いろいろあって、瞬く間に一週間が経ってしまいました。週末母が友達と遊びにきたりしてたし。それはまあ一日だけだったんですが。それが唯一の気晴らしで、ちょっとブルーな日々が続いて、なんかブログを書く気力をなくしてました。うん。気分が乗らないのに無理して書いてはいけないよな、なんて思って。そろそろ浮上です。
その間、結構”ハンガッポン”(ツアーBeautiful Worldの大野くんのアレですよ。)を鬼リピしてました。アレを見てると”無”になれるのよね~。スポッと音のない空間っていうか、空気のない空間っていうか、そうそう宇宙空間のような空間が現れるんですよね。間奏で大野くんが止まって、会場の空気も止まって、大野くんの白いジャケットのすそだけが風に揺れてるっていう。。。。あの巨大空間の数万人がいっせいに息を詰めて見守るってすごいですよね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
大野くんのビジュは今と比べるとお顔がふっくらですよね。なんかかわいい~。今はシュッとしてまろやかでかっこいいんですけど、ツアーのころは小熊のよう。結構、ふっくら智にダメだしされる方が多いのですが、いわし的には好きです。はい。なんかほっぺに何を含んでいるの?(リスか?お前は?)っていうのが結構好きなんです。そのかわいいビジュで色気をだだながせるっていうのが魔法だとおもいません??滑らかな動きと早い動き。
そのまま、彼自体が芸術品
そうそう、ツアーといえば国立はラルクになったって聞きました。なんか正直ほっとしました。こんなこといったらお叱りうけそうだけど。いわしは完全にコンサートから蚊帳の外の人なので(ファンクラブ入ってないんで参戦権ないんです)もともとチケが取れるかどうかの心配とかから無縁だったので。ただ、こんな大規模なことがいつしか”恒例の”とかって枕詞で語られ、当たり前化することをちょっと心配していたので。ここらで外的要因で”今年は無理です”ってなったことにちょっとほっとしたっていうわけでして。外的要因がないと、辞めるときは自らの理由によりってことで、”あの箱を埋める力がなくなった”ということでしょ。ルーティーン化したうえ、ファンにも世間的にも新鮮味やそのすごさへの賞賛もなくなった挙句、”嵐、もう無理でしょ。”なんていわれるのは耐えられない!!って思ってたのです。よかったよかった。また数年して、深呼吸して違う趣でチャンスがあったらまたやってほしいな。そのときは去年までの4年間とはちがう魅力でまた魅せてほしい、と思います。
ってこんなことをいうのも、MSNのニュースで嵐関連のニュースをみてちょっと驚いたことが心に残っていて。amazonのレビューでface downの評価が意外によくなく、アンチの人が書き込んでいるのかと思いきや嵐ファンの”愛のブーング”だったという内容。
「『運動会の駆けっこでビリになる子が可哀想だから、みんなでお手手つないで一緒にゴール』って感じですよね。今の嵐の楽曲って。ユニゾンの一体感が嵐の魅力?それも一理あります。でもね、折角の個性や強みをつぶしてまですることでしょうか」
「これは憶測だけどきっとCDを出す時までに5人がダンスを覚える時間がなかったんだよね。嵐はアイドルだけど本業は歌でしょ?なのにドラマやバラエティのレギュラーが忙しくて本業の作品が疎かになるのは『なんだかなぁ~』と思ってしまう」
「二年ぶりの大野くんのドラタイ(ドラマタイトル)。久々に彼の美しいソロがたくさん聞ける、と思ってた。なのにこれ。フルで初めて聞いた時は凍りついた」
「とりあえず嵐の曲ならファンは何でも買うんだろ、と言わんばかりの殿様商売っぷりが透けて見えるようでげんなりです」
これを読んだときはそれこそ凍り付いた。。。
そこまでいわなくても、って。本当のファンなら、嵐くん達のためを思うなら、意見や苦情はJ事務所の言うべきところへ言うべきじゃないのって。amazonの誰もが見れるレビューで言うことなの?って。だいたい大野くん自身がtruthのときだって自分のソロパートが多すぎるって減らしてもらったって言う話じゃない、、、とかさ。
でもあんまり気になったんでamazonでレビューを読んでみた。そしたら、まあいろいろ辛辣なコメント、率直な”残念だぁ~”名コメントも多かったけど、愛のあるコメントも多かったのでほっとした。記事で抜き出されたコメントは抜き出されると前後がないのでキツく感じるんだよね。ということは記事って書くひとのさじ加減でいかようにもなるってことで。怖いね、文章って。
