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凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

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丼大全その2(うな丼など)

2006年06月30日 | 旅のアングル
 丼大全1の続き。

<うな丼>
 そもそもうなぎの拵え方が東西で異なるのはご承知の通り。東はまず背開き、そして一尾を2~3切れにして竹串を刺す。そして素焼きして蒸し、そしてたれをつけて焼く。西は腹開きで、頭をつけたまま切らずに5尾ほどまとめて金串に刺す。そして蒸さずに香ばしさを生かして焼く。そこにまず地域性が出る。

「江戸前うな丼」
 全国的に標準のうな丼と言えば東京風のことを指すのだろう。ちょっと2、3触れる。
 僕は京都生まれであるので、関東風の蒸したうなぎは小さい頃食べたことなかった。それで初めて食べたときは、「うわぁ美味しい」とさすがに思った。味覚は完全に関西人の僕だが、うなぎは東京に脱帽である。初めて「野田岩(高島屋の支店だが)」に行った時、「志ら焼丼」そして「中入れ丼」を食べた。ふんわりとしたうなぎは絶妙である。白焼きはわさびをたっぷりつけて醤油であっさりといただく。これも美味い。値段もそれ相応ではあるけれども。

「ひつまぶし」
 これが丼か?と言う意見はさておいて、今や全国区の「名古屋の櫃まぶし」である。知らない人は少数派だと思うが、うなぎは細かく刻まれ、めしにのっけて「櫃」に入って出てくる。そこから各自よそって食べる訳だが、一膳目はそのまま、二膳目は葱、海苔、山葵などの薬味を混ぜて、三膳目は出汁をかけてお茶漬け風で食べる。「あつた蓬莱軒」で最初食べたが美味いものだなあ。変化するのが嬉しい。

「きんし丼」
 京都の「かねよ」では、大きく焼いたふんわり出し巻き卵をうな丼の上に乗せて供する。卵とご飯の間でうなぎが程よく蒸されて柔らかくなる。蒸さない直焼きの関西ではいろいろ工夫をしている。しかし錦糸玉子ではなくふわふわ出し巻きをのせているのになんで「きんし丼」なんだろう。

「まむし」
 大阪では、前述した直焼きうなぎの対処法として、あつあつのご飯の間にうずめて供する。めしの間でほどよく蒸されて柔らかくなる。関東の「中入れ」と同じ。これが「まむし」。何故まむしと言うかについては、うなぎの形状が蛇に似ているからではなくつまり「間蒸し」であると言われる。また「飯(まま)蒸し」からとも。道頓堀の「いづもや」では、上にうなぎが乗っていないうな丼がある。つまり、掘り返さないと出てこないというわけ。

「せいろ蒸し」
 福岡柳川では、焼いたうなぎをご飯と共にせいろの器にあつらえ、タレをしみこませてそれごと蒸し上げる。うなぎとご飯が完全に一体となって、タレもごはん一粒一粒にまぶさって美味いんだな。「元祖本吉屋」でいただいたが、また食べたくてしかたがなくなる。

<海鮮丼>
 海鮮丼の定義は難しく、ちらし寿司を範疇に入れてしまえば無限に広がる。
そもそもちらし寿司と言うものも地域性があるのではないだろうか。僕達の子供の頃の京都では、刺身をめしの上にづらづらと並べて供するかたちのちらし寿司はなかったような気がする。調理した穴子や海老、桜でんぶや錦糸玉子などを綺麗にもりつけたものだと思っていたのだが…。また「寿司編」でも書いて分類してみようかと思う。ここではほんの少しだけ触れる。

「うに丼」
 北海道ではあちこちで「うに丼」を供されるが、口コミで聞いた積丹の「なぎさ食堂」のうに丼は本当に美味かった。夏季限定の季節営業店でうに丼だけしかメニューにない店なのだが、あまりの美味さに翌年も札幌から車飛ばして食べに行ってしまった。絶品だと思う。トロリとしたうにの味わいは新鮮さそのものだ。
 ところで、個人的なことなのだけれども、礼文島あたりでうに丼を注文すると、煮てタマネギと一緒に卵でとじたものが出てきたりする。いくら産地とは言えあれはうにがもったいないと思うのだが…。

「いくら丼」
 「いくら丼」もあちこちで食べられるが、僕はやはり小樽の「一心太助」が好きだ。有名店なのであまりにもお客さんが多いが、質量値段全て秀逸だと思う。一番最近食べたのは4年くらい前だけれども、昔あった長蛇の列は治まっていた。かつてはカウンターに座っても後ろに人が並んでいて急き立てられるようで閉口したものだったが、今は情報量豊富な時代で客も分散しているのだろう。
 ついでなのだが、釧路の和商市場では、「勝手丼」なるものが流行っている。市場でご飯を買って、市場内各々の店で海鮮類を少しづつ買ってのっけてもらって食べる…という趣向なのだが、あれは案外高くつく。あれもこれもと乗っけるからだろうが、市場で売ってるご飯が結構高いのだな。ほか弁のご飯を持ち込んだら怒られるのかな?

<その他の丼>
「豚丼」
 帯広名物の「豚丼」。狂牛病問題で某吉野家その他が供した豚丼とは全く違うもので、厚く切った豚にタレをつけて炭火で焼き、ご飯の上にたっぷりのせた丼で、香ばしくて実に美味い。帯広に行けばどうしても食べてしまうものです。有名な駅前の「ぱんちょう」を始め、各店舗でメニューに載せられ、駅弁にまで登場している。

「深川丼」
 江戸前丼の代表選手で、あさりをネギといっしょに味噌で味付けしてめしにぶっかけて食べる逸品である。
 さて、この深川丼なるものはバリエーションがあって、どれが正統なのかよくわからない。「深川めし」と言われるあさりを炊き込んだもの、そして前述のめしに味付けあさりをのせたもの、そしてあさりの剥き身の味噌汁をめしにかけた、いわゆる味噌汁かけごはん(カッコよく言えば芳飯)と、いろいろ種類がある。好みなんですけどね。

「木の葉丼」
 木の葉丼なる丼を関東の人に聞くと「知らない」という。関西(特に京都)では一般的でうどんやにはたいていメニューにあるのに。これは、かまぼこやしいたけ、三つ葉を卵でとじた丼なのだが(親子丼の鶏肉がかまぼこになったものに近い)、どうも関西限定らしい。僕の親父はこれが大好物でいつも食べているのだが。なんで「木の葉」か? と問われれば窮してしまうのだけれど。
 ついでに書くと、関西限定(らしい)丼は他に「きつね丼」がある。これは細かく刻んだ油揚げと九条ネギを煮てめしにのせたもの。きつねうどんと言えば甘辛く煮た大きな揚げがのっているが、丼では細かく刻む。大阪では「信太(しのだ)丼」とも言う。これは大阪に信太山という場所があっていわれのある稲荷神社があるからだが。このきつね丼を卵とじにすると「衣笠丼」となる。これも京都では普通のメニュー。
 また「他人丼」も関西以外では一般的でないらしい。これは親子丼の鶏を牛肉に変えたものだが(牛と卵だから親子じゃなくて他人)、普通のメニューだと信じていたら他所ではあまりない。まれに関東方面では「開化丼」と言うらしい(四足のものは文明開化の象徴だからか)。ただ、牛じゃなくて豚を使ったりすると聞く。
 まれに関西では「いとこ丼」というのもあって、これは鶏ではなく鴨を使うので、鳥の仲間だから従兄弟ということか。ちょっとこれは行き過ぎのような気もするが。

 丼については以上で終わるが、もう一編蛇足を付け加えさせて欲しい。「めし」ものではなく「ライス」の世界を少しだけ書いてみたい。次回に続く。

丼大全その1(カツ丼など)

2006年06月27日 | 旅のアングル
 旅先で食べたものについていろいろ書きたいと思っていて、その第一弾として日本全国で食べた麺について「うどん編」「蕎麦編」「ラーメン編」「その他面白い麺編」について以前書いたのだけれど、今度は「めし」について少しまた書いてみたい。「めし」と言ってもいろいろあるけれども、まずはその代表選手である「丼」について。
 米をワシワシと食べていると、自分が日本人であることを実感出来る。丼と言えば、一般的には「カツ丼」「天丼」「親子丼」「うな丼」「牛丼」を日本五大丼とし、さほど地方色は無いと思われているがさにあらず、食べるにしたがって個性的な丼がどんどん出てくる。え、この土地にはこんな丼があるの?という驚きは旅をしていると結構多い。麺と比べて丼は「ご当地○○」が成立しにくい分野だとは思うけれども、食べ歩くと案外個性が出るものだと思う。麺ほどツラツラとは書けないけれど、印象に残る各地の丼について並べてみようかと思う。なお、ここに書く食べ物はあくまで僕が食べた経験からであって、もちろん氷山の一角だろう。個人的な記録として見て頂きたい。

<カツ丼>
 カツ丼と言えば、一般的にはトンカツを卵でとじて丼にのっけたもの。そう信じていたが、「いやそうじゃない、これがホントのカツ丼だっ」と主張する地方がある。思い込みの不明を恥じる場面もあったりするのだ。

「ソースカツ丼」
(その1)福井編
 福井の旅の記事でも触れたが、かの地では「カツ丼」と言えば「ソースカツ丼」である。それだけでなく、このカツ丼は日本カツ丼の元祖という説もあり、実に伝統がある。
 丼めしの上に、柔らかなロースを…そうだな、手のひら半分くらい(もう少し大きいか?)の大きさで厚くもなくさりとて薄すぎもせずちょうどいい厚さにカットして、ごく細かいパン粉をまぶして揚げる。ソースを絡めてそれがめしの上に三切れのっている。カツが大きいので折り重なるようになっている。地元の人は、それでは食べにくいのでまず丼の蓋にカツを一切れないし二切れ移して、丼上に余地を作ってから食べる。これが美味いんだな。もはや病みつきである。

(その2)長野駒ヶ根編
 かの地でもソースカツ丼が有名。ここは福井と違ってご飯の上にキャベツが敷かれていて、カツも大きく、ロースの分厚いカットをそのまま揚げて一口大に切ってある。トンカツ定食がひとつにまとまった感じだろうか。これもまた美味い。

 さて、同じ長野で大町などでもソースカツ丼を食べたことがあるし、信州ではソースが優勢なのかもしれない。話によると桐生や会津若松でもソースカツ丼らしい。まだ食する機会がないのが残念である。

「醤油カツ丼」
 新潟では、醤油味のタレにくぐらせたカツを丼にしたカツ丼がある。最初に食べた店の名前は失念したのだが、普通に注文して予期せずこの醤油味カツ丼が出てきたので驚いた。あっさりしていてこれが美味いんだな。「政ちゃん」などの名店もあり、醤油カツ丼文化は定着しているようである。カツの大きさや厚さは福井に似ている。中入れカツ丼もあったりする。美味いのでこれはあちこちにもっと出来てもいいのに。

「味噌カツ丼」
 言わずと知れた名古屋名物「みそかつ」を丼にした逸品。八丁味噌を甘めに味付けしてカツに絡めて丼にのっける。癖になる美味さ。独特の名古屋の味覚だろう。僕は「矢場とん」などの有名店で食べるが、隠れた名店も多いらしい。

「ドミカツ丼」
 岡山でしか味わえない「ドミカツ丼」。岡山では一般的だとか。カツにドミグラスソースがかかっていて、洋食テイストがあり実に美味いのだ。女房が大ファンで連れてけ連れてけとうるさい。僕は「だて」の卵を落としたドミカツ丼が好きで、岡山に行くとつい寄る。なんでこれが全国的に無いのか。近所にあればもっと通うのに。

(番外)「かつめし」
 これは正確には丼ではなくライスものに分類すべきだが、皿にライスを盛り、その上にビーフカツをのせて(トンカツの場合もある)、ドミグラスソースをたっぷりかけて供される。これは本当に地方限定の食べ物で、兵庫県播磨地方東部、もう少し言えば加古川市を中心にした地域でのみ存在して、他では「かつめし」と言っても通用しないが、加古川ではラーメン屋でも喫茶店でも置いてある。地方限定と言えばこれほど限定食もない。美味いよ。

<天丼>
 天丼はカツ丼ほどバリエーションはないと思う。しかしながら、心に残ったいくつかの天丼を。

「江戸前天丼」
 いわずと知れた天丼の王道。東京に行くと天丼もよく食べる。「土手の伊勢屋」「まさる」などの名代の店。また銀座の天國なども、夜はとても敷居が高いが昼に天丼なら気軽に食べられる。神田のいもやなどは入り易い。
 東京の天ぷらは胡麻油でカリッと揚げたものが多く、丼つゆも甘辛くて濃い。関西の天ぷらと比べて少々もたれる感じがどうしてもするが、毎日食べるものではなし良しとするか。
 銀座の老舗「橋善」が店を閉めてしばらく経つ。ここは天丼発祥の店という説もあり、巨大なかき揚げ丼は東京名物だったと思うのだが残念。家族に食べさせたかった。

「桜海老かき揚げ丼」
 静岡、駿河湾の名産サクラエビ。これをかき揚げにして丼にすると美味いよ。由比町周辺だと食べられるところが多い。サクサク♪

「みそ天丼」
 これは信州諏訪の天丼で、具材も地元の山菜や川魚を活用して、味噌ダレをかけていただくというもの。詳しいことは知らないがおそらくは伝統の味ではないようだ。「町おこし」の企画モノか。しかしながら、今後定着して名物になるやもしれず、(偶然でしたが)早めに食べてよかったと思う。

「豚天丼」
 どれだけ一般的な食べ物かは知らない。北海道で初めて食べたのだがなかなかいける。帯広には「豚丼(後述したい)」があるので豚天丼があってもおかしくはないのだが。倶知安にもあったと思うのだが一般的なのかどうか?

