日本を中心とした旅行記など。
<やっぱり日本を旅したい>
僕はいくつかの例外を除いて日本ばかり旅してきている。一通り日本を巡った後、海外に出るという選択肢もあったのだけれど、何故か日本の深みにはまってしまって動けなくなった。奥深い日本。日本の素晴らしさを教えてくれる著作はいっぱいある。
「思索の旅路」(岡田喜秋)
元雑誌「旅」の編集長で紀行作家の岡田喜秋は、まだこれほどレジャーとしての旅行が広く膾炙する以前からずっと日本を細かく旅して足跡を残してきた。現代の大町桂月を目指していたかに思われる作者の作品ももはや古典。今再読すると、日本はこんなに美しかったのかと改めて思い胸を衝かれる。他の著書「旅に出る日」「すべてふるさと」なども素晴らしい。
「日本の島々、今と昔」(有吉佐和子)
天売・焼尻島から波照間・与那国島、果ては尖閣諸島まで日本の島を巡り歩いたルポ。四半世紀も前の著作であるにも関わらずその臨場感は衰えていない。離島が内包する問題に切り込み、旅をする視野を確実に広くしてくれる。
「南鳥島特別航路」(池澤夏樹)
対馬、五島、八重山、南鳥島という日本の先端、また雨竜沼、白神山地といった自然いっぱいの所まで、著者は自由に旅をし観察している。文章も冴え、細かな視点が実に気持ちがいい。
<旅の名随筆>
作家は、小説を書くだけでなく時として随筆、紀行文も書く。多くは文豪の余暇みたいな位置づけだが、手慰みになっていない名随筆も数多くある。読みやすい筆致と深い洞察は、旅をする上で大いに啓発されるもの。
「食卓の情景」(池波正太郎)
ご存知「鬼平犯科帳」「剣客商売」の池波先生の真骨頂。旅を主体としているわけでなくあくまで食随筆だが、あちこちを食べ歩いて記する著者のその旨そうな描写に、矢も立てもなく同じものを求めて旅立ちたくなってしまう。決して高級なものばかりではなく庶民的なものにも著者は目をむけ、、読んでいてたまらなくなる。「散歩のときに何か食べたくなって」「むかしの味」「よい匂いのする宿」等、バイブルにしている人も多いはず。僕ももちろんそう。
「草競馬流浪記」(山口瞳)
山口瞳は小説を書かなくなったあと随筆を主として執筆し、紀行文も多く著した。その多くは作家の大名旅行であり人物描写が主となってはいるけれども、この作品は日本の公営競馬場を全て回るという企画が楽しく、最も旅情を感じさせてくれる。山口瞳の著作は殆ど読んでいるが、紀行ではこれが白眉だと思う。
「夢は枯野を 競輪躁鬱旅行」(伊集院静)
競馬の後は競輪で恐縮です。僕はギャンブルはしないのですがねぇ。
当時夏目雅子を失い焦燥していた伊集院静の旅打ち紀行だが、その心象風景が胸に沁みる。あくまで紀行というより賭博に焦点が置かれてはいるが、旅に出ずにはいられない心の彷徨がじんわりと伝わってきて、切なさが残る。文章はあくまで精緻で、さすがは伊集院静。
<宮脇俊三氏の本>
デビュー作「時刻表2万キロ」は、著者が激務の中少しづつ国鉄を乗り潰し全線完乗に至る旅行記で、鉄道ファンのみならず多くの人々に喝采をもって迎えられた。その後紀行作家として独立、鉄道を中心とした旅を数々綴られた。全てが旅心をくすぐり紀行文学として最高峰を極めていると思う。
「最長片道切符の旅」
会社を辞した著者が一番最初に旅をした記録。同じ駅を通らなければ、どんな路線を行こうと片道切符になる。国鉄の網目のようにはりめぐらされた路線の中で最も長い一筆書き切符が、最長片道切符。当時の国鉄で最長は、北海道広尾から鹿児島枕崎まで、13267㌔。その旅を実行した紀行である。日本の風景を描写しながら力強く旅は続く。
「ローカルバスの終点へ」
