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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-ABBA 追記あり

2021-09-03 10:32:48 | MUSIC

 「ABBA」

 スウェーデンから飛び出したスーパー・ポップス・グループ、ABBA。誰もが一度は耳にしたことがあるに違いない"ダンシング・クイーン"や"恋のウォータールー"などの名曲。そこでの、美しいメロディと華麗なヴォーカル・ハーモニーには最高のポップ・マジックと呼びたい、あの胸がときめくような感触が封じ込められている。

 スウェーデンのビート・ポップ~ソフト・ロック・バンド、ヘップスターズ。に在籍したベニー (Benny Andersson)、フォーク・ロック・ユニット、フーテナニー・シンガーズ在籍のビヨルン(Bjorn Ulvaeus)が出会ったのは1966年のこと。意気投合した二人は、後の1970年にデュオを結成する。そしてそこに既にソロ歌手として活躍していたアグネタ(Agnetha Faltskog)とフリーダ(Anni-Frid Lyngstad)が加入し、ABBAの原型となるグループが出来た。1973年正式に4人で活動を始めた彼らは、ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場。1973年3位を獲得した"リング・リング" 、更に"ウォータールー"で翌年の1974年に優勝するなど話題を集めた彼らは、それ以降世界的に通用するポップス・グループとして高い人気を得ていく。1977年発表の代表曲"ダンシング・クイーン"などを筆頭にヒット・ソングを数々生み出し、70年代の音楽シーンを彩った彼らだったが、1983年に発表予定だった未完のアルバムを遺して1982年に活動を停止。

 ベニーとビヨルンという優秀なソングライターを擁したABBA。そして勿論その楽曲のポップさを際立たせる要素がフリーダとアグネタによる透き通るような歌声、ハーモニーなのは言うまでもない。"ダンシング・クイーン"のカヴァーやリメイクも幾つかあるが、それらを聴いていていつも思うのは、やはり名曲/美しいメロディだな、ということ以上に、ABBA独特のコーラス・ワークがいかに優れてポップなんだろうか、という点だったりする。

 ABBAのポップス界における影響力は大きく、今でもヨーロッパから出現するディスコティックなダンス・ポップ・グループには、彼らの影を見出すことができる。同郷のエイス・オブ・ベイスなどはそうしたグループ/ユニットの筆頭株だろうが、彼らを含め最近のそうしたグループは、ヴォーカリゼイションという点においてはやはり先達とは趣を異にしているようだ。よりビートが強調されているのが最近の傾向だということがあって、ABBAのような古典的な歌ものに通じるポップス的要素はそれほどないのが主流である。ビートの利いたダンス系ばかりとは言い切れないメイヤ (こちらも同郷)などのオーソドックスなポップス要素を持つアーティストのほうが、どちらかというとABBAのスタンスに近いのかもしれない、と思う。また昨今各国でボーイズグループが続々とヒットを飛ばしているが、彼らの佇まいもモータウンなどのアイドル・ポップやABBA的なルーツをどこかに持っているような気がする。要はある種のポップス・ユニットの原型的なイメージをABBAが持っているとも言えるのだろう。

*https://www.hmv.co.jp/artist_ABBA_000000000000296/biography/ より

 メンバー

 アイネッタ・フェルツクグ 1950年4月5日生まれの71歳

 ビョルン・ウルヴァース  1945年4月25日生まれの75歳

 ベニー・アンデション 1946年12月16日生まれの74歳

 アンニ=フリッド・リングスタッド 1945年11月15日生まれの75歳

 

 なぜアバが再結成?解散35年、実は売れ続けていたABBAビジネスの舞台裏 草薙厚子

 4月28日、伝説的ポップグループ「ABBA(アバ)」が再結成と35年ぶりの新曲制作を発表し、世界が騒然となった。40~50代にとっては懐かしいアバ。でもなぜ今、再結成?

