午前中、17・18日に行われた作品展示会の反省会に、区民センターを利用する者の懇談会を兼ねて意見を交換しました。作品展示会というのは、センターの施設を使って活動するグループの方々の作品を展示、広く沢山の方々に見て頂くお祭りです。
コロナ禍の最中である今年は、止めたい、いや、やはり発表の機会は欲しいと意見は二つに割れましたが、例年の半分ほどのグループが出展、場所も小規模にして実行したのでした。
書道・絵画・木版画・俳句の会・生け花の会などの力作が並びました。鑑賞のお客様もかなりの出足でした。
絵画グループには。97歳の男性の方が出展、93歳の奥さまの介護をしながら頑張っていらっしゃるのだそうです。そのほかの方々も、好きなことに打ち込んでいらっしゃるようですし、やはり発表の場があることは嬉しいとのことでした。
来場なさった方には、ご覧になった感想をコメントで寄せていただくのですが、この度は次のようなコメントがありました。
「書道の作品が素晴らしいので一層そう感じたのかもしれませんが、俳句の短冊や色紙の文字が見劣りしてせっかくの俳句が興ざめしてしまうようなものも見受けられ残念に思いました。上手に書く人にお願いしてはどうでしょう」。失礼ですがとの断り書きとともにでしたが。
俳句グループの方が反論。
「僕も悪筆なのですがねえ、そう言われると小さくなってしまいますが、言わせていただくと、俳句の先生は”字は個性”とおっしゃって、自分で書くことを勧められます。でも上手な字のほうがいいことは確かでしょう。来年はもう少しましなように練習します」とのことでした。
私もメールなどはしないと手書きの手紙ハガキに拘るじいじフレンドとはまずい手書きの手紙にします。高校の頃までは、下手ですけれど、選択科目では書道を取っていましたし、まあまあましな字を書いていました。大学に入って、教授の読み上げる文を、速記する授業が多くて、(その頃はまだ戦後の教育情勢は固まらず、教授は、自分の論文を読み上げて、筆記させる授業が多かったのです)勢い文字は速さが一番、自分流に勝手に省略した、大変な代物になってきました。母が「おせっちゃんは、字が上手いと思っていたけれど、さっぱりじゃねえ」と嘆いたものです。
それがもとには帰らず、おまけに加齢の手先不自由が加わり、見られたものではない文字を今書いています。
漢字もなかなか出てこなくなってしまいました。じいじフレンドに書く手紙も、美しさからは遠いものになってしまいました。時にパソコンで打ちます。この方が美しいです。まとまっています。でも私の味はありません。そのまま出す時は「ごめんね、機械文字で」と謝りの言葉を添えるのです。
もしも俳句の短冊が、全部パソコン文字で発表されたら・・・それが「美しい」とおもわれるかな。