ドラマ、見ました。しばらく思考停止状態で。それからも、なにをどう書いたらいいのか、わからなくて。でもそうやっていくうち、最初の気持ちはどこかに飛んで行ってしまうような気がするので、それはちょっともったいないというか、少しでも大事にしておきたいというか、そう思ったので、今言えることだけでも、文字にしてみようと、そう思ってやってきました。
お涙頂戴ものは、苦手なので、大野くんが主人公を演じるのでなければ絶対に見なかっただろうと思う、このドラマ。だけどなんか、思っていたようなお涙頂戴ものとはどことなく違ってて、それが演出のせいか、役者さん達の演技のせいかはわからないけれど。なぜか、丸一日たっても、何か用事をする、動作をする、そんなときに、ふっと頭をよぎって、離れられない状況で。
大野くん、あなたは最近よく、”いつ死んでも、悔いはない。”そんなことをいいますよね。きっとあなたはこれまでの道のりで、ものすごくがんばってきたから、いつも全力だから、思い残すことがないと、そういう心境でいれるんだなって、思うんです。すごいなって、思います。わたしはまだ、ぜんぜんそんな境地にはなれなくて。しかも、思い残すことが、まだがんばれていないことが何なのかさえ、わかってなくて。ただ何となく、このまま終わりでは、きっとまだがんばり足りないことばかりだ、と思うだけで。つまり、何にがんばればいいのか、わかってないから、どうすれば悔いのない状態になれるのかさえわからなくて。いい歳して、今時の若者とそう変わりない、でも結局こういうのが”ふつう”の人なのかなって感じです。
耕太もそんな人だったのかな。(発病するまえ)きっと心の葛藤、すごかったんだろうな。そう思うと、なんか胸が苦しくなってくるんです。何回も何回も、絶望する材料を突きつけられて、どうやってそれを自分の中で、消化させていったのかな。。。。見ているだけでこんなに苦しいのに、それを演じるってどんなだったのだろうと、それをさらりと(もちろん、おそらく見えないところではきっともがき苦しんで生み出していたんだと思うけど、もちろん表にはださず)やってしまう大野くんに、ひたすら驚くしかないです。
わたし、もらった動画を一気には見ませんでした。わざと少し見ては他のことをしたりして、細切れに見ました。一気に見る勇気がなくて。一気に見たら、どーんと感情の波がやってきてしまうだろうって思うとできませんでした。普通ドラマや映画は一気に見たいので、できるだけ、つなげてみれるように時間を作るのに。それだけ、守りに入って、用心して見たにもかかわらず、この有様。
浮かんでくるのは、ストーリーとか、台詞よりも、耕太の表情。”死ぬことって終わることじゃないですよね”って医師を見上げた顔。お姉ちゃんの血が入って行くのを見ている顔。信夫につれられていった霊安室から、ものすごい足取りで引き返してくるときの顔。えっちゃんに”じゃあね”と最後のおわかれを言う顔。父ちゃんが”耕太は死なない”と言ったときに、涙の顔を上げて父ちゃんをまっすぐに見た顔。両親の結婚記念日に料理を作ってあげたい、とロールキャベツを巻く横顔。
ざっと書き出しても、印象深い表情が沢山ありすぎて。微妙な表情にはっとすることが多くて。
そう、でももう抗がん剤治療は止める。緩和ケアを受ける。つまり”さようなら”の準備をしていきたい、という決心をした、その切り替わる瞬間の顔の印象がないんです。辛すぎて、よく見てなかったのかな?それとも、その瞬間を見せることはしなかったのかな。わからないです。もうちょっとしたら、もう一度、見てみたい。今度は大野くんの演技という観点で見てみたい。みれるかな?そんな風に。このドラマはそういう風に見れるようになるまではもう何回か見返さないとできないような気がします。
今日はこれぐらいにします。これから、すこしづつ、書いてみるつもりです。
ところで、
24時間TVみなさん、たのしまれましたか??
わたしは、大野くんメインのところをいま、必死でさがしつつ、見てます。
ドラマはね、大野くんではないの。(あれは耕太。もちろんたのしんだっていうかんじではないけど、一番心にのこっている。)
歌も結構歌ってくれましたね!!
ダーツの旅、キュウリのおじいちゃんと、大野くんの手をにぎって”今日はねむれないわぁ~’と言っていたおばちゃん、以外に他にも大野くんはどこか行っているのかしら??あとね、グリッターペインティングがまだ見つかってなくて。制作過程が見たいです!!
