自然文化研究科

NPO法人大阪府高齢者大学校 「自然文化研究科」の活動をアップします。

伊勢神宮御遷宮と森林

2013年09月17日 | 宗教と伝統
9月17日

本日は4月16と23日にご講義をして頂きました、国民森林会議会長・名古屋大学名誉教授/農学博士只木良也教授に、「伊勢御遷宮と森林」についてご講義頂きました。


只木良也教授

伊勢神宮御遷宮
 20年毎の式年遷宮
 社殿・調度すべてを新調する行事
 平成25(2013)年は第62回の年
 - 第1回は持統天皇4(690)年 -

御遷宮用ヒノキ材の供給  
 当初鎌倉初期まで、用材は神宮神域から伐出、
 用材不足→御杣山各地を転々。
 第36回(1380年) から木曽(長野県)と裏木曽(岐阜県)から。15-6世紀(戦国時代)には120-
 130年  に及ぶ一時中断。
 1709年第47回以降は、尾張藩所管の木曽と裏木曽が御杣山として定着。
 明治以降、木曽谷は御料林(皇室所有)。そのヒノキ林から伐採・搬出。
 明治42年(1909) 木曽谷に8000haに及ぶ神宮備林設定。大樹選定。
 昭和22年(1947)、御料林は国有林に。神宮備林制度廃止、備林の一部は今日も保護林
 となって存続。

なぜ20年ごとの御遷宮?
 日本人の潔癖・清潔→白木造りに結晶。
 御遷宮1回にヒノキ最高材13,800本:ぜいたく感。「もったいない」。
 しかし、伊勢神宮の古材は古来見事なリサイクル・リユース。神宮自体の鳥居、末社の
 社殿、全国の神社の用材。小さな端材もお札に再生。
 それに20年は、御遷宮に伴う諸技術の伝承(師匠から弟子へ)に最低限必要な年数。

神が降臨するようなヒノキ林

御杣始(みそまはじめ)祭
御杣始(みそまはじめ)祭: 御用材伐出の御杣山(みそまやま)で御樋代木(みひしろぎ)を伐採する祭り。
御樋代木:御神体を奉安する器を造るヒノキの御料木、御遷宮1回に要する13,800本の中でもとくに神聖な選 び 抜かれた御料木。
2本(内・外宮)の御樋代木を「三ツ紐伐(三ツ伐)」。この伐採法は神事を通じてのみ伝承。 
第61回御遷宮-平成5年(1993)-の御杣始祭:昭和60年(1985)6月3日に、
第62回御遷宮-平成25年(2013)-の御杣始祭:平成17年(2005)6月3日に
木曽谷の上松営林署小川入国有林で。

切り倒す前の神事


内宮(手前)外宮(奥)の御樋代木(みひしろぎ)
「三ツ紐伐(三ツ伐)
2本(内・外宮)の御樋代木の伐採法で代々受け継がれている。

3本の斧で両横弦・受口から斧を入れ中を空洞にしたあと 後弦方向に倒す。ちなみに倒れるときは、倒れると言わず「寝るぞー」と掛け声をかける。


直径70〜80㎝も有るヒノキをこの3本の斧で倒す(寝かす)
江戸時代の倒木風景



倒木風景(クリックで大きくなります)


内宮の御樋代木は五十鈴川を信者、地元の人によって引き上げられる。


20前の御樋代木の切り株。

ヒノキ林の維持
ヒノキ林の維持処置の実験
1985年から開始









試験林設定以来、既に25年余を経過。後継樹育成はまずまずの効果。
この試験林以外で、下層のアスナロ除去だけで上層木伐採なしの処では、林内はすきりしたものの、ヒノキの幼樹は見られない。なお、試験敷地内のアスナロの上層木を残したところでは、地表はアスナロばかりに。
計画段階で、「上層のヒノキを伐る」ことが、地元から反対。「試験に限り」休養林外で」の条件で妥協。
20年を経て2006年、一応の試験結果から、国有林はこの方式を事業的に拡大すべく計画(休養林以外)ところが地元はまたしても反対現在に至る。

御遷宮の使用材料については 8月26日「夏休み番外編 伊勢神宮 遷宮前に訪ねる」の参考資料にも記載しましたので、ご覧下さい。