軌道にこだわっていた著者が、タマにはバスで旅を…とローカルバスを選択して日本の鄙びた風景をめぐる紀行。その文章は美しく、宮崎の南郷村で「中山への道を歩きはじめた。谷深く、滝と瀬をつらねる水は清い。あたりは夕闇が迫って、うすら淋しいが、こんな場所に身を置けるのは旅の至福である」と記す著者の心と筆力にただ脱帽。
「古代史紀行」
中央公論社で、大部「日本の歴史」を編集した著者が、ようやく旅と歴史を交差させた力作。歴史年表の出来事の順に足跡を印すという非効率な旅だが、その造詣の深さと文章力は歴史をまさに浮き彫りにしてくれる。「平安鎌倉」「室町戦国」と続き、関が原で筆をおいて物故されたことは実に残念だった。
次回に続く。
<やっぱり日本を旅したい>
僕はいくつかの例外を除いて日本ばかり旅してきている。一通り日本を巡った後、海外に出るという選択肢もあったのだけれど、何故か日本の深みにはまってしまって動けなくなった。奥深い日本。日本の素晴らしさを教えてくれる著作はいっぱいある。
「思索の旅路」(岡田喜秋)
元雑誌「旅」の編集長で紀行作家の岡田喜秋は、まだこれほどレジャーとしての旅行が広く膾炙する以前からずっと日本を細かく旅して足跡を残してきた。現代の大町桂月を目指していたかに思われる作者の作品ももはや古典。今再読すると、日本はこんなに美しかったのかと改めて思い胸を衝かれる。他の著書「旅に出る日」「すべてふるさと」なども素晴らしい。
「日本の島々、今と昔」(有吉佐和子)
天売・焼尻島から波照間・与那国島、果ては尖閣諸島まで日本の島を巡り歩いたルポ。四半世紀も前の著作であるにも関わらずその臨場感は衰えていない。離島が内包する問題に切り込み、旅をする視野を確実に広くしてくれる。
「南鳥島特別航路」(池澤夏樹)
対馬、五島、八重山、南鳥島という日本の先端、また雨竜沼、白神山地といった自然いっぱいの所まで、著者は自由に旅をし観察している。文章も冴え、細かな視点が実に気持ちがいい。
<旅の名随筆>
作家は、小説を書くだけでなく時として随筆、紀行文も書く。多くは文豪の余暇みたいな位置づけだが、手慰みになっていない名随筆も数多くある。読みやすい筆致と深い洞察は、旅をする上で大いに啓発されるもの。
「食卓の情景」(池波正太郎)
ご存知「鬼平犯科帳」「剣客商売」の池波先生の真骨頂。旅を主体としているわけでなくあくまで食随筆だが、あちこちを食べ歩いて記する著者のその旨そうな描写に、矢も立てもなく同じものを求めて旅立ちたくなってしまう。決して高級なものばかりではなく庶民的なものにも著者は目をむけ、、読んでいてたまらなくなる。「散歩のときに何か食べたくなって」「むかしの味」「よい匂いのする宿」等、バイブルにしている人も多いはず。僕ももちろんそう。
「草競馬流浪記」(山口瞳)
山口瞳は小説を書かなくなったあと随筆を主として執筆し、紀行文も多く著した。その多くは作家の大名旅行であり人物描写が主となってはいるけれども、この作品は日本の公営競馬場を全て回るという企画が楽しく、最も旅情を感じさせてくれる。山口瞳の著作は殆ど読んでいるが、紀行ではこれが白眉だと思う。
「夢は枯野を 競輪躁鬱旅行」(伊集院静)
競馬の後は競輪で恐縮です。僕はギャンブルはしないのですがねぇ。
当時夏目雅子を失い焦燥していた伊集院静の旅打ち紀行だが、その心象風景が胸に沁みる。あくまで紀行というより賭博に焦点が置かれてはいるが、旅に出ずにはいられない心の彷徨がじんわりと伝わってきて、切なさが残る。文章はあくまで精緻で、さすがは伊集院静。
<宮脇俊三氏の本>
デビュー作「時刻表2万キロ」は、著者が激務の中少しづつ国鉄を乗り潰し全線完乗に至る旅行記で、鉄道ファンのみならず多くの人々に喝采をもって迎えられた。その後紀行作家として独立、鉄道を中心とした旅を数々綴られた。全てが旅心をくすぐり紀行文学として最高峰を極めていると思う。
