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ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(徳善義和・百瀬文晃):ヘンなくせ。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2023年05月21日 00時05分21秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   わたしたちが「霊」という言葉を聞く時、ともすれば
   神の霊よりも人の霊や物の精霊を考え、何か不思議な
   体験をすると、それが霊の働きであるかのように思い、
   ことにさまざまな「たたり」をもたらす霊を恐れたり
   しがちである。

     (『カトリックとプロテスタントどこが同じで、どこが違うか』
             徳善義和、百瀬文晃編     教文館   )

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 わたしは洗礼を受けたあとも、ずいぶん長いこと上記引用文のように「何か不思議な体験をすると、それが霊の働きであるかのように思い」神ご自身よりも重きをおいてついつい考えてしまうヘンな癖があった。わたしの夫によると、人間はみんなそんなもので、真の神よりもそんなヘンチクリンなものに惹かれたり、不健康な興味を持ってしまいがちなのだそうだ。
 洗礼を受けてフツーのクリスチャンになってからもわたしはずいぶんとヘンチクリンなものに興味を持って夫を悲しませた。少しはそのヘンチクリンな癖が主の御力によって取り除いていただけるようになったのは、このブログでこのような拙文を書かせていただくようになってからである。もちろん生活の中で必要と思われるとすぐに「お祈りをする」習慣も確立されてきた。特に「感謝のお祈り」と「ゆるしを願うお祈り」そして「主の主王の王主イエス・キリストの御名を讃えるお祈り」はかかしたことがない。そしてヘンチクリンな癖をだいぶ取り除いていただくことができた。
 しかし、フツーのクリスチャンのわたしとて「人間」である。いつ何どきまたヘンチクリンなものに不健康な興味をもってしまうかわからない。だから毎朝起きるとすぐに主に向かって全身全霊をもってお祈りをし、毎晩寝る前にも一日の反省を主の御前でしながら、主に向かってお祈りをしている。


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