あのゲラサ人の悪霊に取りつかれた人の癒しも
象徴的ですね。主の言葉によって悪霊追放された
挙句、「服を着、正気になって座っていた」と
ありますね。(マルコ5・1-20)。
(「おもしろキリスト教質問箱
象徴的ですね。主の言葉によって悪霊追放された
挙句、「服を着、正気になって座っていた」と
ありますね。(マルコ5・1-20)。
(「おもしろキリスト教質問箱
」 教文館 )
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いったい「悪霊に取りつかれた」とは何なのだろう?
上記の引用文の山北師は、「この奇跡を見た人々はイエスを追放しようとしました」と言っているが、一般のいわゆる健康な人にとって主イエス・キリストの奇跡は「異常であり悪霊に取りつかれた者のしわざ」なのだ。そう思っているとしかフツーのクリスチャンのわたしには思えない。
「正常と異常のあいだ」などという著作を読んだことがあるが、いったいぜんたいどうして「精神病者」をいやす主イエス・キリストが「異常」と扱われるのか?
もっとハッキリ言ってしまえば「精神病者を同じ人間として心から同情し、ましてやその病気をいやすことは悪人なのである、いわゆる悪い奴」なのだ。
主イエス・キリストは悪人なのだ。義人や健康な人や正しい人たちなどという一般人にとっては。
精神病者というと「やーだ、あんなキチガイ」であり、その人をいやす主イエス・キリストはもっと「やーだ、あんなキチガイばかり相手にしてデカイツラしている悪人」、でしかないのである。
主よわたしたち人間を回復してください。
主よ、あなたがわたちの救い主であるとわかるまで。
主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。 アーメン。
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↓:♥。異常。正常。
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