24時間TVを追いかけるのに1週間はかかるわぁ~。
なんか、上手くまとまりませんでしたが、今日はここまで。辛いけどもうちょっと、耕太に向き合いたいと思います。
では。
お涙頂戴ものは、苦手なので、大野くんが主人公を演じるのでなければ絶対に見なかっただろうと思う、このドラマ。だけどなんか、思っていたようなお涙頂戴ものとはどことなく違ってて、それが演出のせいか、役者さん達の演技のせいかはわからないけれど。なぜか、丸一日たっても、何か用事をする、動作をする、そんなときに、ふっと頭をよぎって、離れられない状況で。
大野くん、あなたは最近よく、”いつ死んでも、悔いはない。”そんなことをいいますよね。きっとあなたはこれまでの道のりで、ものすごくがんばってきたから、いつも全力だから、思い残すことがないと、そういう心境でいれるんだなって、思うんです。すごいなって、思います。わたしはまだ、ぜんぜんそんな境地にはなれなくて。しかも、思い残すことが、まだがんばれていないことが何なのかさえ、わかってなくて。ただ何となく、このまま終わりでは、きっとまだがんばり足りないことばかりだ、と思うだけで。つまり、何にがんばればいいのか、わかってないから、どうすれば悔いのない状態になれるのかさえわからなくて。いい歳して、今時の若者とそう変わりない、でも結局こういうのが”ふつう”の人なのかなって感じです。
耕太もそんな人だったのかな。(発病するまえ)きっと心の葛藤、すごかったんだろうな。そう思うと、なんか胸が苦しくなってくるんです。何回も何回も、絶望する材料を突きつけられて、どうやってそれを自分の中で、消化させていったのかな。。。。見ているだけでこんなに苦しいのに、それを演じるってどんなだったのだろうと、それをさらりと(もちろん、おそらく見えないところではきっともがき苦しんで生み出していたんだと思うけど、もちろん表にはださず)やってしまう大野くんに、ひたすら驚くしかないです。
わたし、もらった動画を一気には見ませんでした。わざと少し見ては他のことをしたりして、細切れに見ました。一気に見る勇気がなくて。一気に見たら、どーんと感情の波がやってきてしまうだろうって思うとできませんでした。普通ドラマや映画は一気に見たいので、できるだけ、つなげてみれるように時間を作るのに。それだけ、守りに入って、用心して見たにもかかわらず、この有様。
浮かんでくるのは、ストーリーとか、台詞よりも、耕太の表情。”死ぬことって終わることじゃないですよね”って医師を見上げた顔。お姉ちゃんの血が入って行くのを見ている顔。信夫につれられていった霊安室から、ものすごい足取りで引き返してくるときの顔。えっちゃんに”じゃあね”と最後のおわかれを言う顔。父ちゃんが”耕太は死なない”と言ったときに、涙の顔を上げて父ちゃんをまっすぐに見た顔。両親の結婚記念日に料理を作ってあげたい、とロールキャベツを巻く横顔。
ざっと書き出しても、印象深い表情が沢山ありすぎて。微妙な表情にはっとすることが多くて。
そう、でももう抗がん剤治療は止める。緩和ケアを受ける。つまり”さようなら”の準備をしていきたい、という決心をした、その切り替わる瞬間の顔の印象がないんです。辛すぎて、よく見てなかったのかな?それとも、その瞬間を見せることはしなかったのかな。わからないです。もうちょっとしたら、もう一度、見てみたい。今度は大野くんの演技という観点で見てみたい。みれるかな?そんな風に。このドラマはそういう風に見れるようになるまではもう何回か見返さないとできないような気がします。
今日はこれぐらいにします。これから、すこしづつ、書いてみるつもりです。
ところで、
24時間TVみなさん、たのしまれましたか??
わたしは、大野くんメインのところをいま、必死でさがしつつ、見てます。
ドラマはね、大野くんではないの。(あれは耕太。もちろんたのしんだっていうかんじではないけど、一番心にのこっている。)
歌も結構歌ってくれましたね!!
ダーツの旅、キュウリのおじいちゃんと、大野くんの手をにぎって”今日はねむれないわぁ~’と言っていたおばちゃん、以外に他にも大野くんはどこか行っているのかしら??あとね、グリッターペインティングがまだ見つかってなくて。制作過程が見たいです!!
24時間TVを追いかけるのに1週間はかかるわぁ~。
なんか、上手くまとまりませんでしたが、今日はここまで。辛いけどもうちょっと、耕太に向き合いたいと思います。
では。