朋友(ほうゆう)ママの心の動きを知るblog

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一人になってもしっかりして貰うために・・・。

2021-10-17 14:06:40 | 私のこと

2021年10月17日

こんにちは。

昨夜、パパさんからいきなり言われた。

台所で用事をしている私の姿を後ろから見ていたパパさんが『体重、増加してないか?』と。

「ドキッ」

実は、2キロ増えている。

服を着ながら「着心地悪いなぁ~」「背中辺りの贅肉がついてきたなぁ~」と、感じていた。

で、『うん、一寸増えてみたい』とパパさんに言うと、

『この感じだと2キロは増えているなぁ~』と言われて、思わず『ドンピシャだよ』と言うと、

『それ以上増えたらマズいよ』と言われてしまった。

急に汗をかかなくなり、代謝が悪くなったのと同時に体重もしっかり増えているのである。

これから、一寸ずつ意識しながら体重を増やさないようにしないとね。

 

さて、本題に入るとしよう。

昨日、母親のことでblog upしたのだが、別のタイトルで綴るという事で終わっている。

タイトルを何にしようかと悩んだ結果、「一人になってもしっかりして貰うために・・・」というのがしっくりきたので、

その流れに沿って綴っていこうと思う。

 

亡き母親との思い出は、あまり良い物では無い。

が、今となっては亡き母親のお陰で、「これは勉強した方が良い」と思わせる原動力をたくさん産んでくれた。

 

何故、母親は私に対して恐母を演じていたのか?

母親の妹によると『あの子は(私のこと)優しすぎるのよ。だからいじめにも遭い、濡れ衣を着せられたりするのよ。

だから厳しく育てないと一人で生きていけない。いつまでもあの子の側にいるわけにもいかないしね』と。

私はこのことを聞いて思った。

だったら、その事を素直に伝えて欲しかった。

何も、私の心を傷つけるような行為や、勘違いをするような行動をしなくても良かったんじゃ無いの?

明らかに、私は母親にいじめを受けた印象しか無いし、

母親のわがままを押しつけられているようにしか映っていなかった。

一寸でも反抗したものなら、殺されそうになるんだから・・・。

(突起物を出してくるの)

まして、『あんたは拾ってきた子よ。私の子では無いのよ。ただ道ばたにあんたが泣いててさ、

あまりにも可哀想だから拾ってあげたのよ。だから頼らないで』って言わなくても良かったじゃん。

 

私には、弟がいる。

弟には、見事に溺愛していた。

扱いが違いすぎたため、実母を継母だと本気で思っていた。結婚するまで・・・。

結婚するに当たって、母親との関係を知るために内緒で戸籍謄本を取る手段に出た。

その時に、実母だと判明したわけだ。

やっと、私の心の中で安堵した。私には血の繋がった親がいるんだと。

 

母親の子どもに対しする扱い方に疑問を感じた私は、高校を卒業したあと保育の勉強が出来る大学へ進学した。

そこで、私は必死に勉強した。

子ども達の関わり方をしっかり学ぶために、実習もみんなよりも多めに受けた。

本来ならみんな長期休みを貰って遊んでいる最中も、私は実習を受け入れてくれる保育園や幼稚園を手当たり次第探して、

少しでも自分のものにしたくて頑張った。

保育園実習・幼稚園実習・施設実習を通して、幼稚園教諭と保母資格(今は保育士になるのだが)を取得した。

ここで勉強したことは、のちに娘たちと関わるに当たって凄く役に立った。

本当に有難い。

実習生として関わっていた頃は、子ども達のことを「可愛い」という気持ちよりも「これで良いのだろうか?」と思うことが多かった。

『先生』と呼ばれても良いものだろうか?という気持ちになっていた。

気持ちに余裕なんか無かったなぁ~。

今だったら、どんな子どもさんが側に来ても関われる自信がある。

『可愛い』と心から思える。

『子どもが大好きだよ』という事も、堂々と言える。

 

今、保育士さんの求人募集がたくさんある。

その度に思う。

『あと10~20年ほど若かったら、雇って貰いたいなぁ~』って。

今は到底無理だわ。

身体の障害を抱えた状態では(足腰の持病がある限り)、体力を使って関わることは厳しい。

どちらかというと、子どもさんと関わっている保護者の方と話をして、子育てのことについて少しでも役立てる情報を届けたいかもしれない。

核家族が増えてきた分、負担も増えてきているだろうからね。

 

今朝、次女と話をしていて、『ママさぁ~、親御さんが一寸買い物へ行ってる間とか、親御さんが友達とお茶している間だけ、ベビーシッターみたいな感じで子ども達を預かってあげるサービスなんか良いんじゃ無いの?』って言われて、『それ良いかもね』という話をしていた。

10年ほど前、そんなボランティアをしたことがあったなぁ~。

双子ちゃんのお母さんで、実家が遠くてどうしても頼る人がいなくて、育児ノイローゼ気味になっているのを近所の人が見つけて、私に助けを求めて来たことがあって、1ヶ月間預かったことがあった。

『1日3000円でお願いしても大丈夫ですか?』と言われて、『ボランティアだから無料で』と言うと『有難うございます』と。

最終日に『ほんの気持ちです』と言って5000円頂いたなぁ~。

有難く頂戴したよ。

その子達も、今は大きくなり、暫く会っていないけど、私に助けを求めてきた人から話を聞くと『下に姉妹が出来て、その子達の面倒を見る子ども達に成長していますよ』と聞いて嬉しくなったね。

 

あとは、心理学の勉強に関しては、一番時間とお金をかけているなぁ~と思う。

多分、一生続くだろうと思う。

人として生まれてきた以上、【心=メンタル】と上手に付き合うにはどうすれば良いか?今も試行錯誤中である。

ネガティブ志向の強い私と真っ向から接していくのは大変なのよ。

だから、勉強できるチャンスでもあるんだけどね。

 

一見、ネガティブな出来事のように思うけど、

仮説として、私がこの世に生まれる前に『○○になりたい』と発願(ほつがん)していたとしたら、

その願いを叶えるために必要な出来事なのかもしれないね。

最近、その思いがきつくなっている。

人って、自分の心に対して嫌な出来事とか失敗した出来事などがあると、

次は嫌な目に遭わないように頑張るとか、或いは努力するとかして、何とか2度と起こらないように頑張ると思うのね。

その手段として、ネガティブな物事が起こっているのであれば、やっぱり「感謝」なのかな?と。

 

このように思うまで(心がたどり着くまで)、随分の月日が必要だったなぁ~って。

 

最後に、これだけは言いたい。

『乗り越えられない試練は、神様は与えない』という事。

乗り越えられない=「死」だと私は思っている。

私は、今、一人になっても不器用なりにこの世で生きるために頑張ってるよ。

逃げてないわよ。

 

みんな乗り越える力が備わっている。

自分を信じて取り組めば、きっと周りが助けてくれるよ。

大丈夫だからね。

 

 

以前、似たようなタイトルで綴っている内容がある。

10月5日『ネガティブな事の裏に隠されているもの』というタイトルだ。

もし良ければ、それも合わせて読んで貰えると嬉しい。


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