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おせっちゃんの今日2

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えっ!?コロナに?

2020-10-07 15:31:54 | コロナウイルス

先週金曜日のことです。11時に渋谷でIさんを勤務先に尋ねていく約束をしていました。
金曜日は整形にリハビリに行く日です。朝一番にリハビリに行き、電車2本を使い渋谷に出て11時に間に合わせる予定でした。

整形の受付で診察券を出したりしていた時です。持ってるだけのおせっちゃんのスマホが鳴りました。大抵の人がごく平静にできることが、私にはドキッとして、固まる瞬間です。ほとんど使わないのですから。
どうにか出て見ると、これがまた初体験の夫(スマホ無しのじいさんです)からの電話です。びっくりしながらもどうにか二人話すことが出来ました。
Iさんから今日は会社に出られないので、約束をキャンセルしたい、と断りの電話があったから・・・とのことでした。

帰宅して、まあ良くスマホへ電話で来たわね。03から打ち込まなければ通じないことよく知っていたわね、と褒めつつIさんの電話の内容を詳しく聞きます。
うん、一寸慌てているようだったけれど、コロナがどうとやらと言ってたよ。コロナで会社に出られないとは・・・まさか感染?と急に心配になったことでした。

月曜日、Iさん本人から謝罪の電話が入りました。
「大丈夫なのですか?コロナがどうとかって聞きましたけれど」
「そうなんです。主人がスマホにコロナアプリを入れているんですけれど、そこから感染者に15分以上接触したと知らせてきたのです。感染の恐れありということです。PCRを受けてくださいと言ってきたのです。主人が陽性の可能性があることは、私にも可能性が。会社からそういう時は出社は相ならぬと言われていますので欠勤したのです。約束キャンセルごめんなさい」
「で、結果は?」
「はい、陰性でした。私も今日から出社しています。明日にでもお会いできます」ということでした。

昨日、訪ねて、相談事にのっていただきました。
「はい、聞いた時には一瞬固まりました。主人を検査に送り出し、私は予定の方にキャンセル電話をかけ、家に閉じこもりました。慌てましたけれど、結果は陰性でしたし、滅多にできない体験をしたと、今は思っています。アプリを入れたけれど、ちゃんと知らせてくるのかしら、などと疑いも持っていましたけれど、報せが来ることが分かりました。報せが来た人は全員PCR検査をやってくれること、それも只で、も分かりました」
「私もいれていますけれど、報せが無いのは無事なことと思えばいいのでしょうか。冗談ですが、経験して見たくもあります」と二人して笑いました。

笑いごとですんで良かった良かった。


運動会

2020-10-06 16:24:56 | コロナウイルス

土曜日のことです。いつものように、朝の主婦仕事を終え、公園にウオーキングに出かけました。ワンちゃん連れでほとんど毎日歩いていらっしゃる、顔見知りになった方に会いました。最近ではあまりしゃべらない方がよいということで、挨拶に一声かけるだけで別れるのですが(周回路の周り方が反対で一緒に歩くことはしないのです)、話しかけていらっしゃいました。
「今日、孫の運動会なの」
「あら、いいお天気でよかったわね。ワンちゃんと歩いていていいの。早くから場所取りしないの。」
「そんな時代ではないのよ。コロナはこんなところまで影響するのよ。コロナ対策様式の運動会なのよ」
「え?どんな?」
「見に行けるのは、園児ひとりに保護者一人。ほかの家族はオンライン」
「え?ばあばはだめなの?」
「我が家ではパパが行ったの。ばあばもママも弟たちも入場できないの」
「お弁当は?」
「そんなのなし。種目もぐっと減らして、半日」
「寂しいわねえ」
「そうなのよ。オンラインで観られるのだけれど、ひと種目だけなのよ。よさこい節だか、東京音頭だかを踊るんだって」

おばあちゃまは、ちょっと寂しそうに、公園を後にされました。
子どもたち、楽しむことが出来るといいけれど、いい思い出になりますように。幼い頃、村をあげての大行事だった運動会を懐かしみながら、祈ったことでした。

それにしても、ひどい世の中になったもんだ。


食べるという動作

2020-10-05 13:49:07 | コロナウイルス

生活のすべてに新コロナウイルスが付きまとうご時世です。守るべきことを守りればと思いながらも、どこかに不安感を抱いて過ごしています。人間として生きていく生活習慣を対コロナ用に作り替えなければならず、他人とのかかわりを極力減らさなければならない生活は息苦しくもあります。

「お家籠り生活」で、もちろん得たこともあります。しかし失ったものも多いと思います。
中で、私が驚愕した影響。これは重大です。

飛沫感染を防ぐにはとにかくマスクが有効という意見が認められてきました。マスク嫌いのアメリカ大統領が感染者になったという新しいニュースに、マスクの有用性はますます認められるかもしれません。

そんな中、食べさせようと箸やスプーンで食事を口先に持って行っても、食べる動作ができない赤ちゃんが出てきたというのです。原因は幼児の周りの大人がマスクで口元を隠していて、「口を動かす」という動作を学べないというのです。「真似ぶ」=「学ぶ」です。赤ちゃんは母親の(と限っては叱られそうですが)口元を見て、それを真似て食べる動作を身に着けていくのですよね。それなのに、お手本になるべき周りのものがみんなマスクで口を隠しているのです。赤ちゃんにとっては、食べるという動作は教えられていないのですよね。生きていく上で、基本の基の動作がコロナ対策のマスクで奪われているのです。

私の心配は食べる動作だけではないぞ、と広がりました。口の存在価値は「食べる」ことだけではありません。「話す」「言葉を発する」役目があります。赤ちゃんは食べる動作と同時に、しゃべる動作も、大人の口の動きを見て真似て学んでいくのではないでしょうか。マスクに隠された口の動きは赤ちゃんには伝わらないのではないのか。

