凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

酒器の話

2009年02月05日 | 酒についての話
 前回、ビールグラスについてクドクドと書いてしまったが、僕がそんなに酒を呑む器について細かく考えているかと言えば実はそうではない。
 我が家のサイドボードには、すぐにパーティーが出来るほどの数々のグラスがずらりと並んでいるのだが、パーティーなど開けるほどの豪邸に住んでいるはずもなく、それらをほとんど使用したことが無い。並んでいるグラスはほとんどが戴き物、景品の類いであってグラスを集める趣味も有していなければ、酒によってグラスを換えるなどという面倒臭いことは自宅ではほとんどしない。中には相当いいものもあって宝の持ち腐れのようにも思えるが、割れやすいグラスを日替わりで使用するなど大変だ。
 なので来客があったり、よっぽど気分が乗った時以外は、僕は以下4種類しか普段使用していない。それは、ごく普通のタンブラー(つまりガラスのコップ。ビール、水割り、ロックこれ全てこなす)、ショットグラス(ウイスキーやラムなどのスピリッツをストレートで呑む場合)、ぐい呑み(燗酒用)、そして湯呑み(焼酎お湯割り、清酒を冷やで呑む時もこれ。寿司屋のやつより少し小さい)。これだけである。大きいの二つと小さいの二つ。これで用が足りてしまう。
 全て安物ばかりだ。酒造メーカーのマークなんかが入っている。サイドボードには薩摩切子や九谷焼の酒器もあるけれども、破損しそうで使用していない。もっとも、景品で貰ったいつも使うぐい呑みも、もう二十年近く使っているが一向に欠けたり割れたりする気配を見せない。
 
 ワインですらコップで飲んでいる。ワイングラスだって所持しているのだが、使うのはせいぜい記念日とかだな。さほど上質のワインを飲むわけでもなし。
 もちろんワインをワイングラスで飲むにはそれなりの理由がある。形状が洋梨型になっているのは香りを逃さず楽しむためであり、脚付きであるのは、本体を持って微妙な温度変化を避けるためのものである。しかし、そこまで気を遣わねばならないワインを飲む機会は家庭では残念ながら無い。コップで十分である。
 ブランデーなどは上質なものを呑むこともあるが、怒られるかもしれないがやっぱりショットグラスで呑む。ブランデーのグラスを包み込むように持って馥郁たる香りを楽しみつつ少しづつ味わう、なんてのは、上等のソファにでも座って葉巻をくゆらしクラシックでも楽しみながら、なんて場面でようやく絵になるのであって、畳の上に座ってTV観たりPC開けてブログ書きながら、なんてのにはどうもそぐわない。
 したがってこれ以上の酒器は普段は用いていない。

 燗酒の話だが、僕はぐい呑みを愛用していて、酒杯は滅多に使わない。厚手の器が好きだということもあるし、盃は量的にどうもチマチマして、と思ってしまう。だが、通人は圧倒的に盃を好む。口唇に当てたときの感触、そしてすいっと口中に流れる心地よさを好ましいと感じるからだろう。確かに盃の方が粋ではある。高台もついているので持つと絵になる。
 もともとは酒を呑む器としては盃の方が圧倒的に歴史があるのだろう。神事ではかわらけを使い、おそらくこれが最も歴史が古く、ここから酒杯に発展したのだろうと推測出来る。庶民に燗酒を呑む習慣がいきわたる江戸時代には盃が一般的だったということは、時代劇で呑むシーンなどを見ていると大抵は盃ですいっと呑んでいて、そうなのだろうと思ってしまう。
 僕もそういう粋の世界に入ってもいいのだが、前述の理由で使っていない。いや、そんな格好いい理由ばかりではないな。さらなる理由は(これが最も大きいかも)、どうも不器用なもので盃だと酒を溢してしまうことが多々ある。縁が広がりすぎているのが原因だろうとも思うし、注ぐ時にも雫が落ちたりして。結局盃というものは深めの小皿に高台がついている形状であり、液体を皿に注ぐわけだから失敗に繋がる。全く持って情けないとも思うが、酔っ払いは得てしてこういうものだろう(お前だけだ)。
 盃は口が広いので冷めやすいからぐい呑みの方が、という屁理屈もあるが、こんな小さな器で冷めやすいもへちまも無い。
 ところで、酒杯のことをおちょこと言ったりする。酒杯全体を指す言葉なのだろうけれども、あくまで僕の感覚だが猪口は盃の口のあまり広くないもの、という感じがする。正解はよく分からない。猪口というのは「蕎麦猪口」なんて時にも言うので、高台の無い、どちらかと言えばぐい呑みに形状が似ているようにも思えるのだが、あまりぐい呑みを指して「おちょこ」とは言わないなあ。僕だけかな。

