ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

良き羊飼い。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年06月16日 00時05分06秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    わたしは良き羊飼いである。
    良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。

       「ヨハネによる福音書 第10章 11節」


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 主イエス・キリストが二千年前の人々に言ったご自分を表す一番わかりやすいたとえだ。
 当時主イエス・キリストの民は羊を飼う半農半牧の民だったそうだ。だから「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」ということが言われた時、自分の生活にあてはめて理解したのだと思う。現代の人々と同様、(わたしも同様だが)、主イエス・キリストの活動した時代は、司祭も弟子も民衆もみな主イエス・キリストの言葉をすぐには理解することが出来なかった。マルコによる福音書はとくにそこのところを強調している。今回取り上げたヨハネによる福音書は主イエス・キリストの周囲の人々よりも、主イエス・キリストご自身の神性を強調して記述している。そして民衆に分かりやすいたとえ話を取り上げている。
 わたしは主イエス・キリストに育てられ養われている「迷える子羊」だ。
 主イエス・キリストの教会では牧師や司祭のことを「牧者」と言ったりする。主イエス・キリストのような良い羊飼いとして主イエス・キリストの信者の信仰を助けてくださる人たちだ。キリスト教国の人々は他人や家族の言うことは聞かなくても、牧師や司祭の言うことはちゃんと聞いたりすることがある。主イエス・キリストへの信仰があって初めて出来ることだろう。
 わたしはこの牧師や司祭といわれる人たちが大の苦手だ。主イエス・キリストを体現している人がなかなかいないからだ。
 わたしはわたしなりに「良い羊飼い」であろうと思っている。
 主イエス・キリストの生き方にならうために。


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