あくまで「おことわり」として書いておくが、僕はブログで政治・宗教・時事については書かないことをスタンスにしている。世の中にはいろいろな立場の人がいるので、こういうタイトルだと不快に思われたり現行体制批判だと考えられる方がいるかもしれないが、これはあくまで歴史コラムを書いている上で自分の考え方の整理として書いている。なのでもし検索して来られた方がいればそこのところを誤解しないでいただきたい。
南北朝時代という特殊な時代を書いてきたので、天皇という存在がいったい歴史の流れの中でどういう位置におかれているか、と言う事を考えたかったに過ぎない。
歴史の中で、古代は天皇の位を争奪して血も流れたし、また天皇と血縁関係を持つことで力を蓄えた一派もいる。葛城氏や蘇我氏、藤原氏がそうだ。平清盛は天皇の外戚になることが日本支配のカギであるとした。また、天皇を味方につけることで自己を正当化しようとすることが歴史上繰り返されてきた。南北朝は、天皇がどうしても味方にならないことで足利氏がもう一人の天皇を擁立することによって収束しない戦乱を生んだ。信長も秀吉も天皇の権威を利用した。明治維新も天皇側に立つことで徳川幕府を反体制と見なすことに成功し、革命を起こした。
日本の権力者であった大臣、関白、将軍、これ全て天皇が任命したものである。権力を持つことを天皇が許したので政治を行うことが出来たのだ。それは現在も続いていて、首相も最高裁長官も天皇が今だに任命権を持っている。現在も形式上とは言え最高の権威を持つ。
その天皇が持つ恐ろしいばかりの「権威」とはどこから来ているのだろうか。
天皇が日本史の中で果たしてきた役割とは何か。天皇の成り立ちから少し見てみたい。
天皇はアマテラスの子孫として、書紀、古事記にそのルーツが記されているが、初期のころを見ていると実に不思議なことに気づく。といって気づいたのは僕ではなく学者さんたちが論争をしている箇所。それは、天皇の二子相続、また末子相続といわれるものである。
神武天皇より以降、天皇相続は例外はあるが長男ではない。二子、あるいはそれより弟が嗣いでいる。これはどういうことなのだろうか。
鳥越憲三郎氏はそのことについて明確に答えられている。長子は、天皇よりもっと重要な役割についていたのである、と。それは、「祭祀権」の相続である。
当時は、大王として政治権を持っていたのが今に至る天皇であって、祭祀権は分離していた、と見る説だ。古来日本は、首長の中で、祭祀権を持つものを一義的に扱い、政治は二番手だった。卑弥呼と男王の関係を考えてもらえばいい。
詳細は書ききれないので「神々と天皇の間」などを参照していただきたいが、祭祀権を継承した長子は結婚が許されないため後継を作れず、二子の子供が大王家を嗣ぐために家系上は長子が消えたようになっている。長子は忌人となるのだ。
この慣習を破ったのは応神天皇である。兄を滅ぼして祭祀権も政治権も同時に手に入れる(応神は仲哀と血縁関係がないとの説もあるがそれはさておき)。応神から始まるいわゆる「河内王朝」は天皇に権威と権力が集中した時代で、巨大墳墓を造れる実力を擁したが、天皇位を争って兄弟が血で血を洗う争いを繰り広げる状況になってしまった。
その後、天皇を中心とした大和朝廷は日本統一に向かっていく。完全統一が為されたのは諸説あるところであるが、壬申の乱に勝利した天武天皇は、東国の蝦夷を除いてほぼ全国を手中に収めたと考えられる。
全国統一を為した大和朝廷は、律令制の導入、そして公地公民へと中央集権国家として形を成していくわけであるが、その中で重要なことが、国の基本史である「日本書紀」の編纂であると考えられる。
書紀の中では、全ての「国つ神」を従えた「天つ神」の存在、その流れに天皇が存しており、神界においても天皇家がチャンピオンである、と記される。そして「延喜式」で神を格付けして天皇が地位を与えている。
この「日本書紀」の完成及び流布によって、神と天皇家が完全に同一であるという理論付けがなされて、現在に至る「現人神である天皇」という存在が確立したのであろう、と思われる。祭祀権を超えた、自らが神の末裔で祝福権と呪術権を持つ超越した存在になったのだと考えられる。(あくまで僕が思う天皇神格化の過程です)