「とり天丼」
 大分には「とり天」という郷土料理がある。下味をつけた鶏肉をてんぷらにしたものだが、明らかにコロモがついていて竜田揚げとは違う。これを丼にしたものだが、美味いですよ。

 次回に続く。次はうな丼か?

やっぱり僕は麺が好き~その他の麺編

2006年05月02日 | 旅のアングル
 各地で個性派の麺が花盛り。うどん蕎麦ラーメンとゴタゴタと書いてきたが、そのいずれにも分類しにくい麺がある。いやなにパスタとかの話ではない。その土地ならではの特徴を出した「ご当地麺」が日本には数多くあるのだ。だから旅はやめられない。

「盛岡冷麺」
 盛岡は平壌と緯度が同じらしく冷麺が旨く作れるらしい。真偽はともかく確かに美味い。あのまるでゴムのような弾力のある麺はたまらない。全国の焼肉屋に冷麺は置いてあるご時世だけれども、古い伝統を持つ盛岡がやはり本場である。元祖の「食道園」、駅前の「盛楼閣」、流行の「ぴょんぴょん舎」いずれで食べても満足。

「じゃじゃ麺」
 もうひとつの盛岡名物、じゃじゃ麺。茹でたうどんのような麺の上に、きざんだキュウリと長ネギ、肉味噌。やはり名店「白龍」でいただいたが、実にクセになりそうな味。最後にいただく卵スープ 「鶏卵湯(チータンタン)」も絶品。

「冷やしラーメン」
 これ、ラーメンの範疇だとは思うのだけれどもあまりに特殊なのでこっちに書く。山形にだけ何故かある食べ物である。
 「栄屋本店」という市内の店で食べた一品を見たときはさすがに驚いた。ラーメンスープの中に氷が浮いている。それで食べるとちゃんと「冷たいラーメン」なのである。どういうこと? 普通ラーメンのスープには大量の油脂が入っていてそれがコクを生むのだが、冷やせばそれは凝固する。しかし、白い油脂の固まりなど微塵もない。しかしラーメンの味はする。不思議だなぁ。
 *なお、北海道では冷やしラーメンと言えば本州以南で言う「冷やし中華」のことを指すが、この山形のはそれではなく「冷たいラーメン」なのです。

「サンマーメン」
 ほぼ神奈川県だけでしか食べられないサンマーメン。これをどう書くのか迷った。ラーメンの亜種とも言えるが、タンメンとラーメンが違うように、サンマーメンにも敬意を表して独立麺として扱った方が相応しいだろう。
 確かに麺とスープはラーメンの範疇だが、その上にモヤシを中心としたあんかけがたっぷりとのっかる。ラーメンから分派したというより、中華の麺料理からの分派だろう。横浜発祥というのも頷ける。これが美味いんだな。

「富士宮焼きそば」
 静岡の富士山の麓の街、富士宮は焼きそば屋さんばっかりだった。気合い入ってますね。ラードを搾った後の肉カスを使用し、さらに鰹節ではなく鰯などの魚粉を振りかけて徹底的にコクを加える。これがソースと相乗効果でたまらなく美味いのだ。ソース焼きそばというのは特徴を出しにくいものだと思うが町おこしの目玉にするだけのことはあった。横手とあとひとつどこかで三大やきそばと言うらしい。

「伊那ローメン」
 長野県伊那市だけにある実に不思議な食べ物で、説明が難しい。蒸した麺を使用し(したがってコシはあまり無い)、マトンと野菜を加えて炒め、スープを加え更に蓋をして蒸し煮にして供される。想像つきますか? 多分他にはないだろう。「萬里」というローメンの名店で食したが、これが摩訶不思議な美味さ。羊が苦手な人はダメだろうが。全国展開というタイプではないが、無くならず生き残って欲しい。

「大門素麺」
 素麺を取り上げると全国のものを書き連ねなければならない。三輪、竜野、小豆島、半田、島原と素麺の名産地は多い。だが、いずれも現地で食べなければならないものでもない、流通可能な保存食であるところが、素麺が「ご当地麺」化しにくい点だとは思うが、一つ取り上げてみたい。富山の砺波市の大門素麺は実に美味い。形状が珍しいのだが、普通素麺は真直ぐの麺が束になっているけれどここのは丸まって袋に入っている。店で食べるものではないが、北陸に住んでいたころは素麺と言えばこればかり食べていた。ノドごしも最高で旨みがある。そして不思議なことに伸びにくい。素麺はしばらく置いておくとグズグズになってしまうものだが、これは食べ残しを冷蔵庫に置いておいても、結構持つ。にゅうめんで温かくしてもコシが残るのがさすが。

「きしめん」
 ご存知名古屋名物。駅を始めとして何処ででも食べられるのでそんなに珍しくはないのだが、なかなか美味いきしめんにあたらないのも事実。あの薄い麺はなかなか歯ごたえを生み出すことは難しいとは思うが、ただ、手打ちきしめんと銘打つ店などは麺にコシがあって確かに美味い。バカには出来ないシロモノなのだ。ツルツル感が身上。

「ちゃんぽん」
 長崎名物であり旨さは折り紙付き。「四海楼」が元祖だが、どこでも食べられて旨い。新地中華街は名店揃い。「会楽園」「江山楼」などたまりませんなあ。長崎以外でちゃんぽんを食べると何故か五目ソバになってしまう。ラーメンの麺とはまた別物なのだ。また、魚介の旨みが溶け出したあのコクのあるスープ。現地で食べるのが最高です。

「皿うどん」
 ちゃんぽんと同様長崎名物。僕らは両方食べたいのでいつも妻と一つづつ頼んで半分に分ける。パリっとした麺があんかけと絡むと最高である。
 ただ、僕たちは細麺を油で揚げた「かた焼きそば」的なものをすぐ連想するが、現地では太麺を炒めてあんをかけるバージョンもあり、どっちかを選べる場合が多い。太麺を頼むと「通」っぽいのだが、つい誘惑に負けて細麺パリッの方を選んでしまう。なかなか修行が足らない。ところで、地元では皿うどんにウスターソースをかけることが多いようだが、僕はそれはどうも…。

「太平燕」
 この「太平燕(タイピーエン)」、完全に熊本にしかない食べ物だろう。コクのある鶏がらスープに、野菜や豚肉、魚介類を炒め合わせて麺と合わせた料理。それだけだとちゃんぽんや五目そばのようだが、この太平燕、麺が実は春雨なのである。
ヘルシーなのでブームになってもいいのだけれども、あまり広まっていない。僕も長らく知らず、熊本4回目くらいで初めて食べた。実に美味。

「沖縄そば」
 沖縄のそばと言うとすぐに「ソーキそば」だと言われるがありゃつまりラーメンで言うと「チャーシューメン」みたいなもの。沖縄のそばはみんなソーキそばではない。
 もちろんそばと言って「蕎麦」ではないしうどんでもなくましてやラーメンでもない。ああもどかしいな。書き出すととめどなくなるので検索してください。
 今はなき首里の「さくら屋」に行ったことがあると既に自慢になってしまうらしい。行っておいて良かった。今はその味は「首里そば」に引き継がれている。確かに美味い。本部の「岸本食堂」その他あちこちに足を伸ばし、食べ歩いたがどこも旨い。それぞれ特徴もある。ああ沖縄そばには愛着がありすぎて書ききれない。別に一記事設けて書きたい。ちなみに僕のお気に入りは西町の「亀かめそば」です。

「八重山そば」
 沖縄そばとは別ジャンルである八重山そば(宮古そばと言うのもあるぞ)。島が連なる沖縄は、それぞれの島々で独自の食文化がある。そばも然り。
 少し細めの麺と細切豚肉、かまぼこの具で、本当に美味い! ! 我慢できなくなる。石垣の「丸八そば」をはじめ、各島それぞれに美味い店があり、ノドが今でも鳴ってしまう。食べに行くにはあまりにも遠い…。

<早く食べたい未賞味の麺>
 例えば宮城の「白石うーめん」。よく宮城県には行くのに食べる機会を逸している。素麺に近いらしいのだけれども油を使っていないらしい。また宇和島の「福めん」。これ、麺はこんにゃくらしいぞ。こんな面白い麺をまだ食べていないとは。或いは有名ご当地麺でもまだ食べてないものが。それは名古屋の「あんかけスパ」。食べていないというより微妙に避けていたかも。

 麺シリーズ終ります。次回、丼シリーズはいつ書こう。

やっぱり僕は麺が好き~ラーメン編

2006年04月30日 | 旅のアングル
 うどん編蕎麦編に続いて今回はラーメン。これはもう、全国各地にご当地ラーメンがあり、ネットの世界でもラーメンサイト花盛り。これから書くのは、あくまで僕が食べてきた各地のラーメンについての感想。網羅など出来ませんから。

「旭川ラーメン」
 初めて「蜂屋」のラーメンを食べたのは10年以上前だったが、あまりにも美味くて翌日もまた行ってしまった。動物系と魚介系のブレンドスープは絶妙。その香ばしさは流行の「Wスープ」のように魚臭くなく香ばしい。その後「梅光軒」「青葉」「山頭火」等を食べ歩いたが、どちらも旨かったなぁ。

「札幌ラーメン」
 特徴のあるサッポロラーメンはご当地ラーメンの嚆矢で全国に知れ渡っている。「味噌ラーメン」発祥であり、太くコシのある麺と炒め野菜たっぷりの勇姿はとても美味い。
 僕は、「五丈原」が好きなのだけれど、あれはサッポロラーメンの範疇に入るのかなぁ…。

「函館ラーメン」
 塩ラーメン中心のあっさりした風味が特徴。「鳳蘭」「王さん」など行ったが、見た目の割にはコクがあって胃の腑に沁みる。
 朝市には蟹が入ったラーメンなんかもあるけれど、あれは食べづらいものだなぁ。別々で食べたいよねー。

「十文字ラーメン」
 秋田の十文字町が誇る名代のラーメンを食べに途中下車。「丸竹食堂」に行ったが、魚だしが非常に利いているあっさりしたダシと、細い手打ち麺は案外クセになりそうな味だった。

「喜多方ラーメン」
 独特の太い縮れ麺と醤油味のスープは絶妙で美味い。「源来軒」「まこと食堂」「坂内食堂」などに行ったがいずれも濃くて深い。また、朝から開いている店も多いのは嬉しいこと。ハシゴに最適。

「佐野ラーメン」
 栃木県佐野の、太い青竹を膝関節で操って生地を打てコシを出すラーメンは、その縮れ麺が特徴。「とかの」に行ったが、あっさりして美味く、麺はやはり味わう価値があった。

「東京ラーメン」
 東京はラーメンの本場らしく、どこへ行っても行列。まあ人口のせいもあるのだろうけれども。かつて隆盛を誇った荻窪他の伝統店にも行ったし、「昔ながら中華そば」系も食べ歩いた。それなりに美味い。そして今本流は、Wスープなのだろうか。中野の「青葉」なんかはその特徴が出てるのだと思う。新宿の「麺屋武蔵」はその究極なのだろう。並んで2回食べて、無論不味くはないのだが、「これって本当にラーメン?」っていうのが正直な感想。京都生まれでこってりスープに慣れているせいだろうが、僕の理解の及ぶ世界ではなかった。武蔵ファンは山ほど居るので、これはあくまで悪口ではないことを明記しておく。あくまでも好みです。
 ただ、昨今は「これってラーメンじゃないみたい」が褒め言葉になっているような気もする。魚ダシ一本やりでやったりとか。なんだか不思議だし釈然としないのも事実。

「高山ラーメン」
 醤油味の強いスープと縮れ麺が特徴。「まさごそば」「豆天狗」に行った。所謂「昔風」と呼ぶに相応しい中華そば。美味かった。酒を呑んだあとにはなおさらいいかも。

「京都ラーメン」
 京都生まれなので旅で出会った味とは違うが、身体に馴染んだ味は離れ難い。最近は何処に行っても「天下一品」があるので何故か安心する。鶏がらをこってりと煮込んだコラーゲンスープ、例えば「天天有」なんかは京都が誇る味だと思う。基準が京都ラーメンだから、「麺屋武蔵」とは対極なのだ。鶏ガラスープの実力をもっと見直そう! !  
 →僕の旅 京都府 Ⅳ

