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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-フジコ・ヘミング -追記あり-

2024-05-02 12:37:58 | MUSIC

 「フジコ・ヘミング」

 1932年12月5日生まれの88歳?

 

 本名、イングリット・フジ子・へミング。
 日本人ピアニストの母、大月投網子とロシア系スウェーデン人画家/建築家ジョスタ・ジョルジ・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。母の手ひとつで東京に育ち、レオニード・クロイツアーに師事、青山学院、芸大を経てNHK毎日コンクール賞、他受賞。
 渡辺暁雄指揮日本フィルなど数多くの国内オーケストラと共演。
 たまたま来日中のサムソン・フランソワは日比谷でフジ子のショパン・リストの演奏を聴き絶賛。その後、ベルリン国立音楽学校を優秀な成績で卒業。以後、長年にわたりヨーロッパ在住、演奏家としてのキャリアを積む。ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドウーラ・スコダに師事。今世紀最大の一人といわれる作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約したことは彼女が最も誇りとしているところのひとつである。ちなみにこの成約に際しては、彼女の演奏に感銘を受けたレオナード・バーンスタインからの支持/援助もあった。
 
 ヨーロッパでの多くの演奏会はオーケストラとの共演もふくめて大成功をおさめた。 1968年すでにドイツの代表的新聞は「日本から“ピアニスト”が出た」「ショパンとリストを弾くために生まれてきたピアニスト」と報じている。ドイツ、オーストリア、スウェーデンでの演奏収録番組は好評につきたびたび放送された。

 NHKより制作・放送されたETV特集「フジ子~ピアニストの軌跡」は大反響を呼び、再、再々放送。また2003年フジテレビ系全国ネットで放送された、愛と感動の特別ドラマ企画『フジ子・ヘミングの軌跡』もやはり大反響を呼び、再放送となった。

 アルバム『奇跡のカンパネラ』『憂愁のノクターン』で、クラシックでは史上初の快挙となる、2年連続「日本ゴールドディスク大賞 クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞、04年『フジ子・ヘミングの奇蹟~リスト&ショパン名曲集』、そして05年『フジ子・ヘミング こころの軌跡』で再び2年連続同賞を受賞する。 4度の受賞もやはりクラシックでは史上初の快挙である。

 徹底した動物愛護者でベジタリアン。

*https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A013737.html より

 

 フジコ・ヘミング「今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの。恋をしている瞬間が一番幸せ」 2021/2/9(火) 18:01配信 婦人公論.jp

 「演奏会の次の日は、いつもぺちゃんこになってしまう。体にカビが生えたかと思うくらい疲れてね。」

 世界で活躍するピアニスト、フジコ・ヘミングさん。年齢を重ねた今も、毎日3時間はピアノに向かうというその原動力はどこからくるのか。保護猫たちと暮らす自宅でグランドピアノを前にして語る(構成=玉居子泰子 撮影=木村直軌)

 ◆可哀想な生き物を助けるために

 ちょうど1年前、2020年の1月はアメリカのサンタモニカにいました。そうしてしばらくしたら新型コロナウイルスが流行し始めてね。アメリカ人は誰もマスクなんてしてなくて、「今、日本に帰ったら大変なことになる。このままここにいなさい」って言っていたけど、言うことを聞かなくてよかったわ。3月23日に日本に戻って、その数日後にはアメリカからの入国が制限された。ラッキーだったわよね。

 その後、世界中の演奏会の予定が延期になってしまった。フランスやドイツでのコンサートもいつ再開できるのか。でも、いいこともあった。久しぶりに日本に長く滞在できたし、時間が取れたから10年以上前に頼まれていた絵本の挿絵を、ようやく描き終えることができたの。出版社の人たちもとても喜んでくれて。これまでが忙しすぎたのね。

 それに、日本では全国でずいぶん演奏会が開けたからありがたかった。地方公演は席を一つずつあけていたけれど、東京公演は満席になって。嬉しかったです。でも演奏会の次の日は、いつもぺちゃんこになってしまう。体にカビが生えたかと思うくらい疲れてね。だから一日は休んで、次の日からまた練習。やれるうちにやっておいたほうがいいと思うから。

 だけど、私はもう自分のために舞台に立って、弾いているわけではない。東京のこの家にいる20匹の猫たちに餌をあげるため。最初に私が拾ってきた猫はもうみんな歳をとって死んでしまったけど、猫シッターさんがまたあちこちからもらってくるのよ。