さて、古来から日本は「絶対神の存在」がない。
西洋には居る。キリスト教やイスラム教には唯一神が存する。しかし日本にはそういう存在がいなかった。あったのは、僕が考えるに①アミニズム ②祖先崇拝 であると思われる。宗教史には詳しくないのであくまでも感覚で書いているのだが、僕の感じではそうだ。
日本の宗教観というものは、あくまで神々は「祟り抑えと薬効(司馬遼太郎)」であって、全てを統べる存在ではない。現在でもなんとなしに悪い事をすると「バチがあたる」という感覚を我々は持っているが、いったい誰が罰を与えるのだろうか。この無意識の「畏れ」的感覚というのは説明しにくい。これは木々や土地の精霊か、死んだおじいちゃんがこらしめを与える、ということではないのか(僕の感覚です)。
仏教伝来以来、外国から宗教が入ってくるが、全て日本流に翻訳されて浸透する。薬師如来信仰などは実に日本流だ。仏教や儒教は元来哲学だと僕は思っているので、「唯一神」というものを持たずに時代は流れて行った。
しかし、人の心はよりどころを求める。日本人であっても同様。なので、後年浄土真宗(阿弥陀信仰)や、キリシタンなどが日本に入り込んで来る余地が出てくる。一向宗は絶対神への信仰に近い。極楽浄土に行けると信じているから一揆を興してそれで死んでもかまわぬ、とまで考えられた。
ではそれまでの人々のよりどころはどこにあったのか。それがかつては「天皇」というものの存在で埋められていたのではないだろうか。
天皇が絶対真理のよりどころになっている、と言うと「そんなアホな」と言われるだろうが、現在でも欧米では、例えば大統領就任は神に宣誓して成り立つ。日本では天皇が任命して初めて機能するのである。「お墨付き」を与えるのは天皇なのだ。日本では天皇より上位の存在はいない。
神という存在は「天」から我々を見ている存在であるのが普通だが(だから審判をしたりバチをあてたり出来る)、天皇は現存している。なので、「絶対真理」のお墨付きを作為的に自分のものにすることが可能、ということに理屈ではなる。その現象が極端に出たのが「南北朝」であり、明治維新の「玉」ではないだろうか。
この天皇という存在で最大に重用なのは「血」である。アマテラスの子孫であるからこそなのだ。だから、誰も天皇にとって代わることは出来ない。「日本書紀」が記した呪縛がそうさせるのだ。信長でもダメなのである。また天皇を誅することは神に対する反逆であるので難しい。なので後鳥羽も後醍醐も殺すことは出来なかった。
うーん。僕は正月の天皇参賀で旗を振ったりすることなど全く考えられない人間なので、深く心理的に掘り下げることが出来ない。歴史上の日本人の深層心理で、絶対神を持たないことが、アミニズムや祖先崇拝(畏れ)と天皇制(機能)の二元的信仰を生んだということが書きたかったのだが、どうもアタマがついていかなくて無理だった。自分の中で整理はまだついていないが、とりあえず筆をおくことにする。なお、政治的発言をしているつもりは毛頭ありません。
南北朝時代という特殊な時代を書いてきたので、天皇という存在がいったい歴史の流れの中でどういう位置におかれているか、と言う事を考えたかったに過ぎない。
歴史の中で、古代は天皇の位を争奪して血も流れたし、また天皇と血縁関係を持つことで力を蓄えた一派もいる。葛城氏や蘇我氏、藤原氏がそうだ。平清盛は天皇の外戚になることが日本支配のカギであるとした。また、天皇を味方につけることで自己を正当化しようとすることが歴史上繰り返されてきた。南北朝は、天皇がどうしても味方にならないことで足利氏がもう一人の天皇を擁立することによって収束しない戦乱を生んだ。信長も秀吉も天皇の権威を利用した。明治維新も天皇側に立つことで徳川幕府を反体制と見なすことに成功し、革命を起こした。
日本の権力者であった大臣、関白、将軍、これ全て天皇が任命したものである。権力を持つことを天皇が許したので政治を行うことが出来たのだ。それは現在も続いていて、首相も最高裁長官も天皇が今だに任命権を持っている。現在も形式上とは言え最高の権威を持つ。