「天理ラーメン」
 奈良は天理に本拠を構える「彩華」という店が発祥だとは思うのだが、具に炒めた大量の白菜と豚肉、にらなどを使用し、ニンニクを利かせる「スタミナラーメン」。スープは澄んでいる。なんと言っても力強い。系統立っているわけではないが、大阪№1とも言われる「神座(かむくら)」のラーメンも広く言えばこの系統ではないかと思う。芦屋の「楓林」もそうかな。

「和歌山ラーメン」
 超有名店【井出商店】のスープは実にわかりやすい。これぞ「豚骨醤油」である。美味いですね。「○高アロチ店」「まるやま」いずれも美味い。再訪してまた食べたい。

「尾道ラーメン」
 「朱華園」に行列が無い時を見たことがない。しかしそれでも行きたくなるのは何故だろう。何度も行ってるのにねぇ。背脂ミンチが特徴で、所謂チャッチャ系とは違う。「つたふじ本店」なども美味かった。

「徳島ラーメン」
 よく徳島に泊まって、阿波尾鶏を食べて最後に「よあけ」のラーメンで〆るのを定番にしていた。味わい深いラーメンで、今すぐにでも食べに行きたい。「いのたに」あたりが正統派徳島ラーメンの代表なのだろうか。こってりしてご飯に合う。美味い。

「博多ラーメン」
 豚骨スープで世界に冠たるラーメン。屋台の行列の店は感心しないのだが、他は美味い。定番ですが「元祖長浜屋」「節ちゃんラーメン」「一風堂」「一蘭」などはつい行ってしまう。

「久留米ラーメン」
 初めて「丸星ラーメン」に行った時はその美味さと350円という値段に感動した。その後、元祖の「南京千両」や「大龍ラーメン」等に行き、久留米は九州最高峰ではないかと密かに思っている。濃い豚骨スープ。煮込んで砕けた骨が丼の底に沈んでいる。まさにこってり。

「熊本ラーメン」
 熊本に行った際に「黒亭」「こむらさき」「桂花本店」「山水亭」等を食べ歩いた。何れも美味く、実にこってりとして素晴らしい。焦がしたニンニクが決め手。

「鹿児島ラーメン」
 鹿児島のラーメンは…よく僕には理解出来ない。ただしファンも多いのでこれは嗜好の問題だろう。でも、「のぼる屋」1000円「こむらさき」900円はちと高いのでは。「くろいわ」その他何軒か行ったが、「鷹」「仏跳麺」は口に合った。

 ご当地ラーメンはもちろんこれだけではなく、あくまでこれは僕が訪れて実際食べたラーメンだけである。ネットで一番活気があるのはラーメンサイトじゃなかろうかと思うくらい日本人はラーメンを偏愛している。
 訪れていないラーメンどころや店が多くて。どんどん行きたい。

 次回、その他の麺について。

やっぱり僕は麺が好き~蕎麦編

2006年04月29日 | 旅のアングル
 前回の続き。今回は蕎麦について。

 蕎麦もうどんに負けず劣らず地方色がある。小林一茶が「おらがそば」と言ったとおりそれぞれの村々にそれぞれの蕎麦がある。語りだすとキリがないので、僕が食べた蕎麦の中から特徴のあるものだけを。

「北海道の蕎麦」
 蕎麦と言えば信州、とよく言われるが、実は日本の蕎麦生産第1位は北海道である。幌加内、新得、鹿追、浦臼、江丹別と名の知れた産地が多い。
 さて、最初に「特徴のあるものだけ」と書いておきながら北海道の蕎麦屋、食べ方にさほどの特徴は見られない。老舗はそれぞれの町にあるのだけれど。
 一つ印象に残る蕎麦がある。なんだか「えっ」と言われそうだが駅蕎麦をあげたい。「音威子府そば」である。蕎麦の北限とも言われる道北音威子府で供される蕎麦。有名なのは実は駅構内の蕎麦である。見た目はおそらく「日本一黒い蕎麦」である。殻ごと挽く「田舎蕎麦」は見た目はたいてい黒いが、ここまで色が濃いのも珍しい。その香りと独特の歯触り、なによりも旅情漂う。名品。

「わんこそば」
 おねえさんが付っきりで次々とおかわりを供するわんこそば。知らない人はいないと思うが食べた人は案外少ない。僕は一度盛岡で経験した。早食い大食いの面ばかりが強調されがちだが、実は食べて美味いものだということを認識した。そりゃ旨くなければあんなに沢山食べられないわな。喉越しあくまで良く、香りもいい。一人前で約15杯だと言われる。僕がチャレンジしたのはもう10年以上前のことだが、104杯(笑)。とにかく100は超えたかったので必死に食べたなぁ。

「山形板蕎麦」
 山形の村山を中心として、一抱えもあるような板(と言いますか木箱の薄いやつね)に盛った蕎麦を供してくれる地域がある。器が大きいからしてボリュームもすごい。麺は太めで歯ごたえも強い。すすり込むより噛みしめる麺だ。
 名店「あらきそば」で食べたが、香り高く美味い。サブメニューの鰊の棒煮もナイス。

「へぎそば」
 新潟のへぎそばにはハマっている。フのりをつなぎに使ったツルツル麺は実に美味い。本家小千谷の「角屋」他、十日町の「小嶋屋」が支店を多く出しているので、上越や新潟市内でも食べられる。と言うか、僕は家にへぎそばの乾麺の買い置きがなくなると実に不安な気持ちになる。いつもそばに置いておきたい。
 →僕の旅 新潟県

「信州そば」
 信州は蕎麦どころ、どこも美味く書ききれない。ただ、信州と言っても広く、それぞれの地域で「おらが蕎麦」であるらしい。更科にせよ、安曇野にせよ、塩尻にせよ、富倉にせよ、佐久にせよ、木曾にせよ。もちろん長野市や松本も名代の蕎麦屋が多い。いずれも蕎麦の香りが立って旨い。
 僕は戸隠の蕎麦が好きだなあ。「霧下そば」と呼ばれる寒暖差激しい高地で産する質実剛健の蕎麦。名店「うずら家」をはじめどこで食べても美味かった。キリっとしている。
 忘れられないのは上田の「刀屋」。とにかく盛りの量がすごい。しかも美味い。

「東京のそば」
 東京へ行くと、蕎麦屋で一杯…というのをやりたくなる。「かんだやぶ」であいやき、天たね、「室町砂場」で玉子焼、「並木藪蕎麦」で菊正宗樽…と実に楽しい。蕎麦のことを思わず忘れたりして。「まつや」はやっぱり落ち着くか。
 →蕎麦屋酒・壱 蕎麦屋酒・弐

「おろしそば」
 福井のおろし蕎麦は美味い。もちろん大根おろしで食べる蕎麦である。
おろしがかかっているので特に二日酔いにいい。市内だと普通に2皿で一人前である。武生の「うるしや」へ行くと蕎麦猪口におろしが入ってきてつけて食べる。また大野や勝山に行くと別器におろし入りダシが出て来て好きなだけかけて食べる。このスタイルが好きだ。蕎麦はいずれも香り高く、飽きない。

「出石皿そば」
 兵庫は但馬にある山間の城下町、出石は、町中どこもかしこも蕎麦屋だらけ。ここの蕎麦は小皿に盛って供される。だいたい5皿で一人前。色の濃い太めのこの蕎麦を、トロロや卵が入った汁につけ掻きこむように食べる。皿を重ねていくのが楽しい。僕は中学生のとき30皿食べて親に怒られた。わんこそばと違って別に食べ放題という設定にはなっていないので念のため。

「出雲割子そば」
 わりごそばはまた美味い。へぎそばと同様にハマっている。割子とはつまり…重箱を円くして小さくしたようなものと言えばいいのかな。そういう器で供される出雲地方の名物。割子三段で一人前くらいか。薬味を割子の中の蕎麦の上にのせ、上からつゆをかけて食べる。蕎麦が香り高く美味い。「神代そば」他の松江の名店、「荒木屋」他出雲の名店、いずれも大好き。「砂の器」で有名なの亀嵩駅の駅蕎麦も割子で、素朴な味わいがする。

「祖谷そば」
 徳島県の山奥、大歩危小歩危で有名な吉野川から山間に入る。かずら橋で有名な日本の秘境、祖谷谷。ここの名物の蕎麦は、素朴な正しい田舎の蕎麦。実に味わいがある。太く短く(蕎麦粉100%なので千切れやすいため短い)、正直多少食べにくいがそれも味わいのうちだ。
 富山の利賀蕎麦もこんな感じ。田舎の山間にはこういう蕎麦がまだあちこち残っているのかなあ。

「瓦そば」
 山口に行けば川棚温泉の「たかせ」の瓦そばを食べに車を走らせる。熱した瓦の上に茶蕎麦と牛肉、錦糸卵等の薬味。特製のつゆで食べる瓦そばは、熱されてフワフワ、焼けた部分がパリパリ、食感も絶妙でクセになる。昔は支店が無かったが、一度は大阪にも進出し(現在はない)、博多や門司にも支店を出したので食べやすくなったのは嬉しい。

 次回、ラーメン編へと続く。

やっぱり僕は麺が好き~うどん編

2006年04月27日 | 旅のアングル
 僕は自分で言うのもなんだが食い意地が張っている。はしたないが事実だからしょうがない。
 旅の中で、様々なものを呑んだり食べたりしてきた。旅の楽しみとして、その土地ならではの食材や料理を味わう事は実に重要な要素であることは賛同していただけると思う。また旅行の目的が転じて、「食べ物が目的になる」旅行をすることもしばしばある。自分たちの味わったことのない旨いものを目指して旅をすることは実に愉しい。
 高級郷土料理店には滅多に行くことはないしそんなガラでもなく、自分たちの背丈に合った食べ物を探して、列車に乗り、そして車を飛ばすことの至福。たまりませんなあ。
 旅で食べてきた様々なものの事をまとめて少し記してみたいと思っていた。まずは麺から始めることにする。ラーメン、蕎麦、うどん…安直な食べ物でありながらこれだけ地方色を出している食べ物もない。地方によって、本当に様々な麺があり廉価で楽しませてくれる。

 今回はうどんについて書いてみたい。
 うどんは実に地方色豊か。製法もそれぞれ違う。大きくは手延べ式の素麺を太くしたようなもの(稲庭、氷見、五島等)と、切り麺とに分かれる。定義づけは難しい。こういう話は好きなので書き出すとキリがないので止めるが。「うどん」と名乗っていればうどんということにしよう。
 それでは、僕が食べてきたうどんについて。

「稲庭うどん」
 超有名うどん。いわゆる手延べ式で乾麺である。艶やかで滑らかな麺は他の追随を許さない。秋田でも食してやはり抜群だが、上手に茹でれば家庭でも近い味が味わえる。シャキッと冷水で締めたつやつやの麺。美味いですなあ。

「水沢うどん」
 群馬名物。透明感があり柔かそうに見えてコシがある。ちょっと不思議な食感で美味いですな。そのこだわりは、ほとんどを「ざるうどん」で食させることからも見える。「清水屋」などで食べましたが、細やかで繊細な感じ。また、舞茸の天ぷらとの相性がすごく良くてセットでどうしても頼んでしまう。

「加須うどん」
 埼玉県加須は手打ちうどんの街らしい。美味いと評判で、一度食べてみたいと念じていてようやく2年ほど前に食べる機会を得た。
 思ったよりコシが強い。どうせ東京近辺のうどんなど、とタカを括っていた不明を恥じた。美味いのだ。

「ほうとう」
 山梨近辺へ行く度に、「小作」に寄って甲州名物ほうとうをつい食べる。じんわりと温まる。
 ほうとうとは、通常のうどんよりもかなり太い。それを湯がくことなく野菜や肉などの具材と共に鍋で煮込んで食べる。これをうどんだと分類すると山梨の人は怒るかもしれないな。曰く「ほうとうはほうとう」。
 値がはるのでいつもは「かぼちゃほうとう」だが、たまには「猪肉ほうとう」「熊肉ほうとう」も食べてみたい。

「吉田うどん」
 山梨の富士吉田市はうどんの町である。最近TVでもよく紹介されているのでご存知の方も多いだろう。僕も食べる機会を得たのは最近の話である。
固めの麺。固めと言うより固い。出汁は醤油味が基本と言われるが僕が食べたのは味噌も入っていた。悪くない。そして最大の特徴は具にキャベツを使うこと。食べたらちょっと驚くと思うよ。辛い唐辛子味噌を薬味で添えるのもまた珍しい。

「氷見うどん」
 手延べうどんであり、麺自体は入手することは易しいが、富山の氷見現地では食べさせてくれる店が少ないのが現状。僕も現地では2、3回しか食べたことがない。しかしコシがあって美味い。家庭で気をつかって上手に茹でれば美味い麺が食べられる。

