子供の頃は、正月が待ち遠しかった。正確には、クリスマスに始まる年末年始というものに、心が躍った。
いや、今もまとまった休暇があって、愉しいには違いない。だが、それだけの時間を確保するために、様々な皺寄せがあるのも事実で、ポカンとイベントを待つ気持ちにはなれない。大人になるということは、ある意味つまらないとも言える。
クリスマスは、僕が子供の頃はケーキを食べてサンタさんにプレゼントをもらう日だった。特に裕福な家庭ではなかったために、高価なものをもらった記憶は無い。菓子とか、トランプなどの遊具だったと思うが、それも嬉しかった。今は若者同士で贈り物をしてセックスをする日になったことを思うと、隔世の感がある。
そして年の瀬。正月を迎えるためにさまざまなイベントがある。大掃除。年賀状作成。また、もちつき。臼や杵の時代ではなく僕の時にはもう「餅つき機」というものがあったが、家族総出でそれを行い、つきたての餅を食べる。大晦日になれば、母はお節をつくり、紅白歌合戦を見ながら年越し蕎麦を食べる。この日だけは、子供も夜更かしをしていい。
紅白歌合戦というものを観なくなって、どれくらい経っただろうか。あれを皆で観るのも、ひとつのイベントだったような気がする。
僕にとって年末年始が旅の季節となって久しい。旅に出てしまえば、TVはほぼ観ない。もちろん冬だから宿に泊まっているが、年越しのパーティーをしたりただ呑んでいたりで、あまりTVが介在することがない。
確か西表島で、ポールサイモンが出ていたのを観た。紅白にサイモン先生が?と驚いたがそれはニューヨークからの中継で来日していたわけではなく、しかも歌ったのが「Bridge over Troubled Water」なので拍子抜けした記憶がある。テロップに「ポール・サイモン(初)」とありなんだこれはと思った。次に吉幾三が登場してTVは消された。
結婚してからは、旅はするけれども大晦日は妻の実家に滞在している。ただ津軽の正月というのは、31日がメインだ(→正月の過ごし方)。昼から盛大に呑んでいて、僕なんぞもうそんな紅白の時間には潰れている。お義母さんらは観ているようだが、僕はイビキをかいている。若くないとつくづく思う。
最後に紅白を観たのはたぶん、吉田拓郎が出たときだ。今検索したら、1994年となっている。20年くらい前か。僕はまだ20歳代だったのだな。もう結婚していたので、妻の実家で観たんだろう。若かったから大酒のあとも持ちこたえられたのかと思う。
動画があった。(youtube)
スーパーバンドで出ている。石川鷹彦さんがいるのはまあそうだろうと思ったが渡辺香津美氏がリードをとっているのでほほぅと思った記憶がある。NHKも気を使ったのだろう。吉田建さんが若いな。宮川さんはもう亡くなった。コーラスの演歌の人は不必要だったが(女性コーラスで十分)、日野皓正、大西順子他一流のバックで、やっぱりポケットに手を突っ込んで歌っている。レコ大の「襟裳岬」の授賞式のときもそうだった。吉田拓郎を知らない人が観るような場面では、こんなことをしてしまう。
なんで「外は白い雪の夜」だったのだろう。単純に、冬のうただったからだろうか。それとも、この曲のテイストが受け入れられやすいとの判断だったのだろうか。まさか「雪」とか「襟裳岬」を歌うわけにもいかないし。
ただ「外は白い雪の夜」は、いい曲だ。不遜だと言われるかもしれないが誤解を恐れずに言えば、実に細密に気を遣って作られている。松本隆作詞ということもあるだろう。作りこまれた感がある。
その松本隆の詞は、別れがテーマだが男女の掛け合いとなっている。最初は、「大事な話が君にあるんだ」と別れを切り出す男。そして次に、その別れを受ける哀しい女の心。
このうたは1978年、LP「ローリング30」の一曲として発表された。それから約10年後に、僕も同じような経験をしてしまったことがある。もちろんなぞったわけではないが。その話はまだ熟成されていないので書けないけれども、そのときは、自分はなんという身勝手な人間かという嫌悪感を抱くとともに、松本さんは巧みに表現するなとも思った。
こういう別れの場面で、男と女の両方から語るやりかたは、デュエット曲には数多いのではないかと思うが、ソロだと表現が難しいのではないか。ただ松本さんは以前からやっている。代表は「木綿のハンカチーフ」だろう。