「最長片道切符の旅」
会社を辞した著者が一番最初に旅をした記録。同じ駅を通らなければ、どんな路線を行こうと片道切符になる。国鉄の網目のようにはりめぐらされた路線の中で最も長い一筆書き切符が、最長片道切符。当時の国鉄で最長は、北海道広尾から鹿児島枕崎まで、13267㌔。その旅を実行した紀行である。日本の風景を描写しながら力強く旅は続く。
「ローカルバスの終点へ」
軌道にこだわっていた著者が、タマにはバスで旅を…とローカルバスを選択して日本の鄙びた風景をめぐる紀行。その文章は美しく、宮崎の南郷村で「中山への道を歩きはじめた。谷深く、滝と瀬をつらねる水は清い。あたりは夕闇が迫って、うすら淋しいが、こんな場所に身を置けるのは旅の至福である」と記す著者の心と筆力にただ脱帽。
「古代史紀行」
中央公論社で、大部「日本の歴史」を編集した著者が、ようやく旅と歴史を交差させた力作。歴史年表の出来事の順に足跡を印すという非効率な旅だが、その造詣の深さと文章力は歴史をまさに浮き彫りにしてくれる。「平安鎌倉」「室町戦国」と続き、関が原で筆をおいて物故されたことは実に残念だった。
次回に続く。
京都の街での楽しみのひとつに
バスに乗ることがあります。
旅の人、日常の人
それぞれの荷物に
それぞれの毎日が見える気がするからです。
日常では夕飯の支度の買い物に出かける時間
スーパーの袋を抱えた人に出会えば
あぁ~今は旅をしているんだと改めて思ったり。
凛太郎さんの本棚には本当にたくさんの種類の本があるんだろうな~って感心します。
どうしても偏りがちな私の本の選び方が
よくわかりました(笑)
本屋さんは大好きで、いろんな人の本を読みますが、一緒に帰ってくる本は、いつも同じ人の本だったりして…
たくさんの視点でものを見ることは
大切なんだ…私が知っている世界のほかにも
たくさんの大切なことはある。
一段落したら、また本屋さんへ行こう。
そういうのが旅の醍醐味のひとつなんでしょうね。アラレさんの視点にまたこちらも学ばせていただきました。
京都は地下鉄が充実していないせいかバスは楽しみが多いような気がしています。京都生まれの贔屓目かもしれませんが。
「あんなところまで均一料金で行けるのだから京都のバスはいいよ、大好き」
という旅人の話を以前に聞いてこちらまでうれしくなってしまったことを思い出します。
本屋さんは僕も大好きです。あんなに楽しいところは他にないかも。しかし僕の書棚にも傾向がやはりあります。今book batonがまわってきているのでこのシリーズ終えたら書きますが、アラレさんにまわしてもいいでしょうか? もしかしてもう既にお書きになっていたなら無視してください(汗)。
夢とか青春とか恋バトンは書いた記憶がありますが(笑)
本はまだですね。
よろしければ、まわしてくださいませ。
お題があると、いつもとは違う視点で
言葉を選ぶことができて、楽しいので…
夢とか青春とか恋バトンなら…僕は書けないですね。書こうとすれば連載ものになってしまう。←どうしてお前の話は長いのだ?
シュッ!! (p --)=O=O))@o@)/ ボカッ!!
私のブログは、自己満足の塊(笑)なので、どなたに回そうか…困ってしまうのが本音です。
でも、本のことなら書けそうかなって思ったので…。
きちんと想いを伝えようとすると長文になるのはごく自然なことで私はいいと思いますが…@同類ですから(笑)
しかし、batonもmusic、movieくらいまではよく見かけますが、いろんな種類があるのですね(笑)。ブログのコミュニケーションの可能性を示しているのかもしれません。
最近は携帯でブログを読む人もおられるらしくて、それだと長文はどうしてもねぇ(汗)。
アラレさんと違って僕は「ダラダラ」と長いですから。^^;