「味噌煮込みうどん」
 ご存知名古屋の名物うどん。【山本屋本店】と【山本屋総本家】があり、味の違いは僕にはよくわからない。値段は【本店】の方がちょっと高いか。でも店によって相違があるかもしれずはっきりとしたことは言えない。ただ、クセになる味には間違いなく(うどんの芯が残った茹で方も含め)、名古屋では必ず食べてしまう。
鍋焼きの蓋をとってひっくり返し、それを受け皿にしてうどんを食べる。八丁味噌は濃く、やはりごはんと一緒の方がいい。

「伊勢うどん」
 もっちりとしたフワフワの太麺と、たまり醤油の濃い色の出しが特徴の伊勢うどん。こんなに見た目個性的なうどんも珍しいが、食べれば美味い。色の濃さほど味は濃くなく、まったりとして後を引く。

「関西のうどん」
 僕は京都出身なので慣れ親しんでいてもちろん美味いと思うが、関西のうどんと言ってもいろいろ。京都で「たぬき」と言えばきつねのあんかけバージョンで生姜が決め手だが、大阪に行くときつねそばををたぬきと言う。最初はびっくりした。東京では揚げ玉うどんを「たぬきうどん」と言うということを最初聞いた時にはこれも驚いたが。
 「きつね」にも2バージョンあって、甘辛く煮た大きい油揚げをのせるのと、細く刻んだ油揚げを使う「きざみ」とがある。
 関西のうどんは出汁が決め手。あまり他所では使わない昆布を奢った出汁は美味いですよ。

「さぬきうどん」
 さぬきうどんは至上最強の麺。とにかく美味くてたまらない。うどんを食べに香川に通うこと多々、訪ねたうどん屋は100軒を超えた。書ききれないのでいずれ一記事独立させて書きます。

「たらいうどん」
 徳島県の土成名物。釜揚げをでかいたらいに入れて供される。楽しい(笑)。さぬきうどんとはちょっと違う、しかしコシのある麺。つけ汁が少し香ばしい魚の風味でまた美味い。

「倉敷ぶっかけうどん」
 jasminteaさんご推奨の倉敷は「ふるいち」のぶっかけうどん。こちらでは名物です。
 葱や天かす、刻み海苔などをふんだんにのせ、濃い目の汁をぶっかけて供される。一気にかき回してズルズル。さぬきうどんとはまた違うしっかりとした感触。美味い! 
 岡山には「鴨川うどん」という名品もあるのだがこれはまだ未食。

「博多うどん」
 博多はうどんどころ。初めて食べたのは「かろのうろん」だったが、ごぼう天うどんの美味さにはびっくりした。細切りのごぼうが相性がいいのだな。かなり柔らかめのうどんだがこれはこれで美味い。そして「まる天」。円いさつま揚だ。このまる天かそれともごぼ天か、どちらを具にしようかで心は千々に乱れる。さらに博多ではラーメンかうどんかどちらを食べるかでも悩む。「牧のうどん」「川端うどん」「英ちゃんうどん」「ウエストのうどん」…。

「北九州うどん」
 こういうジャンルがあるのかどうかは知らないのだけれど、北九州にはかしわうどんってありますよね? 駅のホームのうどんとか、「資さんうどん」とか。大分にもあったかな? 甘辛く煮た鶏肉とうどんの相性がよく僕は非常に好き。ふと夢にも見たりする。

「五島うどん」
 五島に行ったときに食べた。手延べうどんなのだが、地元では「地獄だき」と言って鍋でグラグラ煮てそのまま釜揚げ風に食べる。コシの強さももちろんだが、地元名産のアゴ(飛魚)でとった出汁が旨い。地元では讃岐、稲庭と並んで日本三大うどんと言っていた。

「宮崎うどん」
 何故か宮崎では「釜揚げうどん」隆盛である。よく巨人の宮崎キャンプで選手が行く「重乃井」が有名だが、他にも「吉長」など美味い店が多い。早朝から営業、セルフ店がある、廉価(160円とか)などさぬきと同じような特徴がある(麺のコシは違うが)。宮崎はそう言えば海を隔てて四国だなあ。

 他にもご当地うどんは多いと思う。食べたら書き足していこうかなとも思う。
 次回、蕎麦編、そしてラーメン編へ。

見渡す限りのひまわり畑

2006年02月13日 | 旅のアングル
 ブログをカスタマイズして、タイトルバックにひまわりの花を持ってきた。
 こんなふうに書き出して、今後またタイトルバックを架け替えてしまうとたちまちこの記事は古びてしまうのだけれど、まあこれは2006/2/13時点のことだと断っておく。

 花なんていうのは誠に僕らしくない。僕は哀しいかな実に殺風景な人間だということは自覚している。普段まわりに全然装飾が無い。もう少し潤いを求めたらどうか、とはよく言われるのだけれども、机周りにも車にも装飾品らしきものは全然無い。これは自分のセンスの無さを自覚していて、ヘタに飾り付けるとゴタゴタになってしまうことを危惧して何も置かないのだけれど、飾り付けなくても平気、というのはやはり殺風景な人間なのだろう。
 それはブログにも反映されていて、画像のひとつも記事に載せることはない。載せる手段を持っていない(デジカメも携帯写メールも持たず、スキャナもない)からだけれども、載せたいと本当に思うならそれらをもう導入しているだろう。そもそも、潤いのない人間なのだ。

 そのことは僕の大好きな旅行にもやはり反映されている。
 僕は、神社仏閣が好きでよく出かけるけれども、「花の時期」となるとつい出かけるのをためらう。「紫陽花が今盛りです」「牡丹が咲き乱れています」と言われると、その時期はおそらく人でごった返しているのだろうと想像し、「侘び寂び」を求めたい僕は二の足を踏む。花の名所と言われるところに季節をずらして出かけるという意味の無い行動をよくやる。

 しかしながら、妻は「そういう時でないと行く価値がない」という。妻はもちろん仏像にも歴史にもさほど興味がないので、対象物にはまず「美しさ」を求める。そうなるとやはり「花が咲く頃」を選んで行きたいと言う。なのでいつも喧嘩である。
 殺風景な環境に育ったわけではない。僕の両親は植物が大好きで、実家の庭にはいつも花が何かしら咲いていた。結構丹精込めている。母親はそれでも飽き足らずアートフラワーも作る。それなのに僕はなんでこんな人間に育ってしまったのかはわからないのだが、別に花が嫌いというわけではない。ただ、重きを置いていないだけである、と自分では思っている。
 うちの妻は、僕とは全く逆に、花を最重要している人間である。なので、喧嘩しながらも時々は花を見に出かけるようになった。そうやって考えたら、最初に書いたことと異なるようだが、僕にも幾ばくかの花についての思い出も甦ってきた。一面に広がるひまわり畑はその中のひとつである。

 まだ結婚する前の話。
 僕は学生の頃から、毎年夏になると北海道に出かけていた。北海道が好きになったのは学生の頃の自転車旅行がきっかけであるので、社会人になって少ししか休みが取れなくても、自転車を畳んで持っていって現地で組み立て、北の大地を走り回ってはひととき青春気分に浸って日頃の心の垢を洗い流すのを常としていた。
 ところがある年の春に、ちょっとした事故で首を痛めてしまった僕は自転車に乗れなくなった。でも北海道には行きたいので、フェリーで車を航送して旅行することにした。
 その時に、なんとなしに付き合っていた女性も夏に北海道に行くと言うので、

 「僕は今年は車を持ち込むけれども、乗る?」

 と聞くと、北海道旅行は足がないと不便なので同乗したい、とのこと。なので現地で待ち合わせることにした。一人旅ばかりしてきた僕は久しぶりに二人旅をすることになった。
 二人旅というのは難しい。行きたいところが必ずしも合致するとは限らないからだ。まあしかしその時の旅行は、僕が北海道に既に10回目くらいであったので「案内する」という形で主導権を取ったので、さほど揉めずにすんなりと進んだ。
 道央の富良野に差し掛かったときのこと。既に8月でラベンダーの季節でもなく、僕は花を目当てにやってきたのではなかったのだが、同乗の彼女が「富良野に来たんだから花が見たい」と言い出した。そう言われても困るなと思っていたところ、彼女はガイドブックをひっくり返し、ここからさほど遠くない美瑛に「ぜるぶの丘」というのがあるから行きたい、と言った。一面のひまわり畑があると言う。
 どうせそういうところは人でごった返しているのだろうと僕はあまり気が乗らなかったが、行ってみることにした。
 着くと、案外人が居ない。夏の盛りではあったのだが、ラベンダーはもう時期を過ぎ、ひまわりと言えば北竜町が有名なので、あまり観光客のアンテナに引っかからなかったのだろうか。エア・ポケットのように空いていた。

 丘に登ると、見渡す限りに広がったひまわり畑が目に飛び込んできた。
 黄色い色をした波が打ち寄せるように近づき、また地平に向って遠くまで伸びている。ひまわりの花は太陽に向って咲く。なので、ある方角から見れば、視界には正面を向いた花ばかりとなる。そんな当たり前のことをそのとき知ったように思う。
 彼女は嬉々として花の中へと駆け出した。背が低いので花畑の中に入ると姿が見えなくなる。花の海を見ながら、僕はマルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの映画を思い出していた。
 映画「ひまわり」は、これ以上ない哀しい結末に終わる。ジョバンニとアントニオの悲恋の話。その映画のことを思い出しながら、人を想うということはいったいどういう事なのだろう、などととりとめのないことをぼんやりと考えていた。
 声がするので顔を上げると、背の低い彼女が精一杯背伸びをして、ひまわりの間から顔を出し、笑ってこちらに手を振っている。
 この人とならそんな哀しい想いなどすることはないな、とその時思った。いつまでもずっと笑っていられるかもしれない。それまで彼女はもちろん「一番大切な友人」であったけれども、その時を境に僕の中でもっと大きな存在になったような気がする。ひまわりが僕の眼を覚ましてくれたのかもしれない。

 「写真撮るからジャンプして」
 「ほーい♪」

 今は妻となったその時の彼女は、今でもあの時の見渡す限りのひまわり畑の話をする。妻にとっても、忘れられない思い出になっているようだ。なんだかそんなことがあって以来、二人ともひまわりを見ると何だか幸せな気持ちになる。あれから美瑛のひまわり畑に訪れる機会はないのだけれども、追憶は今もそのままにある。

 ブログのタイトルバックから長い話になったけれども、殺風景な僕でもたまには花を愛しく思うことだってあるのである。なのでちょっと派手だけれどもひまわりをしばらくブログトップに置いておこう。


追記:
3年半の間ブログのヘッダーを飾ったひまわりですが、カスタムレイアウトテンプレートの導入に従い外さざるを得なくなりました。また復活できる状況になればそうしたいとは思いますが、現在のところ未定です。(2009/9/30)

旅と温泉 その3 露天風呂

2006年01月21日 | 旅のアングル
 前回からの続き。ちょっと露天風呂について別枠で書いてみたい。

 露天風呂というものは気持ちいいもの。これはまず「頭寒足熱」を地でいくからだろう。いつまででも入っていられる。のぼせる確立が低い。それに加えて…開放感。なんと言っても爽快なのだ。風景のいいところはまたたまらない。あまりに無防備だと女性には入りづらいが、僕などは見られても特に問題はないので堂々と入っている。なーにかまうものか。
 露天風呂は多くの温泉旅館に設えられている。東海一と言われる奥飛騨新穂高佳留萱山荘の大露天風呂には、僕も珍しく宿泊して浴した。そりゃ気持ちいい。広い露天風呂は他にもあって、例えば水上の宝川温泉は東日本一の広さを誇っているらしい。是非入ってみたい。
 北海道の丸駒温泉は、支笏湖畔にあって湯面と支笏湖の水面が同じ。あの広い湖に入っている錯覚をおぼえる程でそりゃ気分がいい。
 露天風呂にも様々あるが、旅館内部の露天風呂は日帰り可能のところもあるが、たいていは泊まらないと味わえない。ここで書くのは旅館の中にしつらえた露天風呂ではなく、それ以外の宿泊施設を伴わない露天風呂について書いてみたい。


<共同露天風呂について>
 これは、温泉街が作った露天風呂ないしは公共で管理している露天風呂を指しているつもりである。いわゆる温泉街の外湯・共同浴場に分類されるべきだが、ちょっとピックアップしてみる。
 たいていの施設は温泉街のサービス的役割を果たしていて、廉価、もしくは寸志、無料で入浴出来る。実に有難いことだ。

 有料の施設は設備も充実している。脱衣室も完備していて女性用もちゃんとある。大好きな草津温泉にも圧倒的な広さの草津西の河原露天風呂がある。とにかく広い。女性用は知らないけれども、男性用の露天風呂は開放感溢れ、空の広さがたまらない。むろん外からは丸見えであるが。
 川のせせらぎも嬉しい白骨温泉共同露天風呂、宮崎のおおらかなえびの高原温泉露天風呂、太平洋が一望の白浜温泉崎の湯(この間まで無料だった)などなど、印象に残る素晴らしい温泉は数々ある。内風呂もあるのでここにとり上げるのはどうかと思うが、信州馬曲温泉望郷の湯などは、高地にあってアルプス一望の絶景の露天風呂だ。また行きたい。

