凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

酒呑み初めし頃

2013年11月30日 | 酒についての話
 初めて酒をのんだのはいつか、という話をすれば、それはおそらく正月の屠蘇である。何歳のときだったかは記憶にない。
 それ以外、となればどうか。これは語ると必然的に未成年者飲酒禁止法違反の話となってしまう(屠蘇ももちろんそうだが)。自分勝手な言い分だが大目にみてもらうことにしよう(匿名で書いていて良かった)。

 しかし、僕は少年時代、酒の経験はそれほど多くなかったといえる。それは、なにより両親が下戸だったからだ。したがって、家に酒がない。せいぜい貰い物の梅酒か、親父が趣味で作った果実酒、さらには親戚の集まりなどでビールをひとくち飲まされた、くらいのものである。これでは習慣性など生じないし、うまいとは思わなかった。ビールはおきまりの如く「何て苦いものだろう」という感想しか持ち得なかったし、赤玉ポートワインはそこそこうまいと思ったがやはりジュースのほうが望ましかった。
 こういう人間が、のちに酒のみになるのだから、大人になるということは摩訶不思議だ。
 親の監視下を離れて酒を口にするのは、高校時代くらいだったか。友人の家などで「背伸びをして」「いきがって」酒をのむようになる。のむ酒は、極めて廉価なウイスキー(トリスなどではない。Qとか21とかNEWSとかコブラとか…懐かしい)をコーラで割ってのむ。所謂コークハイだ。口当たりがよくのみやすい。
 もうコークハイなどは30年ものんでいない。子供だったと思う。あんなのは、ただ酔うためだけのシロモノであり、酒のうまさなど全く考慮されていない。しかしこの頃が、酒を酔うためにのんだ嚆矢だろうと思う。最初は、酒はやはり麻薬だったのだ。味わうためではなくただ酔うためにのんだ。

 これは、大学へ行ってもかわらない。大学生になれば、酒をのむ機会が飛躍的に増える。何人かで集まれば、まず酒だ。そしてコンパなどで「居酒屋」に入ることも多くなった。
 酒をのませる店に入るというのは、新鮮だった。のめば楽しくなり放吟する。人との垣根も取っ払われる。だが、とくに酒をうまいと思ってのんでいたわけではなかったと思う。ビールの苦味には抵抗がなくなっていたけれど、だからと言って「今日は暑いな、こういうときにはビールだ」なんて考えにはまだ至らない。あくまで、皆で騒ぐ手段であり、味わいは二の次だった。

 いつから酒をうまいと思ってのみはじめたのだろうか。そんなことをぼんやりと思い出しながら書いている。
 
 これはうまい、と思って酒をのんだ最初の記憶は、ある。
 まず清酒だが、これは初詣のときにある神社で振舞われたお神酒である。まだ大学へ行く前で、少年時代と言ってもいい。巫女さんが銚子でかわらけに少し注いでくれたものを口にしたときに驚いた。うまい。樽酒だったのだろう。ほのかな木の香りがしみわたった。
 また、大学に入ってのち、教授の家に遊びに行って、そこで無銘の瓶に入ったよく冷えた清酒をのんだ。品評会用のものだと先生は言っていたが、これもまた驚いた。非常に上質の吟醸酒だったのだろう。香りが全然違う。
 しかしこういうのは、特例である。これをもって、清酒に目覚めたというわけではない。樽酒や吟醸酒だけしかのまない大人になったのでもない。
 同様に、ビールは札幌の出来立てのビールであろうし、ワインはまた大人に少しだけのませてもらった貴腐ワインだろう。ウイスキーやブランデーにも、同様の経験がある。だが、やはりこういうのは特例。酒が嫌いな人だって、うまいと思うはずだ。
 ただ味わいだけではない。極めて上質のものから大衆的なものまで「酒」というそのものを愛するようになったのは、いつだったか。 