 以上は酒を呑むための器だが、酒を注ぐための器というものがある。
 ワインにはデキャンタというものがあり、またビールにも頻度は少ないもののピッチャーがある。でも、どちらも自宅ではまず使わない。デキャンタは貰い物を一つ所持しているが、未だ使用したことがない。場所をとるのだが、何やら上等そうなので処分出来ずにいる。デキャンタの役割とは、そもそもボトルの底にある澱(不純物)を取り除くことにあるらしいが、そんなものが入っているワインを見た経験は僕にはない。また積極的には、ワインの色を愛で、また空気に触れさせることによってワインに呼吸をさせ、味わいを深めることにあると言う。「これによってワインが”開く”のだよ」という薀蓄も聞いたことがあるが、そんな年代モノのワインには残念ながら縁がないし上質の舌も持ち合わせていない。
 注ぐための酒器と言えば、僕が思いつくのは燗酒の時に使うものだろう。

 燗酒の酒器は、徳利が一般的である。居酒屋に行って燗酒を頼めば、まず徳利で出てくる。他にはチロリなんていうものもあってこれもまた味わい深いものだが、ひとまず措く。
 ところで、言い古された話に「お銚子一本、と頼むのは間違い。銚子と徳利を混同するな」という薀蓄があって、通人はよく指摘する。僕も確かに狭量な人間なので「ビアマグとビアジョッキの違いはどこだよ」なんて書いたりするから人様のことは言えないのだが、もはや徳利を「銚子」と近来は表現するようになった、と言ってもいいのではないか。それほど浸透してしまっている。「別名」「同義」だ。僕も何も知らない若僧の頃は銚子と言っちゃっていたかもしれない。
 もちろん両者は本来は別物である。銚子というのは、あの雛飾りで三人官女の向かって右側の人が持っている、柄の長い酒器のこと。三々九度とかでも使うのでご存知の人も多いだろう。あれ。
 ところで、三人官女の真ん中の人は三宝を持ち酒杯が乗っているが、左側の人は蔓(ぶら下げるような持ち手)のついたやはり酒器を持っている。正月に屠蘇を祝う時に使用するのに似ている。形状としてはやかんの小さいの(ちょっと乱暴な表現か)。あれは何と言うのだろう。話がそれるが検索した。
 よくお邪魔させてもらう月桂冠のサイトには、「提子(ひさげ)」と記してある。初めて知った。勉強になるなあ。銚子に酒を入れる酒器であるらしい。現在も樽酒から酒を出すとき片口に一旦受けるが、その役割と同じなのか。提子から銚子に酒を移し、そして酒杯に注いで呑む。
 上記月桂冠のサイトにもあるように、後には提子から直接酒杯に注ぐようになり、江戸時代には銚子とも呼ばれるようになったとか。なるほど。徳利が銚子と呼ばれるようになったのと同じ道筋である。そもそもあんな柄の長いヤツで酒を注ぐなんて、不器用な僕にはとてもとても。
 徳利のルーツは「瓶子(へいじ)」であるそうな。瓶子と言えば僕などはすぐ後白河法皇を思い出す。鹿ケ谷事件である。平家打倒の謀議をめぐらせていた後白河一派が、酒器である瓶子が倒れたのを見て「瓶子(平氏)が倒れたとは幸先の良い」などと言い(オヤジギャグの元祖みたいな話やな)、後にこれがバレて俊寛が島流し、というあの話。瓶子も徳利も背が高いので安定が悪い。
 
