9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について 「天皇の陰謀」 その2 ディヴィット・バーガミ著 1983年4月

2019年11月08日 | 日記

とあるスナックで

コー

この本の P-14 「著者から読者へ」 

・・・・・。

およそ一年後の1938年9月、私は父とともに、中国の聖地とされる廬山の洞窟の入り口に座っていた。その洞窟は、草履をはいて読経する仏僧たちが寺院にしていた。夏季の廬山ーー漢口から南京の方へ揚子江を半分ほど下ったところーーは、西洋人の避暑地だった。双眼鏡で、父と私は、5千フィートの急斜面の下にある、日本の占領軍の前線を見下していた。この距離なら、ちょうど、日本兵の一人ひとりがはっきり見えるのだ。彼らは折しも一つの村を報復攻撃し、住民に銃剣を突き刺し、組織的に民家に火を放っているところだった。村から空に立ち昇った煙は、晴雨にかかわらず働いている、戦争であろうと平和であろうと働いている林間の炭焼きから立ち昇る数条の煙をも、すっかりおおい隠してしまった。明日は私たちの山頂に新しい避難民、大部分は孤児で、無残にも銃剣で傷つき、ほんの少しだけ年上の姉に背負われたよちよち歩きの子供らが、殺到することだろう。そして明日の夜には、山頂を握っている中国人遊撃隊が平地に新たな突撃をかけ、二、三人日本人の首級をあげてそれを竹槍の先に掲げて持ち帰り、勝利の行進で引き回すだろう。

私はその時にはもう日本人の同調者ではなくなってしまっていた。私が少年期になるまでにその中で育った、優しく、思慮深く、礼儀正しく、親切な人々は、いまや、なんとも訳のわからないうちにぞっとするほど変身していた。ここ戦場で、日本人兵士は戦争をしていただけではない。彼らは威張って歩き、ビンタを食らわせた。彼らは飢えた者から食糧を、家のない者から携帯寝具を、貧窮者から小銭を徴収した。彼らは年端のいかぬ少女を強姦し、妊婦の腹を切り開き、幼児を放り投げて銃剣で受けた。彼らは拷問された者の自白以外に真実を認めず、脅迫以外に統治の術を知らなかった。私にはなぜ彼らがそんな風に行動するのかさっぱり理解できなかったが、日本人の行動としては別に不思議はないと思うようになった。何人かの父の友人たちは例の”日本人の劣等感”のせいにした。中心街の下手に住む或る中国人の将軍は、咎むべきは日本の指導者だと述べた。日本は世界を制覇しようと望む下劣な皇帝によって支配されていると。と彼は言うのだ。将軍の説明が単純なので、私はなるほどと思ったものだ。

・・・・・。・・・かぶの漬物もたっぷりあるのを見つけご相伴にあずかった。戦場の外では、驚いたことに日本兵は、私の記憶通りの、にこにこした、思いやりのある人びとであることを私は知った。彼らの多くは、私の父が建てた東京の大きな聖路加病院をよく知っていた。彼らは、私の父が長年日本の建築に尽くしたことを、本当に感謝しているようだった。・・・。

 

P-47

・・・・。

また、私は、”陰謀”--乱用と国威宣揚主義の故に、怪しげとなった言葉であるがーーの指導者として描かなければならないだろう。極東国際軍事法廷は日本の戦争指導者に対し「侵略戦争をするための陰謀(共同謀議)」の評決を下し、1928年から1936年の間に日本の進路を方向づけた陰謀を八つだけ暴き出した。陰謀は日本文化のなかで古く、誉れ高き位置を占めていた。戦前の日本の方面軍は、正式には「謀略部」と呼ばれる幕僚班をそれぞれ持っていた。私は連合国判事がまとめた名簿に六つの陰謀を追加し、それらすべてを中央の裕仁の皇室の陰謀と結び付けた。裕仁は、第一に日本を西洋との戦争に導き、次いで、敗北した場合に記録を不分明にするために、少数の者と隠密裏に画策していたのである。

断固として、私は私の著書に「天皇の陰謀」という表題をつけた。私の調査から最も枢要な事件を選び出し、色彩をほどこして生きたものにしようと着手した。・・・・・。

 

小林

この本の題名がなぜ、「天皇の陰謀」でなければならないかということなんでしょうね。

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9.11について 「天皇の陰謀」 ディヴィッド・バーガミニ著 1983年4月 現代書林

2019年11月01日 | 日記

とあるスナックで

小林

コーさん、いよいよこの本を読みだしたんですね。

コー

そうなんだ。まったく憂鬱になっちゃうよ。読む前から内容は、大体予想は付いたけどね。

しかしこれ程とはね、まったく。題名が「天皇の陰謀」だよ、天皇のことを良く書いてあるわけがないよ。図書館にあったけど、小さな本が7冊になっているんだ。ようやく一冊を読んだところだ。

 

俺は昔、大岡昇平の「野火」という映画を見たんだが、そこではっきりわかったね,大東亜戦争が侵略戦争だったという事が。

だって現地のフィリピン人がアメリカ兵と一緒になって、日本軍と戦っているんだよ、これなんじゃと思ったね。

フィリピン人やベトナム人や、アジア人を解放するために戦争してるんじゃなかったんだと思ったね。そう計画された侵略戦争だったんだよ。

この本はそのことを改めてわからしてくれるんだろう、しかもその最大の計画者は。

 