 昨年、現地スウェーデンで関係者を取材したジャーナリストの草薙厚子さんによると、実は、アバ・ビジネスは解散後も成功し続けてきたのだという(以下、草薙さんの寄稿)。

 2019年に、“デジタル・アバ”がヴァーチャル再結成ツアー


 「メンバーの名前は知らないけれど、ダンシング・クイーンなら知ってる」

 これが音楽ファンのアバに対する印象だろう。全世界で3億7千万枚を売り上げ、82年に活動休止した北欧スウェーデン出身の4人組の人気ポップ・グループ、アバ。70年代後半から80年代初頭に数多くのヒット曲を生み出し、日本でも大ブームを巻き起こした。

 メンバーは現在は離婚してしまったが、元々は2組のカップルだった。グループ名は、アグネッタ(A)、ビョルン(B)、そしてベニー(B)、フリーダ(本名のアンニフリッドのA)の4人の頭文字をとって「ABBA」と名付けられた。発表された作品は現在でも世代を超えて愛され続けている。


 そのアバが35年ぶりに4人でスタジオ入りし、すでに2曲の新曲を完成させたというニュースが世界を駆け巡った。その曲のタイトルは「I Still Have Faith in You」と「Don’t Shut me down」。12月に放送されるアメリカNBCとイギリスBBCの共同制作によるテレビ番組内で披露される予定だという。

 これまでアバの再結成に関しては、何度も噂されては立ち消えになっていた。様々なオファーはあったが、メンバーは「再結成に向けての動機がない」という理由で常に拒否していたのだ。

 実は今回の再結成では、実在のメンバーは登場しない。パフォーマンスをするのは“アバター”つまり“デジタル・アバ”なのだ。

 アバのビジネス関係者と親交が深い音楽プロデューサーの大越王夫氏に今回の再結成レコーディングについて訊いてみた。

「今回の再結成レコーディングの目的は、2019年にスタートするAIとVRを駆使したヴァーチャル再結成ツアーのためです。このプロジェクトにはメンバー4人全員が協力して作り上げています。文字通り『アバター』での再結成で、テーマは『1979年のアバ』と言われています。楽曲そのものが、時代に寄り添って形を変えながら生き続けている稀なケースではないでしょうか」

 

 1982年の活動停止後も売れ続けていたアバ

 新曲に関してメンバー4人は「私たちは年をとってきたかもしれませんが、その曲は新しくいい感じですよ」と公式コメントで述べている。いったいどんな曲調になるのか、待ちわびているファンは早くも想像を巡らせている。

 グループのマネージャーのヨレル・ハンサー氏は、曲について、「アバ全盛期と同じだった。素晴らしい化学反応が起こり、まるで時間が止まっているかのように感じた」とインタビューで述べている。

 1982年にグループとしては活動停止したものの、アバの曲はオリジナルであったり、カバーであったり形を変えながら、今日まで世界中の至るところで聴かれ続けている。

 日本でも2001年に滝沢秀明、深田恭子らが出演したTBS系ドラマ「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」の主題歌として「チキチータ」「S.O.S」の2曲が使用された。それに伴い日本編集のベストアルバムがリリースされたのだが、50万枚を超える大ヒットになっている。

 そこで時代を超えて生き続ける活動停止後のアバの曲の「進化の歴史」を追ってみる。

1990年代、若者やゲイの支持で世界的リバイバル


 活動停止後、メンバーはそれぞれソロ活動を行なった。特に女性二人、アグネッタとフリーダはアバから離れてソロアルバムをリリース。スマッシュヒットを記録したものの、アバの時代ほどの成功とはならなかった。一方、男性二人、ビョルンとベニーが制作したミュージカル・アルバム「Chess」は大ヒットを記録。その後もずっとミュージカル作品を作り続けていくことになる。

 80年代の後半になると、アバの曲は、移り変わりの激しい音楽業界の中で、「懐かしのヒット曲」「カタログ作品」として扱われていくことになる。

 ところが90年代に入ると、アバの音楽に影響を受けた世代が彼らの曲を蘇らせ、世界的なリバイバル現象が起こったのだ。


 1992年、イギリスの2人組のポップデュオ、イレイジャーが、「アバエスク」という4曲入りのカバーアルバムを制作。カバー曲「テイク・ア・チャンス」がイギリスでNo.1になり、全世界で大ヒット。

 またその年の秋、全世界共通のベスト・アルバム「アバ・ゴールド」をリリース。こちらも世界中で大ヒットを記録。現在までに約3000万枚を売り上げている。活動していた時にはあまり評価されていなかったアメリカをはじめ、世界的にリバイバルブームが起こり、アバの再評価が高まったのだ。

 またゲイ・カルチャーの中でもアバの楽曲の評価が高まった。熱狂的なファンが多かったオーストラリアで制作された、三人のドラァグ・クイーンが旅をする映画『プリシラ』(1992)では、アバのヒット曲「マンマ・ミア!」に合わせて踊るシーンも話題になった。

