凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

もしも道鏡が天皇になっていたら

2005年06月21日 | 歴史「if」
 古来、日本では王朝の交代は隠されているが実際はあったという説は多い。書紀が記述している天皇をそのまま実在として考えるとして、初代神武天皇から続く葛城王朝は、10代崇神天皇に至って王朝交代の可能性が論じられている。また、応神天皇の河内王朝も新しく始まった政権の可能性がある。顕宗、仁賢天皇は播磨の国から進出、また継体天皇は越前からの進出である。全てに血縁関係があったかどうかは疑わしい。
 欽明天皇は安閑、宣化天皇の時代に既に即位していて、2朝併立の時代があったと言われている。また、天武朝は簒奪王朝である、とはよく言われる話。僕は欽明から始まる舒明、天智王朝も怪しいと思っている。

 しかし、天武朝(持統朝)は日本書紀を編纂し、「天皇は万世一系であり、天皇の位にはアマテラスの子孫でないと就けない」と明確に定義し神格化を図る。日本の天皇制はここに確立し、血の繋がりが天皇位を嗣ぐ第一条件となり、それが現在にまで続いている。
→「もしも…番外編・天皇とは何か?」参照
 そのため、日本では天皇は絶対的存在であり、政治の実権を握ろうとするものは天皇に「大権を委任」されなければならない。天皇位は一段高いところに置かれているのである。

 かつて、蘇我蝦夷、足利義満、織田信長らが天皇の位を脅かした可能性がある、と指摘されている。しかしそのことは正史には出てこない。あくまで推測の域を出ない。「書紀」の定義によって、天皇位というものは奪えないものになっているのだ。平将門が「新皇」になると言っても、京都の天皇を廃するという話ではなくあくまであれは分家宣言のようなものだ。しかも将門は天皇の血筋である。
 しかし、史上唯一、公式にはアマテラスの子孫ではないのに天皇の位に就こうとした人物がいる。
 それは弓削道鏡である。

 道鏡についてはイメージが凄い。妖僧・怪僧そして逆臣。「巨○○」などとも言われて全く「お前見たのか」と突っ込みを入れたくなること必定である。
 結局のところ、称徳天皇に取り入り、寵愛を受けて、それまでの天皇の愛人だった藤原仲麻呂を失脚させ後に討ち、太政大臣禅師となり法王となって位を極め、さらに神託によって皇位に就くことを望んだとされる。まあ極悪人のイメージだろう。
 イメージについては感じ方もあるのでここでは真偽はわからない、としておく。戒律の厳しかった時代に双方とも出家の身であり、しかも年齢的にも愛人関係を否定する意見も最近多いようだ。これはもうわからない。プラトニック、という説もありそうなるともう小説の域である。

 現実問題として、称徳天皇には後継者が居なかった。自らは巫女天皇であり子供は産んでいない。弟の基皇子は早世し、聖武のもう一人の皇子である異母弟安積皇子も死んでいる(消された可能性あり)。聖武の直系は居らず、聖武が皇太子とした道祖王は陰謀で廃される。その兄弟の塩焼王は仲麻呂の乱で擁立されようとして斬殺されている。船王もそれに与して流される。大炊王(淳仁天皇)は自らが廃した。三原王は死んだ。他の皇女は結婚している。天武の孫世代は壊滅状態であり、もう後継者が居ないのである。
 それはまだ天武の子孫は居る。だが、かなり遠くなってしまう。天武・持統直系は少なくとも断絶である。

 そうした場合、少なくとも政治力のある他の人物に皇位を譲る、という発想が出てくる可能性もあるのではないか。称徳は100年前に自らの祖である天武が王朝を簒奪したという事(ここでは事実と仮定する)を知っていただろう。万世一系は作りごと。なので、王朝交代にさほど抵抗がなかったことも想像できる。従って道鏡に譲位、ということになったのか。
 ここで道鏡が天皇に即位する。そうすると、日本の歴史は根本的に変わってしまうのである。以後の歴史も全て、現在に至るまで天皇の万世一系を基本として成立している。為政者も全て天皇ありきで存在しているのだから、想像もつかない変革である。
 道鏡も僧であり後継者はいない。道鏡の後すら想像できない。このあとに続いた歴代天皇は全て存在しなくなる。明治天皇もいない。日本歴史最大のターニングポイントであった、とも言える。

