
志水 辰夫【著】
新潮社 (2007-02-25出版)
1,785(税込)
354p 19cm(B6)
この間の『朝日新聞』の村上春樹訳『ロング・グッドバイ』の特集に大沢在昌がコメントを寄せて、日本におけるハードボイルド小説滅亡の危機、みたいなことを言っていました。
だけど、この『青に候』を読んだ限りでは、ハードボイルドというジャンルが確実に日本の小説の世界に根を下ろし、広く拡散の時代にあるのだということを教えてくれました。すなわち、時代小説の形を借りたハードボイルド、あるいはハードボイルドな時代小説の誕生です。
自分の意見や感情を「世界の中心で愛を叫ぶ」ように堂々と述べることが美徳になった感のある現代の日本人にとって、本書で語られる忍ぶ恋、かなわぬ思い、余情の美学などは、まさしく絶滅危惧品種、小説の中だけのことがらなのでしょうね。
「そんなのこの小説の舞台の封建制の遺物だよ」とおっしゃる声が聞こえてきます。でも、ちょっと待って。ハードボイルドの主人公って、もともと口達者に愛をささやいたり、バコバコとやりまくったりはしませんよね。そこらあたりが、ハードボイルドのハードボイルドたるゆえんなのではないでしょうか。
たとえば本書のこんなシーン。
仏門に入るために寺に向かう園子にしたがう佐平。おそらくは永訣になるであろう道中、早春の街道には菜の花が咲き乱れています。交わす言葉も無く別れの時を迎え、辞去しようとする佐平に向けて告げられた、万感の思いをこめた園子のひとこと。
あるいは、佐平には自分のほかに思う人がいることを知ったたえと、佐平が陽だまりの縁側で対峙するシーン。ここでは、純白のもくれんの花が彩りを添えています。
余情の美、ここにきわまれり、です。饒舌な愛情の表現や、過度の感情移入も、見苦しい未練も無い文章。ぎりぎりにまで無駄なものをそぎ落とした、まさしく志水辰夫の独壇場だと思います。
男女間の描き方もこのように見事ですが、もうひとつ忘れてはならない登場人物が、藩の存続に腐心する佐平の友人、六郎太です。
組織を守るために英邁な長よりもあえて無能の長を選び、一時の栄光よりは細く長くの道を選択する。みこしに乗って目立つ人物よりも、みこしをかつぐ者こそ、真の支配者であることは、藩と会社の差こそあれ、昔も今も変わらないようです。
それから、場面自体はわずかですが、リアリティ抜群の剣戟シーンも、どうかお見逃し無く。
(T.I.)
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