origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

ソフィア

2008-05-22 18:50:48 | Weblog
ソフィアは元々ギリシア語の智慧に由来しており、東西キリスト教文化の中で女性名としても用いられてきた。
特に東方正教では「ソフィア」という名前を重んじるようだ。アヤソフィアといえば正教会の総本山であった教会であるし、ロシア正教会には世界の終末にソフィアという女性が現れ救いをもたらすという独特の終末論も存在する。この終末論は19世紀の思想家ソロヴィヨフによって唱えられ、広められた。ソロヴィヨフは20世紀の哲学者ベルジャーエフに大きな影響を与えた思想家である。。
ギリシア的な智慧を受け継いだのは、西方のカトリック教会だけではない。むしろ東方教会こそはより前面に「ソフィア」を押し出し、ギリシア的な智慧の継承を図ったのではないか(推測)。

佐藤道信『「日本美術」誕生 近代日本の「ことば」と戦略』(講談社選書メチエ)

2008-05-19 21:05:19 | Weblog
「日本美術」という概念そのものが近代的なものである。「美術」はfine artsの訳語だが江戸時代にはなかったものであるし、「西洋美術」と対置される「日本美術」なるものも近代的な概念である。そして「日本美術」に対する研究や「日本美術」家たちの活躍はナショナリズムと強く結びついてきた。
「日本美術」を考える上で外せないのが、初期の東京美術学校で美術史教授を務めたフェノロサである。彼は歴史を遡って「日本美術」観を確立し、苅野芳崖や橋本雅邦といった実作家にも影響を与えた。フェノロサの同僚でもあった岡倉天心も「日本美術」概念の確立に貢献した人物である。「アジアは一つ」として東洋美術の中の日本美術の発展を目指した岡倉の思想は、後にナショナリストにも影響を与えることとなる。
岡倉は東京美術学校を内部闘争で退官した後、横山大観・下村観山・菱田春草のような人物とともに民営の日本美術院を作り出した。

広田寛治『ロック・クロニクル1952-2002 現代史のなかのロックンロール』(河出書房新社)

2008-05-18 18:34:48 | Weblog
ピート・シーガーが赤狩りで追放され、DJアラン・フリードがロックンロールという言葉をR&Bに対して使い出した1952年。カントリー歌手ハンク・ウィリアムスが、ヘイリーとコメッツが「クレイジー・マン・クレイジー」を発表した1953年。ヘイリーとコメッツ以降、ボ・ディドリー、チャック・ベリー、リトル・リチャードといった黒人ロック歌手、ジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、バディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイスそしてエルヴィス・プレスリーといった白人ロック歌手が登場し、俄かにロックンロールという音楽が人気を博するようになってくる。本書はこの辺りからジャクソン・ファイブが登場する1970年までのロックの歴史を描いたものである。
60・70年代のロック、R&B、フォークの状況を端的に知ることができて勉強になった。フォーク歌手フィル・オクスなどはほとんど知らなかったので。サマー・オブ・ラブが始まったときには、鈴木大拙がアメリカに呼ばれて、ひたすら座禅を披露した(!)こともあったという。

詩のメモ

2008-05-17 21:47:16 | Weblog
昨日、今日にかけていろいろな詩を読んだ。特に気になったものをメモしておく。
Patrick Kavanagh "A Christmas Childfood"
貧しい家の子どもだったカヴァナーが自身のクリスマスの思い出を振り返った叙情的な詩。ワーズワースのようであり、陰鬱で反牧歌的な「大飢饉」と同じ作者のものとは思えない。
Seamus Heaney "Churning Day"
ヒーニーが子どもの頃に、牛の乳絞りをした思い出を読んだ詩。ワーズワースやカヴァナーからの影響が色濃い。
Seamus Heaney "Casualty"
北アイルランド紛争で死んだ一人の男。詩人とその男との対話を描いた詩。民族の複雑性に戸惑う男は「君は教養のある男だから、正しい答えで俺を惑わせてくれ」と詩人に問いかける。しかし詩人は答えを見つけ出せずに悩む。
Michael Longley "Wreaths"
ヒーニーと同世代の詩人。アイルランド紛争で、公務員、八百屋、リンネル製造者が死に至る様を描く。ヒーニーの"Casualty"と同テーマのものではあるが、ヒーニーの方が一枚上手な気もする。

サイード『晩年のスタイル』(岩波書店)