その天皇が持つ恐ろしいばかりの「権威」とはどこから来ているのだろうか。
天皇が日本史の中で果たしてきた役割とは何か。天皇の成り立ちから少し見てみたい。
天皇はアマテラスの子孫として、書紀、古事記にそのルーツが記されているが、初期のころを見ていると実に不思議なことに気づく。といって気づいたのは僕ではなく学者さんたちが論争をしている箇所。それは、天皇の二子相続、また末子相続といわれるものである。
神武天皇より以降、天皇相続は例外はあるが長男ではない。二子、あるいはそれより弟が嗣いでいる。これはどういうことなのだろうか。
鳥越憲三郎氏はそのことについて明確に答えられている。長子は、天皇よりもっと重要な役割についていたのである、と。それは、「祭祀権」の相続である。
当時は、大王として政治権を持っていたのが今に至る天皇であって、祭祀権は分離していた、と見る説だ。古来日本は、首長の中で、祭祀権を持つものを一義的に扱い、政治は二番手だった。卑弥呼と男王の関係を考えてもらえばいい。
詳細は書ききれないので「神々と天皇の間」などを参照していただきたいが、祭祀権を継承した長子は結婚が許されないため後継を作れず、二子の子供が大王家を嗣ぐために家系上は長子が消えたようになっている。長子は忌人となるのだ。
この慣習を破ったのは応神天皇である。兄を滅ぼして祭祀権も政治権も同時に手に入れる(応神は仲哀と血縁関係がないとの説もあるがそれはさておき)。応神から始まるいわゆる「河内王朝」は天皇に権威と権力が集中した時代で、巨大墳墓を造れる実力を擁したが、天皇位を争って兄弟が血で血を洗う争いを繰り広げる状況になってしまった。
その後、天皇を中心とした大和朝廷は日本統一に向かっていく。完全統一が為されたのは諸説あるところであるが、壬申の乱に勝利した天武天皇は、東国の蝦夷を除いてほぼ全国を手中に収めたと考えられる。
全国統一を為した大和朝廷は、律令制の導入、そして公地公民へと中央集権国家として形を成していくわけであるが、その中で重要なことが、国の基本史である「日本書紀」の編纂であると考えられる。
書紀の中では、全ての「国つ神」を従えた「天つ神」の存在、その流れに天皇が存しており、神界においても天皇家がチャンピオンである、と記される。そして「延喜式」で神を格付けして天皇が地位を与えている。
この「日本書紀」の完成及び流布によって、神と天皇家が完全に同一であるという理論付けがなされて、現在に至る「現人神である天皇」という存在が確立したのであろう、と思われる。祭祀権を超えた、自らが神の末裔で祝福権と呪術権を持つ超越した存在になったのだと考えられる。(あくまで僕が思う天皇神格化の過程です)
さて、古来から日本は「絶対神の存在」がない。
西洋には居る。キリスト教やイスラム教には唯一神が存する。しかし日本にはそういう存在がいなかった。あったのは、僕が考えるに①アミニズム ②祖先崇拝 であると思われる。宗教史には詳しくないのであくまでも感覚で書いているのだが、僕の感じではそうだ。
日本の宗教観というものは、あくまで神々は「祟り抑えと薬効(司馬遼太郎)」であって、全てを統べる存在ではない。現在でもなんとなしに悪い事をすると「バチがあたる」という感覚を我々は持っているが、いったい誰が罰を与えるのだろうか。この無意識の「畏れ」的感覚というのは説明しにくい。これは木々や土地の精霊か、死んだおじいちゃんがこらしめを与える、ということではないのか(僕の感覚です)。
仏教伝来以来、外国から宗教が入ってくるが、全て日本流に翻訳されて浸透する。薬師如来信仰などは実に日本流だ。仏教や儒教は元来哲学だと僕は思っているので、「唯一神」というものを持たずに時代は流れて行った。
しかし、人の心はよりどころを求める。日本人であっても同様。なので、後年浄土真宗(阿弥陀信仰)や、キリシタンなどが日本に入り込んで来る余地が出てくる。一向宗は絶対神への信仰に近い。極楽浄土に行けると信じているから一揆を興してそれで死んでもかまわぬ、とまで考えられた。