わたし自身はね、もちろん歌って踊って嵐だとは思ってるけど、だからこそ、それさえあれば大丈夫と思って安全パイを守るより、いろんなアプローチを試してほしいと思うから、今回のようなものも、ある種の実験的挑戦と受け止めます。それに、作品はいまや嵐くん達だけで作っているんじゃないし。ドラマだって音響さんや小道具さんが支えてくれて盛り上がってくるし、それ含めてドラマの評価なわけだし。PVもパッケージデザインや構想、すべてで一つの作品となる訳で。だからできた物が、10年後20年後見たときに、”ああ、あの時代ってこうだったよね。ああ、あのときの嵐クン達ってこんな感じだったね。”って全体として見渡せる方がいいかなって思う。Trouble makerだって歌番組ではカワイイダンス(大野くんがはじかれちゃったり)だけどPVは映像を駆使したスタイリッシュな物だったよね。
いつもいつも引きでみた嵐くんのダンスとメイキングのわちゃわちゃでは、繰り返すたびに消耗されてしまう気がする。もちろん、それが嵐くんの神髄ではあるとは思うけれど。でもそればっかりだと伝統芸能と変わらないじゃない。予定調和で。いつまでも鮮度を保つにはスゴイ努力と工夫がいる訳で、そのために嵐くんとその周りの人たちが一緒に試行錯誤を繰り返しているんでしょう。
定番と呼ばれる洋服も絶対5年ぐらいたつと何かが古く感じる。なので定番も裾の長さ、ウエストのラインなんかを毎年微妙に調整することが必要なんだって。変わっていないようで変わっていなければ定番ではいられないってことなのかな。嵐クン達の”変わらないこと変わっていくこと”のスタンスを考えたとき、ふとこんなことを思いおこしていました。。。。
明日は待ちに待った水曜日。っていうのは私の鍵部屋日♪です。
そろそろ、径くんはベールを少し脱いだのかしら?
青砥ちゃんとの距離は縮まったかしら?
そうだ、Mステにまた登場だっけ?
Your Eyesリリースですものね。まだまだアラシゴト、忙しくって助かります。
余計なこと考えないで、大野くんを目で追ってればいいから![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/3hearts.gif)
ではでは![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)
その間、結構”ハンガッポン”(ツアーBeautiful Worldの大野くんのアレですよ。)を鬼リピしてました。アレを見てると”無”になれるのよね~。スポッと音のない空間っていうか、空気のない空間っていうか、そうそう宇宙空間のような空間が現れるんですよね。間奏で大野くんが止まって、会場の空気も止まって、大野くんの白いジャケットのすそだけが風に揺れてるっていう。。。。あの巨大空間の数万人がいっせいに息を詰めて見守るってすごいですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
大野くんのビジュは今と比べるとお顔がふっくらですよね。なんかかわいい~。今はシュッとしてまろやかでかっこいいんですけど、ツアーのころは小熊のよう。結構、ふっくら智にダメだしされる方が多いのですが、いわし的には好きです。はい。なんかほっぺに何を含んでいるの?(リスか?お前は?)っていうのが結構好きなんです。そのかわいいビジュで色気をだだながせるっていうのが魔法だとおもいません??滑らかな動きと早い動き。
そのまま、彼自体が芸術品
そうそう、ツアーといえば国立はラルクになったって聞きました。なんか正直ほっとしました。こんなこといったらお叱りうけそうだけど。いわしは完全にコンサートから蚊帳の外の人なので(ファンクラブ入ってないんで参戦権ないんです)もともとチケが取れるかどうかの心配とかから無縁だったので。ただ、こんな大規模なことがいつしか”恒例の”とかって枕詞で語られ、当たり前化することをちょっと心配していたので。ここらで外的要因で”今年は無理です”ってなったことにちょっとほっとしたっていうわけでして。外的要因がないと、辞めるときは自らの理由によりってことで、”あの箱を埋める力がなくなった”ということでしょ。ルーティーン化したうえ、ファンにも世間的にも新鮮味やそのすごさへの賞賛もなくなった挙句、”嵐、もう無理でしょ。”なんていわれるのは耐えられない!!って思ってたのです。よかったよかった。また数年して、深呼吸して違う趣でチャンスがあったらまたやってほしいな。そのときは去年までの4年間とはちがう魅力でまた魅せてほしい、と思います。