 大ヒット曲「ダンシング・クイーン」や「ギミー! ギミー! ギミー!」などは、ゲイ・アンセムとしても有名だ。同じくオーストラリア制作の『ミュリエルの結婚』(1994)という映画でもアバのヒット曲が劇中で使用された。

 

 舞台・映画『マンマ・ミーア!』ヒットの鍵は「歌詞の翻訳許可」』ヒットの鍵は「歌詞の翻訳許可」


 そんな世界的なリバイバルブームの中でもアバは決して再結成をしなかった。しかし、あるプロジェクトがアバの曲に新しい命を吹き込むことになる。それがミュージカル「マンマ・ミーア!」だった。

「マンマ・ミーア!」は、ギリシャの美しい島を舞台に、結婚する娘の父親探しをする母娘の物語をコメディタッチにしたストーリーだ。このミュージカルは、オリジナルのメロディはそのままに、全編ストーリーに沿った歌詞に“衣替え”した22曲で作られている。


 1999年にロンドンで初演。2001年にはブロードウエイに進出し、2002年には日本の劇団四季による上演がスタート。2016年までにイギリス、アメリカ、日本、それぞれの国で3000回を超える公演数を記録した。

 これだけのヒットミュージカルになった理由には、メロディはそのままで、それぞれの国の言葉に例外的に歌詞を翻訳する許諾を与えたということにある。「マンマ・ミーア!」は22カ国の言語に翻訳され、世界6大陸、50カ国以上で上演され、現在でも毎日、世界中のどこかで上演されているのだ。

 その人気がハリウッドの映画業界に飛び火、2008年にメリル・ストリープ主演で「マンマ・ミア!」は映画化された。サントラ盤も大ヒットを記録。ストックホルムで行われた公開プレミアでは、ついにアバメンバー4人全員が揃って公の場に登場した。

 アバ博物館にショーに、いまや一大観光資源

 2013年には、ストックホルムに全館アバづくしの「アバ・ザ・ミュージアム」がオープン。

 また、2016年にはストックホルムの大きなレストランで「マンマ・ミーア・パーティ」というショーが始まった。食事をしながらショーを見たり、アバの曲に合わせて観客が踊ったりするパーティだ。アバはいまや一大観光資源なのだ。

映画『マンマ・ミーア!』の続編がこの夏公開に


 このようにアバの曲は世代をつなぐ「バトンリレー」のように愛され続けてきた。

 しかし、彼らはもはや活動していないため、ファンはライブを見ることができない。当時からレコーディングを中心とした活動だったので、ライブはあまり行なってこなかった。

 それでも1977年のオーストラリア・ツアーは「アバ・ザ・ムービー」という映画になった。1979年には初の北米ツアーが行われ、1980年の日本公演は日本武道館を始め、福島の郡山でもコンサートが開かれ、12回で10万人以上を動員している。

 そこで登場したのが、いわゆるカバー曲を演奏する「トリビュートバンド」だ。オーストラリアで結成された「ビョルン・アゲイン」は、その中でも最も古く1988年に結成。今年は結成30年で、アニバーサリーツアーを今年の12月にイギリスで行うことが発表された。生のライブを見ることができない今となっては「トリビュートバンド」はニーズが高いのだ。日本でもいくつかのトリビュートバンドがコンサートを行なっている。

 マンマ・ミーア2 さらに、映画『マンマ・ミーア!』の公開からちょうど10年となる今年、続編となる映画『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』が夏に公開される(日本では8月24日公開予定)。前回と同様、メリル・ストリープをはじめ、歌手のシェールも出演しており、再び“衣替え”をしたアバのヒット曲が全編に網羅されている。

 アバの「進化の歴史」はまだまだ終わることはないようだ。<TEXT/ジャーナリスト・草薙厚子>

*https://nikkan-spa.jp/1473527 より

 

追記:ABBA40年ぶり復活!11・5新作アルバム世界発売、来年ロンドン公演 [2021年9月3日2時0分]

 「ダンシング・クイーン」「マンマ・ミーア」など世界的に知られる名曲を世に送り出し、82年に活動を休止していたスウェーデンのポップグループ「ABBA(アバ)」が、約40年ぶりに復活することを2日深夜、発表した。11月5日に新作アルバム「Voyage(ヴォヤージ)」を全世界同時発売。来年5月27日(現地時間)には、デジタルと融合したロンドン公演を開催することも明らかになった。