2008-05-14 22:42:39 | Weblog
エドワード・サイードが晩年にlatenessについて考察したエッセイ集。
音楽家や文学者の晩年のスタイルについて考察されている。
第1章は「時宜を得ていることと遅延していること」ベートーヴェン。アドルノが晩年のベートーヴェンに拘り、高く評価したのは、そこに統合性がなかったからではないかと考察されている。後期のベートーヴェンの楽曲(特に後期弦楽四重奏曲)には分裂があり、統合を拒んでいるところがある。それは決して完全に時宜を得ることはなく、永続的に遅延するかのような趣がある。
第2章は「十八世紀への回帰」リヒャルト・シュトラウス。R・シュトラウスは前衛的な作曲家に比べて、低く評価されることが多かった。特にシュトラウスの後期の作品は、後衛的であり、新ウィーン系の前衛陣からは批判にさらされた。しかしグレン・グールドはシュトラウスを20世紀最大の作曲家と評している。著者は晩年のシュトラウスを18世紀オペラの後継者と見なし、独自のシュトラウス像を築き上げている。
第6章は「知識人としてのヴィルトゥオーソ」グレン・グールド。アドルノのバッハ論、ヴィーコのホメロス観を引用しながら、「創造的反復・創造的追体験」をキーワードにグールドの音楽を考える。J・S・バッハとは時代の流れに乗らなかったインヴェンションの作曲家であり、グールドはバッハの対位法的な世界を再インヴェンションによって構築しているのではないか、と考えられる。グールドとバッハを繋ぐ奇跡の一線はそのインヴェンションにこそある。
晩年のモーツァルト、晩年ベートーヴェン、リヒャルト・シュトラウス、ジャン・ジュネ、トーマス・マン、ルキノ・ヴィスコンティ、グレン・グールド。彼らは音楽・文学の商業化の時代に行きながら、その商業化と逆行した。時代の流れに逆らう彼らの晩年と、サイードの晩年の姿が重なる。

『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』

2008-05-10 23:40:11 | Weblog
今更ながら見た。個人的には、字幕で"Middle-earth"を「中つ国」、"My Precious"を「いとしいしと」、"Fellowship of the Ring"を「旅の仲間」と訳すのはやめてほしい……。「ミドルアース」で良いと思う。
今回の「指輪の仲間」は、フロド、ガンダルフ、サム、ピピン、メリー、アラゴルン、レゴラス、ボロミア、ギムリの9人。ボロミアが最後の方で亡くなってしまう。

古代文明研究会『超古代文明FILE』(学研)

2008-05-10 14:49:36 | Weblog
コンビニで買った。学研の(トンデモ?)雑誌「ムウ」の特別版。グラハム・ハンコック、コリン・ウィルソンの本などが参考文献とされている。
世界七不思議、アトランティス大陸、ムー大陸、レムリア大陸、万里の長城、始皇帝の墓、邪馬台国、出雲神話、(日本の)キリストの墓など、歴史学的に不明瞭な点が多い事柄について触れられている。プラトンのアトランティス大陸が実はアイルランドなのではないか、というスウェーデンの学者による説は初めて知った。
特に気になった古代文明は以下のもの。
バビロンの空中庭園
地球空洞説
天文学者ハレーが唱えた。地球内部の中心には球体があり、極地方のオーロラ活動はそのために起こっているという説であった。後にアタナシウス・キルヒャーなど多くの学者が支持するところとなる。
シャンバラ
南米のヒマラヤ山脈の奥には比類なき智恵を持った聖者たちが暮らしていると言われていた。彼らが住んでいる土地がシャンバラである。
エル・ドラード
アンデス山脈にインカ帝国の悲報が存在するという説がヨーロッパ西部で流行した。黄金卿の一種。
ストーンヘンジ
イギリスの南部にある巨大な石柱群。古代のケルトのドルイド僧たちが利用していたと言われる。
マチュピチュ
ペルーの遺跡であり、古代インカ帝国最大のものだと言われる。日本からここにいくまでの旅費代はべらぼうに高いらしい。
邪馬台国
江戸時代に新井白石が近畿説、本居宣長が九州説を唱えた。双方とも『魏史倭人伝』をもとにしている。
ウルク
叙事詩の主人公ギルガメシュの出身地である。ここを舞台にした洪水伝説は創世記のノアの箱舟に影響を与えた。
メギド
イスラエルの地名。ハルマゲドンは元々ギリシア語でメギドの丘という意味であり、ヨハネ黙示録においては破滅はこの地で起こると考えられた。
アララト山
トルコ東部の山で、山頂にある巨大建築物が「ノアの箱舟」だったのではないか、と伝えられている。
ニューグレンジ
アイルランドの古代遺跡。ギザのピラミッドよりも年代は古いという。
アクスム
ヤハウェからモーセが受けたという契約の箱、アークが眠っているという伝説があるエチオピアの街。聖マリア教会の側に巨大なオベリスクが建っているとのこと。

