私は、あなたがたのたましいのために、大いに喜んで財を
費やし、自分自身を使い尽くしましょう。
私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛され
なくなるのでしょうか。
それならそれでよいとして私はあなたがたに重荷を負わせません
でした。
それでも私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったと言われます。
(コリント人への第2の手紙第12章 15・16節 )
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無報酬で教会のために働いても上記引用聖句のように言われてしまう
こともあるのである。
つくづく教会の人間関係というものはむずかしいと思う。
パウロのような主なる神から見て立派な伝道者、司祭なら目立つので
上記引用聖句のように扱われ根も葉もないことを言われてしまうのである。
主イエスに対する(主イエスが十字架にかけられた一番の理由)やっかみと
ほぼ同じである。
主イエスに対するユダヤ教の指導者たちは一様にみんな妬みをもった。
ちょうどパウロも主イエスと同じであるのだと思う。
ねたみというものは恐ろしい。いのちの君を殺してしまうのだから。
パウロもさぞかし、精神的に大変だったと思うのだ。
しかし彼はまず主イエスが同じ苦しみに会っていたと思って耐えたのである。
主イエスの御力で耐えられたのだと思う。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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