はじめに言葉があった。
言葉は神とともにあった。
言葉は神であった。
(ヨハネによる福音書第1章 一節 )
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「はじめに言葉があった」とは創造主の第一声「光あれ」のことである。
天地創造の第一声である。
時間が始まり、いのちが始まった。
いのちの始まりは時間のはじまり時間のはじまりはいのちのはじまりである。
ここにも主イエス・キリスト(神の言葉・ロゴス)が全き神全き人間ということが
表わされている。
ヨハネによる福音書第1章第1節 を理解するだけでも正しいキリスト教信仰がもてる。
キリスト教信仰とはこんなにも単純なものである。
けっしてむずかしい理論体系ではない。
主イエス・キリストが創造主と一つであり御自ら主なる神であられること、この御方が
人性をとり人間となってくださったことを信じることができればよいのである。
わたしはキリスト教があまり盛んでない国に住んでいる。そして近頃全国でもキリスト教会の
60%が集まっているという街が世界遺産になろうとしている。
とてもうれしい。
しかしこの国がかつてキリスト教徒たちに何をしたのか、けっして忘れないでほしい。
人間はきらいな人間に対してあんなにも残酷になれるということをけっして忘れないでほしい。
だから神への信仰が絶対に必要なのだということをけっして忘れないでほしい。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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