取り越し苦労かもしれませんが、おせっちゃんは心配で心配で。


コロナ禍の中で・・・小柳ルミ子

2020-09-29 13:55:57 | コロナウイルス

昨日お昼「徹子の部屋」を見ていました。お家籠り生活ではそれでなくても狭い生活範囲がますます狭まって、これでは本当に「テレビ婆さんになるぞ」と怖れを抱いたりします。
でも、どんな番組にせよ、考えながら見るとそれなりに考えさせられます。昨日もそうでした。ゲストは小柳ルミ子さんでした。

崩れていない節制した姿態で、自分の行っているストレッチや、コロナに負けない徹底した除菌の仕方などを、明るく話していた彼女が、StayHomeの生活を訊かれた時、ふいに顔を覆って、声が出なくなってしまいました。しばらく話そうとしては口を覆い、涙を拭いて言葉になりませんでした。なに?と思っていると、やっと絞り出すように発した言葉は「引退を決意していました」という言葉でした。「どうしてそこまで?」との徹子さんの問いに、こう答えていました。

歌手・女優など芸能人として生きていて、この年になってもお仕事に呼んでもらっていました。自分でも体力を保って、それなりのプライドを持って生きていました。それがコロナ時世になったのです。芸能界全体がそうだったのでしょうが、仕事は全くなくなって、およびの声もありません。日にちが経つにつれて、ああ私にはもう価値が無いのだ、声はかからないのだ、このままではみじめな姿をさらすばかりだ、思い切って引退しよう、明日にでも発表しよう、という追い詰められた状態になってしまいました。一人で、言葉を交わす人もなく悪い方に悪い方にと沈んでいったのです。

もう明日には引退をと思い定めた時、桑田佳祐さんが雑誌に「小柳ルミ子は捨てがたい、いい歌手であり役者だ」と書いていらっしゃるのを見つけました。それが今までのマイナス思考を逆転してくれました。桑田さんの文を見るのが一日遅かったら、私はもうここにはいません。桑田さんは生涯の恩人です。と。
辞めてその後どう生きるかなどまったく考えず、ただ声のかからない自分から逃げ出すことだけを考えていました。もしやめていたらどうなっていたやら。

同じ日の朝いちばんのニュースは竹内結子さんの自死でした。このところ芸能界の中堅・ベテランともいうべき人の死が伝えられますし、一般人の自殺も増えているようです。
やはりコロナ自粛生活が影響しているのでしょうか。小柳さんが吐露したような孤独感・自信喪失に感染の不安感が加わり、生活の基盤の収入も不安定、先が見えない焦り、一人では抱えきれない重圧かもしれません。
小柳さんが、桑田さんの言葉に救われたように、孤独の者同士会うことは出来なくても、じかに顔を見合うことは出来なくても、励まし合うことが大事なのかもしれませんね。


コロナが完全に絶滅することは期待できないと言います。共に生きていくには人が手洗い・マスク・他との距離・を保って行くより仕方ないのかもしれません。コロナ終息と経済の回復と相反することを上手くバランスを取り生活していくことはひとりひとりの生き方が物を言うのでしょう。
そしてコロナとともに生きていく上でもっと大事なことは距離を保ちながらもあたたかいつながりを持たなければならないことです。一人で深く考えることと、お互いが温かくつながることと、これを大事にしなければならないと思います。

小柳さんは、志村けんさんとは古くからの友人だったとのこと。この不安感の時世に、彼の笑いこそが必要だったのに、一番に亡くなってしまわれるなんてと、また涙ぐんでいらっしゃいました。だから、私はコロナは徹底的に憎いのです。絶対に負けたくないのです。徹底消毒に力を注ぐのも、彼のかたき討ちのつもりがあります。徹子さんもやってください。一日も早い収束を迎えたいですよね。

みんな頑張りましょう!!


友達がする咳をいたわれるか

2020-09-04 20:16:20 | コロナウイルス

また「コロナウイルス」と言われそうですが、切実に共感できる文章に出会いましたので書き留めます。

朝日新聞の記事です。伊藤亜紗(美学者)利他学事始め 「友人の咳いたわれるか」と題して書いているエッセイです。おせっちゃんが文は崩してしまっていますが。

コロナの流行によって「ともだち」感覚は一変した。感染によって監視の対象になり投石や貼り紙がされるなど中傷や嫌がらせが起きるようになっている。

最近谷川俊太郎のこんな一節が読んだ本の中に紹介されていた。

ともだちって
かぜがうつっても
へいきだって
いってくれるひと

そんな考え方をしていた。寝込んでいる友人の家にご飯を作りに行ったこともあったし、自分の風邪が誰から貰ったものかなんて、笑いながら話す話題だった。

そうです。おせっちゃんの子どもの頃「風邪をひいたら、誰かに移せば治るんだよ~」という説があって、わざと咳を友達にかけたりして笑って遊んだ思い出があります。ところが新型コロナウイルスで全員マスク必須。飛沫を掛けあいっこなんてとんでもない時代になったのです。

伊藤氏の文は続きます。コロナかがある程度収束したとしても、わたしたちは「うつされる」ことに対して以前のように大らかになれないだろう。ただのインフルエンザや風邪であってもうつされる可能性に敏感になり不快感を感じるようになるかもしれない。友達がする咳を、私達はいたわれるのだろうか。

○○正義・○○警察などという、極端な正義感が尾を引くのだろうか。おせっちゃんは不安です。新型コロナウイルスの跳梁よりも、人間が、人間としての温かさを失っていく方が私は怖い。