 酒をのむという場合。最初は、常にまわりに人が居た。皆でのむのが楽しいからのんでいた。そうやって酒に慣らされてきたのだけれども、人を介さずとも自発的に酒をのむようになったときは、いつだったろうか。背伸びやいきがり、また潤滑剤としての役割ではなく、純粋に酒をのみたいと思ってのんだときは。そのときが、酒との人生が始まったときではないかと仮定してみる。
 そうすると、いくつか思い出せる場面がある。 

 高校を卒業してのち飛躍的に酒をのむことが増えたけれども、それでも自宅でのんでいたわけではない。親が下戸のため、父親の晩酌に付き合うという場面もない。また、そこまで僕が酒を必要としていたわけでもなかった。あくまで酒は、友人等と機会を設けてのむものだった。
 同時期に僕は、旅をするようになった。交通手段は自転車。
 最初は、大学一回生のときに北海道の宗谷岬を目指して自宅から走り始めた。初めての一人旅だったが、思い返してもほとんど酒をのんでいない。
 もちろん日のあるうちは自転車を漕いでいるわけで、酒をのむはずもない。また夜は、宿泊施設としてはユースホステルが主であり、基本的に飲酒ご法度の場所だった。野宿をすることもあったが、ひとりで酒をのむ習慣がないため、単純にめしを食べて寝袋にくるまって寝るだけ。酒が介在する機会がない。
 京都を出発して青森まで到着したのが10日後。本州最後の日ということで、今の僕なら当然乾杯をしていただろう。だが、のむ予定は全くなかった。思いもしなかった。
 だが、青森市に着いた夕刻。その日は、ねぶたまつりの最終日だった。予定していたことではなく、偶然だった。僕は初めて遭遇する熱狂の祭りに、思わず飛び込んだ。ラッセラー・ラッセラーと激しく踊るはねと(ねぶたの踊り手)の姿を見て、観客だけでは我慢できなくなったのだ。そして、あるはねと集団に紛れ込んで一緒に跳ねた。こっちは衣装など持ってないので上半身裸だ。有難いことに受け入れてくれて、見ず知らずの同世代の若者達と一緒に跳ねた。
 「どっから来た?!」「京都や!」「おう、鈴つけねばまね(ダメだ)、これ腰に!」鈴までもらった。
 そして、振舞い酒。僕はガブのみし、踊って跳ねて、知らない人たちと肩を叩きあい、酩酊した。記憶を失ったわけではなかったが、べろべろだった。そのあと、よくフェリー埠頭まで行けたなと自分でも思う。青函の深夜便に乗って、函館へ渡った。

 酒がのめる人間で良かったと思った。
 けれどもその後、酒をのむようになったのかと言えばそうではない。札幌で帰省中の大学の友人と会ってのんだくらいで、目的地だった日本最北端宗谷岬に到達したときですら、乾杯もしなかった。そういう発想すらなかった。
 だいたい貧乏旅行で、余剰の予算が無かったということもある。結局その旅でのんだのは、ねぶた酒と札幌酒、そして旅の終盤で同宿の人に奢ってもらった缶ビールくらいのものだ。
 ただ、夢のように楽しい旅だった。いつまでもこんな時間が続いたらいいのにと思っていた。美しい山河、峠の汗と感動的な風景、抜けてゆく空とそよぐ風、燃える夕陽と煌く星、そしてたくさんの人々との出会い。
 小樽から船に乗って北海道を離れなければならないとき、僕は無性にのみたくなった。それは祝祭を終えなければならない寂寥感ももちろんあっただろう。町のスーパーでワインを一本買い、船上の人となった。
 そして、出航するデッキで、遠ざかる風景を見つつ、のんだ。
 それが、僕がひとりきりでのんだ最初の酒だった。そのときの酒は、旅の余韻を彩るにも、思い出を反芻するにも、寂しさを紛らわすにも格好の相方となった。もちろん、うまかった。

