
信仰者の世界においては
病人はもはや顔をそむけられる
呪われた者ではなく
キリスト・イエスの似姿であり
彼を表す徴なのである。
(「聖書思想辞典」 三省堂 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
わたしはある時ある病気で入院をすすめられたことがある。
その時の主治医は言った。
「ねえ、少女ジーザスさん。
あなたが入院するのがイヤなのは、
気持ち悪い人、見るのがいやだからなの? 」
わたしはその時、正直言ってこの主治医の精神性を疑った。そして同時になんてこのバカヤロウは「正直」なんだろうと思った。生物学的に言ってそして人間として、「病人」を「キモチワルイ」と思うのは、ある意味正常な反応である。しかし、その正常な反応のままで、医師のライセンスをもったれっきとしたご立派なお医者様がその正常な反応のままでただそれだけの反応のままで、患者の治療が正確な判断、診断ができるのだろうか?
わたしはクリスチャンとして人間として不思議でならなかった。
主ご自身のみことばにこのようなみことばがある。
「丈夫な人に医者はいらない。
わたしが来たのは義人のためではなく
罪人を招いて悔い改めさせるためである 」
主ご自身、天の父に招いていただいたれっきとした「病人だった」のだとフツーのクリスチャンのわたしは全宇宙に向かって宣言する。
主イエス・キリストの御名によって。 アーメン。
(病人や律法を守れない者は罪人とされていた当時のイスラエルの地では、
イエスもまた罪人と数えられていたし、病人と同列であったのだ)。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
【言の葉(聖書思想辞典):2】10.10.21
↓:病い

yamaiimaiumaiemaiyomaiaayamaihayabaisoreyamaihaturaiimayayamaihayuumaiimawaaaa.