そして、拓郎も同様のうたをかいている。「春を待つ手紙」。
このうたは1979年、シングルで発表されたが、そのB面は実は「外は白い雪の夜」である。つまり、両面とも男女の別れのそれぞれを書いている。そして拓郎作詞作曲の「春を待つ手紙」は、何と往復書簡の体裁をとっている。
僕は「春を待つ手紙」のシングルは、発売時には入手していない。最初はラジオからのエアチェックだった。だから、往復書簡であることに気づかなかった。
歌詞カードを見ると、まず「直子より」と差出人が明記されている。
追いかけましたあなたの姿だけ 幼いあの頃の想い出あたためて
あれから幾年 友さえ嫁ぎ行き その日を待つように父母も逝きました
これは、直子さんの手紙である。そして次に「俊一より」として、彼の手紙が二番となっている。三番はまた直子さんの返信、そして四番は俊一の返信となっている。だが歌詞には、俊一も直子も登場しない。だから、歌詞カードを見ないとわからない仕掛けになっている。
男が別れを切り出しているのは「外は白い雪の夜」と同じ。だが松本さんの「外は白い雪」がその別れの場面を具体的に、目に浮かぶように描写しているのに対して、「春を待つ手紙」は心情をより抽象的に(拓郎流に)、さらに哲学的に複雑な言葉で綴っている。
だから、わかりにくい。往復書簡ということも聴いただけではピンとこないし、「外は白い雪の夜」とは対照的とも思える。
ただ、言葉のひとつひとつは、沁み入る。
人間だから求めてしまうけど それこそ悲しみと知ってもいるけれど (直子)
待つ身の辛さがわかるから急ぎすぎ 気づいた時には月日だけ年をとり (俊一)
非常に印象的な歌詞がある。
約束なんて 破られるから美しい 誰かの言葉が身体をかすめます (直子)
たぶん、そんな誰かの言葉は無い。聞いたことがない。「約束は破られるためにある」という言葉ならあるが。
これを最初に聴いたときにはまだ少年だったから、そんな言葉があるのか、と素直に思ったが、この歳になっても「約束は破られるから美しいのだ」なんて言葉は未だに耳にしていない。
つまりこれは、何かの格言ではなく、もしや俊一が言ったということなのか。
そして、こんなことばが言えるということは、相当に辛辣な思いをしているからではないか。約束を破られても、それを美化しないと生きていけない経験があったから絞りだされた言葉ではないのか。
だから「男の意気地なし」である俊一をただ責めることはできないし、僕も約束が破られるたびに、この言葉が身体をかすめる。この辛い拓郎の言葉が。
「春を待つ手紙」の心象風景は、冬だ。寒い心。具体的に、外には白い雪が降っているわけではないが、その寒さは僕らを押し潰す。
今年もまた寒い冬になっている。
それは、ただ体感温度のことだけではない。あの頃は、ただ「年を越す」ということだけで愉しかった。そんな時代があった。だが今は。
傷つく事に慣れてはいないけど ましてや他人など傷つけられましょか (直子)
拓郎は「春を待つ手紙」をライブでほぼ歌っていないはず。それは、やはり前述したように、歌うことが難しいからではないのか、と思っていた。「外は白い雪」を紅白歌合戦に持ってきたのとは、本当に対照的に。
実際ライブで歌ったことがあるのかどうかを調べようと思って少し検索してみたら、こちらの方のサイトに出逢った。→泣きたい気持ちで冬を越えてきた人
拓郎は、震災復興チャリティで「春を待つ手紙」を生で歌ったらしい。知らなかった。詳しく書かれているので是非一読していただきたい。音源もあった。
胸に迫った。
このうたは、朗らかな曲調、そして明るいリードギターが救いでもある。だがこのライブVer.は、生ギターとブルースハープの弾き語り。
うたは、一番から四番までは、直子と俊一の手紙のやりとり。そして、五番がある。それは、拓郎の言葉だ。
誰もが誰かを恋しているんだね それはあてのない遙かな旅なんだね
旅する人には人生の文字似合うけど 人生だからこそひとりになるんだね
力強い。
そして次の言葉があるからこそ、拓郎は震災復興のライブでこのうたを選んだのだろう。