 振り返れば、以来酒を友と思うようになったと思う。

 それでも、いつも酒ばかりのむようになったわけではない。学生時代は、基本的に懐が寒い。もちろん様々な場面場面で酒をのんできたが、やはり基本的に「皆でのむ酒」の範疇を超えることはなかったし、自宅ではのまない。
 けれども、旅の空の下ではのむようになった。貧乏旅行には違いないが、宿泊する予算を削っても一杯の酒を選ぶことがあった。その頃には僕も成人し、誰にも見咎められることもない。
 各地でのんだ。それは主として野宿を伴うものだった。田舎の無人駅で終電が過ぎたあと。ワインが多かったが、月を見ながらシェラカップに注いだ酒をひとりのむ。旅では気分が高揚している。酒はそれをさらに助長させてくれる。ときに蚊に悩まされながら、煌々と照る月の下での一杯。ほろ酔いとなって、寝袋に入る。
 ときに桂浜で大酒したりということもあったが、概して一人でのむ酒はおとなしいものである。じんわりと酔いに身をまかせる心地よさ。
 自転車だけでなく、汽車旅も始めるようになった。さすれば、車窓を見つつのむ。傾けるのはウイスキーの小瓶
 だが、居酒屋には入らなかった。それは予算も心配だったし、一人で居酒屋というものも経験が無く、なかなか知らない店ののれんをくぐることが怖くて出来ない。

 結局、はじめて居酒屋に一人で入ったのも、旅の途中だった。冬の青森。
 この町は、夏のねぶたでの思い出が鮮烈に残る。だが季節は冬。吹雪いてこそいないものの、雪深く寒かった。駅前にほとんど人が居ない。その日僕は、やっぱり青函連絡船で北へ向かう予定である。しかし、あのときのような熱狂は今は無い。しんしんと冷え込む冬空。
 出航は夜中の12時。それまでまだ5時間もある。青函の待合室で暖をとりつつ待つのが貧乏旅行の常道だが、なんだか猛烈に寂しくなってきた。夏の楽しかったあの日を思い出したからだろう。
 どこかで酒を買おうか。けれども寒いな。
 今夜は宿に泊まらないので、少しくらいはいいか、と思い、駅近くの安そうな店に思い切って足を踏み入れた。もつ焼きを中心とした店だ。
 店の中は、暖かかった。その暖かさが有難かったが、お客さんは少ない。僕はまごつきながら「ここいいですか?」と聞いて、頷かれたのでカウンターに座った。こんな飲み屋のカウンターに一人で座るのも、また初めてのことだ。
 今でこそ初めての居酒屋だろうが何だろうがバリアフリーのようにすっと入り込みさも常連のような顔で酒をのむのが得意な厚顔人間だが、当時は緊張した記憶がある。入る前は「お酒ちょんだい、せから適当に焼いて」という漫画か何かで読んだ台詞を言おうと思っていたが、萎縮してとてもそんなことは言えない。お酒下さい、というのがせいいっぱいだった。
 まだまだ昭和の時代。お酒、と言えば自動的に燗酒である。冷蔵庫から出してくる吟醸酒などは一般的ではない。ましてや寒い冬。
 「で…カシラとレバーとタンを焼いてください」
 実は、僕は焼き鳥屋の経験はあるがもつ焼きの店に入ったのは初めてだ。当時、あまり関西ではもつ焼きを出す店は少なかったと記憶している。その頃からグルメエッセイなどを読むのが好きだったのである程度承知していたが「カシラ」などもちろん見たことも無い。
 酒が来た。
 少し熱めに燗がしてある。そりゃ当然だろう。それを一杯のんで、ようやく落ち着いた。ただ、まだまだ経験不足の若僧で酒さえのめば天下無敵になるほどヒネてはいない。やがて来たもつ焼きをかじりつつ、間の持たなさを実感した。今では一人酒も慣れたものだが、当時はゆったりとする余裕も無くただのみ食べるしかやることがない。酒もなくなり、もう一本と追加した。
 やがて「どこから来たの」という声がかかった。店の人だったかお客だったか記憶があいまいなのだが、駅近くなのでよそ者も来る店なのだろう。ただ、青森である。聞き取りづらい。今では津軽出身の妻がいてヒアリングには多少の自信もあるが、あの頃は戸惑った。
 しかし、徐々に慣れてきたのか、話も出来るようになってきた。「夏はねぶたに飛び入りして跳ねました。楽しかった」「おおそうか!」話題もある。そうして、約3時間くらいいただろうか。結構のみ食いしたのだが、勘定は1440円(当時の日記にそう書いてある)。店を出るときには、すっかり満ち足りた気持ちになっていた。
 以来、一人居酒屋が全く問題ではなくなった。
 