ってこんなことをいうのも、MSNのニュースで嵐関連のニュースをみてちょっと驚いたことが心に残っていて。amazonのレビューでface downの評価が意外によくなく、アンチの人が書き込んでいるのかと思いきや嵐ファンの”愛のブーング”だったという内容。
「『運動会の駆けっこでビリになる子が可哀想だから、みんなでお手手つないで一緒にゴール』って感じですよね。今の嵐の楽曲って。ユニゾンの一体感が嵐の魅力?それも一理あります。でもね、折角の個性や強みをつぶしてまですることでしょうか」
「これは憶測だけどきっとCDを出す時までに5人がダンスを覚える時間がなかったんだよね。嵐はアイドルだけど本業は歌でしょ?なのにドラマやバラエティのレギュラーが忙しくて本業の作品が疎かになるのは『なんだかなぁ~』と思ってしまう」
「二年ぶりの大野くんのドラタイ(ドラマタイトル)。久々に彼の美しいソロがたくさん聞ける、と思ってた。なのにこれ。フルで初めて聞いた時は凍りついた」
「とりあえず嵐の曲ならファンは何でも買うんだろ、と言わんばかりの殿様商売っぷりが透けて見えるようでげんなりです」
これを読んだときはそれこそ凍り付いた。。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock2.gif)
でもあんまり気になったんでamazonでレビューを読んでみた。そしたら、まあいろいろ辛辣なコメント、率直な”残念だぁ~”名コメントも多かったけど、愛のあるコメントも多かったのでほっとした。記事で抜き出されたコメントは抜き出されると前後がないのでキツく感じるんだよね。ということは記事って書くひとのさじ加減でいかようにもなるってことで。怖いね、文章って。
わたし自身はね、もちろん歌って踊って嵐だとは思ってるけど、だからこそ、それさえあれば大丈夫と思って安全パイを守るより、いろんなアプローチを試してほしいと思うから、今回のようなものも、ある種の実験的挑戦と受け止めます。それに、作品はいまや嵐くん達だけで作っているんじゃないし。ドラマだって音響さんや小道具さんが支えてくれて盛り上がってくるし、それ含めてドラマの評価なわけだし。PVもパッケージデザインや構想、すべてで一つの作品となる訳で。だからできた物が、10年後20年後見たときに、”ああ、あの時代ってこうだったよね。ああ、あのときの嵐クン達ってこんな感じだったね。”って全体として見渡せる方がいいかなって思う。Trouble makerだって歌番組ではカワイイダンス(大野くんがはじかれちゃったり)だけどPVは映像を駆使したスタイリッシュな物だったよね。
いつもいつも引きでみた嵐くんのダンスとメイキングのわちゃわちゃでは、繰り返すたびに消耗されてしまう気がする。もちろん、それが嵐くんの神髄ではあるとは思うけれど。でもそればっかりだと伝統芸能と変わらないじゃない。予定調和で。いつまでも鮮度を保つにはスゴイ努力と工夫がいる訳で、そのために嵐くんとその周りの人たちが一緒に試行錯誤を繰り返しているんでしょう。
定番と呼ばれる洋服も絶対5年ぐらいたつと何かが古く感じる。なので定番も裾の長さ、ウエストのラインなんかを毎年微妙に調整することが必要なんだって。変わっていないようで変わっていなければ定番ではいられないってことなのかな。嵐クン達の”変わらないこと変わっていくこと”のスタンスを考えたとき、ふとこんなことを思いおこしていました。。。。
明日は待ちに待った水曜日。っていうのは私の鍵部屋日♪です。
そろそろ、径くんはベールを少し脱いだのかしら?
青砥ちゃんとの距離は縮まったかしら?
そうだ、Mステにまた登場だっけ?
Your Eyesリリースですものね。まだまだアラシゴト、忙しくって助かります。
余計なこと考えないで、大野くんを目で追ってればいいから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/3hearts.gif)
ではでは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/sayonara.gif)