   ◇   ◇   ◇

 伝説のグループが、40年の時をへて復活することになった。メンバーは「この数十年にわたり、何らかの方法で私達のことを辛抱強く見守ってくださった皆さんへ。大変お待たせしました。いよいよ新たな旅の始まりです」と高らかに宣言した。

 ギターのビヨルン・ウルヴァース(76)、ピアノのベニー・アンダーソン(74)の男性2人と、アグネタ・フォルツコグ(71)フリーダ・リングスタッド(75)の女性ボーカル2人による4人組は、1974年から82年までの実働8年間で、シングル・アルバム合計で3億8000万枚以上を売り上げた。一時はスウェーデンの世界的な自動車メーカーに次ぐ外貨獲得産業とも言われるなど、当時のディスコブームにも乗って、世界的な人気を誇った。

 82年に実質解散状態になり、メンバーはそれぞれで音楽活動などを行っていたが、92年発売の「アバ・ゴールド/グレーテスト・ヒッツ」は、104週連続で全米アルバムチャートにランクインするなど、全世界で2800万枚を超える売り上げで、人気は衰えず。日本でも、14年に世界で唯一ファン投票によるベスト盤「ABBA 40/40~ベスト・セレクション」が発売されるなど、根強いファンが多い。

 ファンの期待に応える形で、18年ごろからセッションを行うなど準備を進めてきた。今回のアルバムは、すでにレコーディングしたことが明らかになっている「I Still Have Faith In You」「Don’t Shut Me Down」の2曲をはじめとした新作。来年5月にロンドンの最新鋭アリーナ「ABBAアリーナ」で行われる公演「ABBA Voyage」は、4人と10人編成の生バンドがデジタルで共演する“革命的な”コンサートになるという。

 新たな“航海”に向けてメンバーは「若き日の自分たちの力を借りて、未来へと旅立つ。これは前例のないもの。皆さんに“お会い”できるのを楽しみにしています」と呼びかけた。

 ○…ABBAは80年に東京・日本武道館などで全国ツアーを行い、ディスコミュージックの定番曲としても、当時から日本で人気があった。活動休止中も、01年に滝沢秀明氏や深田恭子らが出演したTBS系ドラマ「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」で「チキチータ」や「S.O.S.」がテーマ曲に使用され、同年発売の「S.O.S.~ベスト・オブ・アバ」が100万枚出荷のヒットを記録。「マネー、マネー、マネー」がテレビ朝日系バラエティー番組「いきなり!黄金伝説。」などで使用されるなど、多くのファンに親しまれている。今回のアルバム「ヴォヤージ」では通常盤のほか、日本のみ、ベスト盤「アバ・ゴールド」や、DVD「アバ・イン・ジャパン」などが付属した形態でも発売される。

 ◆ABBAの過去のアルバム◆

 <1>リング・リング~木枯らしの少女(Ring Ring=73年)日本でもヒット「木枯らしの少女」(ビヨルン&ベニー名義)収録

 <2>恋のウォータールー(Waterloo=74年)同名曲をフィーチャー。国際的なアーティストの第一歩に

 <3>アバ(ABBA=75年)「マンマ・ミーア」「アイ・ドゥ・アイ・ドゥ」など代表曲

 <4>アライヴァル(ARRIVAL=76年)「ダンシング・クイーン」など収録で世界10カ国で1位獲得

 <5>ジ・アルバム(THE ALBUMS=77年)「イーグル」「きらめきの序曲」など。オリジナル売り上げ最大

 <6>ヴーレ・ヴー(Voulez Vous=79年)「ギミー!ギミー!ギミー!」「チキチータ」などバラエティー豊か

 <7>スーパー・トゥルーパー(Super Trouper=80年)名バラード「ザ・ウィナー」など。英で年間最高セールスに

 <8>ザ・ヴィジターズ(The Visitors=81年)“最後”のアルバム。「ポップミュージックの完成型」と称された

 <9>アバ・ゴールド(GOLD=92年)解散後に結成20周年を記念して発売された19曲入りベスト盤

 ※タイトルは邦題。<9>はベストアルバム

 ◆ABBA(アバ) ビヨルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アグネタ・フォルツコグ、フリーダ・リングスタッドによる4人組。それぞれがペアで音楽活動や結婚などをへて、74年に各メンバーの頭文字をとって「ABBA」としてデビュー。76年に「ダンシング・クイーン」が初の全米1位に輝くなどヒット曲を連発。82年に新曲6曲をレコーディング後に活動を停止し、実質的解散状態に。

*https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202109020000762.html より


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