正月3日にZOOMで親族大集合をしたことはご報告いたしましたが、その後必要あって、らい太とその長男のお嫁さんと私、三人が顔合わせしました。私が着ていた和服を死に支度で整理していて、何枚かは息子Kのお嫁さんが引き受けてくれましたが、「これは着られません」と断られたのが3枚残っていたのです。中の一枚は母の形見の大島の訪問着で、大事に着てくれる人にと思っていたのです。ロサンゼルスで裏千家のお茶の団体のお役も引き受けるほどのらい太のお嫁さんです。是非見せてください、ということでZZOOMで見せることにしたのです。引き受けてくれることになりました。
その時の話です。朝10時に集まりました。時差があることは承知していましたが感覚的に自覚していません、向こうは夕方です。
「そろそろ夕ご飯の支度がありますね。手早くやってしまいましょう」と言いながら、ついついおしゃべりで長くなりそうでした。
Hさん(らい太家のお嫁さん)が言いました。
「コロナ禍でお家時間ばかり。3食の支度がずっと続いて主婦には辛さもあります。でも、子どもたちが少しずつ手伝うようになってきました。さっきも娘がご飯を仕掛けていましたから。やって見ると面白いらしく、ケーキ作りなどにも興味を持ってきました」とのこと。
私はハッとしました。我が家では子供たち、結婚して新家庭を持ち、独立するまで親の下で過ごしました。その時、家事を手伝わせるという気がほとんど私にはありませんでした。せいぜいお約束を破った時、罰として皿洗いをやらせたくらいでした。娘のMaが今でも怒っています。Kにはやらせないで、私にばかり手伝わせた、と。
私は自分の責任はきちんと守るほうです。専業主婦の私が、家事全般はやらなければいけないと思い込んでいました。そんな私の思いを子どもたち、当たり前と思って育ちました。料理を教え、その楽しみも伝えるという思いは持ちませんでした。教えるだけの腕もありませんでしたが。
まあ、結婚して主婦になったMaも、家族を飢えさせることなく、どうにか食事は作っているようです。
Kは夫(父親)を見習って、「男は会社に行って働くから料理はしないの」と平気で言うように育ちました。今は、お嫁さんのMiちゃんに鍛えられたらしく、時たまわが家で夕食を共にしたようなとき、食器を流しまで下げて、テーブルを拭くようなことはやります。そこまでが上限ですが。男女が共に働く時代です。子どもの育て方も違ってきますよね。