 うちにいるのは、《出来損ないの猫》ばっかり。きっと人間にいじめられたんでしょうね。お客さんが来ると、ほら、姿を見せないでしょう? この猫たちを食べさせていくことが、私の生き甲斐。自分の食べ物を買うためじゃなくて、自分以外の可哀想な生き物を助けるために生きているところはあるわね。

 ◆急逝した最愛の弟にまた会えると信じて

 ーースウェーデン人の画家の父と、日本人ピアニストの母との間に、ドイツ・ベルリンで生まれたフジコさん。5歳の時、家族で日本に帰国するも、第二次世界大戦が始まる前に父は強制送還されてしまう。

 その後、ピアノを教えながら女手ひとつでフジコさんと弟のウルフさんを育てた母、大月さんは、フジコさんのピアノの才能に気付き、厳しい指導をするようになる。戦中・戦後、外国人の父を持つフジコさんはいじめにもあったが、ウルフさんとは幼少期を支え合って仲良く過ごした。

 20年には大きな別れもありました。8月に弟の大月ウルフが急逝したことは、まだ信じられない。1年くらい会えていなかったの。今も「オーイ!」と大きな声で、ここに入ってくるんじゃないかと思ってしまう。幼い時はケンカもしたけれど、思い出を話せる家族がいなくなるのは本当に寂しいこと。

 弟は俳優としてそこそこ人気者でしたよ。でもね、彼は癪に障るとすぐに相手をぶん殴るものだから、あちこちで出入り禁止になってしまって。私のコンサートのプロデュース業もしてくれていたけど、サントリーホールも東京オペラシティもNHKホールも、全部出入り禁止。仕事もたくさん失って、バカみたいでしょう? だからあまり出世しなかったな。もったいないわよね。

 そんな弟を純粋だと褒める人もいたけど、私は彼とは正反対で、周囲とはうわべだけで付き合うようにしてるのよ(笑)。口は災いの元。本当にちょっとしたことで相手を傷つけてしまうことがある。それがとても嫌で、だから何かあってもグッと耐えて、相手に恨みを持たないよう心がけています。

 でも、弟もすごく悪いことをしたわけじゃない。地獄には行ってないはずよ(笑)。今頃きっと天国で母と会ってるだろうし、私もまた会えますよ、絶対にね。

 ◆神様は私を見捨てたりしない

 ーー幼少期から母の指導のもと研鑽を積み、やがてピアノの才能を認められたフジコさん。28歳でドイツに留学するも、そこでも東洋人として差別を受けるなどして、辛酸をなめた。さらに指揮者レナード・バーンスタインの支援で実現したウィーンでのリサイタルの直前に、風邪をこじらせて聴覚を失う悲劇に見舞われる。それでも諦めずピアノを弾き続けた。

 いよいよピアニストとしてのビッグチャンスを掴もうという時に、一夜にして耳が聞こえなくなってしまった。当時はピアニストとして成功する道は断たれた、と運命を恨んだわ。

 2年間はまったく聴力が戻らなかった。それでも少しずつ、自分のためだけにはピアノを弾き続けていたし、ピアノを教える仕事でなんとか生きてきた。だって、母はそのために私に教えてくれたんだもの。ピアノさえあれば世界中どこにいたって、教えて暮らしていけるのだから。厳しい人だったけれど、母には感謝しています。

 ただ、自分に才能があるかどうかなんて、40歳を過ぎるまではわからなかったわね。昔はCDなんてないし、たまに流れてくるラジオの音楽だってそれほど音質が良くはないでしょう。だから比べようがなくて。

 でもウィーンで一人ピアノを弾き続けていたある日、近所の大学教授の奥さんが、私のピアノを聴いて「一体誰が毎日、あの神様のようなピアノを弾いているの?」って言ってくれたんですって。それを聞いた時は、すごく嬉しかったわね。勇気がもらえた。「わかってくれる人はわかってくれるんだ」って。それにやっぱり、ヨーロッパで何人かの音楽の大家から認めてもらった経験が、励みにもなっていた。神様は私を見捨てたりはしないって思い続けたわ。

 今、私のところに、助けになってほしいってたくさんの若い音楽家がやってくる。でもチケットが売れなければ、私がいくら推薦しても撥ねのけられてしまう。厳しい世界ですよね。