ここでも春を待つ人々に逢えるでしょう 泣きたい気持ちで冬を越えてきた人
二年前も、寒い冬だった。そして、この冬も寒い。
行き場を失った人もいるだろう。追い詰められている人もいるだろう。明日が見えない人もいるだろう。
深い悲しみの中にただよう人もいるだろう。何かを失ってしまった人もいるだろう。
もがいても、もうしょうがないんだ。待つ。
春が必ず来ると信じていなければ、この冬は越えられない。
そんなことを自分に言いきかせつつ、先へ進もうと思う。
辛い思いを抱えた多くの人々にも、春が訪れますように。
いや、今もまとまった休暇があって、愉しいには違いない。だが、それだけの時間を確保するために、様々な皺寄せがあるのも事実で、ポカンとイベントを待つ気持ちにはなれない。大人になるということは、ある意味つまらないとも言える。
クリスマスは、僕が子供の頃はケーキを食べてサンタさんにプレゼントをもらう日だった。特に裕福な家庭ではなかったために、高価なものをもらった記憶は無い。菓子とか、トランプなどの遊具だったと思うが、それも嬉しかった。今は若者同士で贈り物をしてセックスをする日になったことを思うと、隔世の感がある。
そして年の瀬。正月を迎えるためにさまざまなイベントがある。大掃除。年賀状作成。また、もちつき。臼や杵の時代ではなく僕の時にはもう「餅つき機」というものがあったが、家族総出でそれを行い、つきたての餅を食べる。大晦日になれば、母はお節をつくり、紅白歌合戦を見ながら年越し蕎麦を食べる。この日だけは、子供も夜更かしをしていい。
紅白歌合戦というものを観なくなって、どれくらい経っただろうか。あれを皆で観るのも、ひとつのイベントだったような気がする。
僕にとって年末年始が旅の季節となって久しい。旅に出てしまえば、TVはほぼ観ない。もちろん冬だから宿に泊まっているが、年越しのパーティーをしたりただ呑んでいたりで、あまりTVが介在することがない。
確か西表島で、ポールサイモンが出ていたのを観た。紅白にサイモン先生が?と驚いたがそれはニューヨークからの中継で来日していたわけではなく、しかも歌ったのが「Bridge over Troubled Water」なので拍子抜けした記憶がある。テロップに「ポール・サイモン(初)」とありなんだこれはと思った。次に吉幾三が登場してTVは消された。
結婚してからは、旅はするけれども大晦日は妻の実家に滞在している。ただ津軽の正月というのは、31日がメインだ(→正月の過ごし方)。昼から盛大に呑んでいて、僕なんぞもうそんな紅白の時間には潰れている。お義母さんらは観ているようだが、僕はイビキをかいている。若くないとつくづく思う。
最後に紅白を観たのはたぶん、吉田拓郎が出たときだ。今検索したら、1994年となっている。20年くらい前か。僕はまだ20歳代だったのだな。もう結婚していたので、妻の実家で観たんだろう。若かったから大酒のあとも持ちこたえられたのかと思う。
動画があった。(youtube)
スーパーバンドで出ている。石川鷹彦さんがいるのはまあそうだろうと思ったが渡辺香津美氏がリードをとっているのでほほぅと思った記憶がある。NHKも気を使ったのだろう。吉田建さんが若いな。宮川さんはもう亡くなった。コーラスの演歌の人は不必要だったが(女性コーラスで十分)、日野皓正、大西順子他一流のバックで、やっぱりポケットに手を突っ込んで歌っている。レコ大の「襟裳岬」の授賞式のときもそうだった。吉田拓郎を知らない人が観るような場面では、こんなことをしてしまう。
なんで「外は白い雪の夜」だったのだろう。単純に、冬のうただったからだろうか。それとも、この曲のテイストが受け入れられやすいとの判断だったのだろうか。まさか「雪」とか「襟裳岬」を歌うわけにもいかないし。
ただ「外は白い雪の夜」は、いい曲だ。不遜だと言われるかもしれないが誤解を恐れずに言えば、実に細密に気を遣って作られている。松本隆作詞ということもあるだろう。作りこまれた感がある。
その松本隆の詞は、別れがテーマだが男女の掛け合いとなっている。最初は、「大事な話が君にあるんだ」と別れを切り出す男。そして次に、その別れを受ける哀しい女の心。