 無料の温泉にも素晴らしい所は多い。温泉街の真ん中で丸見え、少し(かなり)恥かしい下呂温泉、三朝温泉、奥津温泉などの施設もある。これは女性には無理だろうけれども、開放感がすごい。そうした中で、岡山湯原温泉砂湯は川沿いの空気と雰囲気が実によく、温泉街混浴丸見え温泉のベストと言えるだろう。なお湯原温泉砂湯は水着は不可だがバスタオルで隠すのは認められている。なのでおばちゃんと混浴、という場面は多い(一度だけ若い女性を見た。勇気あるなあ。素晴らしい)。
 負けずにいいのは北海道知床の岩尾別温泉。「ホテル地の涯」の敷地内にあるのだが無料で開放されている。湯船が三段に作られ、脱衣所こそ無いが雰囲気は最高だ。昔早朝から、宿に泊まり合わせた旅人達と羅臼岳に登頂し、下りてきて疲れた身体を男女かまわずこの温泉に沈めたその愉悦は忘れられない。若かったなあ。

 無料でも混浴でなくちゃんと男女別で、脱衣場もある施設もある。信州の北のはしには、こもれびの綺麗な小谷温泉雨飾露天風呂がある。ブナ林に囲まれ温泉浴と森林浴が同時に味わえる。ここは大好きで何度も行った。こんないい露天風呂が無料でいいのかとも思うが、幸せは享受することにしよう。栃尾温泉荒神の湯、燕温泉黄金の湯など、中部地方にはこういういい温泉がいくつかある。
 北海道は知床の羅臼温泉熊の湯は、キャンパーなら知らない人はいないだろう。野趣溢れる原生林に囲まれた素晴らしい風景の露天風呂。これで無料で脱衣場もありしかも男女別に管理されているとは信じられない程だ。そもそも温泉客ではなく漁師さんなどが利用する共同浴場にルーツがあるらしい。温泉街が管理、ではなく地元有志に守られているとの由。この温泉のそばに利用料無料の「羅臼温泉野営場(通称熊の湯キャンプ場)」がある。知床の大自然とこの無料露天風呂のためにこのキャンプ場には長期滞在者が多い。なんせ居心地がいいのだ。中にはここにテント張りっぱなしで漁業のアルバイトをしたりしている半生活者もいる。テントに表札を出しておくと郵便物が届く、というウワサも。僕もこのキャンプ場には20年前滞在し思い出が深い。今はどうなっているのだろうか。(話が反れた)


<天然露天風呂について>
 地元の有志の方などに管理される、或いは全く管理されていない、天然の状態に近い露天風呂がある。基本的に無料もしくは寸志、そしてほとんど混浴。脱衣場もたいていは無い。
 しかし、その野趣溢れる佇まいのお湯に浸れるというのは旅の醍醐味である。
そういう天然露天風呂の中で、最も有名なのは知床のカムイワッカ湯の滝であろう。川がそのまま温泉であり、知床の山奥に存在し急斜面で滝になっている。滝壺が何ヶ所かありそれがつまり「露天風呂」な訳だけれども、昔は知る人ぞ知る温泉だったのだろう。しかし僕が訪れた20年前はガイドブックにも載るようになっていて、ライダーを中心に盛況状態だった。しかしそれでも野趣は十分に残されていて気分が良かった。渓流を2、30分遡らなくては行けなかったので(また硫黄成分で滑るのだ)限られた人しか行けなかったということもあるだろう。のんびりしていた。滝壺は深く、足が立たない。潜ってしまうと酸の強いお湯が目に沁みて辛いのもまた一興だった。現在は観光名所であり、ツアー客も訪れるようになり観光バスが並ぶ。登り口には滑り止めの足袋やゾウリをレンタルする業者も現れ、入浴客ではなく見学客の方が増えた由。入浴していたら観光客のオバちゃんにジロジロ見られて恥ずかしかったという話も聞く。秘湯がひとつ消えたのだ。まだ脱衣場はなく湯壷は自然のままに残されていることが救いだろうか。

 北海道は天然露天風呂王国だ。養老牛温泉からまつの湯、薫別温泉、相泊温泉、セセキ温泉、平田内温泉…。熊が出てくるのを怖れながら入浴する温泉もまだ存在する。素晴らしい。知床の付け根にある川北温泉は、林道を山へと5kmほど遡ったところにあり、かつて一軒宿があったのが焼失し、湯船だけが残されているという変わった温泉で、一応男女別となっている。仕切りは低いが。ここは男女のお湯それぞれ泉質が違うという珍しい温泉で、誰も居なかったのを幸いに女性用にも入った(秘密)。
 雌阿寒のオンネトー湯の滝もやはり滝壺温泉であるのだが、現在はここの「マンガン層」が天然記念物に指定され入れなくなった(現在は下流に新しく人工露天風呂が作られている)。入っておいてよかったなあ。
 憧れのヌプントムラウシ温泉。これは本当に山奥だ。国道からそれること50km、後半はダートとなる。マニアでしか行かないだろう。何故ここが憧れなのかと言うと、かつてこの50kmの道を車で分け入ったことはあるのだが、ダートにさしかかってしばらく経って、飛ばして降りてくる対向車に激突され事故になってしまい、あとちょっとのところで入浴し損ねたいきさつがあるのだ。うーむ。僕はもう一度チャレンジしたいと思っているのだが、妻は怖かったのだろう、もう絶対に行かないと言い張る。僕にとっては幻になってしまったのかなあ。

 天然露天風呂は山奥だけではない。海際にも多く存在する。北海道の水無海浜温泉や前述したセセキ温泉は、満潮時には水没してしまう。時間制限のある天然温泉だ。面白い。こういうところで僕が思い出深いのは屋久島の平内海中温泉である。
 屋久島には温泉が数多く湧いているが、野趣という意味ではここが白眉だろう。干潮時二時間くらいしか入れないので、潮の時間を調べて行かないといけない。僕が行ってみると、こういう開けっぴろげの温泉であるため好事家の観光客しか来ないのだろうと思っていたが、地元のおっちゃんおばちゃんが平気で入浴していた。潮が引く時に逃げ遅れた小魚が湯船に浮いている。茹でられてしまったのだろう。地元の人と笑いながらそれらを掻い出してゆっくりと浸かった。

 もっといろいろ書きたいのだが饒舌過ぎるのでこのくらいにしておく。日本にはまだまだバラエティーに富んだ温泉が数多くある。是非とも足を運んでみたいものだなあと思う。
 温泉の話終わります。


旅と温泉 その2 日帰り温泉施設

2006年01月18日 | 旅のアングル
 前回からの続き。温泉に入れる施設と言うのは多々ある。普通は温泉に行く、と言えばそれは温泉地、温泉街に行くことを指したはずだったのだけれども、昨今はそうではない。近年の温泉ブームであちこちが「ここでも温泉」「あそこでも入れます」と謳いだした。いいのか悪いのか判らないが、利用者側としては単純に選択肢が増えたことを喜ぶべきなのだろう(か?)。

<公共温泉施設について>
 日本どこでも掘れば温泉が出る。「温泉はいいなあ」で書いたとおり、水温か泉質かどちらかをクリアすればいいのだから、相当の確立で温泉は噴出するはずだ。と言う訳で、例のふるさと創生1億円あたりから地方の各自治体はあちこちで温泉を掘り出した。なので公共の施設としての温泉が近年とみに増えた。税金が入っているという苦い一面、首長の人気とりの側面もあるが、そのため廉価で充実した設備が多く見られる。公民館や老人用施設と合同になっているところも結構多い。たいていは休憩所があり大広間になっている。いわゆる温泉センターと通称呼ばれていたりする。公営温泉、とジャンル分けしてもいいのだが、第3セクターもあるし呼び方が難しい。温泉街の外湯でもなく、たいていは忽然と現れる。公共温泉施設とでも呼ぶか。
 考えてみれば、この手の温泉は僕が旅先で入る温泉のかなりの割合を占める。車での出歩きが増え、キャンプやPキャンをやっていると、通りすがりに風呂に入るのにはこういう施設がいちばん利用しやすいのかもしれない。駐車場は広いし。

 平成9年に稚内市がオープンさせた「稚内温泉童夢」は、それまで最北端の温泉として親しまれてきた温泉街である豊富温泉から最北温泉の称号を奪った。こういうのはどうなのかなと思ったが、それでも車を飛ばして入りに行く僕も僕だ。豊富温泉は石油採掘から始まった温泉でやや油の臭いのする温泉だったが、稚内温泉も微かに油っぽかった。
 しかし、公営等の日帰り温泉は、新興のものばかりではなく伝統のある施設も多い。中でも函館の市営谷地頭温泉は50年以上の歴史を持つ。8年ほど前にリニューアルして綺麗になり露天風呂も出来たが、以前の古くてとにかく広かった施設も懐かしい。函館には昔から夜行列車でやってくることが多く(青函連絡船の時代もあったなあ)、朝6時からやっている谷地頭温泉は有難かった。早暁函館に着くと、いちばんの市電に乗って終点谷地頭まで行く。冬だとまだ夜明け前だ。赤茶色に濁ったいかにも効きそうなお湯に身を沈め、朝焼けの中極楽を十分に味わいそして休憩室でビール、そのあと駅前に戻って朝市の食堂「茶夢」で朝からイカそうめんで燗酒、そして海鮮丼を食べる喜び。旅の至福ここに極まれり、である(話が反れている)。

 旅の話からはずれてしまうけれども、かつて住んでいた金沢近郊には、加賀温泉郷をはじめとする伝統のある温泉も多かったが、日帰り温泉施設も点在していた(例えば松任CCZ温泉など)。その中で僕が最も好きだったのは川北温泉(川北町ふれあい健康センター)だった。檜風呂で、掘り出し温泉のわりにはいいお湯。サウナも付いて、しかも二階は図書館となっている。トレーニングルームも無料で使用出来る。それで200円。公営温泉の長所を集めたような施設で、広々とした無料休憩所があり軽食もとれる。しかし持ち込み可なので、クーラーボックスにビールを詰め、おにぎりその他食料を沢山持って朝から行った。まず一浴しサウナにも十分に入って日頃の疲れを全て出す。約2時間程度浴場に居て、その後はビール&昼食タイム。満腹したら畳敷きの広間で昼寝。その後図書館でたっぷり本を読み、さらにまた一浴する。すっかりアルコールも抜け日の暮れる頃に帰る(一日中だな)。金沢に住んでいた頃は一時期毎週末のように通った。ゆったりとした綺麗な施設だった。都市部にはこんなところはないなあ。


<温泉銭湯について>
 銭湯なのに温泉。これには2種類ある。
 もともと銭湯をやっていた施設が顧客の減少等の理由で、改善策としてボーリングをして温泉を掘り当ててそれを目玉に営業をしている所。温泉が出る立地条件で営業していた訳だ。設備は銭湯のままで湯は温泉。値段据え置きという所が多く、僕も地元でしばしば行く。クア武庫川、浜田温泉、双葉温泉、大箇温泉…(西宮市民でないとわかんないですね)。結構なことです。外観は街の銭湯なので風情はないけれども、気持ちはいい。
 もう一つは、湯量豊富な土地柄、最初から銭湯の湯が温泉というパターン。
鹿児島市の銭湯はほとんど温泉という事実は驚愕である。泉元数は約230、県庁所在地としてはもちろん日本一である。嬉しいねぇ。というか、市民の人は実に羨ましい。僕も旅先でいくつか入った。
 他にも、鳥取市などにも温泉銭湯はある。外観は全く普通の銭湯だ。調べれば各地に存在するのだろう。東京の麻布十番温泉なんかもこれだと思われる。
 これを温泉銭湯と言っていいのかどうかは判断に苦しむところであるが、別府の竹瓦温泉の風格は温泉銭湯の王様と言えるだろう。実は竹瓦温泉は市営なので公営温泉に分類すべきなのだが、その佇まいが「銭湯」なのである。しかも古きよき時代の。明治時代からあるお湯で、市営になったのは昭和からだそうだから銭湯に入れてもいいだろう。今は100円だそうだが、僕が行ったときは60円(驚)だった。そしてここには砂湯まである。唐破風造りの立派な建築様式と溢れ出すいいお湯。一浴に絶対に値する。


