origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

平川祐弘『ダンテの地獄を読む』(河出書房新社)

2008-05-24 21:48:28 | Weblog
ダンテの研究といえば、E・R・クルティウスにエーリッヒ・アウエルバッハ。20世紀にはダンテをロマン主義的な幻視者としてではなく、言語芸術に長けた詩人として評価する向きが現れた。そのような20世紀の研究動向を踏まえた論文集……ではない。
著者は比較文学者であり、最近の研究動向など知るか、とばかりに独自の形でダンテの地獄編を論じ尽している。著者は何度も源信『往生要集』と『地獄編』を比較して論じている。キリスト教と仏教という違いはあれども、双方の地獄は意外なほどに似通っている。地獄の永遠性も同じだ。しかし、『往生要集』に源信本人の姿はない。自らを主人公としたところにダンテのエゴがある。
もし日本で『神曲』のようなものが書かれたとしたら、ウェルギリウスは誰になるか。矢内原忠雄は柿本人麻呂ではないかと冗談交じりに語っていたらしいが、著者は白楽天ではないかと言っている。白楽天は『源氏物語』を始めとする日本文学に多大な影響を与えたからだ。確かに日本人が日本語で『神曲』を書くのならば、言語の源流たる存在は中国の詩人になるのかなと思った。
著者は『神曲』の中の「お世辞」に注目してみせる。ウェルギリウスを「言語の大河の源流」として思い切り褒め称えるダンテ。カトーを褒めようとするもかえって心を害してしまうウェルギリウス。ダンテは外交官としても活躍した人物だったが、『神曲』は「お世辞」に溢れている。『神曲』を宗教的な聖なる書物としてではなく、極めて世俗的な文学として追求していく様は興味深い。
ダンテのキリスト教の独善的なところに対する批判も面白かった。源信は仏教を信じていないからといって地獄に落とすようなことはしなかった。しかしダンテは、どのような善人であっても、クリスチャンでなければ辺獄にしか行けないと考えた。そしてムハンマドを地獄の最下層に落としたのである。

シェイマス・ヒーニー『創作の場所』(国文社)

2008-05-24 21:37:56 | Weblog
アイルランド文学の研究者として有名なリチャード・エルマンの記念講演で、ヒーニーが話した内容を纏めたものである。後期のイェイツ『塔』から始まり、パトリック・カヴァナー、ルイス・マックニース、トマス・キンセラ、デレク・マホン、ポール・マルデューンといったアイルランドの詩人たちについて論じられている。
イェイツが生きた時代は、アイルランドのプロテスタント層が没落していた時代であったという。アングロ・アイリッシュのインテリ層の代わりに、カトリックのインテリ層が台頭してくる。イェイツ亡き後の1940年代に人気を博したオースティン・クラークやカヴァナーはカトリックの詩人であり、前者はUCD出身の宗教教育を受けた知識人として、後者は農家の実情を知った者として詩を書いた。
カヴァナーとヒーニーを繋ぐ詩人としては、カトリックのトマス・キンセラがいる。50年代後半から活躍し「血の日曜日事件」などの暴力的な出来事を詩という芸術へと昇華させるができるキンセラの才能は、ヒーニーに影響を与えた。アイルランド紛争について詠んだ初期のヒーニーの詩は、キンセラの影を宿していると言えるだろう。
その他、ヒーニーの弟子でもあるポール・マルデューンの詩を論じている。マルデューンの詩の注釈で、ヒーニーがキリストの十字架上での死は野獣のような死であったに違いないと言っているのが印象的だった。
ジョイス~カヴァナー~キンセラ~ヒーニーというカトリックの伝統とイェイツ~ベケット~マホンというプロテスタントの伝統があるのかも。

『歴史を問う 1神話と歴史の間で』(岩波書店)

2008-05-24 21:15:50 | Weblog
『歴史を問う』というシリーズものの論文集の第1巻。今回のテーマは「神話」であり、国内外の神話と歴史に関して論じられている。
「神話と歴史の間で」
元々口語によって語られるものだった神話が次第に書き言葉となっていき、それが「歴史」と接近する。著者は「中世神話」という概念を提唱し、『愚菅抄』や『神皇正統記』を論じる。鎌倉時代、仏教者たちは自分が末法の世にいるのだと考えていた。救いがもたらされることのない末法の世。その中でどのようにして宗教的な救いを人々に与えることができるか。その問いに対する一つの回答が親鸞の浄土真宗であったと言える。慈円の『愚管抄』もそのような時代に書かれた書物であり、彼の仏教的な歴史観が投影されている。慈円の道理の概念や末法思想はあくまでも彼の主観によるものだということに留意すべきである。そこには歴史を客観的に語ろうとする意識はあまりない。
一私人の立場から書かれた『愚管抄』と南朝の正当性の証明のために一公人としての立場から書かれた『神皇正統記』は結構違う。
「歴史と信仰」
20世紀を代表する聖書学者ルドルフ・ブルトマンと神学者カール・バルトは共に歴史主義的な聖書学に抗った。歴史を追及すればイエスの真の姿に会うことができるという19世紀後半以降の聖書学の潮流に従わなかった。しかし、ブルトマンとバルトは決して似ていない。バルトは歴史に抗いそのキルケゴールから影響を受けた神学によって真理に近づこうとしたのに対して、ブルトマンは歴史学から距離を置きつつも歴史の中に真理を見出そうとした。ブルトマンはまず「史的イエス」に関して、ほとんど何も確実なことはわからないということを認める。その上で、新約聖書を非神話化し、実存的なイエスの像を求めていくのである。聖書には幾つもの神話があり、それらの神話を解体していくことが必要だとブルトマンは考えた(「神話」こそを重視したノースロップ・フライとは対照的に)。そして神話を取り払ったときに残る核こそが、信仰の対象となるべきものだとした。彼はルター流の信仰義認説の立場を取っており、神話を取り払ったときに立ち現れる聖書の本質を信仰の対象としたのである。しかし、本当に信仰すべき聖書の本質と神話は峻別できるものなのだろうか。その疑問を呈したのが、ブルトマンから影響を受けた哲学者ポール・リクールであった。
個人的にはルター派に共感を覚えていることもあって、ブルトマンの神学はなるほどなあと思わされるところが多かった。もし現代において信仰が成立するならば、それは神話に抗うことによってのみなのではないか。
「神話の引用と再話 グノーシス主義の創作神話」
グノーシス主義における二元論的な傾向や歴史否定の傾向について。グノーシスが歴史には何の超越的な価値はない、などという考えをもっていたのだということは初めて知った。歴史の超越的な価値を重んじるユダヤ・キリスト教のネガとなるべき歴史観がグノーシスには存在している。