昨日からの続きです
3日目は、米沢の上杉神社の観光から
NHK大河ドラマ「天地人」で注目されている上杉家が
最後に転封されたのが、ここ米沢30万石です
実は米沢は、独眼竜伊達正宗の生誕の地でもあるのです
(元は伊達家の領地で、秀吉に仙台へ転封されたそうです)
その中心部に謙信を祀った上杉神社があります
それほど大きな神社ではありませんでしたが
周りの公園と一体となって良い感じでした
稽照殿という展示館があり、
例の愛の前立ての甲冑が展示されていました
(稽照殿)
その他、謙信や景勝の甲冑や朝服などが展示されていました
大河ドラマでは米沢はまだ先ですが、
上杉家が一番苦労した部分は端折らないで描いて欲しいですね
この旅行の最後に行ったのが、会津
まあ大河の影響がどのくらいあるかも見ものと思い
足を運びました
(磐梯山のアルツスキー場までは何回も来ましたが
会津若松は今回初めてです)
会津といったら白虎隊というイメージですので
まずは鶴ヶ城を見に行きました
再建された立派な天守閣があり、その中が展示場になっています
崩落寸前の鶴ヶ城の写真を見ましたが凄いことになっていました
ここまで降伏しなかったなんて…
展示の中心はやっぱり松平家と白虎隊ばかりかと思いきや
けっこうなスペースを上杉家に割かれていました
大河ドラマの力はすごいですね
上杉家は会津転封後、神指原に巨大な城を普請していたのですね
その名も神指城(こうざしじょう)
完成していれば東日本最大級の城で、
近隣諸侯には脅威だったでしょう
(特に最上や伊達)
会津には3年しか居られなかった上杉家は
本格的な都市計画を持っていたので残念だったでしょうね
松平家の話も…
会津の領主が松平家になったのは、
加藤家がお家騒動(会津騒動)により改易となり
そこに徳川秀忠の庶子、保科正之が入封した1643年
親藩として松平姓を許され、
以後本家徳川家の為に心血を注ぐことになる
それが幕末戊申戦争での白虎隊の悲劇につながる訳です
ところで、以前にも書きましたが
初代の保科正之という人は、いい政治家だったようですね
明暦の大火の復旧やその後の都市計画、
玉川上水を作ったり、お家断絶を緩和する措置など
いろいろな政策を実践したらしい
直江兼次が大河の主役になれるなら
保科正之だって問題なくなれそうですよ
でも、再来年の大河はお江与さんだしなぁ
残念だけど当分無理ですよね…
最後は飯盛山に行ってきました
ご存じの通り、白虎隊が自刃したところです
まあ小高い丘といった感じの山です
階段を一気に登って自刃場所まで行って
鶴ヶ城を臨んでみたのですが…
ちっちゃい
鶴ヶ城はほとんど判別できませんでした
気温が高くモヤがかかっていたので
視界が悪かったこともありますが
周りにビルとかいろいろできてしまったので
目立たなくなってしまったのでしょう
それにしてもこの距離では、市中の火災を見て
白虎隊が落城したと思ってもしかたがありませんね
昼食を取って帰途へ
渋滞もありましたが、なんとか夕食前には帰宅できましたよ
疲れたけど楽しい3日間でした