いてあっちの店、こっちの店にも寄らないと義理がたたん、おにーさん寄っていかない? おっとこの店はボッタクリ…というのと似ている。
仏像好きというものも因果なものだ。
しかしながらこの歳になって、仏像の尊顔を拝しているとなんだか落ち着くような気もする。そんなこと若い頃にはあまり考えなかったことだ。自分が信心深くなったとはとても思えないが、癒しにはなっているのだろうか。
そんなことを思いながら、次の機会をまたうかがっているのである。
「見に行こう」って約束してほぼ日程も決めて家に帰ってきて検索してみたら、、、、、、
何と期限がその日までだった
日頃の行いが悪いのでしょうかね??
さて!人様のblogで語ってしまいますが私は三十三間堂(蓮華王院)が大好きです。
(後白河のタヌキも割りと好きですが!!)
千手観音、本当に素晴らしい!!
一体ずつお顔が違うんですよね。
本当に美しい方もいらっしゃれば、儚げな方や元気が良さそうな方、可憐な方といろいろですよね。
(って、変態だと思われたらどうしましょ(^^; ....)
ここに行くといつも時間を忘れてしまう私です。
京都、奈良!行きたいなぁ(T_T)
キリスト教の宗教画もそうですが、やっぱり見ていると何だか落ち着きます。
(リアルなキリスト磔刑とかはですが)
三十三間堂は、なるほどjasminteaさん的には蓮華王院なのですね。^^ というか、三十三間堂ってのは京都人の通称なのですわなぁ。珍皇寺は六道さん、東寺は弘法さん、蓮台寺は十二坊さん、と通称で呼んでしまう風があります。
千体の観音さんもいいですが、風神雷神や迦楼羅や乾闥婆もまたいいですねぇ♪時間をとらないともったいないです。
キリスト教ではマリア像などもいいですが、ギリシャ正教の聖画像(イコン)がいいですね。えもいわれぬ荘厳さを感じます。
鑑真和尚もですが、中宮寺の弥勒様も上野においででした。
それぞれオシャレなスポットライトを浴びて、全く違う芸術品に見えました。
私は神護寺のご本尊も、岩船寺の普賢菩薩騎象像も好きです。
ROZAN寺も(おまけ)
中宮寺の弥勒さんも東京へ行かれていたのですか。あの弥勒さんはいつも寺にいるときはちょっと遠くて(汗)、展覧会とかに出られた時の方がよく拝顔できますね。
小絵さんもよく歩かれてますね。岩船寺とは渋い。近くの吉祥天女で有名な浄瑠璃寺は有名ですが岩船寺の話を他の人から聞いたのは初めてかも(笑)。
あのぉ、ROZAN寺というのは廬山寺のことでしょうか? (汗)
私も11日の日に唐招提寺と薬師寺に行っていました!
奈良はほとんど初めてなので、昔からのスターにあったような気分で楽しんで参りました。
それにしても、唐招提寺のサービスはすごく良かったです。係員の方も親切で・・・。説明もしてくださったし・・・・道を聞いたら、追っかけてきて、「今、蓮が咲き始めましたから、見てください。」と教えてくれました。奈良のあちこちで親切な人に会いましたが、こんな親切な寺は初めてでした。
次の日は東大寺と法隆寺を巡りました。三月堂が素晴らしくて、本当に圧倒されました!中宮寺にも行きましたよ。ほとんど修学旅行ですね(汗)
ちなみに中学の修学旅行は盛岡から青森まで歩くという恐怖の根性旅行、高校の時は北海道稚内で北方領土に向かって叫ぶという雄たけび旅行でした。まあ、それなりに意味はあったと思いますが・・・
ちなみにちなみに投稿するのが初めてなんですが、変だったらごめんなさい
え、と言う事は、同じ日に行かれていたと言う事ですよね。すれ違っていたかもしれませんね(笑)。
唐招提寺は、目玉の金堂が隠れちゃっているということで、さらに親切になっている感がありました。僕も「サービスいいな」と何度も書いていますが。負い目なのでしょうか(笑)。
東大寺の三月堂は本当にスター大集合という感じですよねぇ。法隆寺も有名どころの仏さんばかりで。最近法隆寺や中宮寺に行ってないんですよ。なんだか行きたくなってきました(笑)。どうしましょう。(* ̄m ̄)プッ
「歩き修学旅行」と「雄たけび修学旅行」とは凄まじいですが(汗)、大人の自主的修学旅行をこれからは楽しみましょう♪
ありがとうございました♪ 殺風景なブログですがまた覗いてやってください。
私も仏像好きですから、もし近くに住んでいたのなら必ず行くと思います。
その仏像にはどんな願いや想いが込められているのか、お顔を見ながら心の中で対話したくなりますね。
自分に似た仏像様を探したりもします。(笑)
ちなみに、京都にある『永観堂』の見返り阿弥陀様が一番好きです。ご存知ですか?
今、近代美術館で、『円空さんわらったよ』という仏像展が開かれているので行って来ようかと思っています。
見返り阿弥陀さんは、修行中の律師を先導した阿弥陀さんが「遅いぞ」と振り返った姿が像になったと言われますが、全ての迷える民を振り返っている姿だと思いたいですね。永観堂は紅葉もいいですよね♪
円空さんかぁ。飛騨の千光寺に円空仏を訪ねたことがあります。ここにはあの両面宿儺像があってド迫力でした。しかし、生涯で12万体の仏を作ったと言われる円空さん、北海道にも渡島半島を中心にたくさん残されていると聞いています。楽しんできてください♪