富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

《リバイバル・アーカイブス》科長(しなが)神社の夏祭り 1

2014年08月01日 | だんじり・祭り

〈リバイバル・アーカイブス〉2021.7.26~8.9

原本:2014年8月1日

 

一年一度の 村まつり 老いも若きも 皆越えて

村をあげての 夏祭り   科長(しなが)神社の 御前(おんまえ)で

 

揃(そろ)いの法被(はっぴ)に 気入れて  地車(だんじり)太鼓に 血さわぎ

たて横シャクリで 胸さわぎ  俄(にわ)か芝居で 腹かかえ

                ( オリジナル曲「祭ばやし」の歌詞より:アブラコウモリH )

 

 

 大阪府南河内郡太子町山田の科長(しなが)神社の夏祭りは、毎年梅雨の開けた暑い盛り、7月の第四土・日曜に行われます。珍しい真夏のだんじりまつりで、山田地区の5台のだんじりが7月27日(日)に宮入りしました。

宮入りの日の朝8時ごろ、永田町内で永田町のだんじりの横を西町のだんじりが通り過ぎる際に、お互いに「ごあいさつ」をしています。

 

 今度は、待機していた後屋(小屋)町会の珍しい舟形地車(だんじり)との 「ごあいさつ」

 

 南河内に多い石川型地車の獅子噛(ししかみ)(写真は西町の地車)

大屋根の前後と小屋根の後、計3つ付いています。

 

 東條(ひがんじょ)地区の街並みを通る地車

大きい地車も旧家の蔵の前では、小さく見えますね。

 

 水引幕は、武者が乗っているかっこいい猪です。

 

 神社まであと少し、大和棟がうつくしい東條地区の登りの細い道いっぱいに地車が行きます。

これより先、急カーブあり、上り・下りありと、腕のみせどころ。

 

 横シャクリしながら、最初に西町の地車が宮入り。鳥居ぎりぎりです。

天保三年(1832)製作の歴史ある地車です。平成八年(1996)大修理

 

 鳥居を越えて、決めポーズの永田町の地車

 

 大道(だいどう)の地車です。

製作文化四年(1807)、大阪六百数十台の地車の中で最も古いと言われています。今年207歳!地車の木目が飴色に変わっています。

大道は古代の官道、丹比道(竹内街道)に沿った歴史ある集落です。

 

 東條の舟型地車が宮入りします。

大阪府で3台しかない舟地車のうちの1台です。とも(船尾)には、「磯長丸」と銘が入っています。

 

 

 

 舳先(へさき)の棒は、出し入れができ、舳先を振るときに使います。

 

 石川型を代表とする南河内の地車は縦横シャクリができます。前シャクリでおじぎをしながら、回しているところ。

 

 次は横シャクリ 揺らすのはとても重労働

 

 

 

 永田町の地車 なんと全員で地車を担ぎあげています。一瞬少し持ち上がりました。

永田町の地車は、岸和田型の地車を改修したものです。

 

 

 後屋町会の地車。この地車も舟型地車です。縦シャクリもできます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで二上山のふもとの山田地区に2台も舟形地車があるのかが不思議です。

大阪六百数十台のうち3台しかなく、しかもいまも祭りに使われているものは、この山田地区の東條・後屋の2台のみということです。

大道の大阪最古の地車とともに、伝統のある式内社 科長神社の夏祭りとして、オンリーワンの誇れる伝統を受け継いでいます。

 

 世間の風潮は、地車新調で盛り上がる傾向がありますが、江戸後期の伝統ある地車が現役を退いていくのが、私は残念でなりません。

 

 大道・ 西町の地車のように江戸時代の製作でも、大修理をすれば新調以上にすばらしい地車に仕上がります。

 

 山田地区の舟形地車は、山田地区永田町の江戸後期の豪商 田中家の寄進によるものと思われます。

田中家は油屋で、のちに両替商、紀州の殿様に大名貸しをしたことでも有名。

江戸後期の南河内の換金作物、菜種の生産と水利による水車の稼働により、菜種油を生産し、石川剣先船による水運で、大消費地 浪速に油を送っていました。

 

  田中家『永代帳』(寛政12年、1800)には、天満神事(天神祭)を何人かで見に行ったと記録があるように、天神祭に行くのが楽しみで、きっと船渡御の印象が深かったと思います。

そして、想像ですが、地車寄進の時にいっそ舟形地車を寄進したのではないでしょうか。

この時代に地車祭りがこの地区で行われていたことは、前述 田中家『永代帳』の寛政11年(1799)の「町内檀尻入用、伊兵衛分百三十四文渡(花代か)...」でも解り、地車の形は『摂津名所図会』巻四 夏祭車楽囃子の挿絵でも確認できます。

 

三番叟の奉納です。

 

 俄(にわ)か芝居の奉納です。

 

 八社太鼓の奉納です。

 

神輿が、一旦別の場所に移され、再度五台のの地車が奉納された拝殿前へかつぎ出されます。 

 

 科長神社は江戸時代までは八社大明神と呼ばれていました。旧石川郡の式内社で、風の神である組長津彦命と組長津姫命を主祭神として八神を合祀します。

科長は「息が長い」という意味をもち、そして古代人は、風は神の息から起きると考えていたようです。風は稲作に欠かせないもの。風をコントロールするために風の神が祀られるようになったといわれています。

 

 

 

 4時ごろいよいよ宮を出て、各町の地車は自分の町に帰ります。

 

 地車太鼓もなぜかしっとりとしていて、さびしそう...

 

 大工方の背中も、なぜかさびしさがありますね...

 

 また来年を楽しみに...

 

2014.8月1日 ( HN:アブラコウモリH ) 

 *パート2の記事については、読まれた方より、記載内容が誤っているとの指摘をいただきました。そのため、再度調査をしなおすことにいたしました。

 

 


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