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ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(日本のことわざ):石の上にも。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2020年08月07日 00時00分24秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
     石の上にも

     三年


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 上記のことわざは、コレッと思ったことは辛抱強く確信が与えられるまでこだわれという意味合いであるが、まさにわたしがフツーのクリスチャンにしていただいた年月を物語っている。
 わたしは主イエス・キリストへの信仰を聖書を読み始めたときから持っていたわけではない。聖書をパッと開いて目についた文章を読んでそれなりに感動したことはあったと思う。
 しかし、主イエス・キリストを自分の神さまとして礼拝することは、よほどの宗教的な天才(旧約聖書に出てくる預言者のように)でないかぎり、そうそう出来ることではない。
 わたし自身のことを言えば主イエス・キリストへの確信は「石の上にも三年」どころか、三十年かかった。宗教的天才どころか、よほどの馬鹿である。
 まさに「石の上にも三年」よろしく「聖書の上にも三十年」である。
 この三十年を重く苦しかった年月と書けばかっこいいのだが、今でも重く苦しい。わたしなりに自分の十字架を背負った毎日だ。
 信仰の上では、わたしはまだまだ少女のままである。だから「少女ジーザス」なのだが。
 主イエス・キリストのみ言葉は、その人ひとりひとりの内部でまるでパンを膨らませるイーストのように、その人とともに成長し、その人なりの理解が与えられ、そして最後に主イエス・キリストは自分の神さまだという確信が与えられるのである。



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     ↓;3年でまんねん、
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