<温泉スーパー銭湯について>
 スーパー銭湯でしかも温泉という施設が昨今とみに増えてきている。都市部に多く、露天風呂や各種サウナ、寝湯やうたせ湯など充実した設備。広くて清潔。値段は600円~1000円くらい。長湯しないと勿体ないほどだ。温泉がビジネスとして成立したことを受けて、とにかく大量に資本が入っている。うちの近所にも「今津やまとの湯」「鳴尾浜温泉熊野の郷」が出来て、回数券を買いよく利用している。
 施設としては申し分ないのだが、旅先で入るにはちと旅情に欠ける。全国どこに行っても同じような設備であるしねぇ。気持ちいいのはいいのだけれど。
 従来からあった「健康ランド」とよく言われる施設も昨今は温泉になっている。24時間営業のところも多く、旅先で遅着き早立ちのときなど仮眠程度でよく利用する。まあサウナに泊まっているのと同じ。
 さらに豪華施設、例えば東京の大江戸温泉物語や大阪のスパワールドはここに分類すべきなのだろうか? 立派過ぎる設備はもう旅の途中に入るという感じでは全くない。

 次回、もう少し続く。

旅と温泉 その1 温泉街の施設

2006年01月16日 | 旅のアングル
 旅先で入る温泉。それにはいろいろなタイプ、パターンがある。少し分類しながら進めたい。

<温泉旅館について>
 いわゆる「旅の宿泊先」として温泉旅館に泊まったことはあまりない。しかもそれが高級旅館ともなると、本当に数えるほどである(涙)。以前に旅の宿の記事でも触れたことがあったが、そういう宿に泊まる場合は主として社員旅行であったり、また家族旅行であったりする。僕個人がやる旅の途中で、僕一人ないしは妻と二人でそういうところに泊まることはほとんどない。経験がないわけではないが、普段は泊まらない。高いもん。
 これも書いたことだが一度、以前遭遇した事故でムチウチ症になり、旅にも出ずに湯治に出かけたことがある。鳥取の三朝温泉で自炊の宿だったのだけれども、湯治というのはいい。肉体もそうだが精神的にもリフレッシュする。またやりたいなあ。ヘルニアを言い訳にしてやろうかしらん。
 さて、普段は旅館の大きなお風呂に入りたい場合は日帰り入浴にする。最近は昼食付きなどの豪華プランなどが幅をきかせているが、そんなのでなくていい。風呂に入りたいだけなのだ。風呂だけを所望すれば、たいていはリーズナブルな料金で一浴出来る。昼間がいい。宿泊客とかち合わない時間帯で大きな風呂を独占するのは気分最高である。
 有名な北海道登別の第一滝本館、青森酸ヶ湯の千人風呂、奥飛騨新穂高佳留萱山荘の大露天風呂、白骨温泉泡の湯、等々、雑誌にもよく登場する大露天風呂というのがある。お風呂だけでも入ってみたいと思いませんか? これらは予約も特に必要なく気軽に利用出来るので、旅の途中にはピッタリではないかと思う。
 それにしても、北海道の二股ラジウム温泉のドーム型施設が老朽化のため無くなったのは残念だった。

<共同浴場について>
 名のある温泉街には、地元の人用の共同浴場が必ずある。設備は最低限のところから、温泉街のシンボルのような大きなものまでいろいろだが、概して廉価で、しかも源泉ないしはそれに近い形でお湯が提供されている。実に風情があって良いものだと思う。かつて温泉街というものが歓楽のためにではなく「湯治」のためにあった時代は、旅館に温泉など引いてはおらずみんな街の真ん中にある共同浴場に入りにいったものらしい。今は旅館には確実に温泉が引いてあり共同浴場は地元の人用になった感があるが、それでもかつての風格を残す共同浴場は数多い。
 最も有名なのは「坊ちゃん」で知られる松山の道後温泉本館だろうか。重要文化財の建物はそれだけで観光目的となる。風呂に入るだけだと廉価だが、二階休憩室を使用すると少し値段が上がる。しかしお茶と菓子のサービスはあり、借りた浴衣でしばし寛ぐと坊ちゃん気分になれる。さらに三階には個室があり、こうなるともうお大尽さまである。
 石川県の山中温泉の総湯、また楼門のある佐賀県武雄温泉など、立派な共同浴場は他にもある。いずれもその温泉のシンボルであり、入る値打ちがある。

 また、小さくてささやかな浴場もまた風情がある。僕が知るところでは、宮城県の鳴子温泉滝の湯などその典型だろう。ここは好きなんだな。温泉街をちょっと登ると鳴子温泉神社がある。その下方向に源泉がある。この源泉は温泉神社の「ご神湯」なのだ。ここから木の樋を使って「滝の湯」温泉を引いている。神湯に入れるわけだ。こじんまりした浴場だが総ヒバ造り、実に風情がある。冬に冷えた身体をこの白く濁った柔らかなお湯に沈めると…もう言うことはない。JRの駅から歩いていけるので旅人には向いている。
 湯布院温泉といえば豪華旅館が連なっているがここにも共同浴場はある。有名な亀の井別荘、その先の金鱗湖のほとりに茅葺き屋根の小屋がある。これが「下ん湯」である。混浴なので女性には薦められないのだけれど、なんとも素朴で楽しい。小屋のような浴場の奥はスカーンと開いていて、まあ言わば半露天風呂。ちょっと開放的過ぎるのだが爽快ではある。

 大きくて伝統のある温泉には、共同浴場が複数あるところも多い。こういうところは、ハシゴして楽しむことが出来る。湯疲れもあるので十分に配慮してやらなくちゃだけれども。
 だいたいが廉価、もしくはその温泉に泊まっている客はタダ、というところが多い。温泉客への外湯の役割を果たしているわけで、むろん泊まり客ないしは地元客優先である。
 信州上田の別所温泉の外湯はいい。「石湯」「大師湯」「大湯」とそれぞれ150円だ。古い歴史をもつこの温泉に浸かれば、そりゃ「効く」感じが実感できる。
志賀直哉で有名な但馬の城崎温泉の外湯もいいのだが、ここ数年で外湯の値段が高騰した(汗)。600円~800円になった。昔は300円くらいで入れたのになあ。ただし、宿泊すればタダである。僕も以前一度だけ旅館に泊まったことがあって、そのときはここぞとばかり入りまくった。風情のある温泉街、やはりゆっくりするのが得策かもしれない。
 信州志賀高原の渋温泉の外湯は徹底している。それぞれ効能が違うと言われる九つの共同浴場があるのだが、入浴できるのは原則として地元の人と宿泊客だけである。外湯には鍵がかかっていて、宿泊するとその鍵を貸してくれるのである。こうして、外湯巡りが日帰り観光客に荒らされないようにしているのだ。それは見識のある措置だとは思うが、僕のように日帰り専門客は困ってしまう。しかしながらこれにはウラ技があり、渋温泉の有料駐車場を利用すれば外湯の鍵を貸してくれる。あまり知られていない方法なので近くに行かれたら試してみるといい。
 タダでしかも宿泊客だけなどと言わない太っ腹の温泉も存在する。信州野沢温泉がそうで、13カ所の共同浴場全てが無料だ。中心にある大湯は、美しい建物でシンボルとなっている。いやーお湯もなかなかいいですよ。
 共同浴場の王様はなんと言っても草津温泉で、無料の共同浴場が街中至るところにある。このことは「僕の旅 群馬県」にも書いたのだが、僕はその泉質から草津温泉を最上位に置いているのだけれども、ここの18ヶ所の共同浴場は実に楽しい。みんなこじんまりとしていて点在しており、探すだけでも楽しい。白旗の湯や地蔵の湯は源泉で、いかにも「効くぅぅぅ」と唸りたくなる泉質の良さ。やはり草津は日本一の温泉なのだ。

 次回に続く。

温泉はいいなあ

2006年01月14日 | 旅のアングル
 旅に出れば、汗もかく訳であるし入浴は欠かせない。むろん宿には風呂が付いているのでそれで十分な訳なのだけれども、やはり「温泉」という響きには心を揺らす何かがある。日本人なんだなあと思う。
 旅は非日常の世界であって、その非日常を享受するためにも「ゆっくり足を延ばして風呂に入る」ことは僕にとっては欠かせない。家の狭い風呂やビジネスホテルのユニットバスでは満足できない自分が居るのを発見する。ましてやその風呂が温泉であれば、旅の疲れとともに日常生活の疲れまでがゆっくりと身体中の穴という穴から抜け出していくような気がする(表現が下品だな)。しかしまあ言っていることは理解していただけると思う。
 日本人ならみんな温泉が好き、とまでは言わない。現に僕の母親は心臓が弱いせいもあるだろうけれども、熱い風呂に入るのが昔からキライで「カラスの行水」である。そういう人もいるだろうけれども、テレビの旅番組では必ず温泉に入っているシーンがある。大多数が「くつろぎ=温泉」と考えている証拠である。温泉とは、もちろん適温の湯につかって身体を伸ばし、疲れを取りまた清めるツールではあるけれども、それだけではない「何か」が存在すると思う。「癒し」などという陳腐な表現は使いたくないけれども、身体だけではない精神的な安らぎも与えてくれるものではないのか。

 そんな抽象的なことはともかくとして、そもそも温泉とは何なのか。
 温泉の定義を示すとすれば、日本だけでしか通用しないけれども「温泉法」なる法律がある。それによると「地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)」である。ガスも温泉とは驚きだがもう少し細かく見れば、「別表に掲げる温度又は物質を有するものをいう」とあり、その温度とは25℃である。また物質とは、[マンガンイオン10mg以上]とか[リチウムイオン1mg以上][ラドン20(100億分の1キユリー単位)以上]などの項目が20程度並ぶ。
 結局「温度又は物質を有する」であって、25℃以上あれば、また冷たい水であっても物質含有が20のうちひとつでもクリアしていれば温泉である。うーむ。例えば温かければ(それが体温以下であっても)、何の成分も有していなくても温泉なのだ。これはザル法である。
 最近都市部でもどんどん温泉施設が出来ている。日本は火山大国であり、地下1kmほど掘れば、25℃以上の地下水は出てくるだろう。ただの地下水でもそれは温泉ということになる。これってただの井戸水なんだけれどもなあ。
 これでは全くのところ興ざめである。温泉法をアテにしてはいけないということであろう。したがって僕は個人的に、温度、物質の二つの定義以外にもう一つ定義を加えたいと思う。それは

 「入っていて気持ちのいいものを温泉と言う」

 結局これに尽きるのではないか。抽象的で明文化できないところに問題があるのだが。泉質によって「効く」温泉とそうでない温泉はあると思うが、肉体的には「効か」なくても精神的に「効け」ばそれでクリア、としたいと思う。

 さて、旅先ではなるべく温泉に入るようにしている。日本は温泉大国であって温泉のない都道府県は存在しない。
 日本中の温泉に入ることを目的に旅をしている人がいる。「ただ今2000湯」などという猛者もいて驚くことしきりである。そういうサイトをネットでは数多く見る。一日に何湯もハシゴしてるんでしょうなぁ。湯疲れが心配である。
 かつてこの道には美坂哲男さんと言う先達が居て、日本中の温泉に入りまくり二千、三千と入湯数を増やしてそれを書籍にされた(入湯数を誇った最初の人ではないか)。この方は残念ながら既に物故されたが、後に続く人たちはいっぱいいて頼もしい限りである。

 もちろんそんな人たちには僕は及びもつかないし及ぼうとも思わないが、旅の途中でよく温泉には入る。もちろん気持ちいいからである。
 温泉にもトレンドがあって、本来温泉と言えば「湯治」以外の何物でもなかったはずなのだが、そこにプラスアルファを求めるようになってから状況が変わってきた。かつて「とにかく露天風呂」の時代があり、温泉旅館は競って露天風呂を設けた。温泉街のビル化したホテルでも露天風呂がなければ客が呼べなくなり、屋上に無理やり造成したりした。そういうものじゃないんだと思うのだけれどもなあ。その露天風呂ブームは進化(?)して、「個室部屋付き露天風呂」が求められるようになり、高級旅館は離れの部屋の庭の部分に無理やり露天風呂を作った。どう見ても庭の池、また縁側の部分に樽のような湯船を無理に設置した例も見受けられ、そこまでしてやらなくてもいいじゃないかと思うのだが客のニーズによってかなり流行った。僕などは温泉といえば大浴場なのだが…。
 それと並行して「秘湯」ブームなるものもあった。山深い一軒宿がもてはやされ、ランプの宿と言えば皆が押しかけた。「日本秘湯を守る会」などが出来て、この会に加盟している宿はその名を記したちょうちんを誇らしげに掲げ、そのちょうちん目指してバスツアーが行く。乳頭温泉や白骨温泉などもはやどう考えても秘湯ではないと思うのだが。また「川がそのまま温泉になってる♪」などは誰しも行ってみたいと思うのだろう。あの知床の山奥にあるカムイワッカ温泉(滝の水がそのまま温泉で、滝壷がちょうどいい湯加減)には観光ツアーのコースとなり、おばちゃんの団体が沢を遡って渋滞を起こしている。うーむ。
 現在の最大のトレンドは「源泉かけ流し」である。説明は不要と思うが、今では都会の地下水温泉までそれこそ猫も杓子も「かけ流し」を謳っている。循環温泉はイヤだという気持ちはよくわかるが、それにしてもねぇ…。

