遺体屋の仕事

日常生活では見ることも聞くこともない「遺体屋の仕事」とは・・・

千の風になって。というお話 1

2007-08-14 11:12:27 | Weblog
表現に語弊があるかもしれませんが毎日この仕事をしていると
“大丈夫な死”と“気の毒な死”があるように思えてきます。
例えば100歳になるような【大ご長寿】のお年寄りの死は
ご葬家皆さんがおじいちゃんでもおばあちゃんでも
「かわいいかわいい」と死に顔すら愛しそうに愛でるのです。
もちろん感謝の気持ちも悲しみもありますが悲壮感ではなく
「ここまでお疲れ様でした」という思いのようです。
“気の毒な死”は亡くなられた方が理不尽な理由ややるべき事
夢や未来がまだまだ沢山ある方の死です。
人生を真っ当できないということは
「やらないで後悔する」
ということなのでしょうか…。

私とそう年が変わらない若い男性の方
(いえ、私が若いという意味ではないのですが(~_~;)
お盆休みに入りすぐ、お友達と登山に出かけての心筋梗塞。
お顔がうっ血により薄紫に変わっていました。
準備があるので約束の30分前に伺うと故人様のお父さんが
「早くないですか、長男も出かけているし」とちょっとご機嫌斜め。
ご説明して準備を進めていました。
ですが準備を整えて定刻になってもご長男は帰ってきません。
お父さんは3年前に脳梗塞で半身が不自由な方です。
お母さんはもっと前に亡くなられてお部屋には遺影写真。
メイクを進めるにしても、喪主をするご長男が戻ってきません。
「では戻られるまでお化粧させてください」
おヒゲを生やしている方なのでご長男が戻ってから髭剃りをどうするか?伺う事に。
「長男に聞いて見なきゃわからないから…何か言うとすぐ食って掛かってくるから」
そこからお父さんの“やりきれない今までの生活”を
ポツリポツリと伺うことになりました。









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