おせっちゃんの今日2

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母の時代…置いてけぼりと感じていたか

2023-07-22 13:26:58 | いろいろ

今週はジョージア大使のSNSへの投稿から始まって公共の乗り物の席を譲る話になりました。今日、週末はついでに母の時代を書いてみようと思います。異常に暑かった今週、少し落ち着いた梅雨明け間近の今週、これで閉めようと思います。

私は大学を卒業し3年間私立女子高に勤めました。その頃、女は結婚したら寿退社と言って務めはやめ専業主婦になるのが常識でした。今なら抵抗もしたかと思うのですが、親の言うがまま、社会の常識通り専業主婦になったのです。嫁ぎ先は遠く福島でした。

それはさておき、夫となる人の実家はわが実家からは、山陽本線で二駅離れていました。母はご挨拶とか,式の打ち合わせとか、お中元・年末の挨拶とか、時に応じてそちらに出掛けてていたようです。二駅分の距離はJRの(当時は国鉄ですが)汽車を使いました。

「おかあちゃん、汽車よりバスの方が便利だと思うよ。便数もあるしあちらの家の近くに停留所もあるし・・・」
「ふん、まあ国鉄の方が慣れているからね」
「そ~お、不便だと思うけど」

こんな会話を幾度かした記憶があります。かなり経ってから、母がぽつりと言いました・
「バスは切符が機械販売になったから・・・、買い方がよう分からんから・・・。やっぱり慣れた国鉄で行く」と決めたようでした。

今、時代の流れとして、全てがネット、AIの時代です。確かに私が昨日現金をチャージすることができなかったのですから。戦後の貧しい時代から、時代は復興の歩み。でもその陰でその進歩に取り残される人がいたのです。そしてそんな母の時代の人を憐れみを持って馬鹿にしていた自分が、今度はおいて行かれる悲哀を感じているのです。

これは仕方のないことなのでしょう。ただ遅れる人を放っていてはいけないと思います。分かる時代の人たちがちょっと手助けしてほしいものです。私はブログを書きながら、思い出の若者たちをありがたく思い起こすのです。

追記
バスには車掌さんという女性が乗っていました。皮の肩掛けカバンをお腹の上あたりに来るように、ベルトで首からかけ、切符を切る鋏をもって座席の合間を巡っていました。駅名を大声で案内もしますし、切符を必要とする人には、言葉のやり取りで、必要な切符を渡していました。


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