 実力がないのに自分を高く見せたり、他人の評価を求めすぎたりせず、自分がやるべきことを信じて続けるしかないんじゃないかしら。人生はそんなに簡単にはうまくいかないものですよ。私だって、60代になってからのデビューですからね。

 だけど私は、今みたいに有名になりたいとは思っていなかった。元来恥ずかしがり屋で、ビデオを撮られたりするのが恥ずかしくて仕方がない。変な格好で演奏していないか、みっともなくないか、いつも気にしているの。今でもそう。新しい衣装を着て舞台に立つ時なんか、クマみたいに見えてないかしらって心配しちゃう。もちろん、たくさんの観客が来てくださるのは何よりも嬉しいことですけれどね。

 ◆いくつになっても楽しいことはある

 ーーピアノを愛し、猫を愛し、生涯独身を貫いてきたフジコさん。一方で「四六時中恋をしていた」とも。「今、いちばん楽しいことはなんですか?」との質問に、少し顔を赤らめてこう答えた。

 あまりこういうことを言うのは良くないのかもしれないけれど、やっぱり恋人と一緒にいる時間は幸せね。

 私は昔から惚れっぽくて、すぐに恋をしてしまう。若い頃はずいぶん苦労したわ。一度なんてほかに恋人がいるドイツ人の男に騙されて、有り金全部に、アパートまで取られたことだってある。でも私は、ああ、もうこいつはダメだなと思ったらすぐに身を引くの。憂鬱なのは一日くらいだけ。(笑)

 今の恋人は、近くにいるし毎日会えるから、楽しいですよ。尊敬できる人だし、お互い猫が好きで、いろんな話をするわ。

 でも、周りの人を見ていると、みんな「結婚すると相手に飽きる」って言うのね。どうして? 猫を飼っていて、その猫が歳をとって醜くなったからって飽きないし、捨てようなんて思わないでしょう? きっと、みんな相手に期待しすぎなのね。

 私は好きな人と一緒にいたら幸せ。だけど、依存しすぎることはないわね。スウェーデン人の父の血が入っているでしょう。スウェーデン人は孤独を愛するの。私も一人の時間が絶対に必要。絵を描いたり考え事をしたりね。

 歳を重ねていくと、若い時には気がつかなかった自分に気づくことができる。似合わない服を着てバカをやったりしない。だんだん自分のダメなところも直していけるじゃない。だから私は歳を重ねている人のほうが好きね。それに、いくつになっても、楽しいことはある。

 人間なんて、矢のような人生で、あっという間に歳をとって死んでしまうけど、それで終わりじゃないもの。私は、この世での記憶や自分の才能、千代紙やなんかで一所懸命作ったものも全部、せっかくだから天国に持っていきたいわ。誰かに庭で焼かれたら悔しいじゃない。(笑)

 聖書に書かれているように、天国じゃお好み次第、どんな家に住んでもいいのよ。私は、子供の頃に住んでたような、日本家屋と洋館を合わせたような家に住みたいの。ピアノもあってね。父や母や弟や、ファンの人たちを呼んで演奏会を開きたいわ。

*https://news.yahoo.co.jp/articles/b7968995d728461e0694efa2bc3edd05f9e66b85 より

 

 ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去 2024年5月2日(木)7時24分 TBS NEWS DIG

 聴力を失いながらもコンサート活動を続け、ファーストアルバム「奇蹟のカンパネラ」がクラシック界で異例の大ヒットとなったピアニストのフジコ・ヘミングさんが先月21日、死去しました。92歳でした。
 フジコ・ヘミングさんは、スウェーデン人の建築家の父親と日本人ピアニストの母親のもと、ドイツ・ベルリンで生まれ、母親の手ほどきでピアノを始めました。
 幼い頃に日本に帰国し、東京芸大を卒業後に本格的な演奏活動に入り、28歳でドイツに留学。
 その後はヨーロッパを転々とし、演奏家としてのキャリアを築くなかで風邪をこじらせて一時、聴力を失うアクシデントに見舞われたものの、演奏活動を続けました。
 そんななか、1999年に発売されたファーストアルバム「奇蹟のカンパネラ」がクラシック界で異例の大ヒットとなりました。
 演奏活動は去年まで続けていましたが、今年3月に実施した検査ですい臓がんと診断され、先月21日に容態が急変し死去しました。92歳でした。

*https://news.biglobe.ne.jp/international/0502/tbs_240502_4825699962.html より


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