こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。
それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。
(ガラテヤ人への手紙第3章 24節 )
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主イエス・キリストを全き神全き人間と魂の奥底から信じるなら
もはや私たちはその信仰によって義と認められたので律法の下にはいない。
だから主の御前で真の自由を受け七つの御力をいただいたのである。
自由というものはむずかしい。いつもどんなところででも主の御前でいただく
のが真の自由である。
主のことを忘れての自由であるのだったら、そんなものは自由ではない。
ただの自分勝手である。だからどんなときでもどんなところででも主の御前に
いるんだということを忘れないようにしよう。
そうすれば私たちは主の御前で真の自由を得たことになる。主ご自身を父と子と
聖霊なる神そして子なる神が人性を着て下さって全き神全き人間となってくださった
ことを信じよう。何か困ったことがあるならそして主なる神に助けを求めるなら助けて
いただける。
もちろん神のみこころにかなっていればである。
父と子と聖霊なる三位一体の神の御姿を啓示するために主イエス・キリストは人性を着て
この世に生まれてくださった。このことを信じよう。そして真の自由になろう。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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