 藤原氏はどんなことがあってもこれを阻止したい考えだったであろう。藤原氏の権勢は天皇ありきで存在する。常にナンバー2でまつりごとを司るのが氏の安全に生きる道である。それは天才政治家不比等が定めたラインだ。そのために不比等は書紀を編み、国のルールを確立したのだ。
 話がそれるが、藤原仲麻呂が天皇の位に就こうとした、という説があるがその点で納得いかない。皇位に就くことは藤原の道に外れるのである。実際、失脚し乱を起こしたときも、神器を奪って塩焼王を奉じて天皇にしようとしたのである(プレ南北朝だな)。あくまで自分は天皇にはならないのが藤原氏の生きる道である。なので、仲麻呂皇位簒奪未遂説は頷けない(仲麻呂ご落胤説もあって、もしそうだとまた話は別である)。

 769年、大宰府の阿曾麻呂が宇佐八幡神の神託として道鏡を皇位につけるべきことを奏上した。ここに至って道鏡は皇位に就かんとした。称徳は念のため(夢のお告げと言われる)、側近の法均尼を確認に大宰府に行かせようとするが、法均尼は虚弱という理由で辞退し弟の和気清麻呂が代りに宇佐八幡の神託を伺うこととなった。
 藤原氏は当然清麻呂に工作したであろう。そのおかげかどうかはわからないが、結局清麻呂は道鏡への譲位を否定する神託を持ち帰る。

 「臣下が皇位に就いた事は一度もない。アマテラス以来、天皇と臣下の区別は決まっている」

 この報告を聞いた天皇は怒り、清麻呂を別部穢麻呂と改名させ左遷した。称徳は藤原氏の作為を読み取ったのかもしれないが、真相はわからない。
 しかし、称徳天皇は翌年死去してしまうのだ。暗殺説もあるがこれも真偽はわからない。

 この後、後ろ盾を失った道鏡は失脚してしまう。天皇位の流出は免れた。

 空位になった天皇位。そこに、謀略逞しい藤原百川という凄腕政治家が登場、天智の孫である白壁王を即位させるというウルトラCをやってのける。天智系に皇統を戻し、鎌足以来の天智系~藤原氏の政治を復活させるのだ。以後天皇制は文字通り「万世一系」となる。南北朝というややこしい時代もあったが、天皇制は存続していくのである。

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2 コメント

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不比等が敷いたレール (jasmintea)
2005-06-26 00:08:55
私てきには鎌足より不比等の方がすぐれた政治家だったと思っています。

それを北家ではなく式家百川が白壁王を即位させる‥面白いですよね!

道鏡も物部(蘇我も含めて)の末裔で天皇家とは無関係ではなかったのにあんな物語になってしまったって説もあるんですよね。

本当の道鏡像はわからなかったりするのですが確かにもし、道鏡が皇位についてしまったら後の世はかわったものになってたかもしれませんね。

でも、案外抹殺されて結局は同じ道だったのかな?



さて!これからドイツ×ブラジル戦見ようっと!
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天皇制が崩れたかもしれないとき (凛太郎)
2005-06-26 02:01:51
不比等は、なんと言っても国の根本(欧米における聖書と言ってもいい)である「日本書紀」を完成させ、天皇制を確立した人物です。不世出の政治家だと思います。確かに、他に比べる人等はいないと思いますねぇ。

それと比べ百川は本当にタヌキでして(笑)。最大級の寝業師です。



道鏡が皇位についていたとしたら。例えば道鏡から吉備真備への禅譲などはありえたかもしれません。しかし、普通に考えるとそのあたりでクーデターが起って再び藤原氏が政権をとり、天智系の後継者をたてて、歴史書に作為を施して万世一系を保ったように正史を書き換える、そういう筋書きがいちばんあり得るとは思います。

しかし、天皇制が無くなった可能性もゼロではない。吉備真備が軍隊をしっかり掌握すればあり得ないことではありません。そうなったら歴史はどうなったか…。想像は自由ですよね(笑)。
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