このうたは1978年、LP「ローリング30」の一曲として発表された。それから約10年後に、僕も同じような経験をしてしまったことがある。もちろんなぞったわけではないが。その話はまだ熟成されていないので書けないけれども、そのときは、自分はなんという身勝手な人間かという嫌悪感を抱くとともに、松本さんは巧みに表現するなとも思った。
こういう別れの場面で、男と女の両方から語るやりかたは、デュエット曲には数多いのではないかと思うが、ソロだと表現が難しいのではないか。ただ松本さんは以前からやっている。代表は「木綿のハンカチーフ」だろう。
そして、拓郎も同様のうたをかいている。「春を待つ手紙」。
このうたは1979年、シングルで発表されたが、そのB面は実は「外は白い雪の夜」である。つまり、両面とも男女の別れのそれぞれを書いている。そして拓郎作詞作曲の「春を待つ手紙」は、何と往復書簡の体裁をとっている。
僕は「春を待つ手紙」のシングルは、発売時には入手していない。最初はラジオからのエアチェックだった。だから、往復書簡であることに気づかなかった。
歌詞カードを見ると、まず「直子より」と差出人が明記されている。
追いかけましたあなたの姿だけ 幼いあの頃の想い出あたためて
あれから幾年 友さえ嫁ぎ行き その日を待つように父母も逝きました
これは、直子さんの手紙である。そして次に「俊一より」として、彼の手紙が二番となっている。三番はまた直子さんの返信、そして四番は俊一の返信となっている。だが歌詞には、俊一も直子も登場しない。だから、歌詞カードを見ないとわからない仕掛けになっている。
男が別れを切り出しているのは「外は白い雪の夜」と同じ。だが松本さんの「外は白い雪」がその別れの場面を具体的に、目に浮かぶように描写しているのに対して、「春を待つ手紙」は心情をより抽象的に(拓郎流に)、さらに哲学的に複雑な言葉で綴っている。
だから、わかりにくい。往復書簡ということも聴いただけではピンとこないし、「外は白い雪の夜」とは対照的とも思える。
ただ、言葉のひとつひとつは、沁み入る。
人間だから求めてしまうけど それこそ悲しみと知ってもいるけれど (直子)
待つ身の辛さがわかるから急ぎすぎ 気づいた時には月日だけ年をとり (俊一)
非常に印象的な歌詞がある。
約束なんて 破られるから美しい 誰かの言葉が身体をかすめます (直子)
たぶん、そんな誰かの言葉は無い。聞いたことがない。「約束は破られるためにある」という言葉ならあるが。
これを最初に聴いたときにはまだ少年だったから、そんな言葉があるのか、と素直に思ったが、この歳になっても「約束は破られるから美しいのだ」なんて言葉は未だに耳にしていない。
つまりこれは、何かの格言ではなく、もしや俊一が言ったということなのか。
そして、こんなことばが言えるということは、相当に辛辣な思いをしているからではないか。約束を破られても、それを美化しないと生きていけない経験があったから絞りだされた言葉ではないのか。
だから「男の意気地なし」である俊一をただ責めることはできないし、僕も約束が破られるたびに、この言葉が身体をかすめる。この辛い拓郎の言葉が。
「春を待つ手紙」の心象風景は、冬だ。寒い心。具体的に、外には白い雪が降っているわけではないが、その寒さは僕らを押し潰す。
今年もまた寒い冬になっている。
それは、ただ体感温度のことだけではない。あの頃は、ただ「年を越す」ということだけで愉しかった。そんな時代があった。だが今は。
傷つく事に慣れてはいないけど ましてや他人など傷つけられましょか (直子)
拓郎は「春を待つ手紙」をライブでほぼ歌っていないはず。それは、やはり前述したように、歌うことが難しいからではないのか、と思っていた。「外は白い雪」を紅白歌合戦に持ってきたのとは、本当に対照的に。
実際ライブで歌ったことがあるのかどうかを調べようと思って少し検索してみたら、こちらの方のサイトに出逢った。→泣きたい気持ちで冬を越えてきた人
拓郎は、震災復興チャリティで「春を待つ手紙」を生で歌ったらしい。知らなかった。詳しく書かれているので是非一読していただきたい。音源もあった。
胸に迫った。
このうたは、朗らかな曲調、そして明るいリードギターが救いでもある。だがこのライブVer.は、生ギターとブルースハープの弾き語り。