著者は戦争中、中国やフィリピンで日本軍の残虐行為を何度も目撃しているんだな。

小さいときは日本で過ごしていた時があったみたいだ。父親は日本の聖路加病院の建築で知られた建築技師と書かれているね。

なぜあんなにおとなしい日本人が、戦場であんなにも非人間的な行動ができるのか疑問に思ったんだろう。

 

とにかく読んで行くには、気が重くなるよ。

p-35

著者から読者へ

・・・・・。

天皇裕仁は、1937年、華北に派兵する命令に押印した。彼は不承不承押印したと後にいわれるが、2か月後には華中および華南への部隊急派のための命令に続けざまに玉璽を押したのだ。・・・・。

・・・・・。

それよりも前、1931~32年に裕仁は満州の征服を裁可していた。後日やはり、彼は不本意ながらそうしたのだといわれているが、当時の記録は、彼が代表している玉座の神聖な機構が一役買ったこの冒険的投機に対する全責任を負うことを渋っていたということを、ただ単に示しているだけなのだ。征服がうまく完成されると、またしても彼は征服者たちに栄誉を与え、事に当たった大将(本庄繁)を侍従武官長に取り立てたのである。

 

こうした明白な諸事実から、私は、天皇裕仁の行為と、後年彼についていわれている言葉との間には大きな懸隔がある、という結論を得た。私は、資料の記録を読んで取ったノートを読み返し、考察し直して、第二次世界大戦以降に提示された日本現代史は、戦争末期に、一部は参謀本部の逆情報活動専門家たちによって、一部は高位の侍従たちによってつくられた、巧みに仕組まれた虚構である、と確信するにいたったのである。

・・・・・。

 

小林

この本は、アメリカによって特にライシャワー駐日大使によって出版を妨害されたといっているみたいですね、著者は。

コー

そうだね。戦後間もないころの占領政策もそれからの日本の対日政策も、天皇を利用してきたという事なんだと思う。だからこの本はそのアメリカの政策に反するということなんだろう。国民の信頼を失った天皇は利用できないからね。

 

なにしろ読んでいくうちに気がだんだん落ち込んでいくよ、あと6冊か。うーん。

 

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9.11について 政府が財政赤字になる理由 泉山 光明

2019年11月01日 | 日記

とあるスナックで

小林

この方の本を読んでみると実にわかりやすく「債務貨幣」をなぜ「公共貨幣」に変えなければならないかが、わかりますね。

コー

そうだね、制度上、システム上、もう無理だということだね。

特に日本は。

政府の財政赤字は、「債務貨幣」のシステムから必然に起こると言っていると思う。

はじめに

「財政健全化」ということばがあります。そのことばの裏には、大幅な赤字を抱える日本の国家財政は「不健全」だという認識が暗黙のうちにしめされています。たしかに、一般的に「赤字」そのものは、決して良い状態を指し示すものではありません。しかし、すべての事象には必ず原因があるように、財政赤字にも相応の原因があります。その原因を正しく理解しなければ、それを正しく「健全化」することはできません。

(コー註 その通りである。かれはうまい例えをいっている。たとえば糖尿病の患者に心臓病の人の治療をしたら、かえって悪化して大変なことになる。)

・・・・・・・。

そして、この税収不足と景気対策による国債の増発は、経済的なプロセスの必然的な帰結であって、「財政規律の欠如」とは関係がありません。為政者に財政規律があってもなくても、政府貨幣の発行が禁忌(してはいけないこと)とされていて、貨幣量の調節が信用創造に依存している現状では、国債の増発以外に世の中に必要なお金(貨幣)の総量を維持する手立ては存在しません。・・・・・・。

 

ですから、不況時に増税をしたり財政支出を抑えたりして財政赤字を削減することは、せっかく生み出したお金(貨幣)を消滅させて、不況をさらに悪化させる行為です。

(コー註 デフレだったらますます悪化させるということだ)

本来は、お金の総量を減少させることなく財政赤字を解決するためには、政府部門が自らお金(貨幣)を発行するほかないのですが、これは「節度なくお金(貨幣)を発行する危険がある」という理由から、いわば「禁じ手(禁忌)」とされています。

・・・・・・。

しかも、いったん市中銀行が買った国債を日銀(一応の政府部門)が買い戻す際に、利息の多くが市中銀行に移転しますので、自動的に国家財政を理不尽に圧迫し、国家の(=国民の)不利益となっています。したがって、このリスクと理不尽から抜け出すためには、隠然たる事実上の「財政ファイナンス」を止めて、

信用創造の廃止と政府貨幣の発行しか残された出口がありません。

(コー註 これこそ公共貨幣だ)

これは経済的必然にせまられた不可逆的現象であり、もはや異次元緩和の「入口」に戻ることはできず、「異次元緩和の出口」は「異次元への出口」にならざるをえません。

 

以上が・・・・・。

 

小林

まったくその通りですね。さっそく読んでみましょう。

 

 

 

 

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