ではそれまでの人々のよりどころはどこにあったのか。それがかつては「天皇」というものの存在で埋められていたのではないだろうか。
天皇が絶対真理のよりどころになっている、と言うと「そんなアホな」と言われるだろうが、現在でも欧米では、例えば大統領就任は神に宣誓して成り立つ。日本では天皇が任命して初めて機能するのである。「お墨付き」を与えるのは天皇なのだ。日本では天皇より上位の存在はいない。
神という存在は「天」から我々を見ている存在であるのが普通だが(だから審判をしたりバチをあてたり出来る)、天皇は現存している。なので、「絶対真理」のお墨付きを作為的に自分のものにすることが可能、ということに理屈ではなる。その現象が極端に出たのが「南北朝」であり、明治維新の「玉」ではないだろうか。
この天皇という存在で最大に重用なのは「血」である。アマテラスの子孫であるからこそなのだ。だから、誰も天皇にとって代わることは出来ない。「日本書紀」が記した呪縛がそうさせるのだ。信長でもダメなのである。また天皇を誅することは神に対する反逆であるので難しい。なので後鳥羽も後醍醐も殺すことは出来なかった。
うーん。僕は正月の天皇参賀で旗を振ったりすることなど全く考えられない人間なので、深く心理的に掘り下げることが出来ない。歴史上の日本人の深層心理で、絶対神を持たないことが、アミニズムや祖先崇拝(畏れ)と天皇制(機能)の二元的信仰を生んだということが書きたかったのだが、どうもアタマがついていかなくて無理だった。自分の中で整理はまだついていないが、とりあえず筆をおくことにする。なお、政治的発言をしているつもりは毛頭ありません。
天皇の二子相続って知りませんでした。まず第一に神事、軍事や政治はその次だったんですね。
「お天道様に顔向けできない」とか言いますよね。農業をしていたら天候は最大関心事。干ばつや台風などの天災を何とかしてくれたら神様だって思っちゃうでしょうね。だから、大王が雨乞いをしたら雨が降ったってことがわざわざ書き残されているんではないでしょうか。
そしてこれが多少形を変えつつも現代まで続いている…続いてきたパワーの源がまた気になったりして☆
アマテラスはその名のとおり太陽神ですね。やはり天候関係は呪術祭祀者の最も重要な題目だったことは用意に想像できます。皇極天皇と蝦夷の雨乞い合戦、というのもありましたっけ。
現在まで何故続いているのか? ということはまた難しい問題ですが、僕はまず代替するものがなかったのが一因ではなかったか、とは思います。室町時代末にキリスト教が日本を席巻していたら、天皇の影はかなり薄くなっていたに違いないとは思います。しかし、それだけではないもっと根源的なものが日本の宗教観にはありそうですね。しかし簡単に言えることではないので(汗)、またブン投げてしまう僕なのであります。m(_ _;)m
無宗教、でも心のどこかでは唯一神じゃなくても神様を信じてる。やっぱりこのあいまいさこそが日本人なんでしょうか。
しかしながら、画一的な宗教に全て右に倣えしている国家よりも健全なのかもしれないなぁとも思います。「あれかこれか」の宗教より「あれもこれも」のあいまいな日本人もいいではないですか(笑)。
信仰の根源などについてあれやこれやと考えをめぐらすことは実に楽しいことでありますが、それをイザ書くとなるとやはり勇気がいったりもしますので(天皇制も含めて)、触らぬ神に祟りナシ、といった感じになりがちなのですが…。しかしその「触らぬ神に」という考え方もまた日本的宗教観であるなぁと思ったりもしているのです(笑)。
中途半端で終わってすみませんでした。また時期を見て今度は神社論でも書きたいなぁ(笑)。
こういうのって主婦同士で話題になることはまずないので(新興宗教の勧誘にひっかかるの嫌さに、あえてさけているかも)、次回神社論も楽しみにしています
神社論などとつい筆が滑ったことを後悔しています(笑)。そんなん書けないや。ヾ(@^▽^@)ノわはは
まあ、先日新しいカテゴリを作って仏像の話も書きましたんで、いつか「神社に行って来た♪」てなタイトルでなら書けるかもしれませんが(笑)。