 徳利が燗酒の酒器のスタンダードであるということは誰しも認めるところであり、異論はないと思われる。居酒屋では「お銚子下さい」と言っても徳利で供されることは前述したとおり。
 ただ、僕は実は徳利という容器がさほど好きではない。こんなことを言えば通人からはアホと言われることは予想されるし、酒呑みの風上にも置けないだろうが、徳利は①瓶子と同様倒れやすい②熱燗になると熱くて持ちにくい③最近の焼き物の徳利は注ぎ口が捻り出されているものも多いが、多くは(白磁のものとか)縁に凹凸がないので、注ぐと尻漏れしてしまう…などの問題もある。もちろん大部分は僕の不器用さのせいであるが。さらにもっと風上に置けない理由として④電子レンジにかけると温度差が出来てしまう…というのもある。酒を電子レンジで燗するなんて酒を愛していない証拠だ、という突っ込みは享受するが、面倒臭いんだもん。
 そもそも徳利は湯燗をつけるのには実に適しているが、それは供する側の論理であり呑む側が求めているものではないんじゃないか。注ぐのには提子(銚子)の方が注ぎやすいし持ちやすい。

 というわけで、僕は自宅では徳利を使わない。家では自由にさせてもらう。
 しかし、徳利に代わる酒器があるのか。それがあるのである。
 例えば、薩摩の芋焼酎を呑む際に使われる黒ジョカ。言ってみれば、土瓶を平たくした形状だと思っていただければ遠くはない。薩摩隼人はこの黒ジョカに焼酎を先に水で割って入れ、寝かして馴染ませて後、ゆるゆると直火にかけて温める。お湯割とは、湯呑みに湯と焼酎を直接入れるのではないのだ。水割りを温めるのである。これを、猪口でチビリチビリとやる。これは清酒にも応用出来るはずだ。
 ところが、我が家には黒ジョカが無い(買えよぉ)。もちろん買えばいいのだが、さらに代替品がある。沖縄の「カラカラ」。やはり土瓶型の酒器である。泡盛を入れて使用するためのもので、黒ジョカと異なるところは蓋がない。泡盛は燗をすることがないので、蓋など必要としないのだ。しかしそもそも徳利にだって蓋はないじゃないか。また、直火にかけると良くないが、電子レンジに入れるには申し分ない。平たい形状で温度差も出来にくい。
 そうして、僕は長い間カラカラで燗酒を呑んできた。持ち手があり、注ぎ口がありうまく注げる。座りもよく倒すことなどない。そうやって悦に入っていたのだが、僕の所持するカラカラの容量は一合である。ちょっと小さめ。
 僕は晩酌では、たいていは二合呑む。なので、途中でお代わりをせねばならない。多くは妻に頼むのだが、機嫌が悪いとやってくれない。しかし自分でやるのは面倒臭い。
 次に沖縄に行くときには必ず二合入りカラカラを買おう、といつも思うのだがつい忘れる。忘れたと言ってすぐに行ける場所でもなく、もちろんこっちでも専門店では売っているが概して高価である。
 
 僕は今、どうやって家で燗酒を呑んでいるかと言えば、実はティーポットである。
 結婚式の引き出物で貰ったもので、底が平たくずんぐりとしていて持ち手もついている。陶製で薄緑色、なんとも安定がいい。もちろん紅茶用だが、我が家には既に長年使用しているティーポットもある。なので戸棚にしまわれたままだったのだが、これで燗をするとすこぶる調子がいい。七分目くらい入れてちょうど二合。電子レンジでもいいが、卓上保温器の上に置いてしばらくすればちょうどいい温度になる。便利この上ない。
 ただ、もちろん風情はない。とは言うものの、こういうものは慣れで、今ではすっかり違和感が無くなった。貰い物のティーポットから景品のぐい呑みにゆるゆると酒を注いで呑んでいる。安上がりの幸せであるなとも思う。

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