うたは、一番から四番までは、直子と俊一の手紙のやりとり。そして、五番がある。それは、拓郎の言葉だ。
誰もが誰かを恋しているんだね それはあてのない遙かな旅なんだね
旅する人には人生の文字似合うけど 人生だからこそひとりになるんだね
力強い。
そして次の言葉があるからこそ、拓郎は震災復興のライブでこのうたを選んだのだろう。
ここでも春を待つ人々に逢えるでしょう 泣きたい気持ちで冬を越えてきた人
二年前も、寒い冬だった。そして、この冬も寒い。
行き場を失った人もいるだろう。追い詰められている人もいるだろう。明日が見えない人もいるだろう。
深い悲しみの中にただよう人もいるだろう。何かを失ってしまった人もいるだろう。
もがいても、もうしょうがないんだ。待つ。
春が必ず来ると信じていなければ、この冬は越えられない。
そんなことを自分に言いきかせつつ、先へ進もうと思う。
辛い思いを抱えた多くの人々にも、春が訪れますように。
1年の終わりに
また泣かされてしまいました。
「春を待つ手紙」…フォーク酒場なるものに出入りするようになって間もない頃、ふと この曲が口をついて出て来て、一体、どういうタイトルだったかな、と、一生懸命思い出そうとした…
それをきっかけに、この曲を今一度、しっかりと見る機会を得て、以来、私のこころのなかに いつもある曲になりました。
その背景を書くには長すぎるのでやめておきますが、私も「人間だから求めてしまうけど それこそ悲しみと知ってもいるけれど」
「泣きたい気持ちで冬を越えて来た人」
…やられてしまったのですよ。
拓郎さんの曲には、女を待たせている男の唄が、いくつかあるように思っています。まるで、「男って、そういうものだ」と正当化するかのように。
この曲は、そういう曲たちの中の2人の歌なのだろうか(拓郎さんのことだから、そんなことはないと思いますが(笑))、たとえば、「水無し川」の2人の…なんて考えてもみたり。
私も 春を待つ人のひとり。
力が有り余る若い頃には 足掻くことばかりで待つことがニガテだったけれど、
年を経て、少しずつ待つことも出来るようになってきた、
と、思う。
どれくらい長い時間になろうとも、「待ち」たいと思います。
来る年も、どうぞ よろしくお願いしますね。
良いお年をお迎えください。
でもまあ自分勝手な人ではあって(笑)。
水無し川は拓郎の詩ではなかったかもしれませんが、ああいう男の身勝手なうたが似合う。僕は「大阪行きは何番ホーム」といううたが好きですが、あれも相当に身勝手だ。
そんなことを言っているから「ニューヨークは粉雪の中らしい」とか言われるんだと思います(笑)。
春を待つ、か。よぴちさんは、そうだなあ。ここにも春を待つ人がいる。
かつて、僕らは春の中にいた。そして、いつまでも「僕の時計はあのときのまま」であれ、と求めてしまうけど…人生はなかなかに難しい。だから、再び巡る季節を待つのでしょう。
本年もどうぞよろしく。
こんなに深い詩だという認識全くなかったです。
流石です。
勿論歌詞で手紙のやり取りだという程度は知っておりましたが…
昨年末までは、リンクの音源が有ったのですよね!?
今は見られなくなっています。
つくずく残念です。
他を探してみますね!
youtubeというものはうたかたのものだとは思っていましたが、確かに消されてますね。申し訳ない。この話は本当に年末に書いたもので、音源に出逢って聴いたのはクリスマスよりあとです。早いなぁ…それ以降僕も聴いてません。DLもしていませんので一期一会でした(汗)。どなたか奇特な方がまたいらっしゃれば良いのですが。
詩は、拓郎先生の場合はかなり抽象的なもので、深読みしようとすれば出来てしまうので、本当のことはよくわかりません。ただ、僕はこんなふうに思って聴いています。このうた、好きなんですよねー。
漢字のブログ「ボクちゃん日記」の者です。僕も拓郎ファンでずっと聴いております。「春を・・」のラストはぐっときますね。
また、おじゃまいたします。
しかし「卍固め」のカテゴリって何だろう? (笑)
本当に「春を待つ手紙」の最後のフレーズは沁みますね。
わかってるね。
この歌詞はもう何十年もこの季節に耳の中で響いています。