親方のみかた

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忍城と古墳とB級グルメの町、行田

2009-09-27 22:00:29 | 親方レポート

埼玉県行田市に行ってきました
といっても行田という町を知らない方は多いと思います

行田は埼玉県北部の町で、
関東七名城のひとつ「忍城」があったところです

また、埼玉県の名前の元になった「埼玉(さきたま)古墳群」もあります

今の行政区になる以前は、武蔵野国でも中心的存在だった場所です
(一時的に「忍県」があったほどです)

そんな重要な場所なのに、
元埼玉県人の僕にとって行田は未踏の地だったのです


先ずは「忍城」

もちろん天守閣があるわけではなく城址なのですが
その場所に城を模した博物館があり、
なかなかの趣でした

忍城の一番の見せ場は、まだ成田氏長が城主の頃
秀吉の後北条小田原城攻めの時の後北条の支城攻めで、
石田三成率いる秀吉軍に攻められた時のことです

三成は秀吉の高松城水攻めと同様に堤を作り
利根川の水を引き込み忍城を孤立させようとしたのですが
成田側に堤防を決壊され、石田の秀吉軍は大打撃を受けたそうです

結局、北条方の城で小田原城が落城した時
まだ陥落していなかったのは忍城だけだったそうです

水攻めでも陥落しなかった忍城は
「忍の浮き城」という別名ができたそうですよ

読んでないけど、小説「のぼうの城」の舞台だそうです


成田氏長の娘、甲斐姫の伝説は、とても興味あります

東国随一の美女で、自ら甲冑を付け秀吉軍を翻弄したり、
継母の仇を打ったり、秀吉の側室になったり、
秀頼の娘を大阪夏の陣から脱出させたりと
伝説はたくさんあるようですよ


忍城は徳川政権下では、家康四男忠吉の松平氏が藩主になり、
その後、多くの老中を排出した阿部氏が藩主になったそうです


忍城址のそばの水城公園で池一面のホテイアオイを堪能し



県内B級グルメの勇「ゼリーフライ」を食べ



「埼玉古墳群」に向かいました


埼玉県の名称の元になった「埼玉(さきたま)古墳群」には
幾つのも大きな古墳がありました

前述の石田三成が本陣を張った丸墓山古墳には登ってみましたが
360度辺りが一望できる絶景でした

大きな前方後円墳が幾つもあり、
全体で大きな公園にもなっていて、家族連れも多く
憩いの場になっていました

埴輪も多く出土しているらしく、
復元された物が多く展示されていました

世界遺産に申請したいという話ですが
ちょっと厳しいかな…


忍城と古墳とB級グルメの町、行田
みなさんも一度訪ねてみてはいかがでしょうか



ごめんね…

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