 こんなふうに酒に親しんでこれたのは、幸いだったと思う。失恋で酒をのみはじめたり、社会人のストレスで酒に逃げるようなのみはじめであったなら、酒は辛いものになっていたかもしれない。
 つらいときも楽しいときも、のむ。そんな人生となったことに、乾杯したい思いでいる。
 今は、病気などにならない限りは、365日のんでいる。酒なくてなんの己が桜かな。往時に比べ酒量は圧倒的に減ったが、それでものめることに感謝しつつ、今日ものもうと思っている。

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晩酌 (よぴち)
2013-12-06 01:39:03
凜太郎さん

そっか、こんなふうに考えると、私はまだ「酒との人生」が始まっていない気がします。そして、残念ながら おそらく、始まらないまま人生を終えそうです。

晩酌、という意味では、始めたのは社会人1年目だったように思います。
自分用のタンカレーとライムを冷蔵庫に入れておくようになって、毎日、自分の部屋で それを飲んでいました。
でもそれは「逃げ」の酒だったと思う。こののち、私は1年でその仕事をやめ、転職&進学したのです。
その後も結婚するまでは、部屋で飲むか、外で誰かとの飲むか、をしていたように思う。
ただ、結婚してから、すぐに子供が出来て、そこから「飲まない」毎日が始まったのですね。さらに、ちょっと子供も落ち着いた頃には発病。

そして残念なことに、その僅かな「飲酒期間」に、「美味しい」と思うことが出来なかった。
今でも私は、ひと口くらいは「おいしい」と思う瞬間があっても、それ以上飲むことは おそらく頭の中で無意識に「ストップ」がかかるからでしょう、途中からはもう、味わえなくなってしまうのです。

でもね
ひとが「美味しい」と言っているのを不快に思ったりはしないのですよ、不思議なもので。
凜太郎さんの「お酒が美味しい話」や、それを含む「旅」の話が大好きです。自分も疑似体験をしているのかな、うれしくなってきます。

こんなコメントは 凜太郎さんを困らせるようで心苦しいけれど
そんなわけで これからも お酒の話、旅の話、聞かせてくださいね(*^_^*)
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>よぴちさん (凛太郎)
2013-12-07 16:10:07
酒の話ばかり書いて誠に恐縮ですが…そういうブログなんですごめんなさい。先天的に酒を受け付けない人にはどうにもふざけた話であり、後天的にのめなくなった方にはもう申し訳ないとしか言いようが無いですが。
さて。
好き好きなんで酒の種類を云々するのはどうかと思うんですが、あくまで僕の印象としてジン、ウオッカ、ラム、テキーラというキック力のある酒は、即効力があるので救いをもとめるときの酒だと思ってしまって。タンカレーを瓶ごと冷やすというのは…(笑)。
ただ、そういうこと抜きにしてタンカレーはうまいんだよな。だから酒の「味わい」ってなんだろうとは思うのです。
昔書いたことがあったかどうだったかは忘れましたが、酒の味わいとは何か、ということについてずいぶんと考えたことがあります。味わいとは、純粋に味なのか、それとも酔い心地なのかと。
これは割合の問題でどっちかが正解とは言えないことではありますが、味だけで選べないときってあると思うんです。食べ物との相性を考えると味なのかもしれませんが、酒にそれだけを求めているわけでもなく。
さすれば、ジンをあおることにある種の、舌とのど越しと香り以外の味わいがやっぱり存在したのかと。ただの麻薬ではなかったはずで。さらに仮に「逃げ」であってもつらい酒でも、その酒をのんで酔った自分があったからこそ今の自分がある、そんなふうに思えば、それも酒との人生であるように思えてくるのです。「タンカレーと私」が仮に、仮に仮に消したい過去であったとしても、その酒があったからこそ今がある。
それは即物的な「おいしい」酒を語るのではないもっと深い意味合いが、その追憶の中にあったのではないかと僕は思います。僕なら、その冷蔵庫のタンカレーとライムで「人生と過ぎた日への思い」をテーマに一篇書きたい。今に繋がる何かが必ずそこにはある。
そんな意味で、いろんな人生があるように思います。自発的に酔った経験があるってことは。
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タンカレーとハーパー (よぴち)
2013-12-10 01:04:26
凜太郎さん