 さて、前述したように温泉に入るにもいろいろな施設がある。温泉旅館のゴージャス風呂から、無料混浴露天風呂まで様々なパターンがある。次回は自己流で、施設別にちょっと温泉について記してみたいと思う。

 温泉入湯一覧


旅と読書 その6 北海道&沖縄

2005年10月04日 | 旅のアングル
 大好きな北海道と沖縄についての本が書棚に目立つ。そんな本の大群の中から少しピックアップして話してみたい。

<北海道本Ⅰ 大いなる自然>
 北海道は何度行っても素晴らしい。その北海道の魅力を描き、更に北海道に旅立ちたいとの思いを起こさせる書籍がいくつかある。

「北海道の旅」(更科源蔵)
 北海道弟子屈に生まれた著者は、自分を育んだ北の大地の美しさを詩人の感性で刻み込んだ。各地の表情を紹介し観光案内風の装丁をとりながら、北海道の魅力を存分に伝えようと試みられている。「将来どう変貌するだろう。この風と花だけの風土は。」と著者は言う。僕は20年前の北海道を知っているが、既にここに描かれている姿ではなかった…。

「北海道探検記」(本多勝一)
 著者が若き日に北海道に赴任し、道内を「探検」したルポと、その20年後の再ルポを収録。本多氏らしい厳しい視点のルポが多いが、'60年代の知床半島の報告は特に興味深い。羅臼湖に人跡がほぼ無かったころの姿も伺える。 '80年代の知床ルポも収録されていて環境破壊等悲しい現実も語られるが、更にそれから20年経って世界遺産となった現在はどうなのだろう。

「北海道はまだか」(お天気ライダースクラブ)
 北海道に魅せられたライダー達の投書によるコラム集。北海道に対する様々な旅人の体験談そして思いを、幾つかのテーマに分け編集した一冊なのだが、北海道を旅するライダーのナマの声が綴られ、頷いたり笑ったり共感したり、実に楽しい。旅は確かにこんな感じで進んでいくのであります。


<北海道本Ⅱ 役立つガイド>
 北海道のガイドブックというのは、写真は美しいが内容はさほど充実してはいない。それは大変いいことで、旅行者は限られたところに集中してくれる。我々単独旅行者は、もっと北海道らしいところに内緒で出かけようではないか。

「とらべるまんの北海道」(とらべる群団)
 今や伝説となった手書きのガイドブック。当時の普通の旅行案内書には見られなかった穴場が多く載せられ、カニ族等の個人旅行者のバイブルとなった。 20年以上前の冊子であり、今はもう手に入れる事は難しい。その後10年程経ってブルーガイドが「北の大地へ」というパクリのようなムックを出したが、これも3回程改訂して消えたと記憶している。

「なまら蝦夷」(北海道なまら宿35軒)
 「とらべるまん」の内容を引き継ぐように作られたガイドブック。やはり手書きで、「とほ」宿(後述)のオーナーさん達が執筆分担し地域毎に充実したガイドを展開している。コラムも充実していて読み応えあり。とにかく見ているだけで楽しい。これならまだ手に入るはず。
※最新刊は活字が組んであり手書きではない。

「とほ」(とほネットワーク旅人宿の会)
 ひとり旅のための宿情報誌。ここに掲載されている宿のオーナーはもともとが旅人であり、宿は基本的に相部屋制で男女別の、ユースホステル形式で運営されている。「とほ」宿は全国にあるのだが、北海道にほとんどは集中しておりここに取り上げた次第。しかし、僕の持つ「とほ」は定価100円だが、今は420円らしい。内容も充実し大きく分厚く変貌している。一度最新刊読まないと…。


<沖縄本Ⅰ 自然と風土と文化>
 沖縄本は今あふれるほど出版されている。沖縄の文化的な価値にみんなが気がついた結果だろう。もちろん僕の書棚も沖縄関係本は一大勢力となっている。
 沖縄を旅するのに、その文化的背景を抜きにして風土を理解する事は出来ないでしょう。歴史があり、根付いた文化があり、言葉があり、神が宿る。そんな沖縄の深層風景も見てみたい。

「新南島風土記」(新川明)
 著者が新聞記者として石垣島に赴任した時の、八重山の島々のルポです。40年前の情景でありガイドブックの役割は既に果たさないが、観光化される前の先島の姿が生き生きと描かれ、歴史、風土そしてうたの数々に魅せられてしまう。 

「沖縄の歴史と文化」(外間守善)
 歴史散策が好きな僕は、沖縄の旅にもそういう色合いを持たせたいのだが、独立国である琉球王国として教科書で習う日本の歴史とは別の歴史を歩んできたのが沖縄。その歴史的背景を知るのにちょうどいい本。先史時代から尚氏王朝そして薩摩支配から琉球処分へと至る沖縄の歴史がよくわかり、グスク廻りにも深みが増す。文化的記述も充実。

「沖縄ことばの散歩道」(池宮正治)
 沖縄の言葉は内地の人間には相当に難しくわかりにくいが、ここでは79の言葉について、その語源などに遡りながら解きほぐし、そこから独自の文化的側面が顔を覗かせる…という構成になっている。「ティンサグ」「フラー」「チュラカーギー」等、一つ一つの言葉から沖縄が見えてくる。
 この本はひるぎ社発行の「おきなわ文庫」の一冊なのだが、このシリーズはみんな面白く、空港などでも売っていてつい1、2冊買ってしまう。興味あるテーマが満載。


<沖縄本Ⅱ 深みにはまる旅人>
 沖縄には青い海をはじめとする素晴らしい自然があり、聴こえてくる人々のうたがあり、おいしい料理がある。そんな沖縄の魅力に迫る書籍をいくつか。

「西表島自然誌」(安間繁樹)
 イリオモテヤマネコに魅せられて、生態研究を最初に手がけた著者の西表島エッセイ。まだ観光とは縁遠かった頃の西表の自然から書き起こされていて、島で暮らす人々と大いなる自然が克明に描かれている。この自然がいつまでも残ってくれるよう切に願う。ヤマネコよりさらに大型の「幻のオオヤマネコ」の話は本当にロマンでいっぱい。
 オオヤマネコの話には、「ヤマピカリャーの島」(小野紀之)という好著もある。

「オキナワン・ミュージック・ガイド」(磯田健一郎・黒川修司)
 沖縄のうたと言えば、三線響く「島唄」となるけれど、どうも沖縄の調べは、古来より伝わる民謡から現在のモンゴル800、Orange Rangeに至るまで、どうも有機的に繋がっているらしい…。全ての音楽の根底に、「おきなわのうた」が確実に流れている。
 ビギナー向けのガイドブックで、大御所嘉手苅林昌から喜納昌吉、ビギンまで解説されています。今すぐ島唄が聴きたくなる一冊。

「おきなわの味」(外間ゆき・松本嘉代子)
 沖縄料理は今やヘルシーな長寿食として流行しており、グルメ本もたくさん出ている。この本はもう15年くらい前に現地で買った料理本。沖縄料理が食べたくて購入し、当時の彼女に奪い取られ、その人が妻となってまたうちに返って来て、今は旨い沖縄料理が家で出てくるようになった。沖縄にはなかなか行けないので、せめて料理を作って泡盛を呑んで、気分だけでも浸ろうではありませんか。


<沖縄本Ⅲ うちなーは発信する>
 沖縄の旅も深みにはまると、その日常的な文化、若者やおばぁの暮らし、食べ物、様々なものに興味を惹きつけられてやまなくなってしまう。地元の出版の動きも活発で沖縄の書店では郷土が出版する書籍が溢れている。

「おきなわキーワードコラムブック」事典編・日記編(まぶい組)
 当時のコピー「青い空と青い海ばかりじゃない」とばかりに、おきなわの観光ではない普段の若者の言葉、やっていること、流行から噂までコラムで積み上げた最高に面白い本。内地の人間にとってはカルチャーショックの連続であり、読むたびに沖縄の深みにはまってゆく。
 この本を企画した新城和博氏は、その後もうちなーコラムを書き続け、「うちあたいの日々」「太陽雨の降る街で」等々次々に沖縄の現代風俗を紹介してくれている。他に、「波打つ心の沖縄そば」「泡盛読本」などもあり読んでいて楽しい。また、キーワードコラムブックも発行以来15年を経過し、「新!おきなわキ-ワ-ド」という本が新たに出版された。これもまた面白い。

「アコークロー」(宮里千里)
 「アコークロー」とは沖縄で夕暮れ時の意味。沖縄そしてアジアにこだわり、沖縄から発信しつづける著者が編んだ個人誌の傑作選。沖縄の香りが充満していて嬉しい。「島軸紀行 シマサバはいて」等の他の著作も面白い。

「山原バンバン」(大城ゆか)
 この本はコミックスです。「山原(やんばる)」とはつまり沖縄本島北部一帯のこと。その山原に暮らす女子高生なつみちゃんの日常を描いた話なのだけれども、山原の風景と人々が淡々と描かれて、なんとも言えずホンワカとしてしまうのだ。かつて沖縄には、「コミックおきなわ」という地元発のコミック雑誌まであり、漫画文化は隆盛の地。その後も、映画にもなった「ホテル・ハイビスカス」(仲宗根みいこ)をはじめ良作が多数輩出している。沖縄の空気がいつも流れていて、少しの悩みなんかは「まーいっか」ってなっちゃうんだなこれが。

 
 「旅と読書」終わります。

旅と読書 その5 さまざまな旅のかたち

2005年10月02日 | 旅のアングル
<旅のこだわり>
 旅に自分ならではのアングルを持ち込んで出かけるのは楽しいもの。自分にしか出来ない超個性的な旅がしたいとみんな思うはず。自分が納得行くまでとことんこだわって、極める旅を目指したいもの。

「ニッポン居酒屋放浪記」(太田和彦)
 名著「居酒屋大全」の著者が、満を持して日本全国の居酒屋を巡る旅に出た。キーワードは、「いい酒、いい人、いい肴」。日本それぞれの街で、納得のいく居酒屋にめぐり逢わんと、ユンケルを飲みハシゴを重ねる。そうして訪ね歩いた極上の酒と肴、そしてのんべ達の空間を巡った楽しい放浪記。今すぐ旅に出て居酒屋に行きたくなることうけあい。

「温泉言いたい放題」(津野原遊)
 温泉大好きの普通の旅人である津野原氏は、自腹で温泉旅館に泊まる限りはせめて満足いく休日を過ごしたいと願う。その思いの丈を過激な内容で表わした本著は抱腹絶倒。また、「温泉はお湯が第一」と喝破する著者に全面的賛成。姉妹編「間違いだらけの温泉選び」も面白い。

「恐るべきさぬきうどん」(麺通団)
 香川のタウン誌「TJ Kagawa」に連載された「ゲリラうどん通ごっこ」を単行本にしたもの。発売されるやじわじわと人気を博し、全国さぬきうどんブームの火付け役になったのは有名な話。僕もこの本を読むや否や讃岐へ直ぐに飛んだ。おかげで100軒を越すうどん屋を巡る始末となってしまった。全5巻。雑誌連載は終了し、続刊はもう出ないと思われるが…。
 

<いろいろな旅立ち>
 旅をするには色々な方法がある。公共の交通機関だけでなく、自転車、バイク、徒歩…。旅の手段は十人十色だ。昔北海道でローラースケートで旅していた人と逢ったことがある。いろいろ考えますねみんな。

「日本の川を旅する」(野田知佑)
 カヌーイスト野田知佑氏を全国に知らしめた名著。日本を流れる川をファルトボートでくだり、自然の美しさを称え、その自然を壊す人間と行政に怒り、そして失われ行くものを憂う。川からの視点で日本を見つめた素晴らしい一冊で、あちこちに野田信者を生む。その後B-PALで連載した「のんびり行こうぜ」シリーズでは、視点は既に日本の自然への挽歌に変容してきている。うーん。

「213万歩の旅」(シェルパ斉藤)
 1343kmの東海自然歩道を完歩した斉藤政喜氏の悲喜交々の旅行記。高尾から箕面まで徒歩で歩きとおす間に起こる様々な出来事は、旅の真髄とは何か? の問いに答えてくれそうだ。作者は更にB-PALで旅の連載を続け、最近は耕うん機での旅が秀逸。いつまでも旅を続けて欲しい。

「チャリンコ族はいそがない」(熊沢 正子)
 会社を辞め自転車旅に出た著者の日本一周旅行記。2年1ヶ月間日本放浪の旅を続けた。クセのある登場人物が多く著者もどんどん影響されていく。昔北海道や沖縄にはこんな感じの世捨て人的旅人がたくさんいたなぁと苦笑いしてしまう。良きにつけ悪しきにつけ旅人の描写に長けていると思う。続刊もあり。


<細部にわけ行って…>
 今はネットが充実し情報発信している人は多く細かな情報には事欠かないが、先人達はこういう視点でデータを収集し、道しるべを編んできたのである。こういう本は眺めるだけでも旅に出た気分が。