蔀勇造『シェバの女王 伝説の変容と歴史との交錯』(山川出版社)

2008-05-05 16:05:20 | Weblog
旧約聖書「列王記」においては、イスラエルのソロモン王を訪ねてきたとされるシェバの女王。彼女はヨーロッパにおいては西アジア出身とされてきたが、一方でアフリカ出身だとするような説もあった。特にエチオピアにおいては、アフリカ出身のシェバの女王が民族的なアイデンティティの拠り所ととされてきたという。
元々1世紀ユダヤの教会史家ヨセウスは、シェバの女王をアフリカ・南アラビア(今でいうイエメン)双方の要素を含むものと考えた。シェバの女王をアフリカ出身だとする説はやがてはエチオピアの14世紀の建国神話『ケブラ・ナガスト』(王たちの栄光)に繋がっていく。20世紀エチオピアのラスタファリ運動も、このシェバの女王アフリカ出身説に基づいている。ラスタファリの人々にとって、エチオピアとはシェバの女王の国であり、聖櫃の眠る国であった。そしてハイエ・セラシエ帝は神に選ばれた皇帝なのである。
一方でユダヤ教徒は歴史の中でシェバの女王を、夢魔リリスと結びつけ、恐ろしい女性と見なした。キリスト教徒はシェバの女王をユダヤ教徒に比べて肯定的に見なした。19世紀ヨーロッパではシェバの女王はオリエンタリズムと結び付けられ、ノディエやネルヴァルの文学作品を生み出すこととなる。
私はシェバの女王というと、ヘンデルのオラトリオの「シェバの女王」の入場を思い出すが、このオラトリオにおいてはアラビア説とアフリカ説が折衷されているという。

三浦佑之『古事記講義』(文藝春秋)

2008-05-05 15:19:09 | Weblog
『古事記』の研究者がわかりやすく『古事記』神話について解説した本。
夫婦の創造神であるイサナギとイザナミ。イザナミの息子、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオ。
アマテラスは葦原中国の統治者となり、そこから日本という国が始まったということになっている。とあることから葦原を追い出されて出雲へと下ったスサノオは、ヤマタノオロチを退治し、オオクニノヌシノカミを生むこととなる。アマテラスの孫であるニニギノミコトの曾孫が神武天皇であり、これが天皇制の始まりだとされている(神話内では)。『古事記』と『日本書紀』の大きな違いの一つとして、出雲神話の有無がある。スサノオの孫である大国主を主人公とした出雲神話は『日本書紀』においてはあまり触れられておらず、ここに『古事記』独自の魅力があるという。大国主のエピソードの裏には、中央政府が出雲を征服した歴史的事実があるのかもしれない(著者は出雲を表日本に征服される運命にあった「裏日本」ではなく、中国や朝鮮への玄関だったと考えている)。
『古事記』の先行研究についてもわかりやすく触れられている。西郷信綱はマルクス主義的な歴史観から、『古事記』を古代の英雄譚として見なしている。彼にとって『古事記』とは日本のホメロスであり、やがて中世・近代と発達していく前の古代文学であった。著者は西郷の研究が時代の制約下にあったと論じている。著者にとって『古事記』とは哲学的・政治的なものではなく、文学的・神話的なものなのだ。

柿沼敏江『アメリカ実験音楽は民族音楽だった 9人の魂の冒険者たち』(フィルムアート社)

2008-05-02 19:02:06 | Weblog
本書で言及されている作曲家は9人。
不協和音の作曲家カール・ダグラス、パーシー・グレインジャー、賛美歌を取り入れたヘンリー・カウエル、メキシコのロルカ的なシルベストレ・レブエルタス、ピート・シーガーの親戚であるルース・クロフォード・シーガー、自作楽器のカリスマであるハリー・パーチ、小説家としても有名なポール・ボウルズ、言わずと知れたジョン・ケージ、ジャワ・バリ島のガムランを取り入れたルー・ハリソン。
カール・ダグラスは不協和音によって「崇高」の概念を音楽に取り入れた。「崇高」はバークやカントの美学におけるキーワードであり、リオタールは「崇高」を美に代わる新たな基準としてポストモダン美術のキーワードとした。ダグラスは美術において重要であった「崇高」を音楽において表現しようとしたのである。
ケージは若い頃にウィリアム・ジェームズから影響を受けた。全体を統一的に構成するのではなく、モザイクのように部分部分を重視するというケージの思想はジェームズから来ている。ケージはジェームズを媒介にして禅を理解しようとしたのかもしれない。