自分のコメント、今、もう一度読み返して、「ん?ここは実は違うかも」と思いました。
というのは、あれから割とすぐに、ハーパーをふた口ほどだけ、飲んだのです。
「う~ん、やっぱり美味しい」と思った。これは、そういえば、タンカレーをひと口、ふた口飲むときにも、いつも思うことだな、と。

逃げの酒ではあったけれど、少なくとも美味しいから飲んでいたのだと思う。ただ、その後、「たくさん飲むと、よくないことがある」という刷り込みが出来て、ある程度のところから味わえなくなったのでしょう。

体質的には強いこともあって、「美味しい」と感じる間に飲む程度の量では酔えないのが悲しいけれど、今、どうにも確実な治療法が見つからないところにさらされて、「じゃあ、もう、開き直って好きなことやろう、延命を望んでの、チマチマとした我慢はやめよう」と思っている今は、飲みたい時に、飲もう、と決めました!
そんなわけで、土曜日もワインを飲んだけど、美味しかった~(^o^)丿
ほんの僅かな間だけ、ほろ酔いを味わって、その間にギターを弾いたら、久しぶりに ホントに気持ちよかった♪

これで少しくらい寿命が短くなっても、この幸せを味わわないまま逝くよりは ずっといい、と心から思っています、今は。(←もっと切羽詰まるとどうなるか分からないので、時期を限定しておきますね(笑))
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>よぴちさん (凛太郎)
2013-12-11 05:43:54
酒を味わうというのは、どこまでを示す言葉なんでしょうかね。ひとくちのんで、その豊かさや芳醇さ、煙香や吟醸香、そして甘さや辛さを感じることか。それとも、ほろほろ酔うて木の葉ふるまでを味わうというのか。
よくわからない話なんですけど、僕にとって酒は舌と鼻と喉だけで味わうものではないような気がしています。これは気取って言っているのではなく、飯を喰うにも繋がることだと(一口ごはんを食べたって食った気にならん、腹がふくれて満足感を得るのも味わいのうち)。
で、僕ならハーパーをふたくちのめば、やっぱりうまく感じると思う。ハーパーならふたくちでも多少は陶然とするはずだから(笑)。

こうなると「強い」というのは、良し悪しなんだな。昔の僕なら、ハーパーふたくちで酔いを感じる領域までゆけただろうか。
ちょっと知ってる人に、還暦過ぎから酒を覚えた人がいます。この人、今でもほとんどのめない。でも、酒のうまさがわかったと。で、とびきり上質の吟醸酒や高いワインを一口だけ飲んで、酔っ払って莞爾としています。
これは、今の僕の感覚だと実に物足りない。けれども、幸せだろうとは思うんです。
最終的には、この境地にたどり着ければいいなと。
あれ、なんか話がそれてるな。

よぴちさんの今の一杯については、僕はおからだのことを考えたらどう判断していいのかわかんないけど、不思議と刹那的な感じはしませんね。星新一の短編や恐怖新聞とは違う。平均台の上を走っているようにも聞こえない。
そして、これは文章力かもしれないけど、実にうまそうに感じる(笑)。これ読んで書いてる今は早朝なんですが、なんかワシまでのみたくなってきた。もしも休日の朝なら、ひとくちのんでるな(笑)。
だから「まあ無理すんなよ」くらいしか言いませんよ。
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