「全国駅前銭湯情報」(銭湯を愛する旅人の会)
 こういうものを本にしてくれる方々って居るんですねぇ。そのタイトルにあるとおり、駅から歩いて行ける銭湯情報を集め、日本全国網羅したものである。努力に頭が下がるし、実に旅の参考になる。僕の所有しているのは96~97年度版だが、続刊は出ているのだろうか…。

「STBのすすめ」(STB全国友の会編)
 Station Bivouac略してステビー、すなわち「駅寝」。全国の宿泊可能な駅を網羅した素晴らしい本。昨今僕はさすがに駅寝はしなくなったが見ているだけでも楽しい。エッセイも秀逸。「夜明け前の空の色を覚えていますか?」のコピーは泣かせてくれます。

「日本100選旅案内」(辻原康夫)
 深田久弥氏の名著「日本百名山」は、登山家のバイブルとされ、全山踏破を目指す人々がたくさんいる。それに倣ってか日本には「日本○○100選」なるものが数多く存在している。その「100選」を一同に会したのがこの本。よく知られる「名水100選」をはじめ様々な100選があるなと感心しきり。僕は今、日本の道100選を踏破しようとしているけれども、その他にも滝、さくら、渚など数多くの100選が記載されて旅の指針となる。
 100も訪ねていられないという人には、「雑学・日本なんでも三大ランキング」(加瀬清志・畑田国邦)に日本三大○○がたくさん載っているので、このあたりから攻めてみればいかかでしょうか。


 次回に続く。


旅と読書 その4 街道をゆく

2005年10月01日 | 旅のアングル
「街道をゆく」

 司馬遼太郎という人はまさしく大人(たいじん)だった。人間を見つめ埋もれていく人々を掘り起こし、小説が好きで、歴史の価値を十二分に知りそして旅を愛した。「龍馬がゆく」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」等々、丁寧に紡いだ物語をいくつもいくつも上梓されたが、それをビジネス書のように読む、あるいはそうとしか読めない心の貧しい政治家や経営者やエリート連に司馬先生の良さがわかってたまるかと心底思う。これらはサラリーマン処世術本でもなく訓示に引用するための物語でもないのだ。読み方が浅い。本はもっと素直に真剣に読みなさい。
 「街道をゆく」は、司馬氏が小説を書かなくなってからは執筆のメインとして、考えを凝縮させていった感があり、何度読んでも発見がある。旅に出るのに、「街道をゆく」の当該の章を読まずに出る事など出来ない。旅が何倍にも充実する。  「檮原街道」を読んで龍馬脱藩の道をゆく。「南伊予・西土佐の道」を読んで宇和島を歩く。「奈良散歩」を読んで東大寺お水取りを見に行く。深みが全然違う。路傍の石ひとつをとっても、その歴史にフラッシュバックして見る目が変わってくるのだ。

<日本という国>
 みちに刻まれた歴史がある。古代から連綿と続く歴史は、すべて「この国のどこか」で起こった出来事なのだ。みちを歩くことはすなわち歴史を歩くことに他ならない。

「1 長州路ほか」
 「湖西のみち」から始まる「街道をゆく」。原点の第一巻であるが、ここに収録されている「竹内街道」「葛城みち」は、まさしく神話の世界が目前に登場する。もともと小説は戦国・幕末に材をとったものが多い司馬氏だが、日本の古代の霧の中に薄ぼんやりと見え隠れする正史に出てこない"もののふ"たちの姿を浮き彫りにしてくれる。史料が少なく小説には結実しない世界であるだけに、ロマンに溢れた先人のきらめきがじわじわと甦ってくる。

「7 大和・壺坂みちほか」
 伊賀の里から甲賀、信楽、大和橿原から壺坂寺、明石から淡路、そして山陰へと旅は続く。米子から安来への「砂鉄のみち」は深い。歴史を作ったのは鉄ではないか? 兵器としての鉄だけでなく開墾、灌漑土木としての鉄器が大和朝廷を押し上げ、縄文人を駆逐した。のみならず文化、社会の性格までも鉄が変えたのではないか。そういう歴史文化の根本的構造に迫る。

「17 島原・天草の諸道」
 諫早、島原から口之津、そして天草諸島へと旅する。島原の乱の検証とキリスト教の影響についての考察だが、島原藩主松倉氏の圧政の描写は凄い。一揆を起さざるを得なかった搾取される側の地獄絵を描き「ここまで追いつめられれば、魚でも陸を駆けるのではないか」と簡潔に表現する分かりやすさ。島原、天草を僕も旅して原城址に立ったときの感慨は忘れられない。

<日本という土地に生きた人々>
 「日本」の歴史は大和朝廷だけの歴史ではない。有史以前、そしてその後も、人々は生き続けていたのだ。史書に残らない、もはや考古学に頼るしかないまぼろしの人々もいる。

「6 沖縄・先島への道」
 この現在「日本」国の版図におさめられている沖縄諸島。かつて独立国だった沖縄の歴史、文化、そして現在も内包する問題を思いつつ旅は本島から石垣、そして台湾も間近な与那国島へと続く。これが執筆されたのは30年も前なのだが、今も沖縄の心は変わっていないのが救い。独自の歴史と文化を持ったこの島々の肖像を忘れてはいけない。

「38 オホーツク街道」
 一般に北海道の先住民族はアイヌ民族であると言われている。しかしアイヌ以前にオホーツクに居たギリヤーク、ウィルタ族という狩猟民族の姿はもう歴史の深い彼方に消えている。宗谷岬から知床半島に及ぶ旅の中で、北海道と千島・樺太に足跡を残すオホーツク人たち。彼らにも和人と違った立派な歴史と文化があったのだ。研究者たちと語らいながらその姿を浮き彫りにしていく。その息吹きは今も日本にまだ息づいているのだ。

「40 北のまほろば」
 日本はかつて縄文人の天国だった…。津軽といえば凶作と飢饉の歴史。しかしそれは弥生人の米作を強いられて以後の歴史である。青森を歩く司馬氏によって限りなく豊かに生活をしていた農耕民族弥生人以前の日本の姿が鮮やかに映し出される。それままさしく「まほろば」の地だった。かつての豊饒の国に根付く文化は、様々な思いをよび起こさせる。

<海外へのみち>
 外から見れば日本もまたよく見える。司馬氏は韓国を皮切りに、中国、台湾、オランダ、アイルランドと旅を続け、その文章からはグローバルな視野が津波のように襲ってくる。ついにハンガリーに行かずに物故されたのは残念だった。

「2 韓のくに紀行」
 朝鮮半島と日本。このつながりは遥かに古い。しかも、時代を遡ればのぼるほど密になっていくようにも見える。倭人伝の時代、白村江の時代、秀吉出兵の時代。司馬氏は農村を中心に歩きながらその時代に思いを馳せる。儒教文化の彼の国の文化理解とかかわりについて様々に考えさせられる。旅の終わりに近江に帰り鬼室集斯の墓碑を訪ねるくだりは圧巻。

「5 モンゴル紀行」
 司馬氏は学生時代はモンゴル語専攻だった。永年モンゴルに憧れを抱き続けた。前半は当時ソ連を経由しなければ行けなかった不自由さに筆が割かれるが、モンゴルに入国したとたん、文章は詩と化す。夜空の満天の星を眺め、広がる草原に感動する。歴史紀行であるがチンギス・ハンのことは驚くほど出てこない。司馬さんの憧れが昇華されているようだ。

「22~23 南蛮のみち」
 スペインのバスク地方へザビエルの足跡を辿るこの旅は、日本史とのかかわりの中での大航海時代に焦点があてられ、世界史的な視野が目前まで迫る。司馬氏の愛する「ザビエル」そして「カンドウ神父」とのふれあいを書きつつ、日本と西洋とのファースト・コンタクトについて考察がなされる。無敵艦隊スペインは何故没落したのか。南蛮文化とは日本にどう影響を与えたのか。
 後半、リスボン特急に乗ってポルトガルへと旅を進め、サグレス岬へとやってくる光景には感動する。

 次回に続く。

旅と読書 その3 日本の旅

2005年09月29日 | 旅のアングル
 日本を中心とした旅行記など。

<やっぱり日本を旅したい>
 僕はいくつかの例外を除いて日本ばかり旅してきている。一通り日本を巡った後、海外に出るという選択肢もあったのだけれど、何故か日本の深みにはまってしまって動けなくなった。奥深い日本。日本の素晴らしさを教えてくれる著作はいっぱいある。

「思索の旅路」(岡田喜秋)
 元雑誌「旅」の編集長で紀行作家の岡田喜秋は、まだこれほどレジャーとしての旅行が広く膾炙する以前からずっと日本を細かく旅して足跡を残してきた。現代の大町桂月を目指していたかに思われる作者の作品ももはや古典。今再読すると、日本はこんなに美しかったのかと改めて思い胸を衝かれる。他の著書「旅に出る日」「すべてふるさと」なども素晴らしい。

「日本の島々、今と昔」(有吉佐和子)
 天売・焼尻島から波照間・与那国島、果ては尖閣諸島まで日本の島を巡り歩いたルポ。四半世紀も前の著作であるにも関わらずその臨場感は衰えていない。離島が内包する問題に切り込み、旅をする視野を確実に広くしてくれる。

「南鳥島特別航路」(池澤夏樹)
 対馬、五島、八重山、南鳥島という日本の先端、また雨竜沼、白神山地といった自然いっぱいの所まで、著者は自由に旅をし観察している。文章も冴え、細かな視点が実に気持ちがいい。


<旅の名随筆>
 作家は、小説を書くだけでなく時として随筆、紀行文も書く。多くは文豪の余暇みたいな位置づけだが、手慰みになっていない名随筆も数多くある。読みやすい筆致と深い洞察は、旅をする上で大いに啓発されるもの。

「食卓の情景」(池波正太郎)
 ご存知「鬼平犯科帳」「剣客商売」の池波先生の真骨頂。旅を主体としているわけでなくあくまで食随筆だが、あちこちを食べ歩いて記する著者のその旨そうな描写に、矢も立てもなく同じものを求めて旅立ちたくなってしまう。決して高級なものばかりではなく庶民的なものにも著者は目をむけ、、読んでいてたまらなくなる。「散歩のときに何か食べたくなって」「むかしの味」「よい匂いのする宿」等、バイブルにしている人も多いはず。僕ももちろんそう。

「草競馬流浪記」(山口瞳)
 山口瞳は小説を書かなくなったあと随筆を主として執筆し、紀行文も多く著した。その多くは作家の大名旅行であり人物描写が主となってはいるけれども、この作品は日本の公営競馬場を全て回るという企画が楽しく、最も旅情を感じさせてくれる。山口瞳の著作は殆ど読んでいるが、紀行ではこれが白眉だと思う。

「夢は枯野を 競輪躁鬱旅行」(伊集院静)
 競馬の後は競輪で恐縮です。僕はギャンブルはしないのですがねぇ。
 当時夏目雅子を失い焦燥していた伊集院静の旅打ち紀行だが、その心象風景が胸に沁みる。あくまで紀行というより賭博に焦点が置かれてはいるが、旅に出ずにはいられない心の彷徨がじんわりと伝わってきて、切なさが残る。文章はあくまで精緻で、さすがは伊集院静。


<宮脇俊三氏の本>
 デビュー作「時刻表2万キロ」は、著者が激務の中少しづつ国鉄を乗り潰し全線完乗に至る旅行記で、鉄道ファンのみならず多くの人々に喝采をもって迎えられた。その後紀行作家として独立、鉄道を中心とした旅を数々綴られた。全てが旅心をくすぐり紀行文学として最高峰を極めていると思う。

「最長片道切符の旅」
 会社を辞した著者が一番最初に旅をした記録。同じ駅を通らなければ、どんな路線を行こうと片道切符になる。国鉄の網目のようにはりめぐらされた路線の中で最も長い一筆書き切符が、最長片道切符。当時の国鉄で最長は、北海道広尾から鹿児島枕崎まで、13267㌔。その旅を実行した紀行である。日本の風景を描写しながら力強く旅は続く。

「ローカルバスの終点へ」
 軌道にこだわっていた著者が、タマにはバスで旅を…とローカルバスを選択して日本の鄙びた風景をめぐる紀行。その文章は美しく、宮崎の南郷村で「中山への道を歩きはじめた。谷深く、滝と瀬をつらねる水は清い。あたりは夕闇が迫って、うすら淋しいが、こんな場所に身を置けるのは旅の至福である」と記す著者の心と筆力にただ脱帽。

「古代史紀行」
 中央公論社で、大部「日本の歴史」を編集した著者が、ようやく旅と歴史を交差させた力作。歴史年表の出来事の順に足跡を印すという非効率な旅だが、その造詣の深さと文章力は歴史をまさに浮き彫りにしてくれる。「平安鎌倉」「室町戦国」と続き、関が原で筆をおいて物故されたことは実に残念だった。

 次回に続く。