
主は地の上に人を造ったのを悔いて、
心を痛め、
「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。
人も獣も這うものも、空の鳥までも。
わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。
しかし、ノアは主の前に恵みを得た。
(創世記第6章 6節 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
わたしはフツーのクリスチャンとしてこのノアという人物に注目したい。創造主イエス・キリストはここでノアにオソロシイことを告げている。
しかし、このノアという人物は「絶望」しなかった。
なぜこれほどオソロシイことを告げられて「絶望」しなかったのか?
それは創造主イエス・キリストの「愛」を身につけていたからだとしか考えられない。「愛」を信じ、「愛」を感じていたのだ。だからオソロシイことを告げられても「何かきっと神は良いようにはからって下さる。その愛を信じよう」と創造主イエス・キリストの愛を感じていた。
わたし自身、幾度となく主イエス・キリストご自身からオソロシイことを告げられている。今、この拙文を書いている瞬間にもだ。
しかし、わたしはそれもひとつの愛だと感じる。
生きているのはわたしではない、キリスト・イエスがわたしを今現在も創造しつづけ御力(愛)を与え生かしてくださることを体験している。わたしのいのちは復活の主イエス・キリストのいのちである。復活の主イエス・キリストのいのちがわたしのいのちとなってくださったのである。「原罪」というバクダンをかかえながら……。
永遠から永遠まで主イエス・キリストの御名はほむべきかな。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓;御力。
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しかし、ノアは主の前に恵みを得た。
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しかし、このノアという人物は「絶望」しなかった。
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それは創造主イエス・キリストの「愛」を身につけていたからだとしか考えられない。「愛」を信じ、「愛」を感じていたのだ。だからオソロシイことを告げられても「何かきっと神は良いようにはからって下さる。その愛を信じよう」と創造主イエス・キリストの愛を感じていた。
わたし自身、幾度となく主イエス・キリストご自身からオソロシイことを告げられている。今、この拙文を書いている瞬間にもだ。
しかし、わたしはそれもひとつの愛だと感じる。
生きているのはわたしではない、キリスト・イエスがわたしを今現在も創造しつづけ御力(愛)を与え生かしてくださることを体験している。わたしのいのちは復活の主イエス・キリストのいのちである。復活の主イエス・キリストのいのちがわたしのいのちとなってくださったのである。「原罪」というバクダンをかかえながら……。
永遠から永遠まで主イエス・キリストの